第15話 あの子はあたしが助け出す



    ☆



「ねえ、教えてよ。あの子一体なんなの? なんであの変な女に連れていかれたの? あの甲冑、ベリアルのに似てたけどどういうことなの? 皐月、なにか知ってるんでしょう!?」


 好奇心の塊である葵が、矢継ぎ早にきいてくる。


「少し黙っててくれ」


 皐月はいらついた声でいった。答えてやりたいのは山々だが、それどころではないのだ。

 葵に肩を貸してもらいながら、ふらつく足取りでマンションの居室のドアをあける。体中にびっしょりと汗をかいていた。先ほど食らった電撃スタンが、かなり応えている。


「でも……」

「いいからっ」


 なおもいいつのろうとする友人の言葉を封じて、皐月は奥の寝室へと入っていった。葵が、気遣わしそうにベッドまで支えていこうとする。横になりたいのだと思ったのだろう。

 けれども、休んでいる暇はない。

 皐月は部屋の隅にいくと、カーペットに膝をついた。そこにまだ転がりっぱなしのタウを拾いあげる。


「タウ、ミナが攫われた。……力を貸してくれ」


 苦しげにうめく。

 だが、タウはうんともすんともいわない。


「おい、どうしたんだよ。壊れちまったのか?」


 うねうねとした黒いラインの入った黄色い球面を、皐月は手荒にたたいた。

 それでも、やはり応えがない。そらっとぼけているのか、あるいは、すべてを演算処理で決める血の通わないAIにとって役割を終えたミナなどもはや無価値なのか、何の反応も返さない。

 皐月はかっとなった。


「てめえ、ふざけんなよ! ミナがお前らのいう犯罪なんとかっていう奴に攫われたんだぞ! このやろ、まだ拗ねてやがんのか!」


 ひと息に怒鳴ると、そのまま荒い息をついてAIの反応を待つ。

 しばらく待ったが、やはり何も返ってこない。

 皐月は体を震わせた。額を流れる脂汗が、形の良い顎からしたたり落ちた。


「……そうかい、わかったよ、もう頼まない。あたしが一人でミナを助けだしてやる。あんたみたいな冷たい屑鉄は、どこへなりと消えちまいな!」


 そう吐き捨てると、皐月は窓辺に近づいた。ガラス窓を開け、外へ放り投げようと腕を振りかぶる。

 そのとき。


「ね……ねえ? どうしちゃったの?……」


 後ろから困惑しきった声がして、皐月は思わず手を止めてふりかえった。

 葵が、茫然とした面持ちでこちらを見ていた。

 部屋へ戻るなり、奇妙な金属の塊に怒鳴りはじめた友人の奇行をどう受けとめたらいいのか、彼女にはわからなかったのだろう。ひどく心配そうな面持ちだ。

 というより、正気を疑っているような目つきである。


 皐月はようやく気がついた。

 タウは、部外者である葵を極度に警戒しているのだ。


「皐月、大丈夫? しっかりしてる?」


 葵は皐月の瞳の前で、手のひらを軽く振ってみせた。


「……葵。悪いけど、外に出ててくれ」

「ええ? な、なんで?」

「いいから。今日はもう帰ってくれ。また後で連絡する」

「……だめよ。わたし、行けない」


 葵の応えには、ある種の決意を感じさせる響きがあった。


「葵!」

「ねえ皐月、あなた、電気でお腹をやられたんでしょ。先に病院へ行きましょう。わたしが連れてったげる」


 早口でしゃべると、葵はあわてたように友人のたくましい腕へひっしとしがみついた。

 不安そうな瞳を見れば、お腹より別のところを心配しているのは明らかだった。


「……ちょっと待てよ、おい」

「大丈夫、きっと一時的なものよ。電気のせいで、神経が混乱しちゃってるんだわ。病院へ行けば、きっとすぐに治るから」


 何が治ると思っているのだろうか。


「あんた、なんか勘違いしてないか? あたしはべつに」

「わかってるわ、もちろん。皐月のことはよくわかってる。だから、こんな変なものを相手にしてないで。ね? 大丈夫よ、わたし、ずっと傍についてる。小学校から今まで、ずっと一緒だったじゃない」


 葵の目元に、いきなり涙が浮かびはじめた。

 どうやら言葉にしたせいで、これまで一緒に遊んだ思い出の数々が心にフラッシュバックしてしまったらしい。


「い、いや、あのな……」


 皐月はあわてた。こんなことをしている場合ではないのに。

 けれども、腕を振りほどこうとすると、葵はかえってぎゅっとしがみついてくる。いまや使命感に燃えているようである。

 下手な言い逃れは通じそうにない。

 皐月はちょっとだけ迷ってから、腹を決めた。


「……タウ、こいつはあたしの親友だ。いちばん信頼してる、口の堅いやつだ」


 据わった瞳でタウを見つめ、語りかける。

 本当は、特ダネについては口に羽が生えているのだが。


「こいつならお前の正体は話さない。あたしが話させない。約束する。だから今すぐ協力してくれ」

「…………」

「タウ、早くしないと手遅れになるかもしれないんだよ! ミナがこのまま帰ってこなくてもいいのかよ! お前、ミナのこと健気だとかなんとかいってたじゃねえか!」

「…………。

 ……本当に口は堅いんですか?」


 AIが、恐るおそる体を振動させて、声を発した。

 そのとたん、葵の目と口は真丸になった。

 愕然とした様子で、人語を話す金属の塊を見つめる。


「堅いさ。なあ?」


 皐月が葵へ声を投げた。


「……は、ははえ?」

「堅いだろ? な? あんたは口のかたいヤツだよな?」


 何度も繰り返し、瞳で「うなずけ、うなずけ!」と必死で伝える。

 それでようやく言葉の意味が脳に染み込んだらしい。葵はかくかくと首を縦に振った。


「か、かたいかたかたた……」

「それでいい。……タウ、確かミナは最初につけられてるとかいってたな。そいつか?」

「まず間違いありません。ぼくのレーダーでも確認しました。しかし、このへんは住宅街でもろもろの構造物が多いですから、ぼくに搭載された微弱電力の簡易型レーダーではもう反応が……」

「優秀なんじゃなかったのかよ!」

「それはナイトサンダー形態のときです! 変化すればアプリにそって高性能の付属機器は形成できますが、今のこの状態では」

「じゃあナイトサンダーにシフトすれば追えるんだな!」

「無理です。サンダーにはレーダーは積んでませんから」


 皐月はずっこけそうになった。


「てめえぇ!」


 ぎゅぎゅう、と両手でタウを締めつける。


「お、おぢづいでぐだざい。れーだーでば無理でずが、ミナざんばばっじんぎを持っでまず」


 表面の振動を妨害され、タウは不明瞭な声を出した。


「でんばばっじんを待っでばじょをどぐでいずれば、ぎゅうじゅづにいぐごどば……や、やめで……ぞれだげばがんべんじで……」

「ばかやろ、あたしはあんたに期待してたんだぞっ。それを、それをっ……本調子なら、あんたなんか握り潰してやるところだ……!」ぎゅぎゅう。

「ぞればいぐらなんでも無理でず。じんりぎでぼぐをばがいするごどばぶがのうで」

「じゃあ海に沈めて、さびるまで放っておいてやるう……!」ぎゅっぎゅっ。

「あ、ぞればない……ぼぐだぢばバードナーでじょう」

「うるせえ、あたしの体見たくせにっ……あんたのことなんか知ったことか……!」さらにぎゅう。

「……はっ」


 葵がようやく我に返ったとき、皐月は顔を真っ赤にしてAIを握り締めていた。


「あっ、な、なにが……あ、やだ、ちょっと、落ちついてよ皐月! この子苦しがってるわ!」


 葵はあわててとびつき、皐月の手をあっさりと開いてタウを解放する。普段なら皐月の握力に葵がかなうはずなどないのだが、やはり電撃がかなり効いているようだ。


「……なんだ、もうショックから立ち直ったのか」


 皐月は荒く息をつきながらいった。


「ん、ま、まあ……なんとか」


 葵はまだ興奮しているようだ。


「それに、やっぱりジャーナリズムっていうのは、目の前の現実をとりあえず受け入れることからはじまるのよ。

 それはそれとして、よしよし、安心して。もう平気だからね」


 タウに優しく囁く。その瞳は、まるで新しい玩具を手に入れた子供のように輝いていた。

 ていうか、そのものだった。


「……あの、黙っててくれますよね?」


 タウは不安そうな声だ。


「もちろんよ。心配しないで、わたし口は堅いから。なんにも心配する必要はないのよ。ええ、なんにも」


 葵はにっこり微笑む。横で皐月が思わず天を仰いだことなど、気にもとめない。


「……だから何がどうなってるのか、みぃんな、すべて、何もかも包み隠さず白じ……話してくれるわよね?」



    ☆



 報道カメラマン志望の女の子が、騙されているとも知らないいたいけなAIから誘導尋問よろしく事の真相を白状させている頃……。

 例の古い洋館では、女王様もといサンドラによる本物の尋問が始まっていた。


 多数の機械やコンピュータを配した部屋の中央に、ミナは天井から釣り下げられていた。手首を戒めているのは、頑丈な鎖だ。自力で抜け出すのは不可能だろう。

 彼女のまわりを、サンドラは巡るようにゆっくりと歩いていた。


「どうあってもしゃべらないつもり?」


 と、険を含む声でいう。


「強制執行局の今次作戦概要、投入される戦闘装甲服の数、作戦の優先度……しゃべることは山ほどあるわよ。一つや二つ、けちけちしないで教えてくれてもいいじゃない? そうすれば、お互いに幸福になれるじゃないの」


 ミナはぐずっていたが、勇気をだして口を開いた。


「だ、だからぁ、しゃべるも何も、わたしには何のことだかさっぱりで……」

「それに、あなたが持ってきたインテリジェントコアを誰に渡したのかも知りたいし。ね、あたしだけにそっと教えてよ。大丈夫、誰にもいわないから」


 いわないが、奪い取るつもりである。

 どうやら、ミナの拉致を邪魔した少女がそうだとは、気づいていないらしい。


「そんなの、もともと持ってきてませぇん! あなたは、きっとなにか誤解なさってるんです……」

「……ふうん、そう。あくまでしらを切るの」


 サンドラは口の端を釣り上げ、ひどく嬉しそうに笑った。

 ミナの背筋がぞくりとする。


「いいわ。あたし、そういう強情な娘って大好き。だって、たっぷりといたぶってあげられるもの」


 その言葉に、ミナは硬直した。


「い、いたぶる?……」

「そうよ」


 サンドラは嫣然と微笑んだ。


「だって、あなたはどうしても話してくれないんでしょう? だったら、拷問して吐かせるしか手がないじゃない。こんなの、子供でもわかる理屈よ」


 そんな理屈のわかる子供がいたら恐ろしいが。


「それに、あなたってすごく可愛らしい声してるし……どんなふうに啼いてくれるのか、とっても興味があるわ。あなたも、自分がどんな絶叫を絞りだせるのか、もちろん知りたいわよね?」


 その残酷な言葉に、ミナは思わず息を飲んだ。


「い、いえ、別に知りたくは……」

「そう焦らないで。すぐにわかることだもの」


 サンドラはうきうきしている。

『拷問』できるのが、よほど嬉しいらしい。


「ひ、ひいぃ……」


 ミナはかくかく震えだした。手首を釣り下げている鎖が、じゃらじゃら耳障りな音をたてる。

 これからお姉さんと仲良く楽しみましょう、というような笑顔に、もしかしたらそんなに心配することもないんじゃないか、と危うく騙されそうになるが、よく考えてみるといってることはとんでもないことばかりだ。よく考えなくてもそうだろ。


 まさか、科学文明に支えられた人道主義なこの時代に『拷問』だなんて。そんなことが許されていいのか。一体自分が何をしたというのだろう。一体どんなことをされるというのか。やっぱりあんなことだろうか。それともこんな、あまつさえそんなことまでっ。

 想像するだけで、ミナは恐怖のあまり死んぢゃいそうになった。


「怯えてるの? 可愛いのね。こんなに震えちゃって……」


 サンドラはミナの背後に回り、軽く抱きすくめた。とたんにびくんと身をすくませる囚われの少女を、心底楽しそうに見つめる。


「どう、素直に話す? あたしだって鬼じゃないわよ。今ならまだ間に合うわ。洗いざらい話す?」

「…………」


 はげしい葛藤に襲われ、ミナは唇を咬んだ。

 話してしまいたい。

 熱烈にそう思った。

 何をためらうことがある。全部話せばいいのだ。そうすれば、恐いことはもうされなくてすむ。ごめんなさいして、すっかり底まで白状しちゃえば、ここから帰れるではないか、たぶん。いや絶対。


 たしかに任務には失敗するけど、どうせ自分には荷の勝ちすぎる仕事だったのだ。そもそも強制執行局へだって、ドジでノロマな自分を見かねたお婆ちゃんがコネで入れてくれたんだし。

 はじめから無理だったんだと思えば、あきらめもつく。


 でも、それでは自分の代わりに皐月を危険にさらすことになる。皐月の住所や正体をすべて吐き出すまで、サンドラはけっして許してはくれないだろう。


 ミナは、皐月が好きだった。


「……し、知りません……!」


 かたかた震えながらも、ミナはそう応えた。


「……そう」


 声音にひやりとする。

 烈火のごとく怒りだす、とミナは思った。

 なぜか、サンドラはにっこり微笑んだ。


「嬉しいわ、強情を張ってくれて。ここであっさり話されたら、楽しみがなくなっちゃうもの」


 ミナの顎に指をやり、くい、と上向かせる。


「せっかく捕まえた獲物なんだから、目の前で思い切り悶え苦しんでくれないとねえ?」


 ぺろ、と舌なめずり。

 人間らしい情の欠けらもなかった。

 ミナは悟った。サンドラは、初めからミナがだんまりを決め込むことだけを期待していたのだ。彼女の嗜虐心を満足させるために。


「う、ううぅ……」


 あふれた涙が、ミナの頬から顎へ伝い落ちていった。

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