第伍章 卯の刻

【地下神殿】


 巫女も拝殿から降りた後、思い立ったように侍女の後を追った騎士を見送り、一人になった庭師は階下へやって来ていた。

(ここは、落ちつく)

 神主の思わせぶりなあの視線によってショートに陥り熱帯びた回路を、冷気が急速に修繕していく。けれど、ソレは同じ様に熱帯びた庭師の身体を冷ます効果は齎してくれはしなかった。寧ろ、痛みすら感じる程に庭師の胸を締め付けている。

(それにしても何故、こんなにも懐かしく感じるのだろう?)

 人工的な機械扉の向こう側は、相変わらず凍りついた空間。壁も階段も、激しく劣化していれば現代の建造物ではない。故に見覚えがないのは、記憶喪失が理由であるはずないのだが。

(それに、この箱と同じって……あれ?)

 どくん、っと一際大きく庭師の鼓動が波打った。

 開け口もなければ模様一つない、ただの白い箱。人魚に押し付けられて以来、何故か、ずっと傍らに存在し続けている。だから気付けたのかもしれない。神主がコレのことを口にしたあの時より二回りほど、小さくなっていることに。


「随分と気になっているようだね」

「え、なんで……?」


 自分達が開け放って来た扉を三枚くぐり、最下層までやって来たところで上の方から見計らったように声が響いてきた。慌てて身構え見渡すも、特に可笑しいところは何処もない。


「あぁ、パストゥールだ。驚かせてすまないね。風……というか、空気を媒介にして声を届かせているんだよ」

「あ、本当だ、光ってる。魔力って、そういう使い方も出来るんですね」

「魔力は、使い方次第で何でも出来るし何も出来ない。だから、気をつけなければならないけどね」


 言われて、もう一度見渡してみると確かに微か薄緑色が氷に反射して分かりづらく光っていた。素直に感心の意を漏らした庭師に、声は少し得意げに語る。


「それって、コレの事ですか?」

「いかにも。カミサマは、常に正しい方向に導く。けれど、それは皆にとって正しいとは限らない」

「開けるとこなんて無いんですけど、絶対開けるなって言われました……あれ、僕カミサマに貰ったって言いましたっけ?」


 先程は頑なに語ろうとしなかったのに、神主はイヤに饒舌だ。知りたい情報で口車に乗せられたはしたが、ハテと庭師に疑心が湧く。知り過ぎではなかろうか、と。


巫女あのこの手前言わなかっただけでね、それも写っていたのだよ八咫鏡には。あれは魔力を捉える鏡だからね」

「では、これには魔力が込められているということですか?」


 神主の言葉に驚いた庭師は、何の変哲も無い箱をマジマジと見つめた。しかし、やはり何も変わるところなどなく、勿論光ってもいなければ、何かのパワーを感じることもない。


「いかにも。それが君から離れない良き証拠。カミサマは、余程君に伝えたい事があるようだ」

「なら僕は、一体どうすれば良いんですか?」

「も……なさい。そうすれば……おや、……妨害…………」


 疑問に対する答えはノイズに呑まれ、肝心な部分が飛んでしまった。庭師が気付いた時にはもう薄緑が、徐々に紅き微光へ変化を遂げている。どうやら、埋められた魔力石の方が神主の魔力よりも強大のようだ。


真実の箱メモワールか…………っ!?」


 しかめ面とも泣きっ面ともいえる表情でゆっくり息を吐き出し、溶け始めた氷で水浸しになる前に退散しようと部屋を出た庭師には、目の前の再生した壁にただただ息を飲むことしか出来なかった。


※※※※※

【境内】


 雪は、一面を占領していた。その、とても深い白を、侍女は一心不乱に掘り進める。ただ、魔力石を埋めるためだけに。


「…………」


 そんな様子を、拝殿から出てきた騎士は黙って見つめていた。侍女の指先が赤くなろうと、社の柱を背に、腕を組んだまま。手伝うという選択など頭にないのか、じっとして動かない。世界を、白い静寂が支配する。まるで、その部分だけを切り取ってしまったかのように。


「また、、だな」

「……これは、王家の血を引く者によって生成されましたから」


 数分経って、唐突に雲が晴れた。無事に埋められた魔力石が、紅き微光を放ち雪中に染み渡ったからに違いない。そう大きく無かったが聞かせる意思を持って発された声には、思いの外すんなり答えが寄せられた。そもそも、神主が話していた時、あれだけ怯んでしまったのだから隠し通せるとは流石に思っていなかったのだろう。淡々と告げる声に、感情が介在する余地はない。


「秘宝も、なのだろうか?聖剣フラガラッハは海神の魔力を蓄えていたはずなのに紅く光っていたが」

「いつ生成されたものかは存じ上げませんが、秘宝それらは王宮より貸し出したもの。王族の魔力が蓄えられていても不思議ではないかと」

「伝説が国の秘宝と一致するのは事実、ということか」


 何故なら、肯定せざるを得ないからだ。各々の頭からすっかり抜け落ちていただけで、一行が出発する前、少女はそれぞれの詳細を確かに語っていたのだから。


「ところで……何を、している?」


 魔力石が、非常に強い力を秘めていることは南での急速な異変解除で既に証明されているが、雪が溶ける変化は目に表れにくい。それでも、朝には出発出来るだろうと話しながら算段をつけていた騎士だったが、まだ深い雪に座り込んだままでいる侍女に首を傾げた。


「見に来て頂けましたなら、お分かりになるかと」

「……、っ、眩しいっ」


 回りくどい言葉に好奇心を駆り立てられ、促されるままに侍女の元へやって来た騎士は、思わず両腕で顔を覆う羽目になった。目を開けていられないほど強い光を、直視してしまったのだ。夜空に煌々と輝いている月とは、比べものにならないほどの熱を放つ光。


巫女アムール様が、鏡を見た太陽神が驚いたのは鏡に月神が写ったからとおっしゃっていたので、まさかと思って鏡に月を写してみたのです」

「そしたらこのザマ、とわけか……俺達は、本当に王命を遂行していいのだろうか」


 またもや伝説が現実味を帯びて、初めて騎士が躊躇いをみせた。このままだと西にある聖杯を手に入れたら最期、誰かの命と引き換えにこのパーフェクトスクリームに終焉をもたらすという結末になりかねないことに気付いてしまったからだ。


「……どのような結末を迎えようともう、引き返せはしません。この王命には、既に強制力が備わっている。放棄した時点で、国家反逆罪に問われますわ。そしてそれは、世界救済不可とイコールなのですから」

「国家反逆罪、か……そういえば、貴女は王妃様について何か知っていることはないだろうか?中央で、王妃様を殺害したかもしれないという男と話をしたのだが」


 静かに告げられた否定は、刃となって勅使としての退路を阻む。前進するしかないのであれば、と騎士は中央で仕入れた話を繋げた。途端、侍女の顔が青ざめる。


王妃ルレーヴ様は……確かに、お亡くなりになられたと聞いています。けれど、どういうことですか?”かもしれない”というのは」

「その男は自分は、記憶がないから分からないと言っていた。ただそういう名目で、幽閉されていると」


 動揺をみせながらも、言葉を正しく理解した侍女に騎士は内心舌を巻いた。というのも、事は王族殺しという重罪にもかかわらずその一点だけに縛られず冷静な判断を下すなど、己が常に見てきた王太子でも出来た試しがあまりなかったからだ。


「記憶がない、ですか……エスポワール様はそうお聞きしてどう思われたのですか?」

「たとえ記憶喪失が本当だとしても、国家反逆罪の嫌疑がかかっていて死刑とならないことに違和感がある」

「同感です。一人で立ち向かってかいくぐれるほど、王族の警備は甘くはありません。その男は現行犯逮捕となったでしょうから、実行犯とみてまず間違いないでしょう」

「やはり、幽閉という刑は軽過ぎるということか……何か、あるのだろうか?」


 すーっと、月が雲に隠れ闇が深くなり、古ぼけた鏡に言い切った割に憂慮した顔が薄っすら写る。侍女はゆっくりと息を吐き出して、立ち上がった。


「一つだけ、考えられうることはあります。その男が何者かに操られていたために記憶を失ってしまった、という可能性です」

「成程。黒幕を特定するために、わざと生かしているということか。しかし、魔力で操られた為に失くした記憶は取り戻せるのか?」

「魔力の強さにも因りますが、容易ではありませんね。天使の能力でも拝借出来ればその内容くらいは確認出来るのですが、協力を得られるとも思えませんし」

「……何故、天使なのだ?」


 答えは、騎士も薄々分かっていて問うた。しかし、”天使”というのは思いもよらぬ単語に違いなくきょとんとした騎士を、侍女は真っ直ぐ見返して中央で得た天使の能力じょうほうを告げる。


「それは、つまり、その能力てんしが記憶を消した可能性もある、ということだろうか」

「ご理解が早くて助かります。ただ、そうであれば厄介ですが。それにしても霊体というのは、本当に余計なことしかしませんね……私は王宮へ報告書を送ります。ここは冷えますし、エスポワール様はどうぞお休みになって下さい」


 話は騎士が求めた答えとはやや違う方へ向き、その上やや無理やり切られた感が否めなかったが優しく微笑んで深々と腰を折った侍女に、会話を続ける意思などもうない。空の遠くに、梟の飛ぶ姿を捉えて騎士は仕方なく拝殿へ戻っていった。


※※※※※


 朝陽が少し顔を覗かせた頃、拝殿から降りてきた一向は皆が皆フリーズせざるを得なかった。なぜなら、結局、周辺にたちこめる朝もやのせいで、エリアを抜けるための一本道たいこばしなら通れるくらいの視界だったので、雪景色一面とさほど変わりなかったらだ。


「……山あり谷ありではこれが普通なのでしょうね」


 因みに、一面を覆っていた雪は地面のぬかるみ具合から魔力石の効果でほぼ溶けているようだ。けれど、それを含めて周辺の状況を把握する術はない。つまり、これこそが北エリアの全貌ということなのだ。不変は人を飽きさせる。侍女も例外ではなく、発された声音にやや落胆の陰が落ちた。


「まぁ、これぐらいならば行けない事もないだろう」


 谷深くで水の流れる音に寄せられ、木造の橋から見下ろした騎士の表情も引きつっていたけれど、幸いなのは吊り橋ではないことだろう。造りもしっかりしておりこの視界不良でも、転落の心配はなさそうだった。


「ずっと南へ下っていけば、中央に辿り着けましょう」

八咫烏このこがいれば、霊体の街ゴーストタウンも恐るるにたりません。どうぞ、お連れになって下さい」


 まるで巫女の言葉を理解しているかとように烏が、早く行こうと言わんばかりに侍女の肩へひょいっと乗り移る。三人は今一度荷物の確認を行い、見送りに出てきた二人に各々感謝の意を伝えやしろを後にした。


「顔色が優れないようですが、本当に大丈夫なのですか?」

「あ、はい。なんか、ちょっと頭がボーッとして……」

「というよりは、心ここに在らずといったようだが」

「……すみません」


 二人の姿が靄に馴染んだところで、侍女はチラリと振り返った。再三の問いかけだったが、やはり似たような言葉しか返ってこなかった。どうも今朝、拝殿を降りる前から庭師の様子が明らかにおかしい。顔色が悪く、侍女や騎士が何を問いかけようと反応は鈍く常に上の空。溜息混じりの侍女の視線に、騎士は肩をすくめた。


「何か、戻った記憶でもあるのだろうか」

「分かりませんが、断片的に思い出すことは珍しくありません。何か一つキッカケがあれば、後は数珠繋ぎですからね」

「キッカケ……やはりあの箱、だろうか」

「十中八九、そうでしょうね。明らかに小さくなっています。相変わらず開けるところなど無さそうですが」


 しかし、それに飽き足らず、右から左へ抜けていくその状態を良いことに二人はコソコソと話し出す。侍女の言う通り、箱はもう最初の半分くらいの大きさになっていた。


「勝手に小さくなる、ということは中身は魔力なのだろうな」

「カミサマのお土産ですから、恐らくは。思い出させようとしているのか、はたまた思い出させまいとしているのか……」


 どちらにしろパンドラの箱であることに違いなく、意図が分からない事に不愉快に顔を歪ませる。その声には、心なしか怒気さえ孕んでいた。


「昨夜の話だが、仮に天使の能力だとして、それは魔力でどうにか出来るものなのか?厄介だと、言っていたが」

「魔力と能力も別モノですが、神が天使の能力を解除するのは不可能ではないでしょう。霊体の中では一番気まぐれですでも、正しいと思うことはやり遂げれるくらいには偉大ですし」

「え……カミサマって霊体なのですか?」


(一体どこまで見抜いているのでしょうね)

 頑なに離れようとしない、そのような意思を持つ箱を渡してきた海神。分からないという割に、昨夜からやけに的確に質問攻めをしている騎士。追加されていく情報にいつの間にか騒がしくなってしまい、意識を引き戻され問う庭師。

 憂慮の絶えない侍女は殆ど投げやりに告げた。


「え、えぇ。実体が無く魔力を扱うというのが、霊体の特徴ですから」


 それでも、笑ってみせれたところは流石、というべきであろう。まぁ尋常とはいえない話への食い付き方と前のめりなり近づき過ぎた顔に、他の考え事をしていた侍女は困惑の色を滲ませながら反射的に身を引きはしたが。


「では、中央にいる霊体同様人々から言ってみれば爪弾きにされた為に、この世に未練があるということですか?」

「いえ。寧ろ逆で、需要があるということです。人々が居てほしいという強い想いがカタチ造り意思をもったものですから……人々の信仰とは、なかなか侮れないものなのですわ」

「それにしても、何故そのようなことまで知っているのだ?」

「…………」

「何で黙っちゃうかなー。そこはオトモダチだから、って答えるところでしょ?」


 不可解極まりない、といわんばかりに眉を寄せる顔には首を緩く振って応えた。けれど、もう一つの顔が再び不可解だと物語る。それはそれは|猜疑≪さいぎ≫的な眼差しで。気まずそうに答えあぐねていると、天の助けのように前方から軽やかな声が飛んできた。まぁ、侍女の顔に更にゲンナリと歪んだところを鑑みるにまるっきり助けというわけでもなさそうだが。


「……ストーカーの間違いでは?」

「ヒドイなぁ、ずっと待っていたのにその言い草はないだろう?放置プレイも嫌いじゃないが、もう少し密に会いたいのが恋心ってもんだろう?」


 漸く靄も晴れてきて、前方から見えてきたのは橋にもたれかかった青いスーツ姿の青年だった。案の定、白髪の頭に長く白い耳を生やしている。片手を上げて気さくに話す顔は笑っていたが、グレーの瞳は全く笑ってはいなかった。


「兎に恋された覚えなど、これっぽっちもございませんが」

「相変わらず、ツレないなぁ。言葉の|文≪あや≫だって。けれど、君に逢うために待っていたのは事実なんだよ?」

「それは、とんだご無礼を」

「全く、神である我輩を待たせるなどソチくらいのもんよ」


 けれど、それに気付いていて尚、侍女の声音に気持ちはまるで籠らなかった。寧ろ棒読みといっていい。子供っぽく、顔を背けてしまう程だ。そんな態度に白兎はやれやれとばかりに肩をすくめる。


「……待って下さい。何故、一使用人に過ぎない侍女である貴女と仮にも神様がオトモダチなのですか?」

になってから、自分は神様だと教えられた……それだけです」


 余りにも普通に、それこそ本当に友達のような感覚で侍女と白兎の会話は進んだが、白兎の最後の一言は騎士と庭師に強烈な違和感を与えた。白兎は確かに言った。自分は、神だと。その爆弾発言には、両者とも眉をひそめざるをえなかった。渋々、といった様子で侍女は答える。


「くくくっ、そのつっけんどんな言い方も、味があるねぇ。まぁそういうことだ。会うべくして会ったことに変わりはないが、我輩ラパンが神をやってるのは成り行きなんだぜ?」


 そんなトゲのある侍女の言い方にも、おかしげに笑う青年が気にする様子はない。寧ろどこか得意げにビシッと敬礼してみせたが、ユルユルの言葉のせいで全く決まらなかった。


「……カミサマは成り行きで白兎をするんですか?」

「何故アナタは、そう誤解を与えるような言い方をするのですか」

「誤解も何も、海には人魚ジュゴン、山には狗、森には猫、野には兎、空には梟、と宿れる動物を決めたのは人間の方で、我輩が今回宿った兎が白かった。それ以上でもそれ以下でもないからねぇ」


 相変わらず遊んでいるような、若しくは試しているような青年に庭師の眉間のシワは深くなる。訝しげな視線を送るが、青年は飄々としていた。


「…………で、結局私に何のご用がお有りになるのです?」


 何やら覚えのある種類ばかりが並べたれられたが、つまるところカミサマの主張は、宿った兎が白かっただけだ、ということらしい。まぁ殆ど面白がっているのだが。話にならない、とばかりに侍女は白い目を向けつつ用件を促す。


「うーん、狗神を見なかったかなぁと思ってね。あまりに酷い西の状態に、山を去らなきゃならなくなったようでさ」

「己のことをカミサマと名乗る方はアナタぐらいでしょう。どのような風貌なのですか、その狗神様というのは」

「確かに、皆、何故か神であることを隠したがるなぁ。まぁ、己が神だと認識不足のモノもいるし仕方ないか。狗神はブリンドルの毛並みに、グレーの瞳を持つ大きな犬だよ。心当たりは……「それなら、東へ続く森で見たぞ」


 要領を得ない青年の言い方にイラつきを募らせる侍女が答えるより早く、騎士は青年の言葉を途中で遮った。カミサマに対してでも、変わらずぞんざいな態度。しかも、ド直球で。


「え、まさかシアンのことを言ってるんですか?」

「他にあるまい。俺達……いや、俺は、今このカミサマが挙げた動物全てを見て来ている。グレーの瞳以外の他の特徴を持つのは、あの大型犬シアンだけだ」


 騎士はまるで思い付きもしなかった、という表情の庭師に言い切り。何かを示唆したように、侍女を一瞥し白兎を真っ直ぐに見据えた。青年の口角が楽しげに上がる。


「成程、いやぁ助かったよ。グレーの瞳を隠してるのなら、間違いない。それにしても、国王もなかなか面白い人材を使役しているねぇ?」

「……アナタには関係ないでしょう。欲しい物は差し上げますから早く行かれては?」

「おぉ。流石はマイハニー、と。コレを差し出されては大人しく退散するしかないねぇ」


 色んな事が重なってドン底まで機嫌が傾いた侍女に対して、お決まりのように差し出された魔法石の欠片を見た青年の機嫌は上向きだ。青年はソレを口に放り込んではガリガリと嚙み砕き喉の奥へ押しやると、ポンッと弾けたような音が鳴り、人型から文字通り白兎へに変化する。


「そうそう、あの誕生伝説は一部間違っているぞ。神々は常に人といる、ただ姿を変えただけだ。では、な」

「どういう事だ?」

「真意は分かりかねますが、仮にも神様の言うことですからそのまま受け取って良いかと。それより、早く追いかけましょう。対価がまだです」


 侍女は騎士の尤もな疑問を一蹴りし、早口に告げては優雅に飛び跳ねて行く白兎を追って徐に走り出した。男二人が慌てたように後に続く。


「ハァハァ。あの白兎、ハァ。跳ねているだけなのに、速いですね……追いつけない」


 再び広がってしまった靄の中で一番に息を切らしたのは、庭師だった。走っても走っても白兎との縮まらない距離に、挫折してしまった。


「ハァハァ。いえ、ハァ、追い付く必要など初めからないのです」

「先程から、意味が分からない」


 合わせたように侍女も歩を止める。こちらも呼吸がしんどそうだが別に庭師を気遣ったわけでなく、何か考えがある様子だ。

 唯一、呼吸を乱していない騎士はシビレを切らす一歩手前で侍女を睨みつけた。


「カミサマが通る道は異空間、カミサマによって招かれなければ人間は通ることが出来ないのです」

「じゃあ、今僕達が通ってきた道は……」

「えぇ、カミサマによって作られた道だったのです。あの、地下水路みたいに。靄が全く晴れない時点で気付ければ良かったのですが、やはり侮れませんね」


 カミサマにオトモダチ、と言われるだけあって侍女は詳しかった。白兎はといえば止まることなく走っていき、遂にその姿が見えなくなってしまう。代わりだ、いうように急に向かい風が強く吹き、靄を吹き飛ばした。


「……ここは、もしや西か?そうか、これが対価か」

「えぇ」


 良好となった視界へ飛び込んで来たのは、今までとはまるで違う世界だった。アスファルトがしかれた道路はきっちりと整備されており、人工建造物が高々と立ち並んでいる。いつの間にか、西へ案内されていた事に気がつき溢れでた言葉に小さい頷きが返される。


「何故、近代都市だというのに、こんなにも閑散としている?」


 けれど、一行が唖然と立ち尽くすことを余儀なくされたのは既に姿のない八咫烏についてでも、その街の姿についてでもなかった。騎士が発した通り、街は人の子一人どころか猫の子一匹の姿すらなく、静けさに呑まれていたからだ。


「あんたら、見慣れへん顔やなぁ……旅人はんやろか」


 きょろきょろと三者三様に周辺を見回していると、やや斜め下から優しげな声がかかった。それに身を固くした三人だったが、どうにかその方向を見るとそこにはやや黄ばんだ白衣を羽織った小柄な老人が姿を現していた。

(……気配を、感じなかった!)

そう、気配にとても敏感な騎士ですら気づけないほど、とてもいきなりに。


「えぇ、コチラに用事がございまして。ええっと、見たところお医者様のようですが貴方は……?」


 あまりに不自然な出現に、侍女は何とか取り繕ったものの、引きつり気味の笑顔での応答となった。


「おぉ、これはえろぅすんませんな、いきなり。ワテは街はずれで小さい診療所を営んどる、診療医メディサンっちゅーもんですわ」

「……この街は随分物静かだが、人々はどこへ行かれたのだろうか?確か、南や北から押し寄せたと聞いているが」


 不審者に変わりはないものの、取りあえず襲い掛かってくるような様子のない自称医師に、不可解さを前面に押し出した騎士が問う。


「確かに、仰山流れ込んで来はったわ。せやけど、西ここかて随分前から疫病が絶えへん。やから、皆、避難してしもたわ」

「避難してきてまた避難、とは。大変でございますね。で、具体的にはどちらへ?」

「一応、守秘義務ちゅーんがあってなぁ……この薬やるさかい堪忍してな。まぁ気休めにしかならんさかい、用が済んだらさっさと出るんやで」


 言葉とは裏腹にやや腹黒い笑みを浮かべて侍女は尋ねたが、顔のしわを深くした自称医師は上手くはぐらかす。そして、その身に似合わず素早い動作で白い粉が入った包みを三人に手渡すと、不器用なスキップで街の中へと消えていった。


「怪しさ全開だな」

「えぇ、飲まない方が寧ろ身のためでしょうね」

「僕、捨ててきますね」


 手持ち無沙汰で、癖のように剣の柄を握りながら包みを眺める騎士に侍女は全面的に同意する。また、ゴミ箱を見つけた庭師も同様で、包みを回収してはそちらへと向かっていった。


「街人がいないのが気になるが……どうする?」

「決まっています、目的は一つしかありませんから」

「やはり、そうか。だが、」

「一蓮托生、いや呉越同舟かもしれませんがどちらにしろ大丈夫ですわ。供給器は供給者とその周辺を護るもの、ですから」


(君は、どこまで分かっているんだ)

 王命の遂行が最優先であることは理解していたが、騎士としては行方知れずの街人の安否が気になるようで思わず口に出てしまった。けれど、八幡鏡を見せてくる侍女はその考えが一切ないどころか、検討すら付いていると言わんばかりに有無を言わせない笑顔を浮かべている。結局、正しい意見に違いなく、騎士はその碧に憤悶の陰を潜ませながらも閉口を選んだ。


「今までの感じから最西端へ向かえばある、んでしょうか?」

「恐らくそうでしょう。無事である研究所、というのは最西端にあるようですから」


 都合よく、近くに街の見取り図が建てられていた。何故か、手書きの非常に簡易的なものだが人から情報を聞き出せない以上、それを頼りにするしか手がなく一行は更に西へ向かって歩き出す。


「すみません……僕、やっぱり何だか調子悪くて。後から追いかけるので、お二人は先に行って下さい」


 それからは無心で歩いていた一行だったが、街の中心部あたりまで来たところで庭師がいきなりがっくりと膝をついた。絞り出すように発された声は明らかに辛そうで、顔色は更に悪くなり息も絶え絶えだ。侍女は合図のように目くばせした。それに騎士が小さく頷く。


「分かった。色々見回ると、記憶に混乱を来たすという。無理はしない方がいい」

「えぇ。ここは空気も悪いですし、休んでいて下さい」

「ありがとう、ございます」


 力なく笑う庭師の肩を軽く手を置いて、ここからは二人で研究所へ向かうことになった。


「……本当に良かったのだろうな、一人にして」

「仕方がありません。私たちと一緒では、思い出すのにのでしょう。」

「貴女のその頭の中では、一体どこまで組み立てられている?」


 遂に、堪忍袋の緒が切れた。苦々しい顔つきと鋭さを秘めた碧に、開口拒否を許す余地はない。


「……推察は推察でしかありませんが、その疑いも無理はありませんね。それでも、私にはっきりと言えるのは、とにかく時間がないということだけなのです」


 けれど、その紅には常に憂いを浮かばせているのに、侍女は頑なに語ろうとせず力なく首を横に振るだけだ。


「ここまできて尚、語るべき時ではない……ということか。カミサマ、についてもだろうか?」


 侍女は、己については語らない。東を発ったときからその態度を貫いていた。ゆえに、同じ質問は無駄でしかないことに気付いて騎士は言葉を変えた。


「白兎のことは、先程のように自ら名乗る方なので知っていました。しかし、神様が人とコンタクトを取る為の手段が動物に宿ることで、宿れる動物が決まっていることは初耳でした」

「つまり、人が人ならざるモノへとなる異変は異変というわけではない、そういうことか」

「えぇ、混同していたのですね。ただ、結局はカミサマが介入しなければならない事態ということですので良い知らせではありません……先を急ぎましょう」


 さすれば、侍女は口を開いた。まるで、プログラムでもされているようだ。騎士は新たな事実に、頭をガシガシと掻いた。


「……何の気配もないな」

「なのに、供給器がそこにあるというのはまた怪しさを増していますね」


 それから、どんどんと歩いてきて二人は漸く研究所へ辿り着いた。鍵のかかっていないガラス戸を引き開けて、土足で踏み込んでいく。三度目のデジャヴ、と言ってよかった。


「確かにな。だが、持っていくのだろう?」


 自称医師はどうやら詐欺師だったらしい。避難場所といえば、侍女が言ったように供給器が保護する研究施設しかなり得ないにもかかわらず、施設内はもぬけの殻だったのだ。けれどそう、まるで予見していたかのように供給器だけはデスクの上に置かれていた。どうぞ、持って行って下さいと言わんばかりに。


「勿論ですわ。私たちの目的はこれ以外ありませんし、お触れも出ているので勝手に持って行っても罪にはなりません。ですが……一波乱覚悟して下さいね?」


 確実に、罠だ。それを分かった上で、侍女はにこやかに笑った。さらりと告げられた言葉は不吉でしかないが、聖杯に伸ばされる手には何の躊躇いもない。侍女の指先が聖杯に触れた途端、見計らったようにドアや窓といった入口だけでなく閉まっていたシャッターまで目にもとまらぬ速さで開いた。


「……ドロボーは許さへん」

「「そうや、ドロボーは許さへん」」

「……ドロボーは逃がさへん」

「「そうや、ドロボーは逃がさへん」」

「やはり、おいでなさったか」

「街の人が、操られているのですか……」


 一部屋にぞろぞろと、白衣を揺らめかせた人々が、ブツブツと呟きながら物騒なものを片手に押し寄せてくる。大人の男女だけでなく、制服を着ている子どもまで混ざっていることを考慮すると間違いなく街人だといえた。


「どうする?」

「決まっています。退路を断たれている以上、攻撃はいなして気絶させるしかないでしょう。殺すわけにはいきませんから」


 じわじわ迫ってくる人に、騎士と侍女の距離が一歩縮まる。チラりと聞いてみた問いには、分かりきっていた答えが返ってきて騎士は王家の剣ジュワユーズを、侍女は供給器フラガラッハをそっと構える。


「……ドロボーには制裁を!!」

「「そうや、ドロボーは制裁や!!」」


 一つ、より大きな掛け声が合図となった。人々は二人に飛びかからん勢いで襲い掛かる。


 カーンッ、

 カキーンッ、


 刃と刃がぶつかり合う音が、あちらこちらで不快に木霊する。侍女も騎士も、刃を受けては虚をついて、剣の柄で出来るだけ頭部を狙った。相手の攻撃力自体は高くなく、バッサバッサと簡単に倒れていくものの白衣をまとった人々は次から次へと湧いて出る。侍女の腕も悪くないのに、受け流しながら殺さないように仕留めるのは王騎士長でも至難の業だった。


「キリがないなっ」


 トンっ、と背中同士がぶつかる。手あたり次第イナしてきたが、二人はいつの間にか囲まれてしまっていた。倒した何十人もの人々が床に転がっているというのに、視界には更に白衣を揺らめかせる何十人という人々が写る。


「…………仕方が、ありませんね」


 改善の見えない状況に溜息をついて、どこか諦めたように呟いた侍女は徐に右手をパチンっと鳴らした。


 ドンッ ドドンッ、ドドンッ!

 バサッ バサバサバサッ!!


 その小さな呟きを拾った騎士がえっ、と振り返る間もなく空気が大きく振動した。その瞬間、部屋のあちらこちらでぶつかり合った鈍い音が上がる。次の瞬間にはまるで、何かものすごい力に吹き飛ばされでもしたかのように二人を取り囲んでいた白衣の人々が、壁際の床に突っ伏し重なりあっていた。あっという間だった。


「せいしん、まりょく?」


 漸く、振り返ることが出来た騎士の目前には僅かに紅く発光した侍女の身体があった。それが何かなど、言うまでもない。魔力発動時は、たとえそれがどんな種類の魔力であっても光るのだから。


「やはりそう、なんだな」


 騎士が異常に驚くことは、なかった。王太子に仕える騎士だからこそ、知っていたのだ。発動中に紅く光るのはを受け継いでいる証だということも、王家の血を引く者の瞳はということも。


「薄々感づいていながら、今まで黙ってくださっていたこと感謝申し上げますわ」


 侍女はもう一度、パチンと指を鳴らす。すると、その身はいっそう紅き輝きを放ち黄色かったワンピースは染め上げられていくように紅へと変わり、黒く長い髪が揺れる。それは、アンジュ王国の姿。


「なっ!!」

「その驚愕はんのうはごもっともなところですが、ご説明している暇が今はございません」


 ただ、騎士とてと疑っていたわけではなかった。突然なる少女の出現に唖然とする騎士に厳しい声が飛ぶ。周りで、最初に気絶した人々が起き上がり始めていたのだ。まだブツブツと呟いている様子から、正気であるとはとても言えない。あっという間に取り囲まれる。


「もう一度先程のようにはいかないのか?」

「洗脳を解除しない限り、彼らは立ち上がるでしょうからあの程度の魔力では意味がありません」

「クソっ、何かないのか!」

「操っている者を、あぶりださなければ……とにかく後ろはお願い致します」


 またもや、白い白衣をはためかせながら大量の人間が一斉に襲い掛かってくる。刃を躱す騎士に背中を預けて素早く告げると、少女の全身が淡く発光した。勿論、その手で握る紅く光った聖剣で、次々に人々をひれ伏せさせていく。


「これは……」

「ジ、エンドですわ」


 観血しているわけでもないのに、部屋全体が紅に包まれた。そのことに騎士が気付くや否や、よく通る声がポツリと宙に浮き、ダンっと一際大きく空気がうねる。時間がとまったかのように、人々は微動だしなくなった。


「一体、何が起きたんだ?」

「人々にかけられている魔力を乗っ取り、彼らの意識を私の支配下へいざないました」


 すっと、少女が聖剣を空振りさせると糸が切れたように人々が床へ崩れ落ちる。騎士以外の、少女の背後にいるたった一人を残して。


「危ないっ!!」


 だから、騎士はその一人の動きに気がつけた。やはり、その手に短剣が握られていることにも。とっさに、少女を目いっぱいの力で引き寄せ己の後ろへと隠す。


 ズシュッーーーー


「どう、して……」

「間一髪、だったな」


 声を発することすら精一杯の少女の、信じられないという顔に騎士は俄かに笑って。


  ーー 本当の、赤が散った。

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