Ⅷ:C.M.Wのミリー

 C.M.Wのミリーはいつもの通り、俺が玄関を開けるとすでに入ってすぐのリビングで待っていた。舌足らずな調子で「お帰りなさいヘローあなたディア」と言うが、その様子が、小柄な体から、ぱっちりと目が大きい穏やかな丸顔で上目遣いにこちらを見上げる様によく合っていた。

 C.M.Wは外観も内面の人工知能の性格も変更チェンジ可能だったが、ダウンロードインストールすれば済む内面プログラムはともかく、外観面はさすがに購入の際に自分の好みに合わせてある程度の雛形モデルを選択する必要があった。身長はほとんど変更不可能だが、痩せや肥満の体格は充填素材を出し入れすることで(これはこれでかなり高いのだが)ある程度は雛形モデルに沿って変えることができ、また筐体運動制御プログラムの微調整により、体の各部位を支持する緊張の度合いを変え(と、いってもこれはあくまで内部システムの理屈でのことで、誰でもわかりやすい様に指標がついた――‘乳房をより立てる’という指示をするように――マニュアル化されている)、外観や触感に表れる体つきや肉の締まり具合を調整することもできた。この運動制御プログラムは特に顔立ちの変更に効果的で、目尻や口角の上げ下げ、細目か開いた目かといった目元の形と大きさ、他に、額や頬、眉の‘筋肉’の働き具合などといったものを、やはり雛形モデルにより多少の限界はあるが、普段の表情で変化する顔付きの根底の基本線レベルで設定することが出来た。少しなら骨部を駆動させることで骨格さえ変えることが出来る。髪の毛に関しては単純に鬘の着脱で対応した。

 このちょっと子供っぽい、うまく舌が回らない喋り方は、結局めんどくさがって、施した調整をほとんど購入時のデフォルトに戻した中で、数少ない、俺が自分で選んだ設定のまま残したものだった。俺が、長身でスタイル良く、細い釣り目立ちから野生の獣のように色気が匂い立つC.M.Wでなく、小柄に丸顔、大きな眼の今のミリーを購入した時、マックは半ばからかうように、「お前は保護欲が掻き立てられる女が好きなんだな。抱くにしても、ぎゅっと守るようにして自分の体で覆って掻き抱いてやる、そんな対象としての女が。ちょうどブグローが描いたうちのいくつかの女のようにな」と上機嫌ではやし立ててきたが、俺がミリーを(もちろん名前は自分で後から決めて設定したものだ)わざわざこんな口調の喋り方に設定したというのも、たぶんマックが言う通りの理由からだろう。およそ探偵稼業という不安定で、真っ当ともいえない、社会の横道に外れた生き方をしている俺にとっては何といってもバランスを取るため、身近にこういうか弱さを感じさせる‘女’を置く必要があるのかも知れなかった。


 俺は胸に飛び込んできたミリーを乱暴に寄せるようにして掻き抱くと、目を閉じて顔を上げる相手に激しく接吻キスした。両腕と上体で軽く包み込むことの出来る、土間から10センチほど上がった室内リビングに立ちながら、なお俺より頭の丈が低い、小柄で華奢な体から伝わる、柔らかく暖かい感触が俺の心を落ち着きに癒した。

 1分ほどの情熱的な接吻キスの後、俺の腕と体による抱擁から解放されたミリーは、一歩離れ、笑みを浮かべてこちらを見上げた。短いスカートに襞の付いた水色の袖無しワンピースワンピースドレスを身に着けているが、その可愛らしい装いが小柄な彼女の体つきによく合っている。俺が他の衣服とともに彼女のために選んでまとめた買ったものの一つだ。年々進化していくC.M.Wはみな実によく出来ていた。今浮かべている笑みの、先ほどのキスにより頬を紅潮させ、潤いを含んだ目をキラキラと輝かせた様などはほとんど人間と区別がつかないほどだ。俺はそれを見るとまた強く抱きしめたくなる衝動を覚えた。


「コーヒーがもうすぐ沸くけど飲む?」

 笑みを浮かべたまま、また舌足らずな調子で可愛らしく言う。

「ああ、頂こうかな」

 俺は靴を脱ぐと一歩上がったフロアに足を乗せ、室内のリビングに上がり込んだ。昔はここアメリカでも靴を脱がずに家に上がる習慣は多かったようだが、神道シントーとともに日本の文化が浸透すると、むしろ脱がない家の方がまれになってしまった。実際、床の衛生面もだが、重苦しい革靴を履いたままじゃ足と足首が圧迫されてくつろげやしない。それでも大急ぎで物を取りに入った時などは、そのままドタバタと硬い靴音を響かせながら室内を走り回ることがあったが。


 俺が広々とした白い木のテーブルウッドテーブルに置かれた4つのチェアのうちの一つに着いてしばらくすると、ミリーはすでにテーブルの上に置かれて準備されていたコーヒーメーカーの湯が沸くのを確認して、そこから赤褐色の唐草模様アラベスクの描かれたカップに中のコーヒーを注ぎ入れた。すぐ出迎えたことといい、あらかじめコーヒーの準備をしていたことといい、よく気の付く機械妻メカニカルワイフと言いたいが、実際は、俺がアパートエントランスの入り口解錠のための電子認証をした時点で、すでに室内からC.M.Wミリーに対する連動電波が飛び、俺が帰宅するのに合わせて準備をしていたというわけだ。C.M.Wが十分に普及した今はこういう仕掛けシステムを採用しているアパートメントはたくさんあるし、指令内容もC.M.Wに対する内部設定でいじることができる。


「今日はこれからどうする?」

 テーブルの向かいの席に着き、自分も同じように入れたコーヒーをすすりながらミリーがややうつむけた顔から上目遣いにこっちを見ながら言う。俺の買ったC.M.Wミリーは液体と、少量の食物ならメカ内に摂取することの出来るタイプだ。その分、食事を全くできないタイプに比べてかなり高くついたが、女と一緒に暮らすのに単に抱くのと会話をするだけなど空しいばかりだ。体内に取り入れた食物は少しはエネルギー生産に再利用しているらしいが、それでもかなりの部分役に立たないまま、人間と同じようにトイレで排出される。要するに食べ物とそれにかかる金をそのまま無駄にしているわけで、金についてはともかく、食べ物を粗末に扱うことについてエコ活動の連中が大きく騒ぎ立てているが、そもそも人間の娯楽、歓楽、安逸の大部分が自然の経済性エコに反したものではないか? もっとも、さすがに連中のいう事にも一理はあるので、最近は急ピッチで食べ物からエネルギーを取り出したり、あるいはそのまま(その初期から考えられていたことだが)栄養分を分離凝固してカプセルのような形にして持ち主に返還するというやり方も開発が進められている。後者については、性に対する特殊性癖フェティシズムの連中が、C.M.Wからそのようにして排出されたものをありがたがり、一部では互いのC.M.W同士からの交換会すら行われていた。俺はフェチを別にして、そのやり方が食べ物を無駄にせず、理に適っているとしても、そこまでの合理性を求めるのはそこまで好きではなかったが。また、より多量の飲食物を摂取できる型タイプはもっと高級で、富裕層向けだったが、俺はそういう型タイプを買うのも、食べ物をまるまるもう一人分用意するだけの金も無い。


「いや、30分ほどしたらまた出なきゃいけないんでね」

「そう……」

 ミリーが目を落とし、寂しそうな表情を見せる。目の上あたりに愁いを帯びた翳りが落ちた。白い肌と小さくよく通った鼻に似合う哀愁だ。本当によく出来ている機械妻ワイフだった。


 二口目をすすろうとしたところで、インターフォンが鳴った。

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