Op,A.D.2435
不気味なほどに澄んだ空と、雲の中を駆ける。遠方に広がるその都市をアイセンサーユニットに捉え、ストロンボスは巡航速度を上げた。意識の隅に「
随伴する十機の無人戦闘支援機たちも、彼に倣った。
『こちらストロンボス。間もなく作戦区域に到達する』
誰に伝える訳でも、何処に送信する訳でもない。外部音声にすら出力せず、只の習慣でしかないそのメッセージを記憶領域に保存し、ストロンボスは自らの肘と手首を、関節からぐるりと回転させた。
確かめるまでもない。センサーもアクチュエータも、バーニアも背部から脚部へ至るまで絶好調だ。
眼下の大地は、三十年前に幕を下ろした『大戦』時と何も変わらない。抉れ、ひび割れ、枯れ果てた荒野が彼方まで続いている。
三十年経っても、草木の一本すら見当たらない。空気も土壌も汚染され尽くしているのだ。
目標の都市・ロシア連邦ハバロフスクは、既に目前に迫っていた。かつて極東ロシアの中心として経済や行政の礎となったその街は、今や完全な廃墟と化している。地平線に届く勢いで広がっていたビルや市街地は見る影もなく倒壊し、生命の気配は欠片もない。
しかし、荒涼とした大地と真っ青な空の間に横たわる都市の中、所々にうごめく影があった。その数は十や二十ではきかない。
瞬時にセンサーの視界に存在する全てを拡大し確認。
形状に差異はあるが、
端的に言って、機械で造られた海老や蟹、そう形容できるものである。数十キロメートル離れた空中では小さな点としか見えないが、それらは数メートル……民家程の大きさでもって街に点在し、闊歩している。
そして、これらの影こそがストロンボスがこの都市へやって来た目的であった。
『作戦区域に到達。目標及び各ドローンの殲滅に移行する』
彼は機械であり、一個の命だった。体高七メートル強、全身を覆うのは蒼黒く、黄金と白銀のラインが入った装甲。武器を持ち、飛翔する、鋭角なシルエット。
それは人の形をした鋼鉄の兵士であった。
スピードを緩めぬまま、両腕前腕部に備えた粒子加速砲を展開させ、構える。そして随伴機達も火砲をスタンバイし――射程に入った瞬間、意識の内にある引き金が引かれた。
七条の火線が、都市外縁部に陣取っていた機械の海老どもを貫く。
『散開! 一機も逃がすんじゃねェぞ!』
指示を出しざまに、続き三機の蟹型ドローンを撃ち貫き、大通りの上空から更に都市内部へ向かって飛ぶ。形だけとは言え、メッセージを記録する際には努めて抑えていた「情動」が動き出す。
表情の無い鋼の
ビルの影から飛び掛かったノミ型のドローンを、腰部から抜き放ったブレードで、刹那で撫で斬る。随伴機の粒子砲が脚を掠め、羽虫型のドローンがバランスを崩す。すぐさま他の随伴機達により、蜂の巣とされた。
疾風。一気に工業地帯へ侵入し、ますます激しくなる応戦の手を躱し、突っ切る。
まさに「瞬く間もない」速度だった。火砲やミサイルの迎撃は、ストロンボスの影をも捉えられない。それらの射手もすれ違い、置き去りにされる度に斬られ、撃ち抜かれた。
既に目標は間近。この作戦の重点破壊目標、工場群の奥にそびえる、周囲とパイプでつながれた異形の砦。都市に蔓延るドローンたちの、母胎たる工廠施設。
煙、排水。そこかしこから吐き出される、それらの大元でもある。
迫るストロンボスが粒子砲の狙いをつける。
瞬間、轟音と共に、工廠を守るようにソレが鎌首をもたげた。重要施設の守りの要だろう、蛇のような長く巨大なドローンだった。体の節から十対のアームが伸び、展開された腹部からはレーザーとミサイルが照準される。
しかし――。
『遅ェんだよそいつは!』
ドローンが撃ち出した熱線は、左腕部に展開された力場のシールドに弾かれた。そして爆発的に加速したストロンボスはドローンの頭部に肉薄し、
◇◆
『……ッし』
守護者を失い、爆破された工廠を背にストロンボスは地に降り立った。周囲、そして市街地のドローンをあらかた破壊し、最後の確認のためだった。
これで作戦は完了だ。戻ってきた無人随伴機の数は半分に減っていたが、敵の手勢と無人支援機の性能を考えれば、妥当な所である。
腐っても優秀な都市制圧型ドローンが相手だ。この兵器はありあわせの手数にはなっても、自分と同じ成果までは期待できない。
ストロンボスは、何とはなしに街へ視線をやる。遠く、大聖堂が見える。破損はすれど原形を保っているその佇まいに、在りし日の壮麗な面影が残っていた。
少しだけ、
陽の光を通さぬ、暗い灰色の空。自分が立っている、瓦礫とドロイドの残骸にまみれた都市。後退した海岸線の先、僅かに見える、黒茶けたみすぼらしい海。都市の外に広がる、未だ破壊の痕が残る死の原野。
何も変わらない。自分にとって日常の光景だ。
『……フン』
これで極東ロシアも粗方片付いたか。
機械であるその身体には、何の変化も動作も見て取れない。ただ意識の裡でのみ息を吐き、無人随伴機達に次の指示を出す、その時だった。
センサーが、電子音をキャッチした。
『――!? ンだとォ?』
さほど大きな音ではない。だがストロンボスのセンサーが捉えるには十分だ。右手前方二百メートルほど、二階建ての工場に、微弱ながら熱源。周囲の状況を精査。
……物理的な異常はゼロ。だが。
ストロンボスは僅かにその場から浮き上がり、空中を滑るように移動する。全くの無音だ。工場はその壁が倒壊し、内装が剥きだしになっている。そしてオフィスであったろう二階、長椅子の上に音源はあった。
『パペット・タブ? コイツか』
60センチほどの、デフォルメを効かせた黒い犬の人形であった。
それ自体は、特にどうと言うものではない。かつて人が住んでいた街だ。廃墟とは言え、そうした人形が置き去りにされていることもあるだろう。長い時を経て、すっかり土埃に汚れている。
だがその人形は瞳の部分が青く点滅し、それに合わせて電子音が放たれていた。
通信である。
即座にストロンボスはその人形をセンサーでスキャンし、
だが通信がある、それが大きな問題なのだ。
――バカな。今この地上で、いや地球で。
――こんな人間が行う様な通信など、ある筈がない。
罠か? 敵性ドロイドが占拠している都市は、まだ地上にいくつか残っているだろう。上等なタイプが、少しばかり知恵を働かせたのかもしれない。それに……もしかしたら『自分と同等の奴』が生き残っていないとも限らない。
しかし、もしそうではなかったら?
可能性がある以上、ストロンボスに選択肢は無かった。無線で人形端末のコントロールに割りこみ、通信を拾う。逆探知を掛けつつ、応答。電脳による、意識でやり取りする方式ではない。音声での単純な交信だ。
「聞こえるか? こちらGRE‐04092s"ストロンボス"。繰り返す、こちらG
RE‐04092s"ストロンボス"。返答を求む」
英語による呼びかけである。相手の素性は知れないが、最も無難な言語だろう。全てがこの人形端末の誤作動なら、それはそれで問題は無い。
しかし、若干の間を置いての返答に、ストロンボスは今度こそ瞠目した。
『……し……も……れか……』
ノイズが酷い。だが紛れもなく、そして自分の記憶領域に存在しない声だった。
やはり「そうではなかった」。この端末の先に何者かが存在し通信を行っているのだ。声色からして、女性だろうか? そして、続くその言葉は――。
『……だ……か、れか、そこにいるの!?』
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