第9場:N**レーベルのリュリ

 目当てのCDを取り出した山本氏は、手首を返し返し、目の前に持ってきたCDのジャケットデザインが施された表面、裏のクレジット面、また表面という風に眺めやり、するとなお一層彼の満足の表情は強くなった。


 氏が眺めやったCDの表面は、ジャケットの幅の半分、高さの5分の3ほどの大きさのロココ調の人物の油彩画の画像がジャケット中央部の真ん中より幾分上の高さに印刷されており、その上には作曲家名、アルバム名、曲名、演奏者がゴシック体で順に上から表記されている。一番上と下の作曲家と演奏者名はトマトレッド色で、真ん中のアルバム名と曲名は薄いターコイズブルーだ。左上と右上にはそれぞれN社のロゴ表記と製品番号が書かれたデザイン配置だが、周りに広がる白地の無地の余白がいかにも広く素っ気ない感じがした。N社はクラシック廉価盤の先駆けのレーベルだが、2004~5年頃にかけてデザインの仕様変更を施す前はそうした印象を与える物が多く、2000年発売の今氏が手にしているNの指揮するリュリのグラン・モテ第3集のCDもそうした物の一つだった。この時のN社のデザインは判で押したように中央部にあまり幅を取りすぎない画像が場所を占め、上に音楽情報というスタイルだったが、後になると画像の占めるスペースはもっと多くなり、曲や演奏者といった音楽情報の表記文字もより大きく、その分余白は少なくなり、ジャケットを見ているものに充実感を与えるようになった。また、画像と音楽情報表記相互に占める位置も、例えばそれぞれ左右半々にするなどより自由な配置が取られた物もあり、レーベル全体のデザインに変化と多様性が現れている。左上の、ドーリア式の円柱が5本立ち並ぶのにそれぞれ合わせてN****と5文字のレーベル名が書かれたロゴデザインも旧式では白地にそのまま描かれていたが、小さな青い四角地に同じデザインの白抜きという体裁に変更しており、それだけくっきりとそのスペースがジャケット全体の白地から際立って見えるように工夫された。これら全ては初期のK.H氏の意図したそれまでのブランド主義をクラシック界から拝したが故のあえて虚飾を廃することを意図したデザインから、今やメジャーレーベルに台頭したN社としての――いや、それはともかく、確かにCDは盤に入った演奏と録音が本来とはいえ、やはり少々物寂しい気がするジャケットであった。


 しかし、この場合は中央に占める人物の油彩画が鮮やかで、それだけそのジャケットの空いた余白に比して十分とは言えないプリントの大きさの寂しさを紛らわせてくれるものがあった。画像の、豊かな黒の巻髪の鬘を被り、先が下がった長い鷲鼻をし、口角が垂れ下がった口を引き結び、くっきりした二重瞼にどんよりした黒い瞳をこちらに流し目で送っている、初老と言った感じだが、その面長の顔の肌がやたらてらてらしている、いかにも王侯貴族然とした青い豪奢な服を着ている人物は、氏が学生時代、世界史や美術の教科書で見、その後も活字本や美術書、絵画展などで折に触れ見かけることでよく見知った歴史的国王――太陽王ルイ14世だ。恐らく最もよく知られた、金茶の錫杖を王冠の側に片手で突き立て、青地に金糸の百合花の刺繍が施された表に、裏地が白テンの毛皮の豪奢なマントを着込んだ絵画とは違うものだが、地肌がむき出しの崖を近景に、黄昏時らしい雲立ち込めた空の下、遠くの見下ろせる小山を遠景に、どうやら戸外で描かれたらしいこの絵画も、有名な方と同じく、こちらに向けて斜めに半身立ちになって首を向け、左手を遠くの山の方に向けて上げ、右手を側の赤いビロード布が掛けられた台に乗せるという風に意識したポーズを取っている。元の絵画の時の経過による色褪せたくすみがプリント画像にも反映しているとはいえ、身にまとった青服の異様に膨らんだ袖と、腰の金の刺繍部分、体に帯状に捻って巻き付けた白布、手を置いているビロードの赤の対比が眼を打ち、初期N社の余白が多いデザインでもそれなりに視覚を満足させるものとなっていた。


 山本氏は今度は再び細かなクレジット表記がなされた裏面を見る。曲と演奏についての情報を改めて確認するとともに、これから聴こうとする音楽に対する気持ちを整えるのもあった。


 裏面の上部には作曲者のLULLYの名前と『1632-1687』の生没年、‘Grands Motets Vol.3’のシリーズの通し番号が振られたアルバム名、さらにLe C**の演奏団体と並んでそれを振る指揮者のNの名が、それぞれゴシック体で上から順に表記されている。ここでも、表と同じく一番上の作曲家名と生没年部と下の演奏者名が赤で、真ん中のアルバム名が青の色の割り振りだ。その下に左側のCD生産に関する情報が書かれた幅スペースを残して罫線が裏ジャケットの右端一杯まで二本引かれ、さらにその罫線枠は縦に引かれた線によって二等分されている。ちょうど‘工’の字の形になって、左側にトラック分けされた細かな曲目と曲名表記、右側には英語でリュリの簡潔な生涯と音楽業績が記されている。左側には5曲のモテット名がトマトレッド、さらにそれぞれのモテットを構成するパート部名が薄いターコイズブルー色で小さく書かれる形で17トラックの内訳が表記されていた。残念ながら山本氏にはそこに連ねられたラテン語の数々の内、Domin*(各変化をともなう主=God)やBenedictus(祝福あれ)、sine nomine(名前の無い)といった簡単なものと、英語にもなっているPsalm(詩篇)だけだったが、右側のターコイズブルーで小さく20行近くも書かれたリュリの情報は読解可能な英語での興味深い読み物と言う他に、左側の細かな曲表記と共にぎっしり埋め尽くした文字列がクレジット部にパッと見たデザイン上の充足の感じを与えていた。そこに書かれているのは(氏は頑健な体の他の部分と同じく、何と70近い年齢になっても老眼とはほとんど無縁で、ために少し顔をCDケースに近づければたやすくそれらの細かな字を判読することが出来た)、リュリが21歳で表ジャケットに描かれたルイ14世付きの作曲家になってから30年間フランスの宮廷音楽と、1672年に独占的な権利を得た劇場を支配したこと、教会音楽から宮廷バレエ、さらにはモリエールと組んだ画期的な、町人貴族に代表される‘コメディ=バレ’へと音楽活動の幅を広げていったこと、そしてあまりにも有名な、テ・デウムの曲の演奏で棒を床について行う当時の方法で指揮を取っていた際に誤って自分の足をついてしまったがための死といった生涯が半分ほどで、後半部は彼の音楽には憂鬱、甘さ、悲劇性、高貴さ、勝利の輝かしさといったあらゆる感情が掃き集められており、合唱やオーケストラの書法が題材テキストのリズムによって編成を小さく、大きく変え、言葉の意味合いの変化によっていかに繊細に音楽表現を変えていくかといった音楽内容についての言及がある。


 ――もっとも、別に山本氏は棚の前にいつまでも立ち尽くしてこれらをいちいち読んでいたわけでもない。ざっと目を通しはしたが、これはこれから聴こうとする音楽CDに対して気持ちを高める準備運動のようなものなのだ。そして、誰しも夏の暑い日に冷たい水を前にしたらいつまでもその前で体操ばかりをやってもいられないだろう。彼はわくわくする気持ちで(ここでも再び皆にその能力があれば彼の内心の鼻歌のようなものを聞くことが出来ただろう)CDプレーヤーのトレイ部に手際よく取り出した銀のディスクを乗せると脇の小さなボタンを押して閉じ、オーディオラックの天板に置いてあるリモコン装置を手に取ると、CDケースを持ったままオーディオセットに向かい合った安楽椅子に緩んだ笑顔で腰を下ろした。リモコンをCDプレーヤーに向け、柔らかいゴムの再生ボタンを押すと、一瞬の読み取り時間の後――音楽が鳴り響き始めた。

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クラシック愛盤家山本氏の危機 猫大好き @nekodaisukimyaw

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