第3場:山本氏は一人オーディオルームでにやける

 戸を開けると、そこは氏の書斎兼オーディオルームだった。木の板の壁と床張りの八畳ほどの広さで、入り口から右手側に隣家のガレージに面した腰高窓、奥手に、等身大の掃き出し窓の間取りで、後者は、氏と時子さんの和室を裏で連絡した細長い通路のようなフローリング部の掃き出し窓から出られる緑豊かな、両方の窓をつないで伸びている長方形の庭に面していた。右奥手の角に奥を向いた形で、上にパソコンが置かれた、右片側に引き出しを備え付けたつやつやした表面のダークブラウンの木の書斎机があり、また、左手の壁の両側に、高さ2.2メートルはある高さまでぎっしり物が詰めて並べられた、黒褐色の木の棚が2つ配置され、その真ん中に氏のオーディオセットが鎮座していた。部屋の中央のスペースには赤褐色の基調に白や茶色、黒の細かな模様が描かれた小さめの絨毯が敷かれ、それを挟んで、オーディオの真正面に位置する形で、座面と背もたれにブラウンレザーのクッションのしつらえられたシックな木調の安楽椅子がしつらえられている。


 氏は、部屋に入ると、屋内というのに浮き浮きした足取りで、真っ直ぐに部屋の中央に向かうと、絨毯の小さな面積の上に足を留め、もう毎日、何度目だかわからない、据え付けられたオーディオセットの一式に惚れ惚れと見とれた。


 いつもというわけでないが、大抵まず真っ先に目が行くのは、両側の棚に挟まれてできたスペース内で、棚の側、それより前面に少し押し出す形で配置された二つのトールボーイ型スピーカーだった。イギリスの老舗スピーカーメーカーB社の、長く支持されてきたお馴染みC*シリーズの一モデルだ。3年前心筋梗塞から退院した折、ちょうど退職金も入ってきたことだし、病魔からの気分を一新する意味合いに退職祝いも兼ねてペア50万を出してその当時の新モデルを購入したのだ。


 黒のアンダーボードの上に、高さ1メートルのすっきりしたフォルムのローズナットエンクロージャーが立ち上がり、3WAY4ユニット方式だ。スピーカーを覆うサランネットのカバーは取り外し、下二つの黒いウーファー、上2番目の黄色いスコーカ―、最上部の小さな銀のツイーターのユニットはむき出しになっている。サランネットは音に影響があるからという理由で取り外すというオーディオマニアも多いようだが、氏はそこまでの鋭敏な聴覚を持っておらず(実際、その話を聞いて聴き比べてみたのだが、氏にはピンと来なかったのだ)、ユニットをそのままむき出しにしたほうが外観上かっこいいという単純な理由でサランネットを取り外していた。ユニット部の保護という実際的な目的もあるが、そこまでの事が起こる心配はまあないだろう。唯一ありうるのは地震で倒れることだが、それもよほどの大地震が来ない限り考えられなかった。この細長い外観で、なんとまあ27キロもの重さがあるのだ。氏は、面倒なのと、普段それほど細かく気を遣っているわけでないものの、それでも部屋の床面に傷がつくのを恐れて実践していなかったが、もし底にスパイクを取り付けるとしたら、この重さともなると大仕事のようであった。


 氏はB社のC*スピーカーをしげしげと眺めやりながら、満足感に浸った。顔がニヤリと崩れるのが自分でも感じられた。氏はトールボーイ型のスピーカーが好きだった。実際はブックシェルフ型だろうと、正しく機種を選べば音質の善悪などないのだが、このすっきり立ち上がった木のエンクロージャーの細長い外観が両側に立ち並んでバランスを取っているところなど、単純にかっこよく、美しいではないか? また、スリムでいながら、どっしりとし、独特の存在感を放っている。オーディオは家具であり、インテリアでもあるとは大昔から言われていることだ。この家は郊外にあり、中古で買ったもので、そこまでの大金を出したわけではなかったが、一つの自慢が、築それなりに立っているにもかかわらず、太いいい木材が使われているため、全体に頑丈な作りとなっていることで、中でも氏がこの書斎兼オーディオルームに選んだ部屋は壁や床に触れた際のしっかり反発した感触から特にがっしりとした印象のため、トールボーイ型のこのスピーカーの質感とよく合っていた。本当は同じイギリス製のK社のスピーカーも気になったのだが、そちらはやや横幅が広く、全体に大柄で、威圧的な感じがしたので買うのを控えた。もっとも、音質は素晴らしかった。それこそ老舗どころか20世紀初頭から活動しているT社は別だが、K社、それに氏が所有するB社のスピーカーといい、イギリスのメーカーが作るスピーカーは癖が無く、何でも綺麗にバランスよく鳴らすことが出来る。数ある音楽ジャンルでもクラシックをこよなく愛する――氏は根っからのクラシック音楽愛好家であった――氏にとって、ざっと800年以上の伝統、現代曲は世界中の地域の幅がある、あまりに多様なクラシック音楽を過不足鳴らすにはこのスピーカーがちょうどいいのであった。そして、嬉しい驚きではあるが、当初――この家に引っ越してこの部屋にオーディオをしつらえ始めた30数年前――懸念された、両側にでんとした棚を置き、その間にオーディオシステムを配置するという事であるが、迫った棚角がちょうどスピーカーの低音を増幅し、強調する作用を果たし、オーケストラを実によく鳴らしてくれるということがあった。

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