第参章 辰の刻

【不死鳥の間】


「……」


 騎士が目を覚ましたのは、ちょうど夜が明けてくる頃合だった。死後硬直か、と思える程に固まっている関節は騎士が動かす度にガチガチと音を鳴らす。けれど、悪魔に身体を貸した割にそれ以上に異常は見当たらず、騎士はゆっくりと息を吐いた。

(剣が、ない!!)

 のも、つかの間、騎士は関節の痛みもお構いなしにガバッとベッドから身を起こした。鞘は腰ベルトについていたのに、剣の柄に手が触れなかったのだ。 騎士にとって、戦うための、また身を守るための武器がないのは言うまでもなく致命的。焦った騎士が何を考えたかは不明だが、部屋の扉が乱暴に開け放たれる。


「なっ!!」

「瞬発力は流石、でございますね?王宮殿」


 そのままの勢いで廊下に飛び出そうとした騎士を待ちうけていたのは、研ぎすまされた刃。間一髪でとどまることが出来たため喉に食い込むのを免れたが、非常に危ういところだった。


「貴様……」

「我が名はソルダ。霊体に融合されるとすぐに動けないので、護衛を兼ねてお側に控えさせて頂いておりました。こちらは、返上致します」


 けれど、その刃が騎士に向いていたのはほんの数秒のことで、その人物は無駄のない動きで床に片膝をつき、騎士の前に剣を両手で持ち掲げるように差し出していた。騎士と似たような長さの剣を腰ベルトに挟んでいることを鑑みるに、こちらも戦う者のようだ。


「貴様、何故私が騎士長だと知っている?」


 厳しさを含んだ声が発されたその一瞬のうちに、立場が入れ替わる。剣を受け取った騎士が、目にも留まらぬ速さで刃を見張兵の首に突きつけたのだ。


「王家の紋章くらいは、この落ちぶれモノでも知りえております。また、これでも刃を扱うモノの端くれ。を頂ける方は、王宮の騎士長以外にないことくらい存じておりますとも。先程のご無礼、どうかご容赦願いたい」


 けれど、見張兵はその刃におののくどころか、微動だすることさえない。


「貴様、霊体か?」

「いいえ、れっきとしたニンゲンでございます。騎士長殿は、ご存知ではないようだ……霊体は皆、蒼い瞳をしております」

「ならば何故、霊体でもない貴様はココにいる?」


 実体がない霊体ならば、物理的な牽制など意味をなさないので刃が首に当たっていても平気か、と納得出来るものを、頭をゆるく左右に振って顔を上げ告げた見張兵は、紫暗の瞳をしていた。あまりに堂々とした見張兵の態度に、さすがの騎士も拍子抜けして剣を下ろしかけたが、間一髪で再度刃は突きつけ直される。

 騎士の疑惑は、深まる一方だった。


「……口にするのも畏れおおいことではございますが、私は王妃様を殺害した罪で幽閉さてれいる身なのです。尤も、私にその記憶はございませんが」

「なっ!では貴様は、元々王宮にいたのかっ⁉︎」

「王宮にいたのか、王宮へ行ったのか……それすら思い出せません」


 何とも衝撃的な告白だった。王族殺しは国家反逆罪だ。記憶喪失が理由なのか、それともこの見張兵が王妃を殺害したという決定的な証拠がなかったのか…どっちにしろその罪に問われて極刑にならないことも驚きであったが、犯罪など滅多に起きないこの自由の国で、そのような事件が起こったことすら、騎士にとっては驚愕でしかなかった。

(そういえば、殿下からお母君について聞いたことがない)

 ある一つ事実を、気付かせてしまう程に。

 王太子は、現在十九。騎士は十二の時、王太子自身にその腕を買われ今の任についた。それから七年の間、歳が近いこともあって関係良好だったにもかかわらず、騎士は王妃の話を聞いたことがないばかりか王宮でその姿を見かけた事もなかった。

(まさか、既に故人となっていたとはな)


「それにしても、目覚められてすぐだというのに先程の剣捌き……お見それ致しました。そもそも王宮の騎士長殿に、護衛を付けるなどおこがましいことだったのでしょう。自分は、元の任務に戻ると致します」

「…………」


 頭の中でグルグルと考え事をしていた騎士でも分かるほど、見張兵の声に抑揚は含まれてはいなかった。まるで予め定められいる言葉を、音にしているかのように告げている。いつ、その刃が振り下ろされるか知れない状況であるにもかかわらず、立ち去っていくことすら躊躇いはない。


「……王女に、と、か」


 小さく呟かれた言葉は、廊下を颯爽と歩いていく見張兵が奪っていくかの如く宙に散った。


※※※※※

【王宮】


夜が静かに明ける頃

後ろ髪引かれし花咲かす

切なる願いが憚られ

イシを奪う輩あり


地の別れ目にいざなわれ

許しを乞う場で暴かれた

憂いを分かつ我々は

急ぎて命を遂行す


「密使からの報告書か?」


 文字を追う、どうにもやり切れないといった表情をしている少女に言葉をかけたのは、心底疲れきった顔をした王太子だった。


「ええ、お兄様。やはり一筋縄ではいかないようですわ」


 その中身は報告書、というにはイマイチ要領を得ない散文詩。送り主は勿論侍女だ。


「そうか。で、何が書かれてある?」


 王太子はチラリと少女と同じその紅を詩に向けたが、早々に解読を諦め少女の言葉を待つことにした。侍女が書いたなら、少女の方が意味を正確に捉えられると踏んでのことだ。


「皆様方は、一応中央に辿り着いたようですわ」

「あの森は夜が一番安全だから何よりだが、一応とはどういうことだ?」

「どうやら、霊体が絡んできているようなのです」


 どうにも歯切れの悪い物言いに、尋ね返した王太子に対し、少女は詩の頭の文字をサラッとなぞった後、スッと六行目を指差してまたもや推測の形で告げる。


「……確かに、祈りを乞う場といえば教会だな。そして、教会へは霊体が一緒でなければ辿り着けない」

「えぇ。を奪ったのも、そのせいでしょうね」

「この状況だ、霊体もあのは喉から手が出るほど欲しいものだろう。それにしても、よく出来ているな」


 少女は一文ずつ説いたりはしなかったが、王太子は少女の伝えたいことの大体を理解したようで、感嘆の声をあげた。


「えぇ。言葉は理解出来ても文字が読めない、というのは不便でしょうね」


 少女の方も、微笑とも苦笑ともとれる、なんとも微妙な笑みを返す。

強い魔力を宿す王家の血を引く二人なら、たいていの霊体は、霊体によって具現化されなくとも認識可能だが、妖精だけは別だった。


  ーー 妖精は、己を不可視化出来る。


 けれど、いくら姿を消すことができても妖精が魔力活動すれば、その身にまとう粉が輝きを残す。その痕跡は、魔力を扱えるものなら認識することが出来た。侍女が状況報告の為に詩の形式を取ったのは、縦読みでメッセージを浮かび上がらせる為だったのだ。”妖精に、警戒せよ”と。


「で、状態についてはどうだ?」

「世界中が本来のあるべき姿を保てず、人は対抗する力すら持ち得ない。影響が確実に、大きくなっています。これから更に困難を窮めるでしょう」


 三人の勅使の急ぎの旅を憂慮して、少女からは自然と溜息が零れる。


「キビシイことに変わりはない、か。間に合うだろうか?」

「信じましょう?私達にはそうすることしか出来ないのです。」

「……」


 王太子は、歯がゆそうに唇を噛んで黙り込む。少女の言う通り、軟禁されている身では何かする術をもたない。


「それに、大丈夫ですわ。が、コントロール出来なくなった訳ではないのですから」

「……何か、知っているのか?」


 意味深に告げられた言葉に驚きと焦りが入り交じったような表情の王太子に対して、少女は言葉なく、ただ悲しげな微笑みを見せるだけだった。


※※※※※

【大聖堂】


(結局、眠れやしなかった)

 夜が完全に明けた頃、庭師は用意されていた料理を横目に水だけを片手に適当な場所に腰掛けた。仮に、目に見えない霊体がうじゃうじゃいるとしても視覚で認識できない以上、それは居ないものと変わりなく部屋はガランとしている。窓の外では、紫暗の瞳を持つ兵がただ一点を見つめて立ち続けていた。


「あ、エスポワールさん…意識、戻ってたんですね。顔色があまりよくないようですが、大丈夫ですか?」

「ああ……先程目が覚めたところだ。どこも問題ない、迷惑をかけた」


 微動だすらしないその様子を、喉を湿らすことなくぼんやり眺めていると、いつの間にかやって来た料理を片手にした騎士が向かいに腰をかけていることに庭師は気が付いた。騎士は生気の薄い顔で、どことなく虚空を見つめている。


「いえ、寧ろ助かりました。あの道は僕達だけでは分からなかった」

「そうか。役に立てたなら何よりだ」


 森を歩いていた時より感覚が鈍りそうでした、とウンザリした様子で述べる庭師に騎士は肩の荷が下りたように、微かに一笑してみせた。


「……あの、フルールさんの事なんですが、どう思います?」

「どう、とは?」


 一区切りついて、庭師気まずそうに侍女のことを切り出した。何かに耐えかねたように。脳裏に鮮烈なあの紅がぎった騎士は眉を潜めた。話題になることは避けられないと理解しているけれど、話題にしたい理由は分かりたくなかった。そんな複雑な表情で。


「妙に、物知りだと思いませんか?だから冷静でいられるのでしょうけど、まるで全て見通しているような」


 そんな騎士の顔色を伺いながらも、庭師は話題を変えることをせず言葉を続けた。侍女のいないこの時にしか、侍女の話は出来ないのいう視線を寄越して。


「確かにどこか少し、特別な感はある。浮世離れしている、というか」


(まるで、そういう風に仕込まれている様だ)

 結局、その紫暗を盗み見て騎士はアッサリと話に乗っかった。一部、心の中に留めはしたが一度話をしなければ、収まりそうになかったからだ。憤りを隠しきれていないのは庭師の様子から一目瞭然で、騎士はそっと溜息をつく。


「そんな生易しいものではないでしょう!あの結晶の欠片を持って、自制が利くなんて。どれだけ持っているのか知りませんけど、どんな生命体も己のキャパシティを越える力を扱えはしないのに」


 確かに魔力供給量が減っている今、それを取り込んで魔力受給したい、という衝動に駆られてもおかしくはない。森で出会った術者も結晶そのものを狙っていたが、それを含めて奪わんとする輩が現れても仕方ないような状況ですらあるのだから。なのに、侍女は欠片ソレを欲するどころか興味ないと言わんばかりに平然としている。まるで仕掛けのないマジックのような疑惑に、庭師は苛立ちを隠せない。庭師にとってミステリアスな侍女は、記憶のない己よりも危惧すべき存在となっていた。


「彼女は王宮の、しかも王家の方々に近しいところにいる人だ。何らかの守護プロテジェを受けている、とは考えられないだろうか?」

「守護、ですか?」

「王太子殿下が王子と魔力の訓練をする際、俺にかけていた保護魔力のことをそう呼んでいる。魔力を制するには、魔力しかないと言って」


 そんな庭師に騎士は、努めて冷静に告げた。庭師を興奮たらしめている事項は、ことだ。そんな庭師に新たな情報を告げては火に油を注ぐようなものだが、必要なものとして騎士は敢えて情報を与える選択をした。


「百歩譲ってそうだとしても、彼女は更に、一時的とはいえ供給器にとって代えられる石も持っている。それにすら、対抗出来ると?」

「そういえば、あの結晶を差し出された時、ソナタは食い入るように見つめていたな」

「あの時、手を伸ばしそうになるのを必死に抑えていました。だから、あんな強大な力の塊を3つも携えていてソレに飲み込まれない彼女が……怖い」


 けれど、やはり庭師を止める効果はもたらさなかった。ただ、侍女の前では虚勢を張っていたのだろう。俯いたままの庭師の両手は強く握り締められ、身体が小刻みに震えている。知らないことだらけ、という現実も拍車をかけて庭師を追い詰めていた。


「……俺は、ただ素直に、頼もしいと思っている。今は誰がどう、ということよりまず王命の遂行を第一に考えるべきだ。その為には、彼女が何者であれあの魔力石を持てる彼女は必要不可欠だ。他にまだ知っていることもありそうだしな」


(まぁ、ちょっとやそっとで言いそうもないが)

 それぞれがそれぞれの見解を述べているだけなのだが、どうにも庭師が侍女批判に偏っているため、騎士は侍女擁護に偏りをみせていた。そのことが、更に庭師をイラつかせる要因になっていると分かっていても、騎士が信念を曲げることはない。


「どうしてそこまで、得体の知れないモノを信じられるんですか?もし彼女が供給者並みの魔力保持者であることを隠しているのだとしたら、エスボワールさんは悪魔に身体を貸すこともなかったんですよ!?」


 それでもまだ、庭師は冷静さを取り戻せなかった。だから気づけないでいた。秘め事も、記憶喪失という事も、他に向けて公言出来ないという点においては同じだということに。


「勘違いをするな。俺が信じるのは、自分だけだ。仮に彼女が魔力を扱えることを隠しているのだとしてもその理由には興味がないし、ましてや彼女が何者かなど、さして重要ではない」


 騎士は、どこまでも真っ直ぐに庭師の迷いを切り捨てた。先ほどまでの深刻さを浮かばせた顔とは打って変わって、生気を、声にまで漲らせて。


「強いですね、エスポワールさんは」

「ソナタも、感情はついてこないかもしれんが、理解は出来ているはずだ。それに、たらればを言い始めたら余計に惑うだけだ」

「……そうですね」


 なかば丸め込まれる形で、というのは語弊があるが、強く言い切った騎士に庭師はゆっくりと息を吐いて同意した。騎士の言う通り侍女のような知識と力を持つ者がいなければこの密命を遂行出来ないことは、庭師にももう分かっていたのだ。

 庭師は、吹っ切るようにぐいっと水を飲み干すと出発の準備をしますと言って大聖堂を後にした。その後ろ姿を見送ってから騎士はすっかり冷めてしまった料理をただ口に詰め込んだ。


※※※※※


「で。これから、どうする?王宮に寄せられた情報によると、何処に行くのもあまり変わらない気はするが」

「西に行くのは最後にした方が良いかと思われます。流行り病なとで倒れてしまっては元も子もありませんから」


 侍女が部屋から出た時は、既に男二人は準備を終えて待機をしていた。取り敢えず外へ向けて歩き出しはしたが、ダラダラしている時間などないにもかかわらず進むべき方向は定まっていない。


「僕も彼女の意見に賛成〜。ついでに言えば、南に行くとイイよ。無害だから」

「誰だっ!」

「僕のことは気にしないで。僕も無害だから」


 選択肢のうち一つを消した侍女の推察に、またもや唐突に、昨夜同様空中から、昨夜とは違った柔らかな声が降ってきた。ただ昨夜とは違って、その声の主は姿を現そうとしない。


「無害、とはどういうことですか?南は旱魃がひどいと報告があります。アナタの言うことは信用に値しませんが」

「確かに、砂漠化の進行は急速かつ深刻で、それに伴う乾燥は酷い。でも、それだけだ。行ってみれば分かると思うよ。異常らしい異常って言えば、砂がピンク色ってことくらいじゃないかな?それに、何処に行くにしろキミたちは自力で出られないでしょ、この中央から」


 不可解な状況に機嫌を斜めにした庭師の答えにどこか、面白がるような声が降る。廊下を真っ直ぐ進んできて扉を開け放って見えた外は、夜が明けたにもかかわらず霧の立ちこめるゴーストタウン。声の言う通り無理矢理連れてこられた三人には、右も左も分かる状態ではなかった。そもそも今、三人が捉えている風景は精霊による幻視だ。つまり、仮に町の見取り図のようなものがあったとしても、全く役に立たない状況ではあるのだが。


「アナタなら、私達を中央ここから出せる、と?」

「そ。僕の能力ちからは精霊や悪魔とは質が違うからね」


 行き先すら決定しないまま、足踏み状態が続く一行に優しき声は降り続き、言葉通り前方に音もなくレンガ状の壁の一部をアーチ状に突き破ったような穴が出現した。まるで、その声に共鳴でもしたかのように。その向こうには、これまた前述通りのピンクの砂が風に舞い上がっている。


「一体何が目的ですか?」

「別に?こうした方が、少し先の未来を拝めるかなって。そう思っただけだよ。僕が精霊に逆らうのは、規定違反だけどそんなのどーでもいいしね」

「…………」

「進めるのなら、問題はない。先を急ごう」

「そうですね」


 非常に胡散臭い答えに、明らさまに不審さを露わにした侍女は言い返そうとしたが、騎士はそれを制止した。相変わらず、悪戯でもする時のような楽しんでます感を含ませる声などこれ以上相手にする必要はない、と言わんばかりの顔で。そして迷いのない騎士の態度は、三人をピンクの砂漠へ送り出すのに十分な効力をもっており、一行は正体不明の霊体が作ったと穴をくぐり抜ける。


「いってらっしゃ〜い」


 三人の行動に満足を得た声が響き渡り、ソレがスイッチであるかのように三人が通ってきた壁に空いた穴が消え失せた。


「何だったんだ、一体」

「霊体のすることは、分かりかねます」

「それより、本当に、中央から出られたんでしょうか?この景色すら、幻視の可能性も……」


 一応、情報通り、そこはピンク一色の世界が果てしなく続いていた。けれど、異常はやはりそれだけではなかった。それは、空気は非常に乾燥はしているが常春のような快適さ。太陽はその光を強く注いでいる砂漠だというのに、全く暑くないのだ。庭師の疑心も一理ある。


「それでも、行くしかないだろう。行った先に海があれば、ここは南エリア。それでいいな」

「……はい、元々南は砂浜と海しかありません。干ばつの影響で干上がってしまっていますが、本当に南であれば必ず海が見えてきますから」


 救いだったのは、目的だけはハッキリしたことだろうか。侍女の情報も今回ばかりはイマイチ決定打に欠けているが、相変わらず三人は他の選択肢を持ち得ない。太陽が確認出来る分、森より感覚を狂わされることなく、一行は一縷の望みをかけひたすら最南端を目指して真っ直ぐに歩き続けた。


「ラッキー!こんなところに人がいるっ♪」


 そうして、どのくらい歩いてきただろう。どこまで続いているのか分からない砂一面の世界に、一向に潮の香りが漂ってくることはなく、代わり映えしない風景に飽きもきていた頃、前方から歩いてくる人影があった。三人同様、砂が舞う中でも砂よけの布などかぶっていないどころか、嬉しそうに飛び跳ねている。


「な、なんだ、その姿はっ!」

「むぅ!レディに向かって指を突き付けるなんて、なんて無礼なの!?」

「む、も、申し訳ない。しかし、その、なんというか、その姿は……」


 このようなリアクションをするのは一人しかいないが、ご多分にもれず騎士の行動であって、正当な指摘に狼狽えた様子で突きつけていた人差し指は下された。けれど、騎士の驚愕も、幾分か仕方の無いことであった。というのも、ふくれ面で見上げてくる姿は紛れもなく人型であるのに、艶やかな銀髪と可愛らしい顔立ちとは裏腹に、この砂の舞う中惜しむことなく晒された皮膚は鱗状で、いわゆる半魚人だったのだから。


「まぁ、許してあげてもいいよ。慣れてるもの。お願い聞いてくれたら、には言わないであげる」

「「「!!」」」


 すぐさま述べられた謝罪に、ふふんっと鼻を鳴らしながら半魚人が満足気に、あくまで上から目線で告げた言葉に三人共が半魚人を凝視した。半魚人からは何気なく出た言葉であったが、聞き流せない単語が混じっていたからだ。


「貴女は、海神わたづみ様をご存知なのですか?」

「ふへっ?モチロン、知ってるよ?だって、あたしをこの姿にしたのカミサマだもん」

「…………」


 神の力をもって、姿を変えてしまったという事実は再び三人に十分な衝撃を与えるも、半魚人はまるでそれが正しいコトのように屈託の無い笑顔を見せる。


  ーー 世界はもう、無茶苦茶だった。


「その、海神様には簡単にお会い出来たりするのでしょうか?」

「うーん……コツはいるけど、あなた達なら多分、比較的簡単に会えるの思う。そうだ、あたしのお願い聞いてくれたら手伝ってあげてもいいよ?」

「お願い、ですか……」


 海神を知っているのなら話は早い、とばかりに問いかけた侍女に半魚人は思わせ振りな回答を寄せた。侍女といえば、先程から無邪気な笑顔でやたら強調される”お願い”という言葉に少し困り顔をみせる。半魚人のいうカミサマが自分達の探している海神ものかどうかはおいておくとしても、半魚人の協力があればこの退屈は空間に何らかのイベントを起こせる確立は高いのだが、その”お願い”の内容次第では敵と見なす必要も出てくるからだ。


「それで、何をすれば宜しいのでしょう?」


 まぁ、どちらにしろその内容が分からない限り何とも言えないので尋ねるより他無いのだが。


「あのねーお花をね、届けるの、手伝ってほしいの」


 半魚人が告げた”願い事”は、侍女の杞憂を一瞬にして吹き飛ばすほど明瞭かつ純粋なものだった。


「大きな木だな…」


 一行は半魚人の願い事とやらを叶えるべく、半魚人と出会った地点から本来の進路よりやや東へ外れて進むことになった。長くもあり短くもあるような距離を歩いてきたその先にあったのは、棘のついた細長い葉を栗のイガのようにつけた巨大な植物だ。


「これは…プヤ・ライモンディじゃないですか!?」

「おにーちゃん、知ってるの?」

「えぇ、約百年に一度花を咲かせては枯れてしまう珍しい高山植物、確か亜熱帯でしか育たなかったかと思うのですが……」


 庭師は、奥歯に物が挟まったような言い方で言葉を切った。気候は異変の影響を受けているため除外するとしても、ここは海が干上がった場所であって断じて山ではない。育つはずのない場所に存在するという現状は、不可思議というよりもはや不快でしかなかった。


「カミサマがね、避難させたの。本来はね、南南西にある山に生えてたんだけど西エリアは近代化が進んで良くないって。花が咲くまでなら、ココでもつからって」

「それなら、この木はそろそろ花を咲かせるのですか?」

「うーん……分かんない。それより、コッチへ来て!皆には、コレを海に運んで欲しいの」

「これは、海草ウミヒルモですか」

「おにーちゃん、よく知ってるね。早く海に返してあげないと枯れちゃうの」


 半魚人が手招きした巨大植物の裏手には、特徴的な丸い双葉と青紫がかった小さな花が埋まっていた。察するに、かつてはここも海であり、干ばつの影響で取り残されたもののようだ。


「成程、海に咲く花というわけか……ところで、何故ここから向こうの砂は土色まともなのだ?」


 更に言えば、この南の砂もどうやら最初からピンク色ではなかったようだ。元は海だったというのだから当たり前といえば当たり前なのだが、一行が歩いてきたところはずっとピンクだったというだけに、いきなり常識的な色をしている砂の方が珍しいものとして写った。


「あぁ、それはね、あたしが歩くとピンクになるからなの」


 けれど、半魚人は、何事も無いかのように歩きながら告げた。その言葉通り、半魚人の通った後がキラキラと光ってピンク色に変わっていく。


「……神が世界に干渉しなければ、耐えられないのですね」

「さっ、この子たちを、避難させるよ。ボサッとしてないで海まで運ぶ運ぶ!」


 つまり、その言葉は、所謂、で色が変わったと言っているのと等しいのだが、半魚人はその重大さを理解していないらしく、か細く呟かれた侍女の言葉は誰に届くことなく掻き消される。一行は、半魚人が砂浜をピンク色に変えるのを見ながら言われるがまま海草を摘み始めた。


「海草を持てるということは、幻視ではない、と思っていいみたいですね。今更ですけど」

「えぇ、どんなに良い能力をもつ霊体でも触れられる生命体は具現化出来ないでしょうから」


 皆が皆、手にいっぱいの海草を抱え半魚人の案内により、漸く海へと辿り着いた。更に奥へと広がるエメラルドグリーンは、目を奪われるほどに透き通っていてその深さが伺える。しかし、そこに海神の姿は見当たらず、静けさを保っていた。


「ねぇ、おにーさん。本当にカミサマに会いたい?」


 そして、いっせいに海草を浮かべた海面を、半魚人は濡れるのも構わず腰が浸かるくらいまで水の中へ進み、突如振り返ることなく問うた。


「あ、あぁ」

「そう。たとえ、大切なものを失ったとしても?」

「勿論だ。カミサマに、大事な用があるからな」


 告げながら変化を遂げていく半魚人に、呆然として一瞬反応が遅れた騎士だったが、答えがぶれることは決してない。


「ならば、貴方の剣を清めなさい?さすれば、剣好きの海神様が拾って下さるでしょう」


 半魚人が、ふいに振り返った。透き通る水が写しだしたのは両足でなく、ピンクの尾びれ。艶やかな銀髪はそのままに、シワまみれだった肌は潤いを取り戻し、自分でレディと言うだけはある魅力的な人魚の姿で。細められたグレーの瞳が鋭くなる。


「コツがいる、というのはそういうことか。それにしても、カミサマとやらは偉大だな」

「ふふ。だって、神様ですもの」


 余りにも速い展開に驚く暇もない、とばかりにありのままを受け止めた騎士は、ただただ剣の柄を強く握りしめる。

 人魚は神に会うための覚悟を、剣を持つ騎士に尋ねていたのだ。言ってしまったからには、後には引けない。それでなくとも、嘘ではなかった。騎士は剣を一気に鞘から引き抜くと、思い切り良く海へと投げ入れる。ちゃぽんっ、とやや重そうな音をあげて、ソレは引き込まれるままに底深くまで沈んでいった。


「さて、カミサマのお気に召すものであれば良いがな」


 水紋すら消え、その場を静寂が支配しかけた頃、騎士の言葉に呼応するが如く水中から小さな水泡が沸き立ち段々と大きくなる。そして、神々しい光が海面に覆い渡った次の瞬間、


「我こそ海神わたづみルミエール。ソチが真に欲するは、この勝利の剣か?」


 大きな水の塊が大きく跳ね上がって煌めくオーラの人型を作り、騎士の鼻すれすれにかの剣が振り下ろされた。


「違う。確かにエクスカリバーは魅力的だが、勝利は己の腕で手するものだ」


 けれど、騎士が微動だすることはない。見切っていたのだ。


「では、この何でも切れる剣か?」

「それも違う。斬鉄剣も魅力的だが俺は、自分で切りたいと思ったものが切れればそれでいい」

「では、この呪いの剣か」

「ティルヴィングなど不要だ」

「では、……応える剣か」

「答えは、ノーだ。それは、俺の剣ではない」


 海神が握る剣が、目まぐるしく入れ替わる。剣好き、というだけあって名だたる剣が顔を揃えているが、海神の剣を突きつけられても尚、騎士が首を縦に振ることはない。


「ほう。ソチが求めるは我が応える剣フラガラッハでもないと?」

「くどいっ!俺が欲しいのは、ただ一つ。王家の剣ジュワユーズのみ。」


 今現在、王命を遂行中であるというのに再度問われても騎士は、あくまで譲らなかった。本来であれば、供給器である海神の宝剣フラガラッハを求めるべきであったのに。


「成程。確かにソチの剣も、我のコレクションに加えたいほど素晴らしい。しかし、ソチ達の目的は供給器の回収ではないのか?」


 海神の手には、いつの間にか王家の紋が入る騎士の剣が握られていた。刃の表面に、ブレない碧眼が映り込む。


「カミサマには何もかも筒抜け、というわけか。仰せの通り、俺達の目的は貴女の剣だ。だが、望むのはやはり俺の剣ジュワユーズのみ。その剣こそ、俺を俺たらしめる」

「あくまで、欲するのは己の剣、というわけか。では、ソチ達はどうやって我が宝剣を手に入れるつもりか?まさか、タダで譲り渡せと?」

「その宝剣は、国が供給者に与えたもので、貴女のモノというわけではない。国が回収すると言うならば、速やかに差し出すのが道理だろう」


 辺りに轟くような、不機嫌な声が響き、騎士の顔面に突きつけられる剣が再び宝剣に変わっても、騎士がブレることは最後までなかった。そう、供給器は国の秘宝だ。王国の維持のために王宮から貸与されているだけであっていくら供給者が神であったとしても、秘宝の所有者となれるわけではない。


「一理ある。しかし、コレは国を支える砦となっているもの。この地を離れればまどうなるか分からないわけでもあるまい」

「心配には及ばない。神の力をもってしても、この異変を食い止める事は出来ないのだから貴女もしばしご休憩されよ」


 騎士の失礼ともいえる申し出に、待ってましたとばかりに侍女が魔力石の一つをピンク色の砂へと埋めた。その瞬間、一度大きく地が揺れ、魔力石が放つ紅き微光が円状に広がっていくとともにまずはピンク色が正常すないろに戻る。また、海水みずまでもが地から徐々に噴き出し、あるべき姿を取り戻そうしていた。


「くふっ、くふふふふ…良い、実に良い。ソチの真っ直ぐな心と自信、見事なものだ。我の力だけでなく、この南に蔓延はびこる異常まで解除されては確かに宝剣これは必要ない、持って行くが良い」


 神ですら対抗できずにいた異常を吹き飛ばしてしまう程の力を目の当たりにした海神は、本当に愉快そうに笑い声をあげた。そして、王家の剣と秘宝を騎士へと手渡す。


「それにしても、我が娘モラワティエと出会った時の動揺ぶりとは大違いであったな」

「なっ!その人魚ものは、貴女の娘なのかっ!?」

「初めて会った時に戻りましたね」

「えぇ」


 未だ笑うことをやめれずにいる海神から飛び出た言葉に、半魚人が人魚になった時でさえ冷静さを保っていた騎士は、またもや驚愕の表情で人魚に指を突きつける。神とやり合っていた時の、周囲に張り詰めていた緊張感が少し緩んだ。


「相変わらずレディに向かって、失礼な殿方ですこと」

「む、申し訳ない」

「この子は孤児でな。異変が進むに従って浜辺で生活していた者達は西へと向かったため、取り残された。今の状況では、陸で生活するのは厳しい。だから、水中で生活出来るようにしてみたのだ」


 生かすための発想は流石は神様、と言っても良いだろう。しかし、いくらアンジュ王国が自由の国といっても、人間を半神に変えてしまうのは如何なものだろうか。不可解極まりない状況ではあるが先程の侍女の呟きの通り、そうしなけれは生存出来ない者がいる。


  ーー 一刻の猶予も、ない。


「あの、海神様。折り入ってご相談がございます」


 一つ、決意を新たにしたような顔で侍女は、水に濡れるのも構わず両膝をついて申し出た。紅には、更なる憂いが滲んでいる。


「言わずとも、分かっておる。秘宝を集めまわる為に北へ向かうにしろ南に向かうにしろ、ソチ達は霊体の街ゴーストタウンへ行きたくない…ということだろう?」

「その通りでございます。それで、その、中央へ行かなくても良いルートをご存知ないでしょうか?」


 実際東から出てみても、国が出来た時に作られた地図の通り各方面と中央は一本道で繋がれ、中央には教会が建っているだった。けれど、異なったのは中央に具現化という手段を用いて独自の世界を織りなしている、未練を残した霊体達が干渉してきているということ。無論、具現化に被せられた精霊の幻視にさえ囚われなければ各地へ行くことは容易いのだが、一度囚われてしまうと生命体の独力だけでは中央から出ることは出来ない。囚われるか否かは断定出来ないとしても、出来る限り避けたい道であった。


「ソチ達の知っての通り、は一本しかない」

「陸路以外、ということは水路……でしょうか?」

「何故、そう思う?」

「貴女が水を司る神で、《供給者様だから》ですわ」


 試すような海神への侍女の声に、迷いは全くなかった。一か八かの賭けに違いはなかったが、強気で綺麗な笑みを浮かべている。


「そうか、供給者は何らかの魔力に特化していますね。海に住む神は水魔力を扱う、というわけですか」

「流石、王宮の者は知識人だな。見ただけで剣の名が分かる者がいるのも頷ける。そう、水路だ。但し、正確にはだがな。」

「…………」


 つまらない顔でぶっきらぼうに言葉が寄越され、結局三人は絶句した。三人は、ただの人間だ。水の中で息を止めていられる時間は、たかが知れている。ここは最南端であり、北へ行くにしろ西へ行くにしろその道を通って生きて辿り着ける可能性は、ゼロと言って良かった。


「残念ですが、また中央あそこへ行くしか無さそうですね」

「まぁ、霊体が茶々を入れてくるとも限らないですしね」

「いや、カミサマの協力があれば通れないこともないのだろう?」


 突きつけられた現実に、諦めかけた二人の言葉を、何かに気づいたような騎士は神を睨みつけて否定する。


「何の話だ?」

「貴女は、供給器に魔力を供給出来るほどの力を持つだ。当然、水に対する保護魔力プロテジェも扱えるはずだ」

「ほほぅ、その事まで知っているとは。ソチの言う通り、私は水の保護をかけてやれる。さすれば、ソチ達は地下水路を通ることが出来るだろう……しかし、私にソチ達の願いを聞き届けてやる義務はない」


 けれど、確信を持っていた騎士の声は表情を怪訝に歪ませた海神によってバッサリ切り捨てられた。海神の使命は海の秩序を維持することで、王命の遂行など関係ないとばかりに。


「なんか、神様なのにヒドイですね」

「当たり前だ。別に私は人の願いを叶えるために、神をやっているわけではないからな。寧ろ、尊きモノを尊ぼうとしない者達を、尊ぶ必要などない………まぁ、私が力を使うに見合うだけの取引条件でもあれば考えなくもないがな」


 やや東の、プヤ・ライモンディが植わる方へ目線を反らす海神の、怒っているとも悲しんでいるともとれる声は、とても捻くれていた。


「対価、というわけか」

「まぁ、道理かもしれませんね」


 そう。いくら突っ撥ねてみても、この王国に住まう神。凄まじさをみせる異常を、どうにかしたい気持ちは持っているのだ。そこへ、この南を救えるほどの魔力石を持ってきた者がいる。神でなければ喜んで協力したものを、神という立場だけに特定の人間に対しむやみやたらに力を使うわけにはいかない掟に苦しんでいたのだった。


「では、此方など如何でしょう?剣好きの神様に、相応しいかと存じますが」


 そんな海神の躊躇いを正確に読んだ侍女が取り出したのは、が刻印された短剣だった。


「こ、これはっ!神をも傷付けれるという剣ではないかっ!このようなものが本当に存在しようとは!?何故、ソチが持っておる?」

「少し前、東の供給者様がお戯れでお造りになられた魔剣レネットで、王宮に献上されたのでございます。この国に二つと無い一品ですわ」

「…………」


 どこか不思議なオーラに包まれた短剣を見せられ今までにない興奮する海神に、侍女は詐欺でも謀るかのような口調で、優しく目を細め微笑む。不審者扱いする視線は、当然とばかりに黙殺して。


「……良かろう。コレが存在しては、我も危うい。取引に応じてやろう」


 嬉しげな表情とは裏腹に海神は努めて忌々しげに告げ、徐に手を伸ばしては三人を胎内みずへと引き摺り込んだのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る