第8場:山本氏のCDコレクション

 山本氏は気を取り直すと、きびきびと目の前のフレーム立てから、ジャケットをこちらに向けたCDケースを取り上げて手慣れた動きでそれを開けると、プレーヤーから伸び出て開けられたままのトレイの上のチェロソナタのCDを取って綺麗に内部の爪部分にはまるようにして収めた。


 CDケースを閉じると、オーディオラックの側に立つ高価なトールボーイスピーカーにぶつからないように慎重に足を踏み出し、体を軽く捻って大きく回り込んで右側の棚の前に立つ。部屋の天井近くまでそびえ立つ高さ2.2メートル、横幅90センチほどの黒褐色の二つの木棚は側板に等間隔に開けられた丸穴のピッチで棚板の高さを調節可能で、氏の収納する様々な物とその種類に合わせて各棚スペースの高さが合わせられており、氏の今立つ右側の木棚は一番下の段がやや高めに、二段目以降は20センチほどの小刻みな高さが続き、一番上の段が最も高くスペースを取って仕分けられていた。


 氏は木棚に真正面からぶつからないよう身を斜めに屈めて、手にしたG女史によるメンデルスゾーンとR.シュトラウスのチェロソナタのCDを下から四段目のスペースに収めると、背を伸ばし、棚の上の方を見上げてそこから何やら見つけようとし出した。


 ここでもし皆に氏の内心の声を聴く能力というものがあったならば、恐らく、脳が半ば指令を出しているにもかかわらず、各種発声筋が実際には働いておらず、いわば現実の音となりきれていない、氏の心の内と外界の境の虚構の空間に漂う彼の楽しげな鼻歌のようなものを聞き取ることが出来ただろう。けだしその通りで、今氏のまなこは広がって瞳はキラキラと輝き、鼻腔は軽く開き、口角もまた少し吊り上がっていた。肌もまた、もともともうすぐ70になろうという年にしてはなかなか張りのある方だったが、今この棚の前に立つと一層つやつやと若返ったように見えないか?


 実際その通りで、氏はその心を浮き立たせていたのだった。今氏が立つ右の木棚は一番上の棚を除き、一番下から、上の方までぎっしりとCDで埋め尽くされていた。全て長年に渡って氏が集め続けてきたクラシックCDだ。そしてクラシック愛盤家にかかわらず、およそ蒐集を生きがいとする蒐集家マニアで、自身のコレクションを目にして喜びに弾けない者があろうか。さらに氏は今まさにその蒐集物コレクションを実際に愛で、観賞しようという瞬間ときに向かい合っているのだ。


 氏は身を伸ばし、きょろきょろと上から二番目の棚の中を覗いた。そのスペースに氏が今探し求めているCDが収められているはずなのだ。


 これでどうして、氏は家事に関しては割と無頓着だが、こと自分の関わる領分となると仕事でも作業でも几帳面で、まして、自身の偏愛するクラシック音楽の事となると、その性質が一層強く発揮され、他の蒐集家マニアが自分の趣味の領域≪ジャンル≫に対してきちんとした分類整理の欲望を持つように、きれいにCDを整頓したいという強い欲求を持っていたが、実際に整理するにあたって一つの難点に過去当たっていた。それは一に蒐集物を置くための場所スペースの問題であり、そしてそれに関連するが、実際に当のクラシックCDをしかるべき区分カテゴリへ割り振ることであった。


 氏が30数年前にこの家に越し、この書斎兼オーディオルームと決めた部屋に置くために買った、どっしりした木棚は、物に合わせて各棚板の高さを変えることが出来、多目的に収納できる上に、物を置くことの出来る棚板の広さが幅80センチ、奥行き40センチにも達するため、氏の自慢するCDコレクションを普段聴く分だけ充分に並べることが出来たが、反面、あまりに広すぎるためどうしても細かな区分を作ることができず、分類配置が大味になることは否めなかった。その上、当のクラシックCD自体の収録曲のカップリングの問題がある。例えば、作曲家別に分類するとしてモーツァルトとショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲が一つのアルバムに収められていた場合、二人の作曲家どちらのスペースに割り振ればいいのか? もし曲種別に分ける場合、同じ作曲家のチェロ協奏曲とチェロソナタが同時収録されていたら? 一人の演奏家のアルバムでバロックから現代曲まで幅広く一枚に収められている場合は? いや、とても無理だ。そこで氏はこの各棚スペースの細かな分類に向いていない広大な広さ――一つに1~5枚ほどまで入る特殊ケースによる誤差は多少出るが、前面と奥後面の二段配置で、各棚板に160枚ほど収納することが出来た――に合わせるため、各棚は大雑把な時代区分でその収納用途を割り振ることにしていた。すなわち、上二段目から下二段目までの等間隔に分けられた6スペースを、上から順に古楽(中世~バロック)、古典派、ロマン派オーケストラ曲、ロマン派室内~器楽曲、近代、近現代という風にだ。上に挙げたモーツァルトとショスタコーヴィチのような場合には、どちらか適当にメインと思われる曲か(それは大体アルバム全体に占める時間の割合で決められたが)、あるいは山本氏が気に入った方の曲と演奏に合わせて分類、その区分スペースに押し込まれていた。実際には、そう取り決めた区分に関わらず、山本氏の長年に渡る趣味嗜好の変化や、視野広がりにともなって(特にここ10数年ほどのクラシック演奏、録音のレパートリーの広がりは素晴らしいもので、かつては秘曲と呼ばれていた曲、ジャンルが各会社から何種類もリリースされるということもあった)、例えば、古楽のCDが下の古典派の棚にこぼれ落ちたり、逆に古典派の新たに発掘された曲の録音CDのリリースによって、ロマン派の棚区分スペースが上から侵食されるというようなことが頻繁に起こっていたが、まあそれは仕方のないことだ。一番下は近年ますます多種多様の発売の勢いを増すボックス物の収納に割り当てられていた。


 氏は172センチの背を、時には爪先立ちもしてなおもきょろきょろと、古楽に分類された上二段目の棚を探し回っていたが、やがて、目当てのものを見つけると、満足げな表情で腕を伸ばして、指の先に引っ掛けることでそれを取り出した。――N社から出ている、Nの指揮するLe C*の団体が演奏するリュリのグラン・モテ集だ。

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