Ⅳ:オオクニヌシとハデス

「あたいもあの連中は胡散臭くて嫌いだね」

 マックの向こうで、カウンターの正面を向いて、グラスに入ったマティーニに少しずつ口をつけていたエマが口を出した。今しがたマックが言ったオオクニヌシの連中に関することなのは明らかだった。マックより少し年下の30代半ばで、隣に座る旦那と違い、すらりとした長身で、スタイルの良さが今着ている黒いイヴニングドレスによってよく映えている。高い鼻と長いまつ毛が際立つ細面で、全身葉緑素で肌を緑に染め上げているにもかかわらず、初見のその色合いの異様さに目が慣れさえすれば、かえってその緑色が横から見るシルエットの整った曲線の印象を強調し、皮下に葉緑素を植え込んだ`緑の人間’、‘森の人々’と呼ばれる人間の中でも、特にその特異な肌色によって別様の美しさが引き立つ、‘アマゾネス’と呼ばれている美女の類に入っていた。細長い指でカクテルグラスの脚(ステム)をつまみ、縁に口をつけてすすりながら言う。


「死やあの世を説く宗教団体だか知らないがね、そこに貧者救済の格安医療なんかを持ち込むのが気に入らない。そりゃ、それで助かってる連中は多くいるがね、治療で釣っておいて代わりに宗教に入れって言ってるみたいじゃないか。治療するなら治療するで別に助けてやればいい。そのおかげで今までどんどん大きくなってきたみたいじゃないか」

「しかし、そんなのとは別に、金持ち連中も単に宗教目当てで信者になってるらしいぜ。それにそんな連中の気前のいい寄進のおかげでそういう医療行為が続けられてるっていうじゃないか」

 マックがエマの方を向いて言うと、彼女はふんと鼻を鳴らし、またマティーニに口をつけた。


 マックの言う通りで、ここ数十年来、日本ジャパンから発したこの宗教団体は国の内外と民族を問わず、急速に信者数を獲得し、凄まじい勢いで発展してきた。元は神道シントーという、日本ジャパン伝統的トラディショナルな宗教崇拝の一角を占める信仰形態だったらしいが、70年ほど前に、その死とあの世を説く教義の部分を特に取り出して強調する一派が独立して、そこから信者を増やしていった。

 今や、かつて世界中に最も多数の信者を獲得していたいたキリスト教、イスラム教はその趨勢において、古くは日本の特殊な一民族宗教に過ぎなかった神道シントーと、50年前、古代ギリシャの信仰祭祀形態をそのまま復活させようという、14世紀ヨーロッパの思潮活動に次ぎながら、人文主義ヒューマニズムを強調したそれとは全く異質な、近来の第二次の‘真のトゥルールネッサンス’によって生まれ出た、‘G.R.Rグリース・リリジョス・リチュアル’の二宗教に押されていた。かつて、中東の厳しい砂漠地帯に生まれ、自然を支配する意志の方向に向かい、強い信仰を得てきたキリスト教とイスラム教の一神教の教義は、科学が極端に発達し、自然を支配し尽くすに近いまで行ったところで、逆に古代の素朴な多神教宗教への転向へと人々を向かわせたようだった。それには、今向こうのテーブルで相も変わらず魂について、今度はスウェーデンボルクの霊界体験を引きながら語っている連中に、その思考決定を委ねる最も重要な器官である脳の手術改造にまで向かわせた、かつてユングの説いた原型質の発見もまた強い影響を与えていたかもしれない。それに触れた皆は、かつての自分の行動と思考を縛る厳格な戒律と教義を旨とする宗教から離れ、もっと自由に自分たちの想像イマジネーションを素直に羽ばたかせる信仰形態を求めたようだった。仏教でさえ、高度に論理化された大乗仏教から離れ、もっと素朴に自分自身を見つめ直す小乗仏教の方に人々が傾きかけているようだ。その他、一時はその数において先細りで、消滅寸前と思われた、古代ペルシャに発するゾロアスター教まで最近は信者を増やし始めている。そして、勢いを伸ばしている神道シントーと、G.R.R両宗教の内でも、特に勢力の伸長が著しいのが、ともに死を強く説く一派、前者の‘オオクニヌシ’と、後者の‘ハデス’だった。

 どちらも魂の独立を説き、死後の世界――冥界――について語るのだが、今しがたエマに対してオオクニヌシの組織団体について口を挟んだマックにしても、最近自分たちの周りでもイズモテンプル落成記念の出来事イヴェントのために動きを活発化させているかの団体については快く思っていないようだった。そもそも、マックは魂の存在など信じちゃいない。ウィリアム・ブレイクの神秘主義を好む気持ちにしても、その‘サイケな’ありように惹かれての事だし、宗教を熱心に信じる連中がいようと勝手だが、自分たちの周りでうろついて平穏を乱さないでほしいという気持ちだろう。


 俺達がまた黙り込み、改めてひとしきり酒を味わっていると、俺の頭蓋チップに外からネット回線の通話が入った。右の親指、人差し指、中指の爪部分を左手の指で同時に押さえ、受信する。

はいアロー?」

 答えると、透明な通話映像ヴィジョンは入らず、声だけが聴神経を通して伝わってくる。

『ジョニー君かね? 探偵稼業の?』

「はい、ジョニー探偵事務所ディテクティヴ・ビューローのジョニーです」

『頼みたいことがあるのだがいいかね?』

「失礼ですが、そちらは――」

『すまんが、こちらの身分は電話回線では話せない事なのだ。セキュリティが万全でもな。伺いたいのだが、いつならいい?』

 回線受信とともに、右上の視覚ヴィジョンに浮かび上がった時刻――午後の8:00だ――を特に意味もなく眺めながら答える。

「――1時間後でどうでしょうか」

『了解、9時にそちらの事務所に向かう』

 通話の回線が切れ、聴覚神経回路が調整され、1割ほど音量が下がったバー周囲の喧騒はまた元の騒がしさに戻った。受信キャッチを告げている文字と、時刻の脳内視覚ヴィジョンも同時に消える。


「仕事か?」

「ああ、電話でも自分の身分を明かせない、大事なことだとよ」

「そりゃそうだろう、人間なんてみんな自分のちょっとしたことが人類全体の最重大事に見えてくるもんさ――例えそれが犬が自分の靴を咥えて脱走しちまったとかそんな事でもな」

「今時犬にナノチップを植え付けていない飼い主なんていないよ」

 俺はグラスに残ったウォッカをぐいと飲み干し、喉にひりひりする感覚を感じながら席を立った。自分の冗談ににやりとしたままのマックと、ちらとこちらに顔を向けたエマを残し、俺はカウンターから出口に向かう。向こうのテーブルではスウェーデンボルクの預言者としての位置づけについて詩人どもが一生懸命、口から唾を飛ばしながら話している。

 俺は屋内のあちこちからぶつかってくる喧騒の空気の振動を後に、バーを出た。

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