第16話 友達は友達のままでいいと思うんだ、うん



    4



 数時間後。

 皐月たちは夜陰に紛れて、古色騒然とした廃屋のような洋館の塀ぎわに陣取っていた。


 周囲の住宅街はすでに宵のなかに沈み、家屋の窓からは暖かそうな光が漏れている。TVの音や、一家の団欒の声なんかも聞こえてくる。ちょうど夕食時なのだ。

 生活臭ただよう町の宵刻に、ただ一ヶ所、静まりかえった真っ暗な館の佇まいは、たいそう不気味であった。


 皐月は、館の正門をちらちらと盗み見た。さびた大きな鉄扉には何重にも鎖が巻かれ、もはやそこで生活する者が絶えて久しいことを示している。

 だが――


「間違いないんだな?」

「間違いありません」


 皐月の手のなかで、タウが囁いた。


「二分前にも、電波の発信を確認しました。ミナさんは、絶対あの中にいます」


 少女救出のために緊張した会話をかわす、一人と一台。

 その傍らで、葵は買ったばかりのキャノンEOSの動作確認に余念がない。

 皐月は頭を抱えた。


「なあ、葵……」

「いわないで」


 すでに報道カメラマンになりきっている葵はぴしゃりといった。


「こんな大スクープ、みすみす逃してたまるもんですか。悪いけど、なんていおうと無駄よ。だいたい、これは異世界からの侵略なんでしょ? 絶対世の中にひろく伝えるべきよ」

「……皐月さん、話が違うじゃないですか!」


 タウが抗議するのも当然といえよう。


「口が堅いっていうからぼくは正体を明かしたのに、これでは強制執行局の機密作戦にケチがつきます。中央立法院にだって調査機関くらいはあるんですよ! この世界にひろく作戦内容が報道されて、万一中央立法院に漏れたりしたら、作戦継続にも支障が……」

「わかってるよ。だから今からちゃんと説得するってば」

「しなくていいから。悪いけど、今回は本当に聞く気ないの」


 真剣な表情の葵を、皐月は半ばあきれ顔で見つめた。

 だめだこりゃ。こいつ、ほんとにいうこと聞きそうにない。

 やれやれと頭を振り、視線を屋敷の門扉に戻す。

 それでも一応いってみた。


「……葵、あたしはこれからあの館に押し入って、ミナを助けだすつもりだ」

「うん、がんばってね。わたしも入るけど、足手まといにはならないから」

「あたしが突入して一〇分たっても戻らなかったら、あんたは警察に連絡して、あの女のことを話すんだ。あっちの」


 といって、最近はめっきり数の少なくなった公衆電話ボックスを指さす。


「あの電話を使え。そうすりゃ、警察にあんたの番号は伝わらずにすむ。いいな」

「よくない」


 葵は即座に拒否した。


「わたしも行く。悪いけど、これは絶対譲れないわよ、いくらあなたの頼みでも」

「……どうしてもか?」

「うん。これだけのチャンス、滅多にないもん。お願いだから、もういわないで」

「がんこなやつだな」

「お互いさまでしょ」


 その返事に皐月は苦笑した。天を仰ぐ。

 ……しようがないな。この手だけは使いたくなかったんだけど。


「なあ葵、覚えてるか。中二のときさ、こんな手紙があたしんとこに来たっけな。

『親愛なる宮脇皐月さま。あなたとはいつもメールや電話やノートのやりとりをしているけれど、親愛なる、なんて書き出しは初めてね。でも、この手紙ではどうしてもそう書きたいの』」


 葵の顔にものすごい驚愕が走った。


「『まずはじめに書いておきたいのは、これはけっして冗談だったり、あなたをからかったりしているのではないということです。それから、もしあなたが少しでも私のことを気に入らなかったりしている部分があるなら、この下はどうかもう読まないでください』」

「皐月ぃ!」

「それからこうだっけ?」


 皐月は、自分の口をふさごうとしがみついてきた葵の手を軽くあしらった。


「『私、あなたのことが好きです。あなたは友達としてだと思うかもしれないけど、そうじゃないの。……私、あなたに恋をしているの』」

「やめてってばぁ!」

「あたし、あの手紙まだ持ってんだよな」


 皐月はわざと意地悪い口調でいった。


「学校の掲示板に貼ったらみんな大騒ぎだぜ。新聞部の副部長は、その昔、空手部主将に禁断の恋をしていたのです」

「やめて! やめてよそんなこと! だいたい、なんで今さらそんな文面そらんじられるのよお!」

「だって、あたしあンとき真剣悩んだもん。葵のことは好きだけど、友達としてだったし。あたしノーマルだし、といって葵を傷つけたくもなかったし。一週間くらい、一字一句全部覚えこんじゃうくらい何度も手紙読み返して、その間空手も勉強も何にも手につかなかったんだぜ」

「あああれは……あれはちょっとした勘違いだったの! 過ちなの! 思春期特有の、なんというか……あああ、とにかくあれはもう無かったことなんだからあ!」

「そうだよなあ。あの手紙が、まだあたしの机ンなかにあるってことをのぞけばさ」

「皐月ぃ」


 葵はがばっ、と皐月にしがみついた。世にも情けない声で、


「わたしたちの仲でそれはないでしょ、ねっねっ? 友達困らせて楽しいの?」

「楽しくはないけど、あんたがあたしを困らせるんだからしようがないよ。どうする? あんたがどうしてもこの件をスクープするって言い張るんなら、あたしもあの手紙を公開する。あんたが黙ってるならあたしも黙ってる。どう?」

「…………」

「葵?」

「……ああんもう、わかったわよ!」


 葵はくやしそうにいうと、カメラから記録メディアを抜き出す。

 そのまま皐月に手渡した。


「これでいいんでしょ!」

「オッケ。それでこそあたしの葵だよ」


 皐月はにっこりと微笑んだ。親指を立ててみせる。


「まあ、そうくさるなって。今度ケーキバイキングに連れてってやるから」

「一軒じゃだめだからね! はしごするんだからね!」

「わあったわあった。ってか太るだろ、それじゃ。……さあて、じゃあ問題が片づいたところでぼちぼち行くか。こんなところで、いつまでもまごまごしてらンねえからな」

「ねえ、皐月。行くのはいいけど、そのかわりひとつ約束して」

「なんだい」

「絶対、無事に帰ってきてよ」


 唐突な言葉に、皐月は葵の顔をまじまじと見返した。

 葵の目は、これまで見たこともないくらいに真っすぐだった。


「もしあなたに何かあったら、手紙のこという人だっていなくなるもん。もう遠慮なくナイトエンジェルやあの女のことスクープして、学園新聞に記事を載せまくるからね。ネットにだって投稿するんだから」

「……あいにくだね、絶対にスクープなんてさせやしないよ」


 皐月はにやりと笑った。


「じゃあな。電話のほう、頼むぜ」

「うん」


 皐月はきびすを返すと、館をめぐる高い塀に手をかけ、身軽に乗り越えた。

 塀が音を遮ったため、道路側に残った葵のつぶやきが聞こえたのはタウだけだった。


「やんなっちゃうな。皐月ったら、わたしが好きになったときのまんまなんだもん。

 ……あなたが男なら、迷わずお嫁にいっちゃうよ、わたし……」






 手入れもされず雑草の生い茂った庭を、皐月は草擦れの音にも気を使って、少しずつ館に近づいていった。


「どうだ?」

「いくつか熱源があります。……人間の反応は二つ。ちょっと待ってください」


 タウはナノセコンドで識別要請信号を発した。ミナの非常用発信器から反応が返る。


「確認。一人はミナさんです。もう一人はわかりませんが、おそらく敵の特務戦士でしょう」

「よし」


 皐月は強くうなずいた。

 よくもこのあたしを、卑怯な手で地べたに這わせてくれたな。目にもの見せてやる。


「いいか。変化したらすぐジャンプして二階の窓から突っ込む。一気にカタをつけるぞ」

「はい。でも大丈夫ですか、体調のほうは?」

「もう回復したよ。余計な気は回すな。あんたはあたしのバックアップだけしてくれりゃいい」

「ほんとにそうならいいですけど……」

「大丈夫だ」


 皐月はぴしゃりといった。

 本当は、完全に回復したわけではない。感覚で六、七割といったところか。

 だが、どのみち乗り込まないことには、ミナを救うことはできないのだ。


 それでなくとも、攫われてから場所を特定するまでに時間がかかりすぎている。その間にミナがどんな目にあわされているか。

 それを思えば、ちょっとやそっとの不調など。


「出たとこ勝負でいくさ。あたしは借りは返す女だからな」


 皐月は静かにつぶやいた。


「ミナ、無事でいろよ。――シフト、バトルドレス!」

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