第14話 あんな女に不覚を取るとは……



    3



「きゃー!」


 背後から聞こえた突然の悲鳴に、皐月と葵はぎょっとした。


「ミナ!」

「な、なに!?」


 何事か、とあわててふりかえる。

 いつのまに現れたのか。見知らぬ女が、後からついてきていたミナを二の腕に抱いて締めあげていた。まるでかつあげでもしているみたいだ。


 だがそのことよりも、まず女の着ている服にふたりは唖然としてしまった。体にぴったりとフィットした、金と紫のラメ入り黒エナメル革。何という悪趣味な衣装だろうか。


 まさかこの閑静な住宅街で、しかも日曜の昼間にボンデージを着た女と遭遇してしまうとは。

 女が鞭と仮面を持っていなかったのが、せめてもの慰めといえよう。


「……なんだありゃあ」

「すごい格好、あの人」


 ごもっとも。


「いやー! 助けてえ!」


 意外とたくましいサンドラの腕のなかで、ミナは必死にもがいている。

 ふたりはようやく我に帰った。


「てめえ、何してやがる! その娘を離しな!」


 皐月が勢いよく吠えた。女へすばやく駆け寄り、機敏な動きでつかみかかる。

 けれども、冗談にしか見えない外見に反してサンドラの反応は速かった。けっして躊躇などしなかった皐月の腕の動きを軽くサイドステップしただけでかわし、なおもミナの首を二の腕で締めつける。


「ずいぶん遠くまで派遣されてご苦労なことね」


 とサンドラ。


「あなたみたいな愛らしい娘が強制執行局のメンバーだなんて、お姉さんびっくりよ」


 その言葉に、皐月ははっとした。

 こいつ、まさかミナがいってた犯罪なんとかってやつじゃ!


「しばらくお休みなさい。目が覚める頃には、いろいろとあなたを可愛がる用意をしといてあげるわ。うふっ」


 サンドラはおびえるミナの口元に掌をあてがった。とたんにミナはぐったりとなってしまう。


「てめえこの、無視してんじゃね……!」


 焦った皐月は、右足で路面を後ろに蹴って猪突し、左手で相手の二の腕を押さえようとした。とらえざまに相手の体をひねらせ、顔面へ右拳を叩き込むつもりだった。

 だが、今度もするりとかわされた。

 皐月は軽い衝撃を受けた。――こいつ、さっきからあたしの動きを見もせずに避けやがる!


「誰だか知らないけど、そのへんにしておくことね」


 サンドラは初めて皐月に目を移した。


「あたしは、あんたみたいなド田舎の素人娘を相手にしてるほど暇じゃないの。部外者はおとなしくそのへんの隅っこに隠れて震えてなさい。でないとケガするわよ」


 それは、皐月のプライドをひどく刺激する言葉だった。

 全国大会でベスト4まで行ったあたしを、素人娘だって?


「……誰に向かっていってるんだよ」


 皐月は本気になった。腰を落とし、今度は油断なく構える。

 この女がどこの何様だかは知らないが、あたしが素人かそうでないか、はっきりさせてやろうじゃないか。

 それにくやしいけれど、こいつは勢いだけで勝てる相手でもなさそうだ。呼気を整え、タイミングを計らねば。


「いきなり現れやがってこのばばあ、その娘を離さねえと承知しねえぞ!」

「ば、ばばあですって!?」


 皐月の切った啖呵に、サンドラが血相を変えた。


「こ、このあたしをつかまえて……気品とファッションセンスにおいては、犯罪評議会に並ぶ者がないとまでいわれたこのあたしを……」


 二人も三人もいたらたまらんわ。


「ハッ、てめえのカッコのどこに気品があるんだよ! いい歳しやがって、ンな下品なエロコスプレが似合うと本気で思ってんのかこのばばあ! 小皺の目立つ顔をなんとかするほうが先じゃあないのかよ!」


 皐月の少女らしい柔らかそうな朱唇から、伝法な言葉がぽんぽんと歯切れよくとびだす。きれいな容姿をしているだけに、なかなか壮観な光景である。


 もっとも、彼女の心に、威勢のよい言葉と同じくらいの余裕があったわけではない。


 ここは慎重にいこう……と、相手を面罵しながら皐月はひそかに思っていた。

 いまはこうして時間を稼ぎながら、相手に隙が生まれるのを待つのが得策だろう。見かけはともかく、相手は相当な有段者だ。まして人質を取られているとなれば。


 構えを保ちつつ、四肢から無用な力を抜く。瞳からも気を抜いて視野をひろげ、相手のどんな細かな動きにも瞬時に反応できるようにする。


 あたしは全国大会でベスト4まで行ったんだ。

 皐月は心のなかで、自分にそう囁いた。

 あたしなら必ず勝てる。こんな悪趣味なばばあに遅れを取ってたまるもんか。

 そうさ。冷静に闘えば、こんなヤツには絶対に負けない。あたしにはそれだけの力があるんだからな。


 皐月の気持ちが、次第におちついてくる。

 自分を信じることで気持ちをリラックスさせ、自分の力を最大限に引きだす。試合の前には、いつもしていることである。このとき、それは半ば以上成功していた。

 だが、皐月が冷静でいられたのはここまでだった。


「ふんっ、ちょっと若いと思って図にのるんじゃないわよ!」


 サンドラが、決定的な言葉を叫んだのだ。


「このえぐれ貧乳の小娘が!」


 ぐさあっ!!

 その瞬間、見えない槍が皐月の心臓に突き刺さった。


「えぐ……れ、ひ、貧乳、だとぉ……」


 体がわなわなと震える。


「ひ、人が気にしてること……!」

「あらそうなの。じゃあ自覚できるようにもっといってあげるわ、この貧乳無乳の板娘!」


 サンドラは瞳を輝かせ、勝ち誇ったように笑った。


「しょせん未熟なガキよ、ガキ。そこまで背がのびてその程度じゃ、この先見通し暗いわねえ。まあ見られても隠す必要がなくて良かったじゃないの」


 ぐささぁっ!!

 今度の槍は、ひとまわり太かった。

 背丈と胸のあまりに不釣り合いな関係は、皐月のいちばんの悩みだったのである。

 ちなみに、現在のバストサイズは七八センチ。

 身長は一七〇センチもあるのに。

 半年前、とある本に


『胸の筋肉をつけて貴女もバストアップ!』


とあるのを読んだとき、胸筋のトレーニング量を倍に増やすようなことだってしたのだ。

 筋肉で増やすという構図が我ながら情けなくて、二日でやめてしまったが。

 昔の、けっして誰にも話せない黒歴史を、サンドラの言葉はまざまざと蘇らせた。


「てってめえこそっ、ふやけすぎてぶよぶよになってんじゃねえか!」


 乙女の悲痛な叫びであった。


「あーら、あたしは女らしく育ちすぎただけよ。ほんと、困るわぁ肩が凝って。ま、あなたみたいな惨めな女には一生わからない贅沢な悩みだけれど。あら、それともひょっとして男の子が女装しているのかしら? まあ、良く似合ってるわねえ、まるで女の子みたいよ」


 皐月の理性が、とうとう沸騰した。

 二年ほど前のある日の出来事が、脳裏をよぎった。きまぐれに髪をショートボブにした数日後、ジャンパーにジーンズをはいて、街へ買物に出かけたことがある。


 あのとき、いったいどれほどの数の女の子たちが、彼女を絶世の美少年と間違えて恋する熱い瞳で見送ったことか。のみならず、あとを追いかけてきて勝手に『運命』とやらを感じたと告白してきたあげく、女の子と知ったとたん


「やだあ」


とか何とかいってまた勝手にどこかへ走りさって走りさって走りさって……思えば、あの日以来髪を切らなくなって……

 そんなことはどうでもよい。


「こっこっこのやろお!」


 つぎの瞬間、皐月は弾かれたように跳びだしていた。

 もはや我慢ならなかった。ちくしょう、うしちち女が何を偉そうにっ。あたしは清純派なんだ馬鹿やろおっ。胸が小さくったってなあ、小さくったって!

 と、前後の見境もなく殴りかかる。

 もはやタイミングも何もあったものではない。


 それは、サンドラの狙い目どおりの動きだった。


「ふっ、単純なガキが!」


 感情任せの粗雑な攻撃をあっさりかわすと、サンドラは身を沈めて皐月の腹にカウンターの掌底を食らわせる。


(いかれた!? いや、浅い!)


 皐月の思考が閃く。本能的に横へ跳ね飛び、打撃のダメージを最小限に押さえようと――

 つぎの瞬間、皐月の全身を衝撃が貫いた。

 これまで味わったこともない、総身の神経が爆裂したような感覚。






 がたん、と視界が落ちた。

 路上に膝をついたのだが、自分では感覚がほとんどマヒしているため、何が起こっているのかわからなかった。ただ、サンドラの右手がパチパチと火花を散らしているのだけは見えた。


 そのまま、どうと地面へ倒れこんでしまう。

 気絶はしていない。でも、体にまるで力が入らない。立ち上がることができない。

 呼吸さえも苦しかった。


「皐月ーー!」


 どこか遠くから、葵の悲鳴が聞こえる。


「軽い電撃よ。心配しなくても、しばらくすれば動けるようになるわ」


 サンドラは嘲ら笑った。


「まったく、手間を取らせて……これに懲りたら、やたらと他人につっかかるのはやめることね、素人のお嬢ちゃん」


 気絶しているミナを抱えなおすと、サンドラは左手首に巻いたブレスレットに指で触れた。

 とたんに光が渦を巻き、瞬時にして甲冑に身を固める。葵が、あっと声を上げた。

 サンドラは、そのまま背中のバーニアを噴かして地上を離れ、飛び去っていった。


 ミナとともに。

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