第漆章 戌の刻

【王宮】


「……」

「お加減はいかがですか?」

「……最悪だ」


 王太子が目を覚ましたのは、陽が完全に暮れてからだった。身を起こそうと試みたものの、カチカチに固まった関節がギチギチと鳴るだけで、己の身体であるのに思い通りに動かすことは出来なかった。


「それでも、梟がいなければ……僕一人では兄上を助けられませんでした。僕は、自分の無力を思い知りました」


 覇気の感じられない声音に、王太子は寝ころんだまま視線で発信源を探る。壁にもたれ、膝を抱え顔を隠して座る少年の姿が映った。


「無力なのは、俺も同じだ。妖精に身体を乗っ取られ、クロワに迷惑をかけてしまった」

「兄上は、記憶がおありになるのですか?」

「あぁ。妖精は俺の意識下をコンロトールしていたからな。相変わらず、悪趣味だ」


 霊体に乗っ取られれば、基本的にその間に起った出来事を認識することは出来ない。しかし、霊体によって物事を把握出来る状態に置かれればそのルールから除外される。素直に驚きを示した少年に、王太子は皮肉な笑みを浮かべた。


「兄上……、姉上のことをお教え頂けませんか?何を考えていて、何をしようとしているのか。もう、仲間外れは嫌なのです」


 王太子ですらぐうの音が出ないほど、真剣な眼差しだった。

 そう、何も知らないままでいたのは少年だけだった。秘匿事項ゆえ誰も話そうとしなかったし、少年自身尋ねることもなかったからだ。王太子はゆっくりと息を吐きだした。


「クロワは、普通の王女ではない。神に弄ばれている世界を救うために創られた捨て駒いけにえだ」

「神に、弄ばれている……?」


 王太子は、言葉を選ばなかった。少年から窓の外に、その紅が移動する。北の方で、曇天の空に魔力の閃光が弾けていた。

(もう、時間がない……な)


「神に、弄ばれた……??」

「あぁ。この世界は、囚われている。昔、一人の神が創った願いを叶える器にかけられたもう一人の神の願いによって。だから、世界の崩壊を止めるには、神の願いを叶える必要がある。それを出来るのは、王女ただ一人だ」


 案の定、少年は絶句した。あれほどストレートに伝えられて尚、理解しきれなかったのだ。それでも話を続ける王太子に、少年は箍が外れたように馬乗りになって掴み掛った。


「そんなっ!?その支配を解くために、姉上を犠牲にするなんてっ!仮に世界を神から解放したって、その後の世界が崩壊しない保障などないではないですかっ!」

「そうだ。けれど、それが、望みなんだ。世界の、そして王女の。世界を前にして、平和は絶対ではないからこそ、俺たちは平和を続かせる努力をしなければならない。たとえ、犠牲者が出たとしても……だからこそクロワは、の想いを受け止めると決めたのだ」


 真っ直ぐにぶつかる少年に、王太子は苦々し気に吐き捨てる。そのは納得も、満足もしてはいないのに、ただ諦めだけが満ちていく。まるで慰めるように、梟が鳴く。とても悲しいこえで。


「そんな……あねうえ……」


 嗚咽の間に、涙声が混じる。震える背に添えられた手だけが、とても優しく触れ続けていた。


※※※※※

【始まりの泉 West】


(気持ち、いい。熱が、急速に冷めていく……)

 少女に与えられた、まとわりつく灼熱の業火が嘘のように身体から消えていく感覚を、浮上しかけた意識の狭間で騎士は確かに感じ取っていた。

(深く、深く、堕ちていく……)

 甘美な夢が、騎士を優しく誘い込む。いくら騎士とはいえ、魔力を授かった後に逆らう余力など残ってはおらず、ひんやりとしたソレに、ただ身を委ねることしか出来ずにいた。

(暗く、穏やかな静寂)

 全てのモノから隔離された、孤独。音も、光もない。ただ、無が支配している。当たり前だが、心中の問い掛けに答える声もない。

(これが、姫君あなたの世界なのか?)

 掴めるものもなく、徐に手を伸ばしたところで空を切るだけだった。


『それで、良いのか?』


 突如、問いかける声があった。非難するような、厳しい声音だった。騎士はそっと目を開く。何故だかそこには同じ顔が写った。鏡を覗き込んだ時のように。


「良いわけはないが……結局、俺には何も出来やしない」


 真っ直ぐに貫いてくる視線から、逃れるように騎士は俯き唇を噛んだ。

(世界は、変わろうとしている。これは、その為の崩壊。第一、魔力を持たない俺にはなす術などない)


『本当に?』

「どういうことだ?」


 まるで心を読んだように、正論じじつを悟っている騎士に、同じ声は更に尋ねた。まよいを見透かしたように。弱さを払拭させるように。間違いを見つけさせるために。


『魔力は、それを持つものには何でも出来るが、持たないものには何も出来ない。でも、本当に?』

「何も……」


 同じ声は、尚も同じ言葉を吐き出した。まるで壊れた蓄音機だ。

(そうだ、姫君かのじょは言った。俺が、必要だと)

 騎士はそっと己の腹部に手を当てる。じんわりと熱は伝わるが、傷は、もうない。


「そうだな、何も出来ないわけじゃない。せめて、彼女の望むことをくらい」

『ならば、再度立ち上がるがいい。その力は、与えられたはずだ』


 同じ姿が、差し伸べてきた手を騎士は力強く掴む。するとガラスが割れたような甲高い音が響き渡り、眩い光が爆発した。目を開けていられず、腕で顔を庇う。

(幻影、か)

 次に騎士が目を開けた時、もう一人の姿は既になかった。当たり前だ。鏡もないのに、自分の目に同じ姿を捕らえることなど不可能なのだから。ただ、自分の弱った心が創り出しただけ。儚き夢、といってもいい。

(救えないのなら、せめて……って、マジで水の中だったのかっ!?)

 騎士は決別を決め、少女の想いちからを糧に、立ち上がる。といっても身体を起こしただけだった。漸く気が付いた通り、騎士はにいたのだから。

守護魔力プロテジェか)

 何故、水の中にいるのか。当然の如く騎士には理解できなかったが、覚えのある感覚に取り乱すことは免れた。いや、もう何が起こっても騎士には関係なかったといっていい。ある一つの目的を果たすまでは、進むしかないからだ。

(俺を、導いてくれ)

 騎士はとにかく夢中で水中を走った。無意識のうちに腹部を抱えて。添えた手の平に、少女の力が確かに感じ取っていた。魔力を持つモノは何でも出来る、騎士はその意味を正しく理解し始めていた。


※※※※※

【始まりの泉Center】


「久しぶりね?いいえ、初めましての方がイイのかしら?」

「久しぶり、で大丈夫だよ。まさか、霊体になっているとは思わなかったけどね」


 西、南、北、東とそれぞれのイロイロを破壊した星神を中央で迎え出たのはいつも通りニタニタ笑った悪魔だった。その妙な掛け声あいさつに、星神は足を止めてこれ以上ないほど自然な笑みで応える。左手をズボンのポケットに突っこんだまま、少しだけ右に頭を傾けて。


「記憶、戻ってるのネ?」

「そうだね、戻ってる。聖杯を血で満たしたあの時から、繰り返し続けた全ての転生の記憶が。こんなことは初めてだけれどね」


 先の尖った黒い尾が左右に揺れる。それを追いかけながら、顔に笑みは浮かべたまま「おかげで、パンクしそうだよ」と続けて、星神は不思議そうに右手を曲げ伸ばしさせた。それだけでコントロールしきれていない魔力の光がパチパチと飛び交う。


「そう、良かったワ。アタシを知ってるアナタに、もう一度会いたかったノ」

「ふふ、ありがとう。つまりキミは……」


 グサッ。

 静寂に、いかにも残酷な音がした。自然と伸ばされた星神の左の先で、悪魔の身体が二つに折れ曲がった。その上、その後ろ側には強い閃光が走り爆発する。一瞬のことだった。


「もう一度ボクにられるために、代償を払ったんだね」

「バケ、モノ……め」

「最高の褒め言葉だ。さて、まだいるんだろう?出ておいでよ」


 瞬間移動ともとれる速さで立ち向かった悪魔だったにも関わらず、星神のはその行動を捕らえていた。いや、援護射撃をしようとしていた精霊にまで魔力の攻撃を放っていたことを鑑みると想定内だったようだ。


「いやぁ、無理でしょムリムリ。この場面見ちゃうとねー」

「ふーむ、それもそうか。なら、そのままでいいよ。少し話をしよう」


 何もかも見透かしていることを表す言葉に、負けを認めたように答えるものの姿を現すことはない。当たり前だ。この現状では。姿を見せた途端、二体の二の舞になりかねないのだから。


「なんでそう、安心させるような声を出すかなぁ」

「んー、まぁ、これでもカミサマ、だからかな?笑顔も言葉も誰より優しく、僕の輝きは誰よりも美しいだろう?この夜空のように」

「確かにね。ところで、エスプリとはどういう?」


 人差し指の代わりに、星神は短剣で夜空を指した。ドサッという音と共に悪魔の身体が道に転がして。その具現化は段々と薄れていき、光の玉となって一つ一つ少しずつ上昇していった。まるで、何かに導かれているかのように。シャボン玉の如く、消えていく。


「彼女、だよ。知らぬ間に邪神ぼくと付き合わされて、結果、悪魔にされちゃったんだね」

「なるほど。これも理、ってこと?」

「そう。星は、爆発を繰り返して輝く。だから、この衝動は止められない。ところで、僕の覚醒を促したオロカモノを探しているんだけど知らないかな?」

「あぁ、それなら、教会の奥。でも、いくらカミサマでも……」


 声は途中で途切れた。勿論、星神の手から強い閃光が放たれたからだ。今度はジャボーンと水音がたって、堕天使の身体が泉に浮かぶ。噴水の上を走った光線は、一寸違わぬ攻撃だった。


「やっぱり……その強さチカラ、反則、でしょ」

「ゴメンね?でも、否定の言葉なんて聞きたくなかったんだ。この力とこの魔剣がある限り、無敵だからね」


 薄れた具現化は光の玉となって、一つずつ上昇しては消えていく。星神は尚も優美に微笑んで宙を漂うその光の中を歩き始めた。何事も無かったかのように、左手をポケットの中にしまって。

(早くおいでよ、僕の運命の人プリンセス

 向かう先は、情報を得た教会。ゆっくりと歩を進める星神の背中には、あふれ出る魔力の光の中に寂寥の陰が混在していた。


「遅い、何をしていた!?」

「申し訳ございません。少し、足止めを食らいまして……シャトン、ですか?」


 星神の姿が完全に見えなくなって、更に少し経った後。噴水前までたどり着いた山狗たちは、漸く少女と合流することが出来た。山狗の怒り声に殆ど反射的に頭を下げそうになって、珍しく少女は目を丸くした。黒い三角の耳がピクピク揺れる。


「まだ、覚醒しきったわけじゃないの。でも、使命じじょうは聞いたわ。アナタが供給者で救世主なんて驚いたけれど、言われてみればって納得も出来た」

「ふふ、その感覚が芽生えただけでも十分ですわ。山狗シアン様、まずは秘宝ソレを」


 黒猫の正直な告白に、少女は安堵の笑みを浮かべた。しかし、それも一瞬で、すぐに険しい顔に戻り山狗の口元に向けて機敏に手を差し出す。山狗は促しに従い、紅き石を吐き出した。


「ハニー……やはり壊してしまうのかい?」

「えぇ、分身コレがあるから星神エトワール様は復活してしまうのです。いつまでも続く平和などなくても、どこかで決着くぎりをつけなくては」


 まだ、戸惑いを含む白兎の問いかけに迷いのない声が答える。その音は幾分か悲しみを含んでいたが、これ以上の躊躇いなど許さない。とでもいうように、少女は鞘から取り出した魔剣を握り思い切りよく振り上げた。


「さぁ、姫君おじょう。ヤツを追おう」

「……えぇ」


 あっけなさ過ぎるほど、あっという間だった。魔力を世界の一部に供給し続けてきた供給器は、その一振りだけで音も立てずに粉々になった。紅き欠片を、気の抜けたように見つめてる少女の背を山狗が後押しする。

(そう。私はこんなところで、立ち止まれない)

 少女は、砕けた欠片に右手をかざした。集中的に気が集まり、放たれた光の衝撃波であと欠片もなくなる。けれど、それを見届ける事なく少女はカミサマ達と走り出していた。教会へ向け星神の影響で、ひっそりとしたゴーストタウンを。


「ソコを歩くは、どちら様でしょう?」


 静まり返った教会の、奥の奥まで歩いてきて扉を守る兵士が静かに問うてきた。


「無礼な。名を尋ねる時は己から……」

「いいえ。山狗シアン様、構いませんわ。私は、アンジュ王国第一王女クロワ・ド・ヴィルにございます」


 分かっているのかいないのか、身分を弁えない兵士の態度に憤慨する山狗を少女は首を横に振り、手を出して抑え込む。そして、一歩前に出て優雅に腰を折り曲げた。


「これは失礼を。我が名はソルダと申す兵士モノ。王女様が、このようなところに何用でございましょう?」

「こちらに、とある重大事件の重要参考人が収容されていると聞き、国王陛下の代理にて参りました。王命にて、面通しを申し入れます」


 名前を聞いた兵士は、顔色をやや悪くしてサッと床に膝をつく。対して、顔を上げた少女は堂々たる風格で要件を。否、邪神が向かったところに相違ないのだから、全くの嘘を告げたわけではないのだが、あちらこちらに目をそらす山狗と白兎から他の要件を含んでいることは窺える。


「誠に申し訳ございませんが、承服致しかねます」

「……そう、ですか。致し方ありません。ならば、実力行使ちからづくと参りましょう」


 兵士は、ソレを見逃さなかった。あるいは最初から知っていたのかもしれない。首を振って拒絶しては、素早く剣を引き抜きあろうことか少女に突き付けようとしま。けれど、少女もその動きを見切っていた。魔力で構成している着衣の中から素早く聖剣を取り出し、攻撃を簡単にイナす。さらに先手打ちとばかりにもう一振りして、兵士の剣を飛ばした。


「流石は王女様。勝負あり、ですね」

「お褒めに預かり光栄ですわ。今、その戒めから解放して差し上げます」


 少女は気づいていた。兵士にやりあう気など、なかったことに。そのが、許しを請うていることに。少女は迷うことなく、聖剣を兵士の胸部に突き立てた。傷から流れ出る紅が、銀色の刃を伝い床を穢していく。兵士は、うめき声一つ立てずにただ穏やかに笑ってその場に倒れこんだ。


「良かったの、これで」

「行く手を遮るモノに、容赦は致しません……無情、でしょうか」

「ううん。揺るがない決意なら、いいと思うわ。彼は操られていたんだし……たとえクロワちゃんが殺人者になろうと、私たちはついていくだけ」


 聖剣を引き抜く為に柄を強く握り直した少女の手が、震えていることに気づいた黒猫は気遣うようにそっと肉球のついた前足を添える。そして、大きなグレーの瞳に少女を映して告げた。既に壊れてしまっている少女の精神こころを引き留めるが如く。


「ありがとう、ございます」


 聖剣を引き抜く少女の手は、もう震えてはいない。少女は、常に正しい。ただ、それは一般常識で図れる正しさではない。それだけのこと。目の前の扉は、山狗と白兎によって開けられた。


「何、コレ……?」

「あーぁ、やっぱこういうことになっちゃうワケね」

「やぁ皆、ちょっと遅いよ」


 いち早く入ったのは、黒猫だったがその場で目を見開いて固まってしまった。その後ろから中を覗いた白兎が顔をしかめて呟く。相変わらず誰よりも優しい笑みを浮かべた星神が、扉の正面の壁にあしらわれた十字架に吊るされていたからだ。横壁に掛けられている原型を留めていないステンドグラスの破片が床に散らばっているところからして、激しい魔力戦があったことは一目瞭然だった。


「……負けたというのか、この邪神が?」

「半分はプリンセスのせいだよ。それでなくても、ノワールが教えてくれてはいたけど、強かったな。プリンセスの母君は」


 窓から射し込む月の光が、疲れ切った星神の顔を更に青白く見せている。信じられない、と顔をしかめた山狗に星神は怨みがましく告げた。


「どういうこと?」

「まっ供給器から魔力を調達出来ない状態で、あれだけ魔力を消費すれば元王国内最強魔力に対抗できるわけないよね」

「なるほど。結界はフェイクで、それがプリンセスの狙いだったってわけか」

「じゃあ、供給器の魔力を吸い上げてた犯人って……」

「え〜〜それ今更聞いちゃう?僕が存在する限り、聖杯は僕の願いを叶え続けるしかないのに」


 急に、少女のせいだと言われ首を不思議そうに首を傾げる猫に白兎が淡々と答える。そうして知り得た事実に口をついて出た猫の言葉に、星神は本当に可笑しそうに笑った。


「……どういうこと、なのですか?」

「それは、ワタクシへの質問かしら?」


 けれど、少女の方は違った。漸く発された声は掠れ気味で、釈然としない表情を浮かべている。但しそれは、白兎や星神の言葉にではない。星神を打ち負かした相手がどこにもいなかったことにだった。しかし、口から漏れ出た少女の疑問は瞬殺で解消されることになった。少女より長い、それこそ床につきそうなほど長い黒髪と蒼い目を持った長身の女性が、少女の後ろにひっそりと佇んでいたのだ。背筋を凍らせるほどの冷たき声音に、カミサマ達が思わず飛びのく。


「これが、母上様のお望みなのですか?」


 少女だけがその場を動かなかった。いや、動けなかったと言っていい。蛇に睨まれた蛙のように。なんとか出した声も、いつもの覇気なく掠れ気味のままだ。

(身体の震えを抑えるだけで精一杯だなんて)

 あらゆる魔力を扱える少女が、恐らく初めて畏怖した瞬間だった。それほどまでに、後ろの存在は殺気立っており、少女を支配している。


「望み……そう言われれば、そうなのかもしれないわね。だけど、アナタの使命遂行を妨げたわけじゃないでしょう?」

「私の為、なのですか?」


 元女王は少女に向けてニコリ、と顔に張り付けた笑みを向けた。現状からいうと、少女が己の血を携えてきた聖杯を満せば聖杯はためこのループは解消されるので、元女王の言葉は少女にとって正しい。けれど、何の感情も込もらない元女王の声音は実の娘に対するそれではまるでなかった。


「ふふふ。ないじゃない。だって、私の標的もアナタなんだもの」

「クロワちゃんっ!!」


 案の定、元女王は尚も猟奇的な笑みを浮かべたまま、非道な言葉を吐き、指を適度に開けた両手を少女の首元へと伸ばしていった。少女もカミサマも、一歩も動けはしない。唯一弾かれたように動いた黒猫が少女の腕を掴み力いっぱい引っ張った。元女王の手は、空振り。


「あら、クロワ。ダメよ、逃げちゃ」

「どう、して……」


 引っ張られた力でよろめいた少女は、床にへたり込んで唖然としたまま元女王を見上げる。己を創った本人モノがその運命さだめを全うする直前で襲い掛かってきたこの現実は、聡い少女でも理解できていなかった。


「そうね、ワタクシの想いを話さなければアナタも納得できないわよね」


 かくいう元女王は、少女の質問の意図を正確に把握したらしい。混乱している少女を軽蔑の目で見おろし、勿体つけて話し出した。


  -- ワタクシは別に、世界がどうなろうと興味ないのです、と。


「なっ、お主は、我々が授けた知恵を受け入れたから姫君おじょうを創造して下さったのではないのかっ!?」

「別に、面白そうだったからのっかってみただけ。そしたら、お告げ通り私より強い力を持った子が生まれてしまった」

「当たり前だ!それが望みだったのだから」


 この爆弾発言には、カミサマもビックリ仰天だった。思わず山狗が吠えたが、元女王は素知らぬ顔であっさりと答える。次の一声には、耳を塞いでしまう始末だ。


「なるほどねぇ。つまるところ、お母君は面白くなかったわけだ」

「えぇ、そう、最初はね。だけど、星神はもう終わりを望んでいることを知って事情が変わったの」

「事情?」

「邪神がそんなことを望んでイイわけないし、邪神の願いを叶えるために我が子が犠牲になるなんて許せない。だから、邪神の転生に手を貸したの。そうすればクロワ、覚醒したアナタをワタクシの手で食い止めることが出来るから」


 元女王は好き勝手に言葉を並べながら、すーっと少女に近づき首を絞めようとしたその手でそっと少女を抱きしめた。少女はビクリと身体を震わした後、渾身の力で元女王を突き飛ばす。とんでもないモノでも見たような目をして。


「では、アナタは!星神様を覚醒させるために、王妃様を死へ追いやったというのですかっ!?」

「ふふ。さすがは、クロワ。そうよ、邪神といえど神は神。覚醒エネルギーは半端じゃなかったわ。人一人分、いえ、だった。それにしてもこんな状況なのに、頭の回転が速いこと。だからワタクシ、嫌いなのよ」

「それは、どういうことだ……」


 元女王の言葉に、元女王の後ろから困惑を窮めた声が宙に浮いた。声の主は肩で呼吸を繰り返しながら一段と目を見開いてる。


「エスポワール様……」

「ワタクシが説明致しましょう。魔力を持たないアナタでも、霊体は魔力でしか活動出来ないことはご存じでしょう?霊体の中には、人の生命力そのものを吸って己の活動エネルギーに変えるモノもいるの。ワタクシはそれを応用した。王妃の生命力を星神に注ぎ込んで覚醒を促したのよ」


 元女王も、言葉を選ばなかった。遠回しに言っては正確に伝えられない事象だからであるが、目的はそこではない。騎士の感情を煽るためにだ。案の定騎士は、腰に下げた剣を引き抜き、背後に立たれても振り向くことさえしなかった元女王に刃を一振りした。

(感触がっ……蒼い、目)

けれど、元女王は全くの無傷だった。騎士から物理的に離れたわけではない。刃の方が、元女王の身体をすり抜けたのだ。


姫君おじょう、これはどういうことだ?」

「恐らく、星神様を覚醒させた時に一緒に持っていかれてしまったのでしょう。星神様の覚醒エネルギーは、王妃ルレーヴ様では足りなかった。彼女は、魔力の持ち主ではありませんでしたから」


 人であるはずの元女王に、実体がない。この事実にはカミサマですら、驚きを隠せなかったにもかかわらず少女の声のトーンに変化は見られなかった。ただただ、淋しげ語る。


「さて。これで、役者は揃ったかしら?クロワ、もしアナタがアナタ自身の意思で救世主になるというのならワタクシは止めはしない。でも、その命はワタクシが創り出したもの。だからそれは、アナタの手で守れたらの話」


 元女王は何事も無かったように言葉を続け、言い終わるや否やで少女に向けて手をかざし魔力の塊をぶっ飛ばした。一瞬遅れてソレに気づいた少女は何とか顔に腕をかざしてバリアを構築したがそれでも衝撃波に押され壁際まで飛ばされる。


「母上様は私に、アナタを殺せとそう言われるのですか」

「そう、そうよ。望みに犠牲は付きもの、アナタはそう教わってきたハズよ。遠慮することなんてないわ」


 元女王は狂ったように笑った。攻撃の手は休むことなく、少女に向けて閃光が放たれる。少女はもう一度バリアを構築し直し、なんとか跳ね返しているが攻撃に移ることは出来ないでいた。


姫君おじょう!子どもに親殺しを強要するものなど、もはや親ではない」

「ダメだよ山狗シアン。決めるのはいつだってハニーだ。使命を押し付けた吾輩達だって、やっていることは変わらないんだから」

「だが、白兎ルパン。我々にだって、今度こそこの世界を守る義務がある」

「それでも、いつまでも続く平和なんてないわ」


 またしても正論を吠えた山狗を白兎は諭すように宥めた。どうやら山狗も、一応分かってはいるらしい。けれど、それは納得とは別物で苦しそうに呟かれた言葉に黒猫がそっと囁く。少女が言った言葉を。


「王女が動けないのなら、代わりに俺が動こう」


 魔力にあてられない隅の方でカミサマ達が問答している間に、騎士が少女の隣へ移動していた。手には先ほどの衝撃で少女が落としてしまった聖剣を握りしめて。


「聖剣の保護魔力……えぇい、忌々しい」


 一度死にかけた騎士は、その力を借りて更に増した少女への魔力の光線の前で平然と聖剣を構えた。騎士にとって、王妃は全く関係ないといっていい存在だが、己が仕える王太子の復讐というマイナスの感情が突き動かしていた。


「アナタに貰ったこの命、このように使うことをどうかお許し下さい」


 声は、悲しげに告げられる。その一瞬、少女が動いていれば結末は変わったであろうか。いや、恐らく変わることはなかったであろう。少女のひとみには騎士が元女王へ向かって剣を渾身の力で投げるフォームがスローモーションで写ったまま……


凄まじい閃光が、降りやんだ。

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