第17話 非道な敵はあたしが倒す!



    ☆



 その頃、恐ろしい拷問はいよいよ佳境を迎えていた。


「はあっ、はあっ、はあっ、…………」


 手首を釣り下げられたまま、ミナは半ば混濁した様子で頼りなげに頭を揺らめかす。

 絶え間なくつづけられる責め苦に、脳はもはや飽和状態となり、全身が泥のように疲れ切っている。

 それでも、拷問は無情につづいていた。


「そーれ、こちょこちょこちょ!」

「あひゃははははは、いやあはははは、やめはははははっ」


 サンドラが指の動きを止めた。ミナはふたたびがっくりと体を弛緩させる。

 ちなみに、冒頭の部分は笑いすぎによる息切れである。


「さあ、素直におっしゃい。強制執行局はこの世界にどこまで関与するつもり? 局長のフォーチュン自身が実働しているくらいだもの、かなり要度の高い作戦のはずだわ。同じ作戦に従事しているあなたが、詳しい作戦概要を知らないはずがない。この世界に戦闘装甲服はいくつ入ってるの?」

「ほ……ほんとうに、そんなの知らないんですぅ……」

「あ、そう」

「ひひひはははは、もうひゃめ、ひゃめへははははは、おっお願いはははは、許して、許してぇははははははは」

「どう、正直にいう? どうしてもいわないのなら、このまま文字通り笑って死んでいくことになるわよ」

「ほん、ほほはははは、ほんとに、知らにゃ、知らひひひひひひ」


 思わず魔女みたいな笑い方になる。間断なくつづく刺激に、そろそろ理性がダメになりかけているのだ。


「た、助けへへへははは」


 ミナは身をよじって、サンドラの指から逃れようという十数度目かの努力をした。けれども、鎖に釣り下げられたままではやはりどうにもならない。

 業を煮やしたサンドラの指がついと動き、ミナの脇腹を這い昇ってきた。わきの下まで指をそわせると、触れるかどうかという微妙な位置に指先をあわせる。

 相手の意図に気づいたミナが、悲鳴を上げた。


「だっだめっ、そこはほんとに弱いんです!」


 といいたかったのだが、いえなかった。その時にはもう、指が妖しくも残酷な動きをはじめていたからだ。

 ミナにできたのは、笑い苦しむことだけ。


「ひひひひ、ひぃ、ひー……」


 もはや言葉らしきものさえ口にできず、ひたすらサンドラの行う拷問に責め苛まれる。腕を釣り上げられ、まったく無防備にされたわきの下までくすぐられてはたまらない。

 あまりに笑いすぎて、げほげほ、と喉が鳴った。このままでは腹筋がちぎれるか、呼吸困難に陥って本当に死んでしまう。


(サツキさん、助けてぇ……!)


 もはや笑いすぎて何がなんだかわからなくなり、涙がぼろぼろとこぼれる。


「しぶとい娘ね」


 サンドラはぺろ、と舌で唇を湿らせた。


「いいわ、そういうつもりなら、もうこの指を止めないから。このままあの世に旅立たせてあげる。それとも紙一重の向こう側かしら。うふふふっ」


 なぜか吐息を熱くしながら、瞳を残酷に光らせていよいよとどめのくすぐりにかかろうとする。

 と、そのとき。

 部屋に、不粋な警報音が鳴り響いた。


「……侵入者?」


 命冥加な娘だわね、と残念そうに舌打ちしてミナから離れ、サンドラはコンソールに駆け寄った。

 モニターに映るデータは、とても奇妙なものだった。

 半径二〇メートル圏内に、分子凝縮フィールドの発生を確認――


「……ベリアルが戻ってきたの?」


 サンドラは小首を傾げた。甲冑形成アプリのデバッグが終わったのだろうか。

 でも、何故こんなところで甲冑を身につけなければならないのだろう。


「――あ!」


 突然、ある可能性に思いいたり、サンドラは口元に手を当てた。

 いそいでミナのところへ駆け戻り、ぐったりとした体を眺めまわす。

 しばらく思案深げに目を細めていたが、不意に視線が、ミナの頭から伸びているアホ毛に吸い寄せられた。

 サンドラの目が見開かれた。やおら手を伸ばし、探るような手つきで碧みがかったアホ毛をもむ。

 他の細くて柔らかな髪質とは明らかに違う、太くたわんだ固い髪。

 いや。髪に似せた作られた、非常用発信器だ。


「……ちっ! 正義の味方のお出ましってわけ!?」


 サンドラは瞳を煌めかせ、憎々しげに吠えた。






「でえええっ!?」


 ヘルメットのなかで、皐月は思わず悲鳴をあげた。

 庭から跳躍して侵入を図ろうとしたのだが、バーニアによるアシストは初体験だったために目測を誤ってしまったのだ。窓ではなくその上の老朽化した壁をぶち破り、そのまま二階の部屋の天井にまで上体をつっこんでしまう。

 戦闘装甲服のおかげで怪我はないが、驚いたせいで心臓はばくばくいっている。


「てえ、このっ」


 体のめりこんだ天井を、戦闘装甲服によって力の倍加された手刀で破壊し、ようやく板張の床に降り立つ。


「あーびっくりした。……タウ、一階をスキャンしろ!」


 皐月は床を見下ろした。光増幅されていたバイザーの視界が、即座に熱像モードへ切り替わり、真下の部屋にふたりの人間のいることを示した。ふたたび識別信号で確認したのか、ミナと敵が区別して表示される。

 ミナに被害の及ばないよう広い部屋の端まで跳んで、皐月は掌底を床に押しあてた。


「ハンドレゾネイト!」


 叫んだとたん、掌に並ぶ微細な振動板が稼働して床へ超高周波を見舞う。ものの二秒とかからず床が震動粉砕され、皐月はずぶりと沈み込むようにして床を抜け落ちた。

 一階へ着地すると同時に顔をあげ、状況を直接目視する。

 ミナは鎖で手首を戒められ、天井から釣り下げられていた。


「ミナ、無事か!?」


 あまり無事そうではなかった。はたして何をされたのか、明るく可愛らしかった顔は、無残なほどやつれ果てていた。

 顔には涙とよだれのあとがあり、全身疲れ切ったようにうなだれている。


「ミナ!」


 皐月はあわてて駆けよった。


「おい、大丈夫か、しっかりしろっ!」


 体をがくがくと揺さぶる。だが、まったく反応がない。


「くっ」


 皐月は、部屋の端に例の衣裳を着て立っているサンドラへ、物凄い形相で向きなおった。


「てめえ、ミナにいったい何しやがったぁ!」

「あーら、他人の家にノックもせず侵入しておいて、ずいぶんな口のききようね」


 サンドラは馬鹿にするように笑った。

 いつからあなたの家になったんですか。


「それに、たいしたことはしてないわ。その娘があんまり強情を張るものだから、ついついやりすぎちゃったけど」


 といって、ミナに目線を移す。


「どうせこうしてばれるんだから、素直に吐けばよかったのにねえ。そうすれば、あんなに苦しまずにすんだのよ。馬鹿な娘だわ」

「苦しむだと?」


 バイザーの奥で、皐月の瞳がぎらりと光った。


「まさかてめえ……ミナを拷問にかけやがったな!」

「あら、わかったかしら?」


 ころころと笑う。


「そうなのよ。でもその娘ったら、あれだけしても何にもいわないし、あなたのことも全然話してくれなくて、正直困ってたの。そっちから来てくれて大助かりだわ。あっははは」

「!……!」


 皐月の全身が、かっと熱くなった。

 あたしのために……!


「許さねえ、てめえ……絶対に許さねえぞ!」


 激情に堪えかね、喉奥から怒りに満ちた声を絞りだす。

 どんな拷問か知っていたら、こんな声をだせたかどうか。


「はん。どう許さないっていうの。小娘が!」


 とサンドラ。


「おとなしくその戦闘装甲服を渡しなさい。悪いことはいわないわ。どこの誰だか知らないけど、あなたは本来部外者でしょう? 部外者は部外者らしく、己の分をわきまえて関わらないほうが身のためよ」

「あたしは小娘じゃない。愛と正義の騎士、特捜ナイトサンダーだ!」


 皐月は大声で宣言した。


「ミナとあたしの分、たっぷり返させてもらうぜ!」

「あんたの分?」


 サンドラが怪訝そうにつぶやく。それにはかまわず、皐月は猛然と挑みかかった。

 だが、サンドラの動きはやはり速い。素早く送り込んだ平拳をあっさりかわされる。

 逃げる敵を左に追いざま、皐月は身をひねらせて後ろ回し蹴りを放つ。だが、飛んできた戦闘装甲服の右踵を低く伏せてかわすと、サンドラはそのまま実験室へ通じる監視窓を体当たりでぶち破った。


「この、ちょこまかと!」

「ふっ! あわてなくても、あなたの相手はこの子でしてあげるわ!」


 実験室に降りたって叫ぶと、サンドラはチェンバー内に鎮座していたロボットの背中にまわり、ハッチを開いた。

 そのまま、なかに滑り込む。


「やろぉ、逃げるのかよ卑怯ものっ。正々堂々と戦え!」


 皐月が、割れた窓枠に手をかけてわめく。


「甘いこといってるんじゃないわよ、小娘が!」


 狭いコクピットに身を押し込み、サンドラはジェネレーターを始動した。制御系を手動モードに切り替え、メインコンピュータから操縦権を手元に移す。


 これを形成しておいてよかったわ、とサンドラは思った。昼間のような素手の相手ならともかく、相手も戦闘装甲服では、条件が五分の戦いになってしまう。それだけは避けたい、というのが彼女の思考法だった。


 戦いとは勝つか負けるかではない。必ず勝つのが戦いなのだ。

 そのためには、あらゆる手段が正当化される。


「まったく、ベリアルといいこいつといい、どうして肉弾派は一対一とか正々堂々なんてことにこだわるのかしら。理解に苦しむわ!」


 吐き捨てるようにいう。


「でも、せっかく来てくれたんだもの。心配しなくても、たっぷりともてなしてあげるわよ」


 電源の入った五面のモニターが像を結び、周囲の状況を映し出す。正面モニターのなかで、サンダーはロボットと自分の背後を交互に見ていたが、すぐに砕けた窓を離れて部屋の奥へと引っ込んだ。どうやら、ミナを助けだすほうを優先したらしい。


「ふっ。さすが正義の味方ね、敵を前にして仲間の救出とは」


 準備の時間ができてよかったわ、と思いながらサンドラはうそぶいた。


「でも、どの道あなたたちは今夜死ぬのよ! イコールコンディションフェチのベリアルと違って、あたしはより華麗で繊細で美しい兵器を使って圧倒的に蹂躙するのが好きなの!」


 ずんぐりむっくりの四本脚釣り鐘型ロボットのなかで、サンドラは妖しく微笑んだ。


「ナイトサンダーですって? なんて武骨で前近代的な名前! 私のカトリーヌの偉大さを思い知りなさい! いくわよ、カトリーヌ!」


 サンドラはペダルを踏みこみ、コクピットのアームバーを倒した。ずんぐりむっくりの四本脚釣り鐘型ロボット改めカトリーヌが、クオオオオ、とジェネレーターの高回転ハム音も高らかに動きだす。周囲のチェンバーをひんまげ、実験室の壁に体当たりしはじめる。

 やがて補強された壁をぶちぬき、元の部屋へ乱入すると、低い天井を突き崩しながら皐月に襲いかかった。


「サンダーを潰すのよ、カトリーヌ!」

「力の抜ける名前つけるんじゃねえ!」


 鎖を断ち切って解放したミナを抱え、皐月はドアを蹴り破って廊下におどりでた。右の突き当たりにある窓を破って外へ飛びだす。


「あーっははは! 逃がさないわよ!」


 アームバーを互い違いに倒してカトリーヌの巨体を転回させると、サンドラは破壊的な前進を開始した。

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