第肆章 午の刻

【地下水路】


  ーー  深く、深く、呑み込まれていく。


 いきなりのことでしかなかった。水の中は冷たく、静まりかえっている。ただ目を閉じ静止している者と、棒立ちのまま水中を眺める者は水に身体を委ねた。ただ忙しなく暴れている者だけが、上下逆さまになってしまっていた。

(息が、もうっ………あれ、苦しくない?)

 這い上がろうと必死にもがいていた者が耐えきれなくなり口を開く。けれど、海水が肺腑の奥に流れ込んでくることはなかった。確かに水中であるのに、何故か呼吸する事ができる。動転し、手で首元を撫でてみるも当然の如く魚類の呼吸器であるエラがついているわけでもない。混乱の最中、恐る恐る目を開くと潮が襲いかかってくるどころか、服さえどこも濡れていなかった。

 水はただ優しく、海藻を揺らめかせながら、それでいて急速に三人を海底へといざなう。


「一体、どういう…?」

「これが、保護魔力だ。魔力を扱う者が保護をかけると、その対象者は力に当てられなくなる」


 ショートしてしまった思考がどうにか絞り出した呟きに、海中の景色すら楽しんでいるような者の声がやけに大きく響いた。その回答に導かれるようにぎこちなく手を伸した先に、何か柔らかい膜のようなものが触れる。どうやら、これが水を遮っているようだ。


「あれ?でも、僕達は海神に取り込またんじゃ……?」


 理解の範疇を超えた出来事を必死に思い出そうとする。けれど、強く煌めいたオーラに視力を奪われ、気がつけば水の中だったのだから思い出せる事など無いに等しい。ただ、その直前に神は確かに言った。取引に応じる、と。


「確かに、些か乱暴だったな」

「まぁ、魔力の使い方は使う者によって異なりますから」

「ちょっ、言い過ぎなんじゃ……!」


 涼しい顔で吐かれる協力者の悪口とも取れる発言が、再び庭師の焦燥感を煽る。けれど自覚があるのか、はたまた聞こえていないのか……協力者から怒りの鉄槌が落ちてくることはなかった。つまり、こういうことだろうか。地下水路というくらいなのだから水路は海の底、だから手っ取り早く水に引き摺り込んだ、と。


「あの、今更なんですけど魔力の種類ってどのくらいあるんですか?」


 回転の足りない頭が、再度質問を織りなす。いや、きっとソレだけではない。本能的に、足りないものを埋めようとしているのだ。そう、庭師とて理解はしていた。本当怖いのは、知る者ではなく、知らない事だと。


「俺が知っているのは、魔力には物理魔力と精神魔力の二種類あり、それは媒介物で分けられるということくらいだ」

「媒介物、ですか?」

「それは、発動条件のことですわ。そもそも魔力は魔力核がないと扱えませんが、物理魔力なら魔力核があっても火や水など現物がないと使うことは出来ませんし、己の血や細胞を媒介とする精神魔力でも身体の状態に左右されることになります」

「因みに、魔力発動の際にその媒介物は、光る」

「へぇ、そうなんですね……って、え、光るんですかっ!?」


 二人の説明にふむふむと納得して落ちつきかけたのに、その平静は付け加えられた言葉によって瞬時に取り払われることになった。

 今の話からすると、跳ね上がって人型を作った海水は眩いほど光輝いていたのだから海神が水を用いた魔力で一行と対面する為に形作ったものと言ってよさそうだ。けれど、その光の中に取り込まれたというのに今、水中はとても薄暗かった。海面から随分沈んだことにより太陽の光が届いていないにもかかわらず、水が光っているということを認識出来ないのだ。つまり状況的には、海神が魔力を発動しているわけではないということになる。


「一杯食わされたな」

「えぇ。ですがまぁ、私も供給器の事は失念していましたから」

「あの、何がどうなって……」


 状況をきちんと理解している二人は冷静だ。けれど、それでは今までの話は一体何だったのだろう。何かの前振りにしては、話が魔力から供給器へと飛躍し過ぎている。再びフリーズしてしまった頭がぼんやりと思考するも、そこから解答が飛び出してくるはずも無く。庭師が開いた口から漏れた声は、とても弱々しいものになった。


「こちら、ですわ」

「っ、まぶしい……」


 種明かしのようにすっと、体の後ろから出されたものが、暗さに慣れた目を眩ませた。慣れれば問題ない強さの発光ではあったのだが、反射的に言葉が漏れた。数秒しないうちに、それは再びすっと隠される。


「……つまりそれが、この保護魔力とやらの発動源なんですね。だったらここまでまわりくどい説明でなくとも良かったんじゃ……」


 海中であるのに肺呼吸が可能、これは何かしら魔力が発動していなければなしえない事。魔力発動時は光る。そして、今光っているものは秘宝のみ。現状について、漸く理解した庭師だったが勿体つけて話されていた感が否めず顔をしかめる。すると「いきなりと言わえば余計に混乱を来すと思った」と、言い訳のように騎士は告げた。


  ーー  ただ、現実いまを直視する為に。


「それにしても、供給器これは、供給者及びその周辺を護る……ということを、海神様に渡された時に思い出していればあの剣レネットを渡さずに済んだのですけれど」

「じゃあ、あの取引は一体何だったんでしょう?」


 長くかれた息が、遺憾の意を醸し出す。その言葉に庭師はふと、気がついた。海神が魔力を使わないのなら、取引自体無かったものと言って良い。なのに、対価は取られてしまった。これは、詐欺。立派な犯罪だ。


「さしづめ、水路の情報と通行料と言ったところでしょうか」

「それにしては、見合っていない気がするがな。少ないだろう、どう考えても」

「……海神様にとっては、簡単に投げ出してしまえるものなどそれくらいの価値しかない、ということなのでしょう」


 尤もな考えに、力無い声が返される。対価の半分は、授業料かもしれないと。いくら珍しいものでも、差し出す方の大切度が低ければそれは無価値に等しいのだと。


「そう言えば、貴女には剣の心得があるのだろうか?」

「いえ?心得がある、というほどでもございませんわ。短剣アレは、自分の身は自分で守れとの陛下のご用達で、護身用として頂いていたのです」

「それで、神すら恐れる魔剣というわけか」


 もはやどれだけ討論しても、神の思考など分かるはずもない。半ば無理やり逸らされた話題に、どこかで聞いたような言葉が連ねられた頃、先程ばら撒いた海草だろうか、沢山の海に咲く花ウミヒルモが群生しているのが見えてきた。漸く海底まで辿り着いたようだ。


「皆様、ようこそ神秘の世界、深海へ。地下水路はこの私モラワティエ海亀このこがご案内致しますわ」

「よっ!海底案内人ボヌールだぜ〜宜しくだぜ〜」


 更に暗さを増した海底で一行を出迎えたのは、淡いピンクの尾びれを優雅に揺らめかせる美しい人魚と、無駄に声の大きい海亀。どこからか持ち込んだのか、それとも神からの施しなのかは分からないが両者とも首から電灯ライトをぶらさげて。

 言うまでもなく人魚と亀には不要なものだが、この暗さを秘宝の光だけに頼るのは心許ないため突っ込みが飛ぶ事もない。一行は海亀を先頭に、人魚が、三人を挟み込む形で地下水路を進み始めた。


「ところで、水路これはどこへ繋がっているのだ?」

「”始まりの泉”に繋がっております」

「各地のなー」


 この南には、西に行くのは最後にしたいという侍女の意見と、姿を見せなかった霊体の導きでやって来た。そのことを踏まえると次に向かうところは決めていなくとも、自ずと北ということにはなるが、なんといっても海の底。最低でも沈んだ分は上る必要がある。出口の見えないこの地下水路がきちんと地表に繋がっているかどうか正に神のみぞ知る状態だったので出てきた質問だったが、二者は素早く解答を告げる。それは、三名を安堵させ得えた。


「……あれ、でも、南に泉なんてありましたっけ?」

「砂に埋もれたままなんだぜー」

「今、南には水中で生活する者しか存在しておりませんから、掘り起こしていないのです。ぶっちゃけ、必要ないですしね」


 南は一面、砂世界だったと思い出された声音すら、海亀と人魚にすぐさま一刀両断される。


「では何故、泉の水は真水なのだ?」

「ここは神の領域なんだぜー」

「この水路をお創りになったのは水神様。海とは繋がっているようで、繋がってはいないのです」

「……ちょっと、意味が分からないです。というか、どうして”始まり”なんですか?」


 そして、更にそれがさも自然の理のように、告げられる。またもや前と後ろの鮮やかな連携プレーで疑問解決かと思いきやそんなことあるはずがなかった。矛盾している上に、聞いたことない神様の名まで登場しては無理もないが。


「まぁ、そこからお話しなくてはなりませんの?」

「まぁまぁ。それは俺っちが話してやるぜー」


 人魚は知っていて当然というように呆れ果てていたが、そんな人魚を宥めた海亀がリズムを刻むように話し始めた。


 昔々、この世界が誕生した頃

 神々と人々は共存していました。

 人々は神を慕い、

 神々もまた人々を見守っていたので

 平穏な毎日を送っていたのです。

 ところがある日、

 世界に混乱が生じてしまいます。

 神々のおかけでどうにか収まるも、

 神様の力を見た人々は

 神々を畏怖するようになります。

 今までのように

 人々と共存できないと悟った神々は

 世界から脱する決意を固めました。

 神々は元々律儀でしたので、

 己の力でダメにしてしまった

 土地、木、水源、火源、電源、気候を

 人々が過ごしやすいように整え

 世界から去って行ったのでした。


「それは、誕生伝説ですね」

「なんだよー、知ってたのかよー」


 話を聞き終わって、殆ど囁くようにポツリと漏れ出た声の持ち主を、海亀が右前のヒレでノリ良くベシベシ打ち付けた。テンションが高いのか、声は無駄に大きい。


「つまり、ここは水のカミサマが人々の為に整えた水脈ということか」

「そう、この国はまだ神のご加護を受けているんですわ」


 どこか悲しげに同意した人魚は、急に前にいた三人が気付くか否かという速さで海亀の元へ移動した。同時に、海亀も振り返る。


「ここから先は、皆様方だけで行ってくださいまし。エリア的にここは北で、後は真っ直ぐ登っていくだけですから迷うことはないかと存じますわ」

「ぁ、これは海神からのお土産、真実の箱メモワールだぜー。決して開けてはならないんだぜー」

「お気をつけて」

「あ、待てっ!」


 そして二者は早口にそう告げ人魚が持っていた100立方センチほどの大きさの箱をやや乱暴に庭師に押し付けては、騎士の制止から逃げるように今来た道を早々と帰って行った。


「……どうすれば良いのだ、これから」

「北は豪雪が酷いと報告がありましたが、まさかこれ程とは」

「神のご加護は?って感じですね。」


 図られた逃走を許してしまった三人は、目の前の状況に立ち尽くした。というのも、人魚と海亀が言った通りこの先に何か建造物らしいものが一応認識出来はしたが、透き通った氷が行く手を遮っていたからだ。水自体は多少なりとも通っているのだが、その隙間は到底人が通れるものではなかった。


「仕方ありません。もう一度頼るとしまょう」

「何か、案があるのか?」

「王宮の秘宝は、元々魔力で創造されたもの。そして、これは”応える剣”で、まだ貯蓄された魔力が微量ながら残っています。氷を砕くらい造作もないでしょう」


 侍女はそう一気に告げて、背負うようにして持っていた紅き微光を放つ秘宝を構えた。


「いや、待て待て。早まるな。その為にソレを使ってしまったら、保護魔力プロテジェが弱まってしまうだろう!氷を割った勢いに耐えられないんじゃないのか?」


 そんな侍女の前に、騎士が大慌てで立ちはだかる。ここの水は地表へ湧き出しているのだから、それぞれの泉に向かうがあるわけだが、人が通れる幅に開通するということは、氷によって殆どせき止められているその速度が一時的に上昇する可能性は高い。そんな状況を弱った魔力で乗り越えるのは、至難の技と言う他ないことくらい騎士にも分かったからだ。


「そうでしょうね。ですから、何があっても息を止めていて下さいね?秘宝が蓄えている魔力が空になってしまう前に行動しなければ結局同じことですから」


 けれど、騎士の説得も虚しく侍女は、行動の結末すら理解していていながら和やかに微笑んで剣を振り下ろした。貯蓄された魔力が全て無くなれば保護魔力もなくなる、との意を込めて。直後、ガシャンガシャンと氷が砕け散る音が響き渡り、紅き微光は湧いて出た凄まじい渦の中に呑み込まれていった。


※※※※※

【地下遺跡】


(やはり、荒っぽかったでしょうか)

 凍り付いた床は、最初に紅き瞳を開かせた。

 つまり、侍女の言葉通り秘宝はあの後、荒れ狂った水中から三人を陸上まで導いたというわけだが、暗いままの辺りはまだ、三人が地表出れたわけではないことを物語っていた。水と魔力が反発しあった力に当てられた為に身体を打ちつけたらしい男二人は、あっちにこっちにグッタリと突っ伏している。

(何か書いてありますね)

 侍女は幸い怪我などしておらず、ゆっくり立ち上がると観察がてら部屋を見てまわった。土を塗り固めて出来た壁や床に、何か文字のようなものが刻まれてあったが摩り切れたソレは侍女の知識をもってしても読解出来なかった。。

(そういえば、一体何なのでしょうねぇ…)

 ふと思い出したように、庭師が抱えている、人魚が押し付けていった箱を遠目に見て侍女の首が傾く。海亀は真実の箱と言っていたが、見た目は何の変哲もない、ただの白い箱だ。絶対開けるな、とも言っていたが開けたくとも開けれるような隙間などは全く見当たらなかった。


「ゲホッ、ゲホゲホッ…」


 侍女が閉じた空間の、唯一開かれている隣の部屋を確認しに行っている間に騎士が意識を取り戻した。

(あちこちが、痛むな)

 声を出そうとして、咳き込むはめになったのは水が邪魔をしたからではなく、やはり全身を何か固いものにぶつけたからに違いなかった。そっと、碧眼が開かれる。当然、水も保護魔力も消え失せていた。


「ここは……?」


 驚くほど生気のない掠れ声が出されたが、何とか音になったことに騎士は安堵した。まだ動きそうにない身体はそのままに、首だけを動かして見渡すも、四方のうち二方は凍りついた壁。残りの二方のうち一方は部屋を区切る壁に穴が開けられ遠目に庭師が倒れているだけ、もう一方は大きなダイヤルキーが嵌っている扉があるだけで、他に目ぼしいものは見当たらない。


「あぁ、お目覚めになられたのですね。ご気分はいかがですか?」

「……最悪、だな」


 庭師が倒れている部屋から戻ってきた、侍女の形式的とも取れるような言葉に騎士は嘲笑して短く答えた。ただ一つの方法しか取り得れなかったとしても、すぐに起きあがれる状況にないのは侍女の行動にあるのだから、もう少し気遣いなどみせても良いようなものだが侍女にそのような素振りはない。


「それは残念です。しかし、現状はもっと最悪ですわ」

「……どういうことだ」

「せっかく中央に行くことなく北に辿り着きましたのに、結局閉じ込められてしまったようなのです」


 けれど、そもそもそのようなことを求めること自体、おこがましいことだと思い直した騎士は、とにかく現状を把握しようと問いかけた。さすれば、そのような答え。扉についた鍵を睨みつけて話す侍女は珍しく顔をいきり立たせている。ロックを解除するには四桁の数字が必要となるが、この凍りつきようでは上手く施錠できたところでドアは開かなそうなので無理もない。


「隣の部屋には、何かなかったのか?」

「紙が一枚と、羽ペンが置いてあるだけですわ」


 騎士は冷え切った壁を支えに、どうにか立ち上がった。痛みに顔を歪めるも、どうにか動かし隣の部屋へと、ゆっくり歩を進める。辿り着いた隣の部屋は、侍女が示唆した通り残り三方ともが凍り付いた壁。取り敢えず、庭師の様子を窺う。意識を失ってはいるが、異常はなさそうだ。


「問題、①たつうまの間②とらの間③うしの間。上記①②③の動物が表すナンバー四桁を、解答法とともに書き記せ…ナンダコレハ」


 苛ついたままの声を頼りに目を向けた机の上に置かれてある紙には、所謂ナゾナゾが書かれてあった。騎士の眉間にシワが寄り、目元がピクピクと痙攣を起こす。


あれを解除できるかどうかは別としても、他に何もない以上この謎を解くしかないようです」

「……あれ、僕は?」


 侍女が迷惑そうに盛大に溜息をついた時、漸く庭師が目を覚ました。まだ覚醒しきれておらず、虚ろなで辺りを見渡している。


「大丈夫ですか?」

「え、えぇ。怪我ないみたいです。ところで、此処は一体……?」

「何かの遺跡、みたいですわ。」

「北に地下遺跡、情報にはなかったな」

「僕、見たことあるような気が……何をしているのですか?」


 いまいち力が入りにくいのかモゾモゾと立ち上がった庭師は、もう一度部屋をグルリと見回しボソボソと口にしたが、机に向かい試行錯誤している二人には届かない。仕方なく、庭師がフラフラと近づきそっと覗き込むと、ペラんっと騎士によって紙が目の前に晒された。


「謎を考えていた。此処は密室。唯一のドアについているダイヤルキーを解除するためには四桁の数字を導かなければならないようだ」

「これは……もし問われている動物がうしなら……」


 謎に目を通した庭師は、唐突に羽ペンを取るとサラサラと解法を書き始め四桁の数字を導き出した。まるで、考えた素振りなど全く見せずに。庭師が書き終えた瞬間、文字がピカーッと紙ごと光り出した。


「危ないっ!!魔力紙から手を離してくださいっ!」


 その現象に侍女の鋭い声が飛ぶと同時に、ものすごい勢いで庭師の手が払いのけられた。事を理解しきれていない庭師はただただ唖然として侍女を見る。床に落ちかけた紙はといえば、勝手に浮かび上がってはパタパタと折れ始め、蝶のような形を作り部屋をヒラヒラと出て行ってしまった。


「ぁ、申し訳ございません。万が一込められた魔力が悪質なものであったりしたら襲い掛かってくることもあるので」

「い、いえ、ありがとうございます」

「……ところで、ジャルディニエ様は記憶を取り戻されたのですか?」

「えっ?」


 気まずさを取り繕うように告げて侍女は、サッと目を逸らす。魔力発動に対する咄嗟の判断だったとはいえ少し過剰だった行動を誤魔化すように、言葉だけを重ねて。


「いえ、あの謎をかなりスムーズに解かれたように感じたので何か思い出したことでもあったのでは、と」

「ええっと、あの、思い出したわけではないのですが多分……」

「っ、地震かっ!?」

「あちらの部屋からです!」


 ある意味仕方ない、どこかぎこちなさの残る侍女の問いかけに答えようとした庭師の声は、ドーンっという何かぶっかったような音と、その後のすぐ発生した小刻みな振動にまたもや遮られることになった。揺れ自体は数秒で収まるも、ギィーと古ぼけた扉が開く音が響くとともに今度は隣の部屋から冷えた風が舞い込んでくる。明らかな急変に、三人は氷の床を半ば滑るようにして隣の部屋へ急いだ。


「な、んなんだ、コレは」

「そんなっ。どこから、雪が……」


 隣の部屋は、最初の音がしてからまだ一分も経っていないのに、凍り付いていた一面が雪で覆われていた。その部屋にだけでなく、ダイアルキーの外れたいつのまにか開かれている扉の、その向こうにもにもかかわらず。

 ヒューーっと、再びどこからか風が吹き込む。


「この封印を解いたのは、お前達か」

「……水の次は雪ですか」


 デジャヴ、だった。

 海水の時と同じく勝手にズンズンと集まり始め、最終的に大きな一つの人型の塊を形成した雪が、言葉を紡いだのだから。庭師がボソッと吐き出した声などかき消される程の大声が、凍りついた壁に反響する。


「雪女?」

「いかにも。ワタシはこの没した神殿エスティルパメントを護るもの、ネージュ。お前達、一体何処から入り込んだのだっ!」


 怪訝な顔をしつつも、その姿形から当たりをつけたらしい騎士の言葉に自称雪女は忌々しげに頷く。相当ご立腹のようだ。声を出す度に風雪が舞う。


「……それは、此方もお尋ねしたいですわ。何故、などが没した神殿こんなところをお護りしているのですか?」


 けれど、怯まない侍女は質問に質問を返した。まぁ、王命の件だけでなく、などと、仮にどうにか説明しても受け入れられない事実であるので仕方なくであるが。


「ふむ。わたしに秘めごとがあるようにお前達にも言えない事がある、ということか。ところで貴様、何故、わたしが式神だと分かった?」


 説得ともいえない取り繕いは、一応功を奏したようで雪女は少し落ち着いたが、侍女を睨む氷目の鋭さは全く緩まない。


「流石に雪は言葉を話せません。となると、誰かが操っていることになるけれど、貴女は光っていない」

「成程、魔力でないなら術で操られている……所謂、式神という消去法か。その瞬時の判断、見事なものだ」

「恐れ入ります。ところで、私達はある事情で此方に迷い込んだだけ。別にここに危害を加えるつもりも一切なければ、寧ろ一刻も早く地表へ出たいのです。それでその道を導いて下さると、大変助かるのですけれど?」


 相変わらず、侍女の知識は相手を感服させた。とはいえ、雪女に手強さなどまるでなかったのだが。一つ答えたのだから、次は貴女の番だとばかりに今度は侍女が雪女を畳み掛けた。


「先にも言ったが、ここは没した神殿。本来なら入る事も許されておらぬ場所。故に、出口などない」

「………………嘘は感心しませんわ」


 雪女は毅然とした態度でハッキリ言い切ったというのに、侍女はその間をたっぷりとって、にこかに微笑んで完全に否定した。その声は求めている出口の場所すら、分かっているかのように確信めいている。


「どういうことだ?」

「ここは、扉が一つあるだけの、窓すらない地下。出入り口がないのなら、貴女は何処から入り込んだのですか?」

「ぅぐぐ…」


 雪女は悔しそうに声とも息とも取れる音を吐き出しては、答える事なく自ら己を消滅させた。分解された雪があちらこちらに降り積もる。最後に、何か紙のようなモノをヒラヒラ舞い落として。


「……なんでしょう、これは。」

「”1+1=あ”のとき、次の式”2+1=○,10+5=○,5+5=○,5+1=○,2+1=○”が表す5文字を解法と共に書き記せ……また謎、というわけか」


 雪女と侍女のやり取りに圧倒されていた男二人だったが、雪女の重圧が消えると弾かれたように動き出した。床に落ちた紙には、騎士が読み上げた通りの意味のない文字が羅列している。


「脱出ルートを聞き出せなかったのは残念ですが、仕方がありません。此処に留まっていても凍死するだけですし、次に参りましょうか」

「そうだな。コレが解ければまた何か起こるかもしれん」

「えぇ。それに、この答えが必要なものはココには無さそうですしね」


 それぞれの一見解を、見事にマッチさせた三人は開錠された扉から雪の残る部屋を抜け出たのだった。


「それにしても、何故、供給器はココに導いたのだろう?」

「分かりませんが、想定外ではありました。水路と繋がってるという泉へ出られると予想していたのですが」


 部屋を出た先には、やはり凍り付いた階段が続いていた。それ以外に行ける道はないし、どうせ上へと向かわなければならない一行はひたすら登っていく。左右を囲む壁にもやはり何か文字のようなものが刻まれていたが、劣化が酷く読めるものではなくなっていた。


「南同様、また埋まってたりして」

「この凍結ですから、あり得ますね」


 階段を登りきった先は、階下と同じ間取りの部屋になっていた。違うところといえば、扉に今度は南京錠が施されていることと、机の上に缶が一つ置かれてあることくらいで、他に飾り気はない。


「で、どう解く?」

「恐らく何らかの規則があって、それに当てはめると解けるような気はするのですが……」

「規則、ですか」

「1+1=あ、ならば答えとして導くのは平仮名なのだろうな」

「平仮名……、ぁ」


 侍女と騎士の言葉でヒラメいたように、庭師は徐に紙に平仮名表を書き始めた。そして、縦と横にそれぞれ一から順に数を振っていく。


「これでどうでしょう」

「うむ、案外イケるかもしれない」


 そこから三人は、素早かった。数式の示す通りに数字が交わるところの平仮名を拾い、解答そのものを導いたのだ。すると、紙はやはり魔力紙だったようでピカッと光ったかと思えば、カランカランと音を立てて親指大くらいの鍵が出現した。侍女が手早く、開錠する。

 これ以上、時間を取られては堪らないとばかりに三人は何かが起こる前に扉の向こう側へ身を滑らせた。


「また、か」

「でもなんか、変な感じが……?」


 同じ構造の凍りついた階段を、転ばないように注意しつつ出来る限り急いで登ってきた先は、机上に紙とドア一つというやはり階下とそう変わり映えしない部屋だった。しかし、そこには猛烈な違和感があった。閉じたドアの真横に、電子パネルがついていたからだ。


「この部屋だけ随分ハイテクですね……もしかしたら西に来ているのかもしれません」

「此処がどこなのかは外に出てみれば分かるだろう。今は、先を急ごう」

「 ←←→→←→

V M M N D Jが表す6文字を導け……これなら簡単に解けそうですね」


 取り敢えず三人は不安漂うその違和感を、無理やり頭の片隅へと追いやった。議論する為の情報もなければ、その時間も惜しかったからだ。ただ流れ作業のように、今度も庭師がアルファベットを順番に書き並べては、電子パネルに解答を打ち込む。電動ドアはすぐさまシャーと機械的な音を立てて横へ開いた。長い長い階段を駆け上がる。


「やはり変だな」

「えぇ。凍りついていて分かりづらいですけれど、建築物としてはこの階だけとても新しい……まるで、後で付け加えられたかのようです」

「……さすが、ですわね」

「ぅ、眩しい……」

「供給器を所持する者よ、ようこそ北へ。どうぞ、お上りになって下さい」


 押し込めたハズの違和感が、じわじわと頭をもたげてきて耐えれず発された言葉に、パッと、人工的な光で明るくなった上から鈴を転がすような声音がポツリと宙に浮いた。逆光がその姿をぼやかすが、確かに人が覗き込むようにして佇んでいた。


巫女アムールよ、しばし待たれよ。この神聖なる神殿を、土足で穢した者達を招き入れるのですか!」


 流れ込んでくる暖かい空気を求めるかのように促されるまま、三人が階段を上ろうとしたその時、ヒューっと冷風に乗って雪が舞い散り、立ちはだかるように再び雪女が姿を現わした。相変わらず荒々しい声が反響する。


「何も問題ないわ。だって、この方々はのだから。さあ雪女ネージュ、そこをお退きなさい?」


 白衣と朱袴を纏い、可愛らしく首を傾げて告げられたその声音は、有無を言わせない凄みを含んでいる。強気な焦げ茶に睨まれた雪女はなす術なしと、渋々引き下がった。

 漸く、地表だ。


※※※※※


「貴女が招いた、というのはどういうことでしょうか?」


 三人が上がり込んだ先は、こちらもまだ新しさの目立つ拝殿だった。間違いなく、目的地である最北端の社。皆が皆、木の床に落ち着くと、侍女は訝しげに問いかける。


「先程の言葉には少し語弊があるわ。あなた方を、というより私は供給器を追いかけていたのです……コレで」


 その疑問に、巫女は自分の後ろの祭壇の上に置いてあった平たい丸いモノを取り、皆に見せて答えた。あまりに古ぼけ、曇ったガラスは覗き込んだ者の輪郭すら歪ますが、一応何かしら写るところをみると鏡だといえるだろう。


「なるほど、供給器は供給器と共鳴し合う」

「えぇ、同じ場所に二つあるはずの無い供給器がこの八咫鏡ヤタカガミに写ったから驚いて動向を追っていたの。流石にあんなところから出てくるとは思わなかったけどね」


 巫女は本当に可笑しそうに、それでも上品に笑って、ほら、っと光る剣フラガラッハを写し出した鏡を皆へ向ける。三人が覗き込んだ時とは違い、鏡は剣の形から美しい装飾までを鮮明に捉えていた。


「では、あの式神は貴女が?」

「そうよ。この豪雪になってから、訪れる人間なんてそういないけれど、前はあの神殿を調査しに人が来ていたから案内兼監視として。因みに、地表の案内は八咫烏このこに任せているわ」


 小さく頷いて巫女は、ピィーと指笛を吹いた。それを合図にやってきたのは三本足の真っ黒い烏。慣れたように、巫女が差し出した右腕に行儀よく止まり、カァーと鳴いた。


「では、ソナタは供給者ではないのだな?」

「ええ、違うわ。私は魔力を扱えない。紹介するわ。供給者、神主パストゥールよ」


 巫女はきっぱりと否定するとその言葉を待っていましたとばかりに、スッと立ち上がって左側にあった障子をさっと開けた。中には白衣と青袴にシャッポを被り、目を包帯で覆った神主がべられた木と向かいあって何やら唱えている。


「それで、その、監視、と言われましたけれど…あの神殿は一体何なのでしょう?」

「それは、口で説明するよりもコレを読んで貰った方が早いでしょう」


 触れて良いものか否か、というような困惑の表情をしつつも、続けざまに口にした侍女の疑問に、モゴモゴと答えを示したのは巫女ではなく神主の方だった。その懐から、一つの巻物を取り出し紐解きながら火の前から移動しては、布を床へとコロコロと転がせていく。中身はどうやら手記のようだ。


それぞれを司る神と人々が共存するこの都市クレアシオンは、つまるところ神の手によって滅ぼされてしまった。いや、神が意図して迎えた結末では決してない。神と人、それぞれが欲を出し過ぎた為に混沌カオスと化したのだ。

故にこの話を知るものは、他にもういない。再度同じ事が起きぬよう詳細をココに記しておこう。



ある時、太陽神ソレイユが陣で魔力を閉じ込めた杯を一つ作って人々にこう言った。

『この杯が求めるモノを満たしたならば、汝の願いは何でも叶うだろう』と。


それを聞いた人々は嬉々としていろんなモノを杯へと差し出した。けれど、何をもってしても杯が気に入ることはない。万策尽きて大勢の人が諦めた頃、一人の少年が名乗りをあげた。


少年が杯に差し出したのは、その身体から滴る紅。躊躇うことなく注ぎ続け、最後の一滴が流れ落ちるとずっと沈黙を貫いていた杯が唐突に言葉を発した。『汝の願い、叶え給わん』と。

勿論、少年の口が開かれること決してはなかった。


願いを叶えるための代償を知った人々は太陽神を人殺しだと口々に非難する。嫌われ者となり果てた太陽神は、絶望のあまりその姿を何処かへ隠してしまった。


当然世界は闇に包まれることになった。

否、それだけではない。一つが欠けてしまったことは、それぞれのバランスをも崩してしまったのだ。


まず、夜空に煌々と輝いていた月神サテリットが姿を消した。

昼夜通して見えない不便さを解消する為、人々があちこちで火を焚き始めると、火神フラムが暴走し始めてしまった。


それからは鼠算式だった。

その火を消そうと水神オーが尽力するも、その勢いはあまりに強く遂に疲弊。

そのせいで大気中の水分が減り風神ヴァントだけではコントロール出来なくなるほどの空気乾燥を引き起こし、火神の力は強くなる一方。

更に、電子が誘発され雷神トネールまで此処ぞとばかりに暴れ出す始末…

それらの力に当てられた土はダメージが強く、土神ソルが何とか修復を試みるも全く追いつかない。

土質が悪化すると、当然の様に草木は枯れた。木神アルブルも必死に支えていたけれどダメだった。


混沌カオスが、この都市を支配していった。


あまりにも無残な現状に、人々は太陽神が残した鏡を手掛かりに必死に捜索を続けた。なんとか、岩洞の中にいた太陽神を見つけた人々は土下座をして許しを乞い、出てくる様に懇願した。


探しに来てくれた事で人々を許し、久々に外を照らした太陽神はそれはもうたいそう驚いた。いつの間にか世界は荒れ狂い、火神と雷神の一騎打ちとなっていたからだ。太陽神は慌てて、己の一部で光輝く剣を創造した。世界に平和をもたらすべく。


神が創ったその剣は、無論、神の思うがままだった。実際に行わなくとも神が思うだけで一人でに鞘から抜ける、投げるだけで剣自らが定められた的を貫いては神の手に戻る。出現や消失だけでなく、伸縮すら自由自在だ。


太陽神の剣で、火神と雷神は正気を取り戻した。けれど、都市は既に灰と化している。

神々は猛省したが、人びとは困惑を極めた。神々のいない世界を望むほどまでに。


その時、突然、聖杯が輝きだした。その中から同じく光り輝く紅き玉石が浮かび上がり、パキパキとヒビが細かく刻まれては世界の至る所へ飛び散ってしまう。すると、不思議なことに土地が、木々が、気候が、水脈が…世界が再生し始めたのだ。


その様子を見た太陽神は悟った。少年の願いは”平和そのもの”だったということを。

神々は世界の再生を、その力もって加護し、そして自らを封印することにしたようだ。


漸く、世界に平和が訪れた。

神は姿を現わすことさえなくなったが、それでも時には空気乾燥や嵐などちょくちょく悪戯を繰り返す。たまには、巨大地震なんかも。欲に傾く人々を戒める様に。

ある時、その揺れが大きな津波をも引き起こし、この都市は海の藻屑と成り果てたのだが、それでも人々は逞しく生き、この世界の平和を楽しめているようだ』



「これは、どこかで聞いたような話だな」

「……誕生伝説、ですわ」


 思い出そうとしてか頭を押さえる騎士の言葉にに続けて、読み終えた侍女の口から幾分か前と同じ言葉が飛び出した。何故かその顔は、どこか蒼白めいていて、その身体も微かに震わせている。


「つまり、あの神殿はアンジュ王国いまのこのくにが出来る前にあった国、ということか……伝説などではなく」

「そーいう事になるね…おや、そちらのお嬢さんは顔色が悪いようだけど大丈夫なのかな?」


 神主は、ゆるりと顔を動かし見えていないはずの目で侍女の様子を正確に捉えた。


「……」

「ふむ。その反応では、についてご存知のようだ」


 侍女は硬く口を閉ざして何も答えなかったが、強張らせた顔で見返した反射的な行動は神主の言葉が全面的に正しいことを示していた。神主は、何も言わなくて良いとばかりに首を緩慢に横に振る。


「……呪い、だと?一体何の話だ」

「勿論、”神に殺された少年”の呪いがこの国にかけられている、という話ですよ」


 中身の見えない状況と、突拍子もない言葉にシビレを切らしたように突っかかった騎士を、まるで宥めるかのように神主は淡々と告げる。


「願いの対価として少年が聖杯に注ぎ続けたもの、それは己の血液です。聖杯はその血液を凝縮し、石にして散りばめることで世界を再生へと導いた」

「それは、書かれてある通り少年の願いが世界平和だったからだろう」

「無論、そう考える方が穏やかだ。しかし、何故、少年は聖杯がその命を欲していると分かったのか。そして何故、少年の願いが聖杯に伝わったのか……不思議だと思わないかい?」


 なにやら、随分キナ臭い話になってきた。思わせぶりに話す神主に、今にも飛びかかりそうになるのを騎士は必死に自制し、広げられたままの布をもう一度読む。


「光り、輝く……これは、魔力か!」


 そして、気ついてしまった。巻物の聖杯の記述が、満たされた後の様子は描かれていないのに、神々の暴走が落ち着いた後に唐突に出現していることに。


「ご名答。少年は、強い力を持っていた。それこそ神が施した陣を読み解ける程の。だからこそ、己の願いを託した血液を聖杯に満たすことにした。こう考えると、少年の願いが世界平和だとするのは如何なものだろう?」

「まさか、貴殿は少年は神々の暴走から世界の再生まで全てを計画していたというのか!?」

「ノンノン。勿論、推測の域は出ないさ。もしかしたら、そんな単純なことではないかもしれないしね。それにしても、この世界を支えている供給器……そっくりだと思わないかい?」


 侍女と同様、頓狂な声をあげる騎士に神主は尚、冷静に問いかける。隠された瞳を、一面銀世界となり果てた窓の外へと向けて。


「聖杯と聖剣と鏡は、太陽神のもの……そして、こんな一節があるわ。岩洞から出てきた太陽神が驚いたのは、世界の現状よりも鏡に月神が写ったからだと」


 巫女が、猫でも撫でる要領で手に持っていた八咫鏡に優しく触れて続ける。カァーッと、妬いたように烏が哭いた。


「あらあら、八咫烏プリュムったら。でも、そうよね。願いを叶える立場の太陽神が、願いの内容を知らないはずないわよね」


 まるで、気持ちを汲んだかのように巫女は朗らかに笑って先と変わらぬ手つきで烏も撫でる。無邪気な笑顔で、恐ろしいことを口にしながら。


「……そういえば、東の供給器については教えてもらえてませんね。東へ集めるのですから、必要ないとはいえ」

「王家の秘宝というのだから王宮にあるのだろうが、確かに俺も見たことがない」


 そこでふと、思い出したように出された声が、騎士と庭師、両名の視線を侍女へと向けた。呪いなど、バカバカしいものであることに変わりはないのだがもはや伝説は伝説で無くなってきていたからだ。


「東の供給器は……生玉ヴィヴェール、ですわ。美しい紅き石」

「エクセレント!どれだけ時代を経ても、また、一つの王国が滅んでも尚、その姿すら変えずに伝わってきたモノ……それが、今の国の秘宝というわけだ。ほら、怨念のようなものだろう?」


 侍女は急かすような視線に耐えきれず、殆ど泣きそうになりながらうわ言のように告げる。その答えに、神主はどこか感無量な面持ちで柔和に笑った。


  ーー 歴史は繰り返される、と。


「待ってくれ。この地は神の加護を受けているんだろう?今の話だと、呪いの元凶は少年ではなく神といえるではないか!」

「あぁ、そうとも言えるね。どっちにしろ神が加護したのは、少年の思いの丈。そして、現在国を支えているのは今にまで伝わっている神の秘宝。呪いというより祟りといえるかな?」

「そんな。そんなものが……本当に?」

「さぁねぇ。けれど、破壊と再生は紙一重だろう?それに、今のこのパーフェクトストリーム、どことなくコレと同じ臭いを感じないかい?…………ところで、そこの坊ちゃんは如何したかな?」


 現実味の帯びてきた伝説に、騎士は焦りを隠せなかった。否、騎士だけではない。侍女ほどではないにしろ、片手で頭を抱えた庭師の顔は蒼白気味で、じんわり汗も滲んでいる。いつの間にか窓の外から動いていた見えてないハズの視線は、またもや的確に捉えていた。何とも気味が悪い。


「えぇ、なんか、ちょっと頭がボーッとして……それにしても、見てきたように話すんですね」

「ハハハ、これでも困っているんです。この目は、目の前にないものでも捉えてしまうもので」


 庭師の定まらない辛辣な視線を受けて、神主がスルスルと己の目を覆う包帯をほどき、ゆっくりと瞼をあげれば透き通った琥珀の瞳が露わになった。端正な顔立ちは、地蔵も驚くほど無表情を保っている。


「どういうことだ?その様子ならば……」

「おや、やはりお分かりになりますか。先の言葉を正確に言うと、私は視力で見えないモノを捉えられるのですよ」


 盲目な瞳は、物体を写し出すことがない。けれど、その目とその表情、また気持ちこころさえ見透かしていると言わんばかりの口ぶりに、侍女や庭師は元より騎士さえも閉口してしまった。もはや、ただの伝説とするには重く、似通り過ぎていた。


「……さて、長話となってしまったが、そろそろあなた方の話を聞くとしようか」

「まぁ、今朝方にお触れがありましたので、目的は存じておりますが」


 アッサリと。

 ただただアッサリと、二の句が告げないでいる一行の澱んだ空気を断ち切るが如く神主は話を打ち切って、話題を違う方向へ移行させた。無論、三人にしてみれば気持ちは全くついていっていないだけなのだが、神主、そして巫女の声は過ぎた話題を彷彿させまいとする意思を秘めている。文字通り、オシマイ。白い箱についても話す気はなさそうだ。


「……ならば、話は早い。俺たちは、秘宝を持ち帰るように言われている。渡して頂けるだろうか?」


 切り替えの早いところが、騎士の良いところかもしれない。いや、しゅに交わったというだけかもしれないが、本来の目的は王命の遂行。わざわざ相手がその話題を選んでいるのだから、乗らない手はなくほぼ投げやり気味に音を紡ぐ。


「どうぞ?」

「……ありがとう、ございます」


 アッサリ。

 はたまた、拍子抜けするほどアッサリと、巫女は手に持った鏡を差し出した。男二人の躊躇いに気付いた侍女は、まだ生気の戻らない顔のままどうにか秘宝を受け取る。


「そういえば、あなた方はどうして地下の道を選んだんだい?」

「別に、霊体と折り合いが悪かったので」

「なーるほど。確かに幻視は厄介だから、霊体の町ゴーストタウンには足を踏み入れたくないよね」


 しばし箱を見つめていた、明らかに不服な顔をしている庭師がぶっきら棒に答えるけれど、華麗にスルーした神主は手から手へ移動する秘宝を、結局のところ見えてない目で、それでも遅れることなく追いかけながら感慨深い面持ちで頷いた。


「あらいけない、皆様方は国の端から端まで縦断されたのだから疲れていらっしゃるわね。すぐ布団を用意するわ」

「それはいい。外はこの吹雪だし、どの方もご気分が優れないようだ。しばし休まれていけば良いだろう。巫女アムールよ、客人がお帰りな際は八咫烏そのこを貸してあげなさい」

「烏は霊体を寄せ付けないものね」


 始終、神主と巫女のペースだった。言うだけ言って神主は、パタンも閉めた障子の向こう側へとそそくさと姿を消し、巫女は慌ただしく布団を敷き始める。


「ちょっと、風に当たってきますね」


 それを横目に緩慢な動きで立ち上がった侍女は、魔力石の入った袋を持って拝殿の外へ出て行ったのだった。

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