4 ロシア・ハバロフスク Ⅱ
*
「っ! えっ!?」
『私の、友達が』まで言った所で、端末の光が消えてしまった。リュックを掴み、揺さぶってみても、反応はない。
「ちょっと、聞こえてる!? もしもし!? 切れちゃった……? そんな、もう! 落ち着いてくれていいんじゃなかったの!?」
芽依子は、たった今まで話していた相手への怒りと焦りを何とか
どうするべきか。手掛かりになるかもしれないと思った相手は、話し始めてすぐ連絡がつかなくなってしまった。
「おいどうなってんだよ、まだ動かねぇの」
「なになに、もしかして事故? 事故?」
「電気も点かないなぁ。運転手はどうした」
廊下のざわめきも、大分大きくなっている。部屋から部屋へ動揺が伝わり、拡大していく波は、芽依子にも伝わった。電車側からのアナウンスも、まだない。原因の究明に奔走しているのだろう。
少しだけ、幸いだったかな等と芽依子は思う。連れがいきなり倒れて、それで混乱して人形に話しかけている女の子なんて、笑い話どころか関わり合いにもなりたくない。だが周りもこう動揺し、浮足立っている今なら、廊下脇の寝台の様子なんて、気にしている余裕はないだろう。
そこまで考えて、焦りの中で不意に湧いた心に、芽依子の胸がかっと熱くなった。
――明道さんがこんな状況なのに
自分を見おろす醒めた視線と、それにふと覚えた言い知れぬ虚しさまでまとめて、芽依子は思考の端に追いやる。
頭は大分冷えた。改めて芽依子は煉に向き直り、静かに息を吸って近づく。
「少し、ごめんなさいね」
人を呼んだ方がいいのかもしれない。ただその前に最低限、状態は見ておかねば。
肩や手首、首に触れ、呼吸や脈拍を確かめる。何も問題ない。怪我や体調の乱れは心配いらないのだろうか。
いや、わからない。表面的な部分が問題なくても、目が覚めなくては同じことではないか。そもそも煉の周囲を取り囲む様に浮かんでいるホロスクリーンだって、まるで見覚えが無い形状だ。
よく見てみる。みつけた。先程は見落としてしまったのか、倒れた直後から変わっているところが一つだけあった。
青だったホロスクリーンの色が、白に変わっている。
そして、ホロスクリーンと共に視界に入った、自分のタブレット型携帯端末。液晶部分の面を伏せる形でベッドに放り出されたそれは、丁度タオルケットの折り重なった部分に重なるように倒れていた。
その畳んだシーツの段差とタブレットの隙間から、光が漏れている。そして灯りの無い部屋の中でその光は、時折り、チカチカと明滅を繰り返していた。まるで、その画面に何が動画でも流しているかのように。
ざわり、と。芽依子の胸から背中にかけて冷たいものが走った。
直観した。これは見てはいけない。何が映っているのかは、わからない。
だが、見てしまっては。踏み込んでしまってはならない。まるで、まるであの時のような。過去の忘れ難い記憶が蘇る。警告じみた予感があった。
そうだ。こんな物には気付かなかった。そのまま捨ておけば、自然と消えてしまうだろう。もしかしたら只の待機画面なのを、勝手に勘違いしてるだけではないか?
今はこんな物にかかずらっている暇はない。早く煉の安全を確認する、確実な手を考えなければ。そう思う様にした。
しかし。
意識を失った煉と関係ないとも、また言い切れない。否、間違いなく関係がある。煉はホロスクリーンに囲まれている。あまりにタイミングのいいタブレットの動作は、きっと繋がりがある。この胸騒ぎが予感なら、こちらもまた同等に確信めいた予感があった。
結局、芽依子は大きく息を吐き、タブレットを手に取った。
目に入った光景に、彼女はやはり後悔した。
「……何よ、これ」
そこに映っていたのは、どこかの街並みだった。日本ではない。白壁で、歴史を感じさせる趣きの建物は、北の方の異国のように思えた。しかし、画面に映っていたその建築物は、どれもこれも、完膚なきまでに倒壊していた。潰され、抉れ、粉砕され、なぎ倒されていた。
そして。
その死んだ街の中で動いている二つの影。一つはかろうじて残っている二階建て家屋の何倍もの大きさもある、巨大なロボット。
そう、人の形をしているのに巨大で、硬度と重量感を感じさせる外装に覆われている姿は、ロボットとしか言いようがなかった。頭は無く、ボールの様な身体から生えている二本の太い腕を、力任せに振り回している。
更にもう一体。そのロボットの三分の一ほどの大きさしかないそれも、やはり機械としか言いようがなかった。蒼黒い色を基調としたシャープな外観。白いラインが入っているようにも見えたが、芽依子には確認できなかった。
目に追えない、恐ろしい速さで飛行していたからだ。
殴りかかる巨大ロボットの豪腕をするりと躱し、死角へ回り込む。彼女が今まで見て来た飛行機などでは有り得ない、曲芸的な軌道を描いていた。
『本日は、寝台特急をご利用頂きまして、誠にありがとうございます。お客様に御連絡申し上げます。突然の停車、誠に申し訳ありません。現在、安全の確認と車両の点検を行っております。こちら確認が済み次第、発車させて頂きます。ご迷惑をおかけしますが、今しばらくお待ち頂けますよう、お願い申し上げます。点検終了の見込みは――』
停車のアナウンスが、やっと流れてきた。しかし、それも今の芽依子には届かない。じっと、物も言わず、彼女はタブレットを見つめていた。
黒いロボットの手に握られた刀が、相手の腕に振り下ろされた。
*
一閃と共にブレードが、シーラの左腕を肘から斬り落とした。
「ゴアアアアッ!」
腕を失い、一瞬重心が狂う。すぐさまスタビライザーを調整し、安定。それは腕が地面に落ちるよりも速く、コンマ二秒にも満たない。
だがその隙はストロンボスにとっては充分すぎる。一息で加速し、体ごとぶつかる様にシーラへ切り込む!
ストロンボスの刃は、シーラには届かなかった。
地面から勢いよく噴出した巨大な腕がストロンボスの刃を遮り、そのままシーラの欠けた左腕に接続されたのだ。
「ボクが
新しい左腕の肘が爆裂、急加速された巨拳がストロンボスに迫る。だがストロンボスはブレードを斜めに構えると、そのまま拳を受け――切先から拳を逸らし、同時に滑るように再びシーラに肉薄した。狙うは駆動中枢。
「チィッ!」
堪らず飛び退くシーラ。……同時に、ハバロフスクが揺れた。彼が現れた時とは比較にならない振動が、都市を襲う。
ビルの群れが次々と揺れ、展開されていく。そこからせり出されてくるのは、様々なフォルムを持った機械の四肢。全てがシーラの残弾だ。
予備の腕となる大型アームだけではない。ブレードユニットに大口径速射砲、ファイスターターに爆砕式アンカー、そして予備戦力であろうドロイド。多種多様かつ無数の兵装が次々と偽装ビルディングから姿を見せる。
「……ほォ」
今や周囲の都市一帯に林立した兵器達の中、ストロンボスが一人ごちる。アイセンサーは前方のシーラを捉えたままだ。
「ソのハラ
数多の兵装たちが、一斉にストロンボスへ飛来した。
同時に飛びかかるシーラ。巨体を宙に浮かせた空中回し蹴り! 着地と同時にボクシングスタイルからのフック、アッパー、フック! 打ち終りと同時に腕を射出、爆破! 噴煙に紛れての高空あびせ蹴り、空中で脚を換装、内蔵パイクを連続発射!
怒涛の攻めが繰り出される。
◇◆
煉のいる一帯も、兵装の射出ポイントにほど近い。ダメージの残るオフィスが倒壊する。既に熱されたヒートアームユニットが、煉を巻き込む形で迫り……逆方向から飛来したブレードに貫かれ、地に縫いとめられた。
振り向いた煉の目に入るは、百数十メートル先、こちらを見やりもせず撃ちあう二体。だが二刀だったストロンボスのブレードは、一本になっていた。
「……っ」
煉は目が離せない。
◇◆
武装が雨と降り注ぐ中、ストロンボスはその全てを捌いた。シーラの攻撃は己による肉弾戦だけではない。時に兵装を砲弾の如くストロンボス目がけ撃ち出し、時に盾とし、そして時に換装し直接使用する。
すべてが流れる動作のように攻撃に組み込まれつつ、シーラ自身は決して被弾しない。ストロンボスが攻撃中に弾き返したレッグユニットも、慣れた様子で対処してしまった。都市機能を掌握した弾道計算と、シーラ自身が積み重ねた格闘・戦闘データの融合たる戦法である。
器用な真似しやがる、ストロンボスは内心そうこぼした。
「やるもんだな。雑技団みてェだ」
「
「まさか。お前のなり
「知ったフウなクチ、叩クなァ!」
正面、拳がストロンボスを捉えた。ブレードの防御により、深手には至らない。だがその衝突は、ストロンボスを大きく後方に退かせた。
都市の鳴動が更に大きくなる。ビルのどれもが、ストロンボスを狙っている。
……これだけの量の兵器を用立てるには、地上の工廠だけでは足りない。地下に広がるプラントや、工業区画全て使っての生産だろう。
それは当然、そこを
「コロス!」
シーラ。前方に、鋼の大巨人による拳打蹴撃の暴風。周囲に吹き荒ぶ、大型兵装の嵐。それは彼自身を示すかのような、破壊と殺戮の具現。
その勢力はいよいよ強さを増し、ついにはストロンボスを飲み込み――。
大量の武装たちが瞬時に
「ナッ……」
アイセンサーが一瞬だけ明滅したストロンボスが、力強く斬り込んだ。鋼のかち合う強烈な、だが濁りのない音が周囲に響く。防御したシーラの腕の装甲が、深々と切り裂かれた。
返す刀でもう一刀、二刀。上方下方右左、突きに袈裟懸け、剣戟と粒子砲の火閃が舞い踊る。速い。トルクだけではない。先程までのストロンボスと比べても、余りに的確な攻撃!
「こ、コノ!」
圧し返そうとするシーラ。だがその守りはすぐに躱し突破され、致命打こそないものの見るまに追い詰められていく。
「ソンナ……ど、ドウシテ!」
「見せすぎだよ、テメェは」
それだけ、ストロンボスは言った。
驚異のアクロバティック戦術だった。自陣に引き込んでの防衛戦ならば、なるほど自信も納得である。しかし『大戦』時のエース格である自分を攻め落とすには、あまりに手の内を晒し過ぎた。
一撃入れられさえすれば、簡単に勝負を引っ繰り返せるだけの質量差があった。最初の数合のうち、何が何でも攻撃を当てるべきだったのだ。
速度、仰角、質量、エネルギー。それぞれのパターンは、既に計測、丸裸――。
飛来した一本のアックスアームを、ストロンボスが弾いた。それは今度こそシーラに激突した。右腕が付け根から千切れるように切り裂かれ、詰まった
そこにストロンボスが突っ込んだ。弾丸の如き勢い。握ったブレードが深々と突き立てられ、僅かな抵抗の後に一気に肩まで切り裂かれた。
「グオオオオ!」
尚も持ち直し、衰えぬ速度で左腕の巨大質量を叩きつけようとするシーラ。だがも
う遅い。たった今斬りおとした肩口の断面に突きつけられた、粒子砲の引き金が引かれる。放たれた熱量はシーラの拳が敵に届く前に、その中枢を直に灼き尽くした。
「ガ、ぐお……ガ」
すぐさま飛び去り距離を取るストロンボス。油断のない警戒だ。しかし動力部への直撃を敢えて避けた一撃は、最早確認するまでもなく巨兵を鋼鉄の骸へと変えていた。
物言わぬ鉄塊が膝をつき、ずぐん、と周囲に響く音を立て
「…………」
BLESS――自らと同種の機械兵士を、討ったのは、十二年ぶりである。見下ろすストロンボスのアイセンサーを照らすのは電子的な輝きのみで、その意志は読み取れない。
二十秒ほど警戒していたストロンボスは、やがてその頭部を西へ向け、
「おい、まだいるな? そこで待ってろ!」
工場跡に残る煉に向け、大きく呼びかけた。出力を上げた音声は、距離のある煉の元まで十分届く。
「うぇっ? は、はい!」
まるですぐ傍から声を掛けられたように反応してしまった煉の元へ、バーニアを吹かしたストロンボスが飛来する。
「待たせたな。一旦オレの前線基地に戻るぞ。お前も来い」
「えっ。い、いきなりそんな」
「行くアテでもあんのか? ここがドコかも判ってなかったお前が?」
「むう……」
煉は言葉に詰まる。その通りだ。たった今、目の前で大立ち回りを演じていた相手だが、その恐怖よりも周囲の状況への不安が先に立った。
「素性の知れねェお前をどうするにしても、通信の先の人間に向けて行動するにも、ここじゃ埒が明かねェだろ。場合によっちゃ体勢を立て直す必要もあるしな」
「あ、それです! 通信って何のことでしょうか? それっぽい機械もないし、わたし全然判りませんって!」
「だろうな。お前の様子じゃマジで向こうの人間とは無関係の可能性もある」
ブレードを回収するストロンボスの返答には、遠慮も淀みも無い。
「実際お前の正体も判らん。怪しいと言えば怪しいが、そこも訊かせてもらうぜ」
「怪しくないですよ! こっちもこんな事になって驚いてて……!」
「おう。お前が敵性なら、話してる時だろうが今の戦闘中だろうが、何だって手は打てた筈だからな。それも無しにおたおた見てただけってことは……まァどうしてやるか、一時保留でよかろうよ」
カッカッ、とストロンボスの頭部から愉快そうな声が漏れる。これは危険はないと安心していいのだろうか。単に馬鹿にされているのだろうか。そもそも決定的に、話が食い違っているようにさえ思える。
煉の胸中は複雑だった。だが多少言葉を交わした程度だが、こちらはあの巨大なロボットよりは、話が通じそうに見えた。
「あ、そう言えばその、
「あン? さっきって……ああ、
邪魔な位置に飛んで来そうだったから、事前に潰しただけだ。礼とか気持ち悪ィ」
「いえ、それでも……助かりましたので。ありがとうございます」
「フン。あと言いたい事がねェなら行くぞ。声の限りじゃ緊急事態でも衰弱してるフウでもなかったが、早いに越した事ァないからな」
ストロンボスは器用に煉――の体となっている犬のパペット――を摘み上げると、そのまま腰のウェポンラックの隙間に押し込む。
「わわっ……わぷ! ちょ、ちょっと」
繊維質のパペットボディには全くダメージがないが、突然の行為に煉は声を上げた。ストロンボスは構わず浮上し、北西へと体を向ける。
「注文の多い野郎だな、すぐ着く。ま、掴まってな!」
そして流星のような勢いで、まっすぐ飛び去った。
後には戦闘の名残が残る街だけが、静かに残された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます