第弍章 亥の刻

「それにしても、国王に王女がいたとは驚きだったな」


 城を後にした三人は、足早に城下を抜け東から出る森へと差し掛かっていた。ときどき梟の声が響く、鬱蒼と茂ったそこは暗さと相まって昼間とはまた違う不気味さを醸し出している。その雰囲気に、そこまで黙々と歩いていた三人だったが、ふと思い出したように騎士が声をあげた。


「どうしてですか?」

「俺はずっと王宮勤めで……といっても王太子殿下付きだが、国王陛下には王子が二人いることしか知らなかった」

「へぇ、それは確かに妙ですね。王子様は知ってて王女様は知らないなんて。あれ、でもフルールさんは、ご存知だったんですよね?」


 不思議そうに首をかしげた庭師に、騎士が答えると庭師は更に首をひねる。確信と疑い、二つの視線が侍女へ向けられた。


「確かに私は王女様付きですが……私にしてみれば王宮騎士長である貴方様がその事を知らなかった事実に驚きを覚えています。王太子殿下は、それはたいそう王女様を可愛がられておいでだというのに」


 それに対して侍女は、心底意外だという表情で二人を見返した。そのに若干の憐れみを含ませて。


「しかし、王太子殿下も王子様の話はされても王女様の話は一切されなかった。それに、王宮騎士隊の中で王女様付きだという者の話も聞いた事がない」

「それに関しましては、王女様は自分の身は自分で守るとおっしゃり護衛をつけられていないので無理はないかと」

「さすが王族。騎士長さんでも、気軽には会えないんですね」


 因みに、昼間の少女の呟き通り少女の存在は国王によって隠されていたのだがその事実は黙殺された。シャットアウトするような声音で。


「……ところで、ジャルディニエ様はいつから王宮勤めを?」

「そういえば、貴様も見慣れない顔だ」


 そして、これ以上話す意思はない、と言わんばかりに早々に切り上げ侍女は自分と少女から話題をそらす。二つの疑惑に満ちた視線が今度は庭師へ向いた。


「2年ほど前から、でしょうか。僕にはそれより以前の記憶がないのです」


 庭師の答えは、あっさりとしていた。こちらも一切の感情も介在する余地のない声音。


「気付けば王宮にいた、と?」

「えぇ、宛てもなく彷徨い歩いていたところを陛下に助けて頂いたんです。この名前も、職業すらも陛下に頂いたもので、今回のことも国を巡れば何か思い出せるかもとご配慮下さったんです。日常生活は支障ありませんが、本当に途方に暮れていたものですから」

「ほう、覚えてる事は全くないと?」

「……いえ?どこか分からない景色は朧げに。後は植物の事を少し」

「それで取り敢えず庭師、ということか」

「えぇ、そんなところです。そういうエスポワールさんは、王宮には詳しいんですよね?」


 漸く、肩の力が抜けたように笑うと共に発された言葉に再度二つの視線が、今度は騎士に向く。まるで腹の探り合いだ。尤も権力による寄せ集めなので、仕方が無い部分はあるが。


「いや、俺の持つ情報など知れているだろう。彼女の方が詳しそうだ」


 そして、騎士は会話を打ち切った。そもそもの言い出しっぺは騎士であったのに、都合の悪い事は忘れたかのように。戯れを嫌うが如く。夜更けに、静寂が戻る。

 その時、ガサガサっと草むらが揺れた。意識的か無意識的か、騎士の手がつかに伸びる。


「あれ、シアンじゃないですか。」

「なんだ、ジャルか。脅かすなよ……っかこんな時間に何処行くんだ?」


 しかし、ひょっこりと顔を覗かせたブリンドルの毛並とグレーの瞳を持つ大型犬に、騎士それよりも早い反応を見せたのは意外にも庭師だった。


「犬が、話している、だと?」


 あまりにも唐突過ぎた出来事に、剣を引き抜くのも忘れ目を丸くする騎士。但し、犬の出現に対してでも、庭師の対応に対してでもなかったが。


「すみません。これから陛下の命を遂行することになりまして」

「へぇ、陛下の。そりゃ大変だな」


 けれど一人と一匹は、固まってしまった騎士には目もくれず話を進めていく。


「……人間以外の生命体でも、言葉を操ることは不可能ではありませんよ」

「なっ!そうなのかっ?!」

「深いですか、この森は?」

「あぁ、結構あるね。それに、異変の影響で植物が奇妙に育ってるよ」


 パニック状態に陥った騎士に助け船を出したのは、ご多分に漏れず侍女だった。眉間にシワを寄せ、厳しい表情を大型犬に向けたまま。


「えぇ、人間ほどの魔力受給器を備えていれば話すことも可能でございます。特に脳を備え持つ生命体には、成し難い事ではないですわ」

「いや、しかし、まだ理解が出来るというだけなら辛うじて分かるが……」


 しかし、説明を受けても騎士は混乱を処理し切れない様子で、二人して話す姿を横目に一人ごちる。目の前で起きている事に、まるで理解が及ばないという形相で。


「一応申し上げておきますが、生命体でない人形でも話させられる場合がございますよ」

「なっ、なんの冗談だ?それは」

「冗談などではございません。確かに、非常に稀ではございますが。備え持つ魔力が強ければ強いほど、事象として実現させることが可能ですわ」

「……成程、やはり君の方が俺より余程物知りのようだ」


 キッパリと言い切った侍女に、最終的に騎士は理解したというよりは、ほぼ諦めによって現実を受け入れた。それでもまだ、そのは、異様なモノとして一人と一匹を写し出す。


「それで、その、奇妙にというと?」

「本来毒を持たない植物が毒を持ったり、高く伸びない植物が大きくなったり……」

「それは何と言うか、思っていたより大変な事が起きてそうですね」

「それに、何とも言えない違和感もある。なんか、見張られてる感じがする」


 大型犬の言葉に呼応するように、生ぬるい風が森から吹きつける。それが、セミの鳴く声を微かに届けた。


「何か、いるのですか?」

「恐らく、だけどな。確認してないから分かんねけど。気をつけるに越したことはないだろね、多分」

「分かりました、ありがとうございます」

「……んで、後ろのお二人さんは連れ?」


 漸く。大型犬はそこで漸く、侍女と騎士に目を向けた。三人の顔に多少の緊張が走る。侍女と騎士と庭師、組み合わせとしてはまさしく不釣り合いだった。


「連れ……というより、今は仲間、でしょうか」


 陛下の命とは言ったが、陛下は確かに密命だと言っていた。従って、口が裂けてもその内容を言うわけにはいかず庭師は曖昧に返す。


「ああ、噂が本当になったってところか」


 にもかかわらず、大型犬は合点がいったかのように納得した。無論、その理由は昼間の話を盗み聞きしていたからに他ならないが、この三人にはそれを知る由もない。


「では、先を急ぐことですし参りましょうか」


 大型犬から更なる追求をされてはたまらない。今夜初めて考えの揃った三人は足早に森の奥へと歩を進めた。


「で、あの犬は一体なんなんだ?」


 犬の気配が完全に消え失せた後、騎士の口から溜息と共に疑問が溢れ出た。犬が話すという衝撃の事実を忘れ去ろうとでもするかのように、ゆるく頭を振って。


「迷い犬なんだそうです。飼い主がいなくなり、森に住み着いたとかなんとか。僕は仕事柄、森へは月に二、三度来るので知っていたという訳です」

「ん?なら、大体分かるのか?」

「すみません、残念ながら抜けたことはないのでなんとも」

「心配なさらずとも、この森は一本道……ではなくなっているようですね。これは……結界、ですか。」


 各々の不安を払拭するが、如く明るく発されたはずの声が、厳しいものに変わる。いつの間にか、けたたましかった蝉が鳴きやんでいた。まるで、忽然といなくなってしまったかのように。

 ぬるい風に流される雲が月を隠し、世界は、音だけでなく色すら失くしていく。


「分かるんですか?」

「恐らくは、ですが。空間が、繋がっていないようです」

「余りに変わり映えしないのによく分かりますね。僕には何が何だか……」


 辛うじて道は通っていたが、見渡しても四方は木々が繁るのみで目印も見当たらない。奥へと進んでいるけれど、まだ見えぬ出口に方向感覚も鈍ってきているといえた。


「それに、結界って侵入を防ぐ為のもんなんじゃないんですか?」

「閉じ込める為に張る時もありますわ」

「あぁ、それもそうか」

「ならば、無闇に歩き回るのは得策ではないな。魔力供給者でもいれば別だが」


 騎士の目線での問いかけに、他の二人は力なく首を振る。

 生命体の活動源は体力と魔力であった。だからこそ供給器は己で魔力を作り出せない者に魔力が行き渡るように補給されている。しかし、現在ソレは供給出来る状態にない。魔力を作り出せる供給者は魔力受給を必要とせず治癒すら施せる可能性もあるが、現状ソレもない。つまり三人は今、己の体力のみでしか活動出来ない状況にあり、無駄に体力を消費している場合ではなかった。


「だけど、夜の間にこの森は抜けた方がイイと思います。確か、朝方に花咲かせ毒性の強い危険な胞子を飛ばす植物が自生していた筈ですから」


 騎士の言葉が進路を絶ったにもかかわらず、庭師の言葉は退路すら絶っていく。まぁ仮に立ち止まっていても最低限の体力の消費は免れないので、結界を破るしか手はないのだが。


「確か結界は、何かを媒体にしていることが多かったな?」

「えぇ。張った術者によって異なりますが札や鏡、矢などが多いかと……」


 けれど、顎で手をさすりながら騎士が寄越した視線に返された侍女の声は尻切れトンボになる。月も雲隠れした今、辺りは群青インディゴ。探し物が見つかる確率など限りなくゼロに近いからだ。


「結界を張った方にお出まし頂ければ一番手っ取り早いんでしょうけどね」

「そんな都合のイイ事が……「あれーなんだか余計なモノがくっ付いてきたみたいだなぁ?」

「……どうやらあってくれるらしいな。」


 誰もが考える叶いそうもない希望を口にした侍女に、一般論をぶつけようとして騎士は、途中でかぶさってきた声にその言葉をひっくり返した。いつの間にか、結界を張った本人とおぼしき生命体がいつの間にか突っ立っていたのだ。しかも、結構近くに。若草色の和装をだらりと着崩し、気色の悪い笑みをたたえて。土と下駄が擦れる音すら、不快に響く。


「まぁい〜や。ねぇお嬢ちゃん、ソレ僕にくれない?」


 風貌からしてどうやら術者らしき人物がソレと指さしたのは、少女から手渡された結晶が入った袋だった。


「なるほど、狙いはそっちか」

「あぁそうさ。このソルシエ、異変から何とか森を救おうと手を尽くしてきた。しかし、僕の術ではもう歯が立たない。だから、僕にはソレが必要なのだよ」

「……アホだな」


 自称術者は至って真剣な眼差しで語ったが、サラッと露呈された無能ぶりに、騎士がボソリと吐き出す。


「……着眼点は素晴らしいですし、貴方様の力も相当だとお見受けします」


 幸い、騎士の抑えられた声は、術師にまで届かなかったようだ。庭師はどうにか笑いをこらえている。そして術師が、魔法石が異変に対抗しうる代物だと一応見抜いていることだけは評価した侍女が


「しかし、貴方様は魔力が使えないから術を使っているのでは?」


 冷静に尋ね返した。貴方に渡しても意味がないので諦めて、と清らかな笑みも浮かべて。


「……え?」


 案の定、術者は言ってる意味が分からない、という間抜け面で首を傾げ侍女を見返すことになる。


「確かに私は、異変に対抗し得る特殊な魔力を秘めた結晶石を持っています。しかしそれは、一流の供給師様でもなかなか扱えない代物。となると、貴方様がコレを手に入れたところでこの森を救うことは出来ないのでは?」


 そんな、頭の回転が思わしくない術師にも分かるように、侍女は笑顔を崩さず丁寧かつやや誇張気味に説明した。駄々っ子でもあやすかのように。無論、渡すという選択肢など最初からないので少女が言った土に埋めるだけで効果を発揮するということを伏せたまま。


「…………え」


 その説明ことばに術者は、数回瞬きして固まってしまった。どうやら力の種類について失念していたようだ。

 そう、術と魔力は両方とも誰にでも扱えるものでないことに違いはないが、全くの別次元のものなのである。術は、己の気力と相性の良い媒体があれば使えるようになることが多い。難易さえ問わなければ。しかし、魔力は生まれつきその体内に魔力核が存在しないと扱えない。特殊なモノを除いて、魔力は授けられれば誰もがおいそれと使えるものではなかった。


「では、僕はっ!この森が変わっていくのを黙って見ているしかないのか?」

「……諦めるな」


 事の次第を漸く理解したらしく力ない声で呟いた術師に騎士が、静かに音を震わせる。


「……?」

「この国に住む人々が至るところで異変をどうにかしようともがいてる。それは、終わりたくないと思っているからだ。ならば諦めるには、まだ早い。だから貴様も諦めずに続けろ。続ければ何かが変わるかもしれんぞ」


 今度は術師に聞こえる音量で。聞かせる為に、術師を真っ直ぐ射抜く。


「そうですよ。貴方に出来ることがあるなら、続けていかなきゃダメです」

「しかし、魔力の受給量が減り術の持続時間がもう……」


 術師がそう言った瞬間、パリンっと何かが砕けた音が響き、蝉が再び鳴き始めた。月も雲から顔を覗かせては、道ともいえない一本道を細く照らす。


「ならば、貴方様にはこちらをお授けしましょう」


 結界が勝手に解けてしまう程の力の弱まりに落胆を見せる術者に降った柔らかな声に、つられるように顔を上げた術者の視線の先には、あのカケラ。


「これは……」

「生命体が受給する魔力を凝縮した結晶の欠片です。体内に取り込めば力も戻りましょう。勿論その力は永遠ではありませんが、それまでどうかこの森をお守り下さい」


 怪しげだが決して悪者ではないと判断した侍女は、結晶を手渡し深々と頭を下げた。


「……何故、貴女はアレを持っていた」


 少し頭の弱い術師と別れた途端、騎士は侍女に問いただす勢いで鋭い視線を投げた。腑に落ちない、不満だとあからさまに顔に出して。


「……王女様より、賜っていたのです。各方面から寄せられる報告は東の惨状より酷いものばかりなので、絶対必要になると」


 返された侍女の言の音は、悲痛の色を残す。侍女には、分かっていた。色々な報告が寄せられる王宮中で最も憂慮していたのは、国王でも王太子でもなく、少女だと。だからこそ、密使の件ですら侍女は迷わなかった。秘匿で、奇怪で、孤独な少女の為に。


「でも、たとえそうだとしても、今となっては貴重なものを、王女様といえど自由に出来るものなのですか?」

「……いや、寧ろ王女様だからこそ、自由に出来るのか。王家の血を引く者だからこそ」

「えぇ、王家の血を引く者は何かしら魔力を扱われます。なので、媒介するものさえあれば魔力を結晶化することなど造作もないのです」


 思い出したある事が、騎士を取り巻いていた剣幕を、急速に萎ませていく。記憶がないので仕方ないとはいえ、一人、話についてこれていない庭師に向けて、侍女は簡単に説明した。


「もしかして、魔力を使えば記憶を消したりも出来たりするんですか?」

「全ての魔力について知っているわけではありませんので、真偽は不明ですが魔力で操られている時は記憶がなくなると聞いたことがあります。……あぁ、やっと抜けれそうですね」


 明らかにワントーン下がった庭師の声音を侍女はサラリと受け流す。鬱蒼と繁った木々のまだ少し先で、月明かりが何かにキラキラと反射していた。


「……これは、おかしいですね」


 取り敢えずのゴールにホッと息をつきかけて、侍女はすぐさま前言を撤回した。


「確かに、別れているな」


 仕方無しに、という具合に広げられた国が作られた当時の地図は、東にある王宮から、西南北のどこへ行くにしても王国の中央を通る必要があることを示していた。そして、東からだけでなく各方面から中央までの道は一本道で描かれている。しかし、そこへ伸びゆく道は二つに分かれてしまっていた。


「まぁ、地形など変わるものだ」

「……いいえ。これは霊体の仕業ですわ。厄介ですね」

「あははっ。半分アタリで、半分ハズレー。でも、その知識量は流石おねーさんっ!といったところかしら?」


 これでは、どちらへ行けば良いのか分からない。つまり、先へ行く手段を断たれた…もっと言えば国王の命を遂行しえなくなった、という事を示唆しているその事実に気付かず発された呑気ともいえる騎士の一般論を、苦虫を噛み潰したような表情でハッキリと否定した侍女に降ってきた声は、文字通り空から発された。


「なっ、人が浮いている、だと!?」


 三人が見上げた先にいたのは、頭に黒い角を二本と背中に羽根、先の尖った尻尾を生やし、スリット入りミニスカートとヘソ出しトップスという人とは言えないばかりでなくあられもない格好をした、心底楽しそうな表情をした悪魔。


「あらあら、アタシを人と見て驚くなんて、貴方、とっても無知なのねぇ。そんなんで中央なんか行って大丈夫かしら?私みたいなの、いっぱいいるのよ?」

「な、そうなのかっ⁈」

「まぁ、中央は霊体が住み着いている町でもありますから。尤も、その町は霊体によって具現化されなければ、魔力核を持たない生命体は目に捉える事すら出来ませんが」

「そうか。それを知っていたからこそ、霊体が絡んでいると分かったわけですね」


 クスクスと笑う悪魔は面白がっているが、驚愕している騎士の反応が止むことはない。あまりにも外界に疎い騎士に、また記憶喪失で話についてこれない庭師に、侍女は再度の助け舟を出した。こっそり溜息をつきながら。


「む。霊と悪魔は同じモノ、ということなのか?」

「種族は確かに違うけど、似たようなもんよ〜精霊も天使も悪魔も妖精も」

「活動源は魔力のみで実体がない、その姿は具現化されなければ生命体には捉えられない、という意味では同等でしょうか」


 悪魔の言葉を理解し切れなかったらしい騎士に視線を送られた侍女は渋顔で同意する。


「区別するのは、生命体の中でも人だけよ。私達には善し悪しの区別すらないもの」

「それで、貴女はどうしてこんな時間にこんなところにおられるのですか?貴女は、東へは入れないはずですが」


 完全にバカにしている態度の悪魔を、侍女は呆れとウンザリさ加減半々といった顔で睨みつけた。


「ふふ。やっぱり貴女、物知りね。別に東に用はないわ。アタシはアナタ達を待ってたの、国王の勅使さん?」


 意味深な笑みを浮かべて続けられた言葉に、一瞬でピキッ、っというような効果音でもつきそうなほど三人は顔を硬直させた。その反応すら愉しむように、悪魔はニタニタ笑う。


「…どうして、その事をご存知なのですか?」


 何とか最初に復活したのは、意外にも庭師だった。それでも戸惑いは隠し切れていない。


「教会にも、王宮に負けない情報網があるのヨ。申し遅れたワネ、アタシはエスプリ」


 そんな三人の様子にも全く気にせずに悪魔は飄々と答え、ご丁寧に名前まで名乗る。


「仮にそうだとしても、早すぎやしませんか?」


 益々怪しい感じのする悪魔に、庭師は眉を潜める。三人が出発したのは日が変わる前。そして、今はまだ夜明け前。緊急事項であるとはいえお触れとして国中に知らされる時間でもなければ、情報が漏れるだけの時間も経ってはいない。


「妖精を、手中に納めましたか」


 続いて我に返った、情報網とやらの察しがついたらしい侍女がぽつりと発した。


「あっはは、おねーさんほんと流石ね!妖精なら東にも入れるし、テレパシーも出来るしね」


 複雑そうな顔の侍女とは対照的に、悪魔はすんなり種明かしをして笑い飛ばす。


「……で、エスプリさんは私達に何用なのですか?」

「任務よ、任務。メンドーなこと極まりないけど貴方達を教会へ連れてくるように、仰せつかったのよ」

「教会が、ですか?」


 続けて用件を言った悪魔に、侍女は顔を更に歪ませた。

 アンジュ王国はとても自由な国だ。人以外になれるモノがいれば、人以外に言葉を操れるモノがいる。生命体でなくとも供給者の力で活動出来るモノもいるし、霊体も存在する。

しかし、生命体と霊体は非友好的で、どちらからともなく境界線を作っていた。

 それが、霊体を統括する教会の存在。

 魔力核の大きい妖精以外の霊体は東西南北どこへも行けないこと、肉体を持つ生命体が自ら教会へ行けないのもそのせいだ。


「そんなに疑問視することかしら?この異変には、教会というより霊体だって困っているの。一時休戦しても可笑しくないんじゃない?」

「一時休戦、ですか……」

「そんなに腑に落ちないことでもないと思うけど、それならそれでも別にイイワ。でも私の協力はいるんじゃないかしら?これは精霊の幻視で、魔力を持たないアナタ達には勿論、悪魔であるアタシにすら解くことは出来ない。辿り着けないのは、困るンデショ?」


 そんな態度の侍女を、理解出来ないという顔で悪魔は首を傾げるも、さして興味はないと言わばかりに、薄く霧がかる二股に分かれた行く手を指差した。


「……」

「従うしかない、ようですね。どうにかして夜が明けきる前この道を抜けなければ、アウトですし」

「そうだな、どのみち俺たちには進むという選択しかない」


 そう。三人はまだ、森から抜け切れたわけではなかった。悪魔の言う通り、再び前路も退路も断たれた状態だ。前か後、どちらを選んでも危険度は変わりないが、時間的に、とにかく花が自生している場所から少しでも離れる必要はある。


「ふふっ、賢い判断ね」

「分かりました、案内をお願い致します」

「オッケー!と言いたいところだけれど、実はもう一つ問題があるのよね。さっきそこのおねーさんが言ってた通り、霊体の活動エネルギーは魔力のみ。だから、魔力と体力で活動するハイブリッドな生命体よりエネルギーの消費は半端なく早い。そして、霊体の中でも魔力核が小さい悪魔は回復が遅い。なのに、アナタ達の出発があまりにも急だったせいで、急いでここまで来たものだからアタシの魔力、消耗しているの。自力では朝まで動けないくらいには、ネ?」


 悪魔の言葉が本当にしろ嘘にしろ、この危機から脱するには中央へ向かうしか道はない。そう考え直して頭を下げた侍女に、悪魔は爆弾を投下した。


「それは、つまりどういうことだ?」

「もう、物分りがワルイわね。動けない霊体が動くためにすることなんて、乗っ取り以外ないじゃない」


 やはり、遠回しにされた理由を理解しきれず尋ね返した騎士にも、悪魔は更なる爆弾を投下する。


「肉体提供、ですか」

「えぇ、そうよ。あぁでも、おねーさんはダメだから。だって……相性がワルイもの」


 三人の驚きも何のその、あっけらかんとして話す悪魔の顔には、またもや含み笑いが滲んでいた。


「俺では、どうだ?」

「そうね、貴方なら頑丈そうだし、恐らくサイコーね」

「え、信じるんですか?悪魔を?」

「身体を乗っ取られるのが危険だということは、何となくだが分かる。しかし、今はそうするしか他に方法がない。悪魔よ、早くしろ。何より時間が惜しい」


 それとは対称的に、侍女は思いつめた表情をしていたが、気付く事なく騎士は悪魔と真正面から対峙する。

 騎士が悪魔に乗っ取られる危険度をどこまで理解しているかは定かでなかったが、誰かが犠牲にならなければならないのなら己がなる、王宮騎士の長はそういう男だった。

 悪魔の笑みが、深くなる。


「いいわ、交渉成立ね。では、貴方には中央までの間眠ってて貰おうかしら」


 悪魔は言うやいなや、騎士が何か口を開く前にその唇を奪い肉体に重なり合わせた。


「それじゃ行きまショウ?いくら土台が屈強でも、長引けば無事ではいられないカラネ」


 その途端、騎士の身体は忽然と消え失せ、悪魔の顔つきが真摯なものへと変わる。


「それは……どうなる、ということですか?」

「…………」


 けれど庭師の問いには口を開かなかった。代わるように答えを示したのは、


「たとえ精神まで乗っ取らずとも強制的に長く意識を抑圧されれば、もう元に戻れない。永遠に、目覚めなくなる」


 はたまた侍女だった。思わぬところからの回答に、庭師は顔をしかめる。


「フルールさんは、どうしてそのような事までご存知なんですか?」

「……」

「乙女には色々あるのよ。第一、アナタだって自分の事答えられないデショ?」


 いくら王宮勤めの侍女とはいえ、先程から詳し過ぎやしないだろうか…そんな庭師の疑惑は尤もだが、今度は侍女が口を閉ざしてしまう。お返しだ、言わんばかりに今度は悪魔が答えを寄越した。

侍女だけでなく、庭師の事すらも全てを見透かしているかのような口ぶりで。


「僕は……まぁ、不本意ながら。というか、貴女も何故分かるんですか?」

「聞いてばかりじゃなく、少しは考えなさい。じゃないと、見逃しちゃうワヨ?本当に大事なことを、ネ」

「……悪魔なんか、信じて良かったんですか?本当に中央へ連れて行くかも分からないのに」


 愉し気で有意的な、それでいて妖しい笑みを向けてくる悪魔を毛嫌うように庭師は顔を背けた。生命体の悪魔のイメージは、悪戯に誑かし陥れる存在であるから無理もないが、それでなくともいちいち怪し過ぎた。


「全てを信じたわけではありません。ですが、人質も取られた今、彼女を頼る他に方法がありませんから。それに、王宮が霊体の中でも上位クラスの妖精の存在を放置しているのは事実のようですし」

「そーそ、つべこべ言わずについてこればいいのヨ……世界はもう、相手が悪魔であろうとなかろうと手放しに誰もを信頼出来なくなっているのだから」


 それまで必ずといって良いほど嘲笑を含んでいたにもかかわらず、蒼き瞳で前方を捉えたまま間を置いて殆ど囁くように発された声だけは無感慨に宙に消えた。

 そうして、どのくらい右へ左へと歩いて来ただろうか。遠くにあった建物が、漸く全貌を表し始めた。


「これはまた何と言うか、スゴイですね」


 木々と一体化している教会らしき建物と、並んで建てられた金銀の天使とも女神ともとれる像。圧迫感すら感じうる教会の荘厳な雰囲気は、王宮より強くそれでいて煌びやかだ。


「勅使の方、ようこそお越し下さいました。教会総務統括、モールにございます」


 その前で深々と頭を下げ一行を出迎えたのは、着衣は白で統一し、背にも白い翼を生やした精霊だった。


「ロワ国王陛下が勅使、フルールにございます」

「同じく、ジャルディニエです。そしてこちらが」

「エスポワール様、ですね。存じております。この度は同僚への大変偉大なるお心遣い、感謝致します」


 知られていることだとしても、侍女と庭師も同様に丁寧に腰を折る。どうやら精霊には悪魔の下の騎士の姿が見えているらしく、渋い顔を悪魔に向けた。


「どういう風に帰って来られるのかと一応案じておりましたが、これはまた」

「仕方ないデショ?アタシはまだ、その順番じゃない」

「確かに、霊体にとって魔力の枯渇は死に直結しますからね」

「アタシは休ませて貰うワ。このお兄さんのこと頼んだわよ?」


 それでもこたえることなくしれっと言ってのけた悪魔に、精霊は納得の姿勢を見せた。それに満足したのか、まだ回復の不十分な悪魔は早々に騎士から離れ去って行く。その為、スローモーションで前倒れになる意識の無い騎士は精霊によって素早く支えられた。


「お見苦しいところを、大変失礼致しました。皆様方も長旅でお疲れでしょう。教会内へとご案内致しますので、どうぞごゆるりとお寛ぎ下さいませ」


 精霊は一行に向き直ると再び深々と頭を下げた。


「あの、大事ないのでしょうか?」


 己より随分と大きい騎士を軽々と抱え直して、歩き出そうとした精霊に侍女はおずおずと切り出した。夜明け前に無事に教会へ辿り着くことは出来たが、乗っ取りを行った霊体が悪魔であることに変わりはなく、余りにも静か且つ気配すら感じさせない騎士の様子ではやはり信用するに値しなかった。


「お目覚めになるまでもう少々時間がかかりましょうが、なかなか頑丈そうなお方ですし乗っ取りは恐らく保険でしょうから、重大な問題はございません」


 微かに上下する胸だけが、辛うじて屍になっていないことを証明したはいたが、尤もな侍女の疑問に精霊は、曖昧な推定語を多用した割りに大丈夫だと言い切り、二人を先へと促す。


「保険、ですか?」

「はい。エスプリの能力は悪魔の中でも最上級クラス、異変の影響が強いとはいえ森の三分の一ほどの距離で魔力が枯渇することはあり得ません」

「やはり人質でしたか」

「いえいえ。先程も申し上げた通り、霊体にとって魔力の枯渇は死と同義なのです。霊体にとっては生命体の体力を使用するのが、魔力消費を抑えるにはベストな方法なのです」


 嫌悪感を隠そうとしない侍女の声に、精霊は苦笑を漏らす。どうやら悪魔は少々大袈裟に話していたようだ。まぁ取引をするなら有効な手ではあった。


「あの、気になったんですけど順番というのは?」


 そういえば、そんな事も口走っていた。悪魔は自分で考えろと言っていたが、記憶喪失。自身の事すら不明瞭な庭師が、外界の、しかも精霊の知識を持ち合わせている筈もなく、口をついて出る。


「死神によって取り決められている死の順番のことでございます。霊体は元々死に体。不安定なもので、魔力があっても永遠に現実にとどまれるわけではありませんから」

「その順番が前持って分かっているということですか?」

「いえ、順番が分かっているわけではありません。ただ、死の近い霊体は死神からの手招きを受けると聞きます」


 結局のところ悪魔の失言によって余計な事まで説明させられたに違いなかったが、精霊は淡々と告げとあるドアの前で立ち止まった。


「ご滞在中は、天馬ペガサス不死鳥フェニックス一角獣ユニコーンの間をお使い下さい」


 案内されたのは教会の祈りの間から奥に続いた、どうやら客間のようだった。生命体が訪れる予定など無かったに違いないのだから、その空間は急ピッチで拵えたのだろう。天馬の間は庭師に、不死鳥の間は騎士に、一角獣の間は侍女にそれぞれ割り当てられる。


「お食事は各自、良き時間に最奥の聖堂にてお願い致します。エスポワール様がお目覚めになられましたら、言伝に参りますのでそれまでご存分にお寛ぎ下さい。それから、教会外では十分にお気をつけ下さい。霊体には基本、良し悪しの概念はございませんので。では、お休みなさいませ」


 精霊は丁寧な口調で、最後まで噛まずに告げ腰を深々と折り曲げた後、騎士を連れて不死鳥の間へ姿を消した。


「あの、教えてほしいんですけど霊体って食事、必要なんですか?」

「聞いたことは、ありませんね。そもそも実体を持たないのに、食べる行為が必要だとは思えませんが……一応、おもてなし、のつもりでしょうか」

「歓迎はされてなさそうですけどね」

「えぇ。見張られている気がするのは、気のせいではないでしょうし。まぁどうせ急ぎの旅です。今は私達も休みを取ってエスポワールさんが目覚め次第、出発しましょう」

「分かりました」

 

 始終、精霊のペースに流されっぱなしで最終的に廊下にぽつんと取り残された二人は、戸惑いを隠しきれない様子で最小限の会話を交わし割り当てられた部屋の中へと姿を消した。


※※※※※

【不死鳥の間】


「……壁をすり抜けるのは結構ですが、ノックくらいして下さいと言った筈ですが?」


 侍女と庭師と別れ、騎士をベッドへ寝かせたところで精霊は大袈裟な溜息を空中に投げた。


「別に必要ないデショ?アタシが何処で何してようとアナタには分かるんだし?」


 尤もらしい事を言う精霊に、忽然と宙に姿を現した悪魔が悪びれた様子なく告げる。精霊は広範囲に渡り実体のある生命体は勿論、実体のない霊体も感知出来るだろ、と。


「しかし、生命体にソレは通じませんよ。特に人間には。それで、何用ですか?」


 霊体には常識やマナーといった概念も存在しない、と悪魔が込めた意味を正確に受けた精霊はやや軽蔑じみた視線を騎士に一瞬向けつつ、声のトーンを落として話を促す。


「ちょっと意見を聞きたくてネ。あのフルールって子、どう思った?」


 侍女の事を話題に挙げた真剣味を帯びた悪魔の声も、つられたように潜められた。悪魔の力か、騎士は変わらず微動だすることなく眠っている。


「相変わらず単刀直入ですか……まぁ貴女と同じく、僕も避けたでしょうね」


 悪魔の質問内容には予め予想がついていた、と言わんばかりにあっさり答える精霊。その言葉に悪魔は首をすくめた。

 その力さえあれば生命体が霊体を、霊体が生命体を乗っ取ることは可能だが、それでも条件はある。それは”動けること”だ。裏を返せば場所移動が出来るのならば人間だろうが動物だろう乗っ取ることは可能だ。但し、活動性の低い生命体を乗っ取るためには相応の能力が必要となる。そして、乗っ取れるほどの能力の持つ霊体はそんなリスクを侵さなかった。


「モールでもその判断、ってことは相当ってことネ」

「えぇ、霊体との相性は最悪です」


 また、霊体が生命体を乗っ取る場合それが供給者であれば話は変わってくる。供給者を乗っ取る場合、供給者に備わる魔力を己の力で制御出来なければ逆に生命体に乗っ取られる為、供給者に備わる魔力核が己のものより幾許か小さい必要があるのだった。


「うーん、マジで何者なのかしら?あのコ、妖精のことまで知っていたワ」

「ふむ、ただの人間と区分するには少々特異過ぎるようですね」


 精霊の声のトーンが更に下がる。生命体に、というよりは侍女だけを特に厭がる様に。


「それにしても頼りになりませんね、妖精も。そんな報告は無かったのですが」

「仕方ないワヨ、妖精も万能じゃないもの。それに王宮がそうしてるのかも」

「確かに。王宮ならば霊体について詳しく、妖精すら見抜ける者がいることを隠し通せる魔力の持ち主がいても不思議ではない……もう少し調査が必要ですね 」


 悪魔の言葉に精霊は深く頷き、忌々しげに吐き出した。


「なら、もう一匹いっちゃう?」

「はい、今以上に力のある方に下さい。命令が完遂されてしまう前の方が、あの方もお喜びになられるでしょう」


 精霊はもう用はない、とばかりにバッサリ話を打ち切るとそそくさとドアから出て行く。


「……あの方、ねぇ?」


 部屋には告げられた意味深な台詞の一部を拾いあげた悪魔の声だけが、妙に響いていた。


※※※※※

【一角獣の間】


「………」


 侍女は、中庭で、王宮への状況報告書をしたためた梟が見えなくなるまで空を見続けていた。

 あの悪魔は言っていた、一時休戦だと。けれど、別に両者は敵対していたわけではなかった。ただ、互いに無視を決め込んできただけ。

(なのに、妖精を送り込んでいるとはね)

 妖精の目的が本当に状況報告だけならば、まだ害はない。けれど、その身にまとう妖精の粉は害そのものだった。

 それに霊体も困っている、というのは今の世界の状態から本当だろうがソレを生命体と関わる理由、とするには弱かった。それは教会でそれぞれが取った嫌悪を含んだ態度がありありと物語っている。あまりにチグハグな動向に、その紅も困惑を隠しきれないでいた。


「……どちら様、ですか?」


 何一つ解決しない頭の中を、一度振り切るように肩の力を抜きかけた侍女の顔に緊張が戻った。何かの気配に気がついたのだ。まぁ、ここは霊体の街である中央であるので、具現化出来ない、つまり生命体が認識出来ない霊体がその辺りにうじゃうじゃ転がっているのだが。


「俺に気付いちゃうとは流石。それは君が持つ魔力先のおかげ?それとも、君自身のチカラ?」

「天使、ですか」


 侍女の問い掛けに愉しげにふっと植えられた木の枝に姿を現したのは、頭に銀色の輪を浮かせ背に黒く大きな翼を生やし、その蒼き瞳に屈託のない笑みを浮かべた天使だった。


「種族まで分かっちゃうんだ。正確には堕天使だよ。名はノワール」

「で。教会の兵隊さんが、何のご用でしょう?」


 好奇心という靴で遠慮なしに踏み込んでくる堕天使に、侍女は不快感を隠そうとしない。たとえば、聞き捨てならない言葉でも混じっていた時のように堕天使を睨みつけて。


「そんな眉間にシワ寄せちゃったら、可愛い顔が台無しだよ」

「………」

「分かった、そんな怒らないで。俺が兵士だと分かっちゃう、他の二人と違う君に文字通り興味があるだけなんだ」


 しかし、その気持ちを汲み取ったはずの堕天使は気にも止めず、「他の二人は気づきもしなかったよ」と、涼しい顔でノラリクラリと躱す。


「知ってる?天使の能力はこと。勿論、その時消すモノの過去も見れちゃうよ」

「なるほど、力を使うのは簡単、ということですか。しかも覗きとは、非常に悪趣味ですね」

「別に見たくて見ているわけじゃないけどねー。それに、強制するのは趣味じゃないよ。さぁ、君に詰まってるソレは何?」


 優しい笑顔で、優しい声音で、残酷な言葉を吐いて獲物を追い込みながら。


「私が貴方のお遊びにお付き合いすれば、ギャランティが発生しますよ?」


 それでも侍女は、強気だった。堕天使を睨みつけるその紅は、タダ働きはゴメンだ、対価がなきゃとっとと失せろ、と物語っている。


「これは手厳しい。けれど、道理だね。なら望むものを与えるって事でどう?」


 侍女にとっては精一杯の虚勢のつもりだったのだが、堕天使は怯むことなくあっさり譲歩してみせた。


「妖精のテレパシーはね、霊体なら種族に関係無く誰もが受け取れるんだ。だから俺は君が此処にいる理由を知っている。これから何処へ何しに行くのかも。だけど行き先は漠然としていて、探し物も漠然としている……さて、困ったね?」


 侍女が欲するものは分かっている、と。そんな口ぶりで。笑顔を崩さないまま。迷惑極まりない、という表情を隠そうとしない侍女が面白くて仕方が無いというように。


「……分かりました、天使は、たとえ堕天使だとしても嘘はつけない。確信ある情報と引き換え、と致しましょう。」


 その笑みは堕天使ゆえ悪魔以上に胡散臭く、天使でない分タチが悪い。しかし、堕天使に全く引く気がないことと、魅力的な条件だと悟った侍女は取引に応じることにした。

 この旅を困難にたらしめているのは、何も異変のせいばかりではない。あの時、少女が取った間は何らかの情報はあったが何かの事情で言うのを躊躇ったモノ。それを汲んで国王も。けれど、口に出すのが憚られる事情があるとしても、やはり知っておきたい情報だった。


  ーー 事は、急を要するのだから。


「交渉成立だね。俺が提供するのは、東以外の供給者と秘宝についてだよ。まぁ君なら供給器がある場所くらいは想像がついていそうだけど」


 ニヤリ、と悪戯な笑みを深くした堕天使は、一つ前置きをして嬉々として口を開く。

 最南端にある聖剣フラガラッハはオアシスに住む女神が、最北端にある八咫鏡ヤタカガミは神社に住む宮司が、最西端にあるは聖杯サングレイルは研究所に住む科学者が持っていると。


「南は旱魃、北は豪雪と各々酷い有様なのにオアシスと神社は影響を受けてない。西は近代化するにつれて疫病が流行るけど、研究施設は毎回無事だ」

「王宮の秘宝は供給者とその周辺を守るという…確かに信憑性は高そうですね」


 続けて論拠のように告げられた言葉に、一応納得したらしい侍女は感慨深く頷く。


「君は、本当に何でも知ってるね。その情報も魔力に因るモノ?」


 その理解の良さに、堕天使の方も感心を示した。それもその筈、堕天使が声にした言葉はただの状況証拠に過ぎない。侍女が言ったということを知っていなければ到底論拠になどならないからだ。


「いいえ?東の秘宝がある王宮が同じく無事ですので知っていただけですわ」


 侍女は先程までの渋りなど無かったかのように、あっさりと暴露した。


「さて、お約束通り私もお話し致しましょう。私には、私が所持している魔力石よりも更に特殊なモノが体内に埋め込まれています。」


 あれ程余裕だった堕天使の、驚いた様子にご満悦な様子で笑みを浮かべて。その言葉に反応するが如く、腹部に当てられた手の下が、じんわりと紅き微光を放つ。


「成程、それが君の魔力量の正体か。だけどどうしてそんなものが其処に?」

「私の活動源だから、ですわ。生死を彷徨った昔、授かったのです」

「………」


 何てことない、と言わんばかりにイケしゃぁしゃぁと告げる侍女に堕天使は絶句した。

 無理もない。

 侍女の言葉は、生命に関与できる魔力石を作り出せる程の力をもつ供給者の存在を示唆したものだ。医者ですら助けられない者を、生かしてしまうかもしれない程の力を持った存在を。それは、生命体の根幹を揺るがしかねないだけでなく霊体にすら干渉出来る強大な力。


  ーー つまり、あってはならない力。


「魔力には物理魔力と精神魔力があることくらい、霊体である貴方ならご存じでしょう?物理か精神、どちらか一つだけを持つのが原則ですが、物事には例外がある…あの情報量で教えられる事はこれくらい、ですわ」


 侍女は優しい、それこそ天使のような優しい笑顔を浮かべて唇に人差し指を当てた。

 ここから先は別料金です、と。


「……そんな、あり得ない」


 逆に堕天使は、詐欺にでもあったかのような絶望的な表情で漸くそれだけを搾り出した。

 やはり、無理もない。

 火などの物質を媒介とする物理魔力と、己自身を媒介とする精神魔力は根本的に相入れない。生命体と霊体で種族に異なりがあるように、両者も原理が異なるからだ。故に、侍女が告げた両方を備える生命体の存在など到底受け入れられなかったのだ。


「信じる信じないは勝手です。貴方の言う通り、私は嘘をつけますから」


 ガクガクと震える堕天使に、その思考すら読んでいるような声がどこまでも優しく食い込む。いつの間にかしていた立場の逆転に、堕天使は弾かれたようにその黒き翼で空へと消えた。


「好奇心は猫をも殺す、といいますが天使にも通用するようですね」


 漸く肩の力を抜き、しみじみと呟いた侍女の言葉は静かに部屋の空気と成り果てた。

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