5 兵庫・国鉄線上
コムソモリスク・ナ・アムーレ空軍基地。
ロシア極東軍管轄区の基地の一つであり、ハバロフスクでの戦闘に当たってストロンボスが一旦の前線基地としたベースである。
かつてはロシア空軍中央司令部
広さこそかなりのものだが、禿山の如き荒野に並ぶ大小様々な施設は、やはり何の気配もない。幾つか、ハバロフスク同様破壊されている建物もあった。目に付く範囲には打ち捨てられた数機の戦闘機が残るのみで、それが却って寒々しさを増長させている。
無人の滑走路に、ストロンボスが降下した。そのまま整備施設の搬入路へ向かう。
「わ、早い。ここなんですか? 本当にすぐ着いちゃった……」
僅かな隙間から、煉が顔をのぞかせた。ハバロフスクとの距離は約356㎞。目と鼻の先と言ってもいい距離であり、ストロンボスの飛行速度なら全速を出さずとも十分前後での到着が可能である。
搬入口の前に来たストロンボスのアイセンサーが一瞬明滅。眼前のシャッターが軋んだ音と共に持ち上げられ、潜ると独りでに降ろされる。
煉は軍事施設など横須賀の建物を一度遠目に見たきりだったが、それに比べてもこれは相当大きなものに見えた。何しろ民家を優に上回るストロンボスの、更に三倍以上高い。
「で、だ。改めて聞くぜ。お前名前は? レンじゃねえぞ?」
搬入口から地下に向かって進みつつ、ストロンボスが問う。
「だから名前って何ですか! わたしは煉ですって」
「お前な、強情張るなよ。あるだろうが、オレらBLESSには生まれた時の形式番号か、
「そこから違います! わたしはそのブレス……? というものじゃありません」
「何ィ……?」
丁度地下奥深く、ドックに到着した。眼前の扉が開かれ、拓けた空間へと入室する。薄暗い通路と打って変わって、照明もないのに淡い光で満ちていた。煉には馴染みがないが、ストロンボスにとっては見慣れた機材や資材が並べられ、床には様々な用途のコードが這っていた。
ストロンボスはその中、適度な高さのハンガーに煉を置く。
「今更だがはっきりさせねェとな。取り敢えず詳しく話しな。どういうこッた?」
「だから――!」
十数分程度ではあったが、考えるだけの時間があった事は、煉を多少は冷静にさせていた。何とか、今の状況を言葉を尽くして説明する。
自分は日本の女子高生であること。夏休みに友人と神奈川への旅に出発したこと。そして乗り込んだ寝台列車で、深夜突然このような状態になったこと。
ストロンボスは最後まで黙って聞いていた。そしておもむろに言う。
「ほうほう2037年。つまりお前は約四百年前の人間で、その人形に意識だけが乗り移っていると?」
「よ、四百年前? そ、そう! とにかくそうで……!」
「そうか四百年前! そうかそうかカッカッカッカッ! ……冗談は休み休み言えよ、な?」
ストロンボスの指はまたも器用に動きパペットの頭部をアイアンクローのように挟み上げる。
「わわわ! 痛、痛……くはない、痛くはないですけど気持ち的に痛いです!」
ギリギリと煉をはさんでいたストロンボスだったが、しばらくすると放して、ため息を吐いた。勿論外見上は何も変化がない。そういった音声が流れるのみである。
「今こンな遊んでてどうなるっつー状況じゃねェのは、お互い判ってる筈だからな。出まかせ言ってるつもりはねンだろうよ。信じてやるかはともかくな。ッとなるとどうすりゃいいンだかな。お前から通信して来た人間の情報も、期待は出来ねェか……?」
「あぐぐぐぐ……ええと、それ、先程も聞きましたけども。わたしで通信というのは……?」
「おう、お前が動き出す直前な、通信飛ばしてきた人間がいンだよ。自覚してるかどうか知らンが、お前のボディは通信端末がたっぷり編み込まれてある。それだけで無線になる代物って訳だ」
「それで、わたしの体を使って通信して来た人がいる、と?」
「地球に、もう人間はいねェよ」
ストロンボスが言った。誰もいないドックの中で、やけに冷たく響く声だった。
「えっ……」
「と、思ってたがそこにさっき通信が来たワケなんだがな。つかそうか。考えてみりゃもう十七年か。どっかの手違いでその辺全然知らねェBLESSが生まれるッてのも有り得るのか。……チッ、今更改めて歴史を教えることになるとは思わなかったぜ」
「ま、待ってくださ」
噛み合わぬ会話に自分なりの納得を得たストロンボスは、言葉を遮りつつ、改めて煉に問いかけた。
「お前、知らないことは?」
「え、ええと。全部です……」
チッ! と、あからさまな舌打ちが返って来た。ややあって、鋼鉄の機械兵士は話し始める。
「まずはオレとお前の名称を教えてやる。
「ブレス……」
「2075年、木星衛星から採取した金属質の分析中に、ネットワーク上に偶然誕生した意志反応がBLESSの始まりだ。ソイツは瞬く間に知性と情緒を身に着け、自分と同種の、魂と呼ぶべき別個体を造り出す力……いわば『子孫を残す機能』を生み出した。十余年の歳月で人と肩を並べる知性を持つ、新たな生命へと進化したんだ」
人間以外の、知性を持つ生命体。それが廃墟で見た巨大な、そして目の前にいるこのロボットだと言う。
確かに、彼らは煉が知る「ロボット」とは少々違っていた。外見こそイメージに近いが、その口調も、こちらに対する反応も機械的と言う印象からは遠く、まるで一つ一つから熱が感じられるような錯覚さえ感じた。
「まあ今、そいつの事はいい。とうの昔に消えちまった奴だからな。で、そこから約三百年。人類とオレ達BLESSはまさに黄金時代と言って良かった。オレ達の計算速度は人間とは比較にならないし、ネットワーク上に生まれたッて経緯からして、有機生物とは世界を捉える感覚が違う。それが歴史と創造性を持つ人類と組んだんだ。技術は爆発的な革新を得た」
オレが『生まれた』のはそれも大分後半だがな、と最後に付け足して、ストロンボスは煉を見た。そしてまだ理解できていないと見るや、更に続ける。
「だがな、今から五十年前。BLESSの中に、人間に反旗を翻した奴がいた。これまでにない位デカい規模でな。戦争だ。それが繁栄の最後だったよ。人もBLESSも、相当な数が死んだ」
「せ、戦争!? 人間とそのロボ……BLESSが!?」
「ああ。地球、いや地球と宇宙でだ。大戦が終わったのが2403年。だがその頃には有害物質に放射能、地軸変動に核の冬……まァ地球はおよそ生物が生存不可能なほどに荒廃しちまってた。正直、環境的には滅んでると言っていい」
ドックに、施設の稼働音が響く。煉は、外で見た荒廃した大地を思い出した。
「その後十数年かけて生存の計画を練った人類は、残った資源と技術すべて使って、外宇宙に出て行く奴と、地球に残って冷凍催眠で未来に懸ける奴に別れた。それも今から二十年前だ。だからもう、地上に残ってる人間はいねンだよ」
「そ、それじゃあ今って」
「2435年。言ったろ、お前の妄言に合わせるなら、大体四百年後だな」
犬型のパペットは、目を見開いた。2435年。ストロンボスの、目の前の機械兵士の言う事は、どれも煉には信じ難い話だった。しかし先程の廃墟での一連を見た後では、一笑に付すにも余りに真に迫り過ぎていた。
「だから人間がいないって……通信が有ったら探さなきゃって、そういう……」
「ああ。で、もうやってる。逆探は勿論、さっきから通信系ネットワークに意識を飛ばしてな。オレなりにもう少しそいつを探してみるつもりだ。……望みは薄いがな」
見つかっていない、ということだ。だが彼は諦めていない。それは間違いなく見て取れた。
しかし。と、そこで煉は頭をよぎっている、重大な疑問を口にした。
「あ、あの。ではところで、ならばわたしはどうやって戻れば……」
「あ? 戻るって何だよ。お前ん
「で、ですよねー。さてどうしましょうか……」
こわばった笑みのまま、煉が
「いや、そうは言いましても。何でもいいから手掛かりとか探せないもので――」
「独り言か? つくづく珍しいぜ、わざわざ音声に出していうなんざ――」
「大事なことです! そんな風に混ぜっ返し――」
ザ――。
煉の言葉に、雑音が走る。
「あ?」
「あれ?」
その事に煉が気付いた直後、煉の腹部に赤い電光が浮かび上った。
「え、何――」
それを煉が確認しようとした瞬間、バタリとパペットが仰向けに倒れた。
「!? おい、どうした」
ストロンボスがアイセンサーに映るパペットを拡大し、検める。果たして腹部には先程まではなかった、赤い蛍光文字が浮かび上がっていた。
――Empty――
「ガス欠? 初期のボディならともかくオレ達が? ンなバカなコト……おい、おいレン!」
呼びかけたが、やはり返答は無い。そこに先程までの立って歩き、表情をくるくると変えていた『何者か』はいなかった。ただ物言わぬ犬のパペットが転がっているのみであった。
「チッ、何だってンだ一体……」
苛立ち紛れのストロンボスの呟きが、ドックに響く。答える者はいなかった。
*
「へ。あ、あれ?」
煉が気付くと、そこは柔らかな灯りに包まれた小さな寝台だった。岡山・東京間を走る寝台特急の一室である。
「えっ、ここ……戻って来た……戻って来れたの?」
まじまじと辺りを見回し、次いで自分の顔や体を、確かめる様に触れていく。間違いない。ここは自分が予約し乗り込んだ寝台であり、そして今の自分も、丸くもこもこした人形ではなく、十五年慣れ親しんできた自身の肉体であった。
「何でいきなり……どうして!?」
煉は戸惑っていた。確かに突然の事態には混乱していたし、この列車に戻りたいとも思っていた。しかしある程度冷静になった所で唐突に引き戻されてしまっても、当然驚く。
気持ちの行き場が分からず、座っていたベッドから降り、立ち上がる。膝が、妙に軽かった。
何だったのだこれは。夢だったのだろうか?
2435年。未来の、滅んでしまった地球。その引き金となった機械の量子生命体たち。
BLESSに、戦争。
……そうかもしれない。落ち着いてくると共に、その様な思いが首をもたげてくる。実際、考えれば考えるほど、荒唐無稽に過ぎる話ではあった。人類の外宇宙進出に、意志を持つロボットなどと。ただそれにしてはやはり、非常に生々しい迫力と現実感を覚えたのも事実だったが。
――寝台列車の旅行で、はしゃぎ過ぎちゃったのかな。
額に手を当て、目を伏せる。何だか情けないな、張り切って出発してこれなんて。煉が軽く落ち込んだその時だった。ふと目に入った手首に、違和感を覚えた。
手首の端末の電源が切れている。
『充電してください』
スイッチを押してもそのメッセージが現れるのみ。故障ではない。電池切れだ。
「……あれ?」
煉はすぐに違和感の持つ本質に気付いた。この車両には古いバージョンとは言えエル・ワークが完備されている。システムが止まらない限り電池切れは有り得ない。どういうことだろうか? 首を捻りつつも端末を用意していたバッテリーパックに接続し、そのままザックに仕舞い込む。
その時、煉の脳裏にふとひらめくものがあった。
突然未来の世界に意識が飛んでしまったのは、この端末で情報を得ようとした時だった。そして今こちらへ戻って来たのも、全くの突然。
だが目の前には電池の切れた端末と、機能を果たしていない導電システム。
「もしかして……」
「明道さん!」
その時だった。後ろから切迫した声が届いた。芽依子である。部屋の椅子から立ち上がり、心配そうに煉を見ている。
「戻って来た……! よかった……その、大丈夫?」
「めいちゃん! ああよかった、無事でしたか!」
煉の顔が輝く。異常事態から戻った所に、見知った顔。正直、ほっとした。
「無事……? あっ。さっきまで貴方のこと見てたんだけど。ごめんなさい、私少しうとうとしちゃって」
「あ、いえそれは全然大丈夫です。その、こっちこそすいません。心配かけました」
胸を撫で下ろす芽依子に、笑って答えてやる。事実、体調は問題ない。
「あの、今どんな状況になってますか? わたしは……ほら、寝ちゃってて」
「電車はまだ停まったまま。そろそろ動くかとは思うけど。でも、何だったのかしらね」
「……うん、そうですね。端末点けたらいきなり倒れるなんて。長い時間使ってた訳でもないのに、聞いたコトが……」
あちらの会話で名前は聞いたが、やはり夢だったのかもしれない。確信の持てないことは一旦脇に置いて、言葉を選んで会話する煉。しかし。
「地球があんなことになってるとか。性質の悪いドッキリならいいんだけど、ね」
「えっ」
「違うの?」
「ああ、ええと。そういう訳じゃないと言いますかなんと言いますか……えっ?」
「見させてもらったし、聞かせてもらったわ。大体ね」
芽依子が、自らのタブレットを持ち、指差してみせた。ディスプレイは特に変わりの無い待機画面だったが、芽依子の表情には「訳の判らないものを見た」というような疲れが現れていた。
「えぇ!? う、うぅんと」
「うん。何だったのかしらね、あれ……」
自分が意識を失った後にあちらで見聞きしたこと。それはこのタブレットを通じて芽依子にも伝わっていたことを説明された。その内容は、煉の体験とやはり同一。
「ああ、そうでしたか……本当のことなんでしょうか」
「うん、夢や間違いじゃない。とは思う。まとめて幻覚を見たとかじゃなければ」
自分だけなら夢で済ませられたが、他人が全く同じものを見ていたとなると話が違う。大きく息を吐く二人。あまりに突飛な出来事に、実感が湧かなかった。
「……とりあえずですね、一応、誰にも言わないでわたし達の胸にしまっておきましょうか」
「そうね……というかこんなこと、人になんか話せないわ」
「うん……ねえめいちゃん、何か飲みません?」
「賛成。ああ明道さんは待ってて。私がまとめて――」
せっかくの寝台特急が、いきなり妙なことになってしまった。何はともあれ、まず二人とも一息吐きたかった。自動販売機へ行こうと立ち上がる。
その時だった。
「――アア? 何だこりゃ」
部屋に声が響いた。あまりに予想しなかったそれに、二人とも心臓が喉元まで飛び上がる。
聞き覚えがある声だった。というかつい先刻まで会話し、そして芽依子も聞いていた声だ。
二人は跳ね上がった鼓動を何とか鎮め、目線でのみ会話する。左手、部屋の奥。声の聞こえてきたそちらを、恐る恐る振り向いた。そして、二人は再度肝をつぶした。
煉が持っていた、黒い犬型のリュックだった。
つい先ほどまで煉の脇で共に倒れていたそれが、立って歩いている。
「おい、どうなってんだこれは? 施設の制御中枢……繋がらねェ?」
トコトコと歩きながら、何事か呟いている。人形は辺りを見回し、そこで視線に気づいたのか二人を見た。目が、合った。
煉と芽依子の目が驚愕に見開かれ、黒犬リュックの瞳もまた丸く丸く、大きく見開かれた。
どれだけ間があったろう。殆ど一瞬かもしれないし、十秒程かかったかもしれない。
「……ア? アア……!?」
先に声を上げたのは、犬型リュックの方だった。
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