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どうして、
「どうして、此処に居るの?」
「君が本当は寂しがり屋だから、かな」
「意味がわからない」
「わからなくていいよ。今はまだ」
「……」
「なんて、冗談。ただなんとなく来てみただけだよ。此処からだと色々とよく見えるから」
「なにが見えるの?」
「空、山、街、人。向日葵も見えるよ、もうすぐ咲くんだ」
「そう」
「――これから言うのは、独り言だけどね、」
どうして、そんな目をして私のことを見ているの。
蜩の羽音が遠くなった。
♪
「嘘を吐き続けるのって、苦しくない?」
好きなものを好きと言えない。
嫌いなものを嫌いと言えない。
それって、僕が想像するよりもずっと辛いことだと思うんだ。
執着したり、拒絶したり。
必ずしも自分の意思の歯車と噛み合う訳じゃない。ひとつの嘘はまた次の嘘を生む。終わらない連鎖。けれどその輪の中で、藻掻いているように感じてならないから。
なにが君を縛っているのか、なにに君は囚われているのか、どうしてそんなに頑ななのか、僕にはわからない。
それでも僕は、
「君の本当の声が聴きたいと思うんだ」
♪
「――私、本当は、」
可愛らしい桃色なんて大嫌いだった。
少し濃い味付けも、甘口の沢庵も、好きなんかじゃない。
私はどんな色より青が好き。料理は給食みたいな薄味が好きだし、沢庵は古漬けの方が好き。桃色が好きなのは、少し濃い味付けや甘い沢庵が好きなのは、私じゃない。
私は私、ユリじゃない。
演じることは出来ても同一個体になんてなれっこない。当然のように笑顔で渡された桃色のランドセル。押し付けないで。
……ずっと、苦しかった。
どうして私を見てくれないの?
どんなにいい成績を取っても、運動会で一番になっても。いい子だね、頑張ったね、その言葉は私をすり抜けて何処に行った? 一挙手一投足、比較される。
ユリをなぞることしか、許されなかった。
どうして私を連れてきたの?
あなた達は
「死んだ娘の代わりの人形が欲しかっただけじゃない……ッ!」
♪
一度ヒビが入ってしまえば決壊は容易い。
堰を切った言葉は、熱を持って加速する。胸の奥で渦を巻いていたタール。感情が溢れ出す。
彼はずっと黙っていた。
表情はわからない。けれど、私の叩き付けた言葉のひとつひとつを掬い上げるように、ただ静かに聞いていた。肯定も否定もしないで。それが嬉しかった。
すべてを吐き出した後には、なにも残らなかった。打ちっぱなしのコンクリートに塩水が垂れる。ぽた、ぽたぽた。ミィン、と一際高い羽音。大きく肩で息をする。
「……独り言、だけど」
呼吸混じりに、呟く。
眦から頬へと伝うものは、拭う気にもならなかった。
♪
「優しいね」
不意に、彼が言った。
「……優しくなんか、ない」
「どうして? ずっと言わないでいたんでしょう、誰も傷付かないように」
「ただの偽善、だもの」
「うん、端から見たらそうかもしれない。だけど、優しくないひとはそんな表情しないから。だから、僕は君のことを優しいって言い続けるよ。たとえ誰が違うって言ったって、ね」
「……お人好し……」
「はは、よく言われる」
釣られて、笑った。
人前で声を上げて笑ったのは、生まれて初めてかもしれない。
「おんなじだね、この前と」
「そうだね」
涙はいつの間にか止まっていた。
♪
悲しそうな、何処か寂しそうな。
そんな顔で、彼は言う。
「どうしても、行ってしまうの?」
「もう決めたことだから。私の最初で最後の我が儘、だから」
「……そっか」
「止めないの?」
「言っても聞かないだろうし、引き留めたら、君は傷付くでしょう?」
「なんでもお見通しなんだね」
「うん。君のこと、ずっと見てたから」
「……ごめんね」
「じゃあ、そろそろ僕は行くよ」
「うん。ありがとう、いろいろと」
「どういたしまして」
「……じゃあ、ばいばい」
「そうだ」
扉の前で立ち止まり、振り向いた彼。
「最後に、君の名前を教えて」
「私の名前は、……――」
♪
錆びた蝶番の音。
空が蒼に染まるのを待つ。
澄んだ風が吹き抜ける。
さようなら、ユリ。
おかえりなさい、私。
フェンスの向こう側の空へと、飛んだ。
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