第13話 一晩ともに過ごしたら、いつのまにか体中を調べられていた件について
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カーテンの隙間から、明るい陽光が差し込んでいた。
大気に力が満ち、ふたたび空を巡りだしている。新しい一日のはじまりだ。
「ん…………」
柔らかな布団に包まれ、自室でぐっすりと眠っていた皐月は、目元を照らされてむずがるような声を上げた。
「ふあ……ふ……」
布団にもぐりこんで体を丸め、ふたたび穏やかな心地よい眠りのなかへ落ちようとする。
自分が何かを抱き締めているようだと、そのとき皐月はおぼろげながら気がついた。
あたたかくて、ふわふわしてて、とても柔らかなもの。こうして触れているとひどく気持ちが良くて、思わずきゅっと反射的に抱き寄せてしまう。
するとなんだが、胸元がすうすうしはじめた。ピンク色の可愛いパジャマの襟ぐり、寝乱れてしどけなく広がった部分に、規則正しいリズムでかぼそい風が吹きかかる。
額にも何か当たっているようで、こちらは少々わずらわしくて気にかかる。
「ん……ん?」
眠そうに眉を寄せて、皐月はゆっくりと目蓋を開く。
「なあ……あい、こえ?(な……なに、これ?)」
じゅる、と口元のよだれをすすり、起き抜けで焦点の定まらない目をこする。しばらくぼーっとしていたが、それでもすぐにちゃんと見えてきた。
まず真っ先に見えたのは、つんつんと皐月の額をつつく、きれいにまとまって伸びるアホ毛だった。
その根本には、キューティクルも鮮やかに輝く碧みがかった豊かな髪がある。
さらに視線を落とすと、白くてすべらかな可愛いおでこ。
胸元にかかるのは、微風どころではなくてミナの唇からもれる寝息であった。
ひとつの布団のなかで、ふたりはぴっとりと四肢を絡ませあって眠っていた。
ミナのふくよかな胸はおろか、心搏までが皐月の胸にとくんとくんと伝わりそうな密着具合である。
よほど親密な恋人同士でも、こうはいくまい。
皐月が状況を完全に把握するのに、約二秒かかった。
「…………どあああ!! なっなっ、なあっ……!」
「お静かにっ。ミナさんはまだ眠っていますから」
掛け布団を跳ね上げ、のけぞりかけた彼女を、そんな声が押しとどめた。
声の主は、布団の傍らに転がる黄色い金属球。戦闘装甲服“ナイトサンダー”の全設定をおさめたインテリジェントコア、タウである。
「お、お静かにったってな……」
としどろもどろにいいかけて皐月はふと気づいた。
「おい、こいつはあたしのベッドで寝てたはずだろ。なんで一緒に寝てるんだよ!」
「寝呆けて入っちゃったようですね」
タウはあっさりと応えた。
「お知らせしようかとも思ったんですけど、お二人ともぐっすりお休みでしたから。わざわざ起こすのも気が引けちゃって」
「んにゃ……む……」
ふにゃふにゃ、と正体不明の声を発したのはミナである。体を包んで温めてくれていた存在を突然失い、ぶるっと仔猫のように身を震わせている。
皐月とは体格が違うので、貸してもらったパジャマはぶかぶかだ。そのせいで布団がないと寒いのだろう。
まだ眠りながらも、本能的に庇護者を求めて腕をのばす。皐月は素早く身をひいたものの、ミナの追求は終わらない。結局、布団から追い出されてしまった。
まだ皐月のぬくもりの残る掛け布団を探り当てたミナは、すそをひっぱって肩までかぶりなおした。
「んん……サツキさん……ぬくぅい……」
そのまま、安心したようにふたたび寝息をたてはじめる。
「……変態かこいつは」
皐月はげっそりとつぶやいた。
「ミナさんもさみしかったんですよ」
タウがしみじみといった。
「この世界に来てから六日間、落ち着けるところもなくぼくを引き受けてくれる人も見つからず、さまよい歩いてましたからね。任務を遂行しようと健気にがんばっていました……ただ、能力がちょっとばかり追いつかなかったですけど。あなたに巡り逢えたのも、どっちかというと幸運の為せる業だし」
「……まあ、いいけどさあ」
ようやく気分が落ち着いてきて、皐月はがりがりと頭をかいた。
ふと手をとめて、タウを見やる。
「……やっぱり、お前が話してんだよなあ」
「おや、まだお疑いですか?」
「いいや。もう疑っちゃいないよ……まだちっと慣れてねえだけさ。気にすんな……ふわぁふ……」
皐月は大きくあくびをした。珍しく夜更かししたせいで、目蓋はまだ重かった。
昨夜はずっと、『愛と正義の騎士』についての説明を受けていたのである。
新入部員に欲しいと思っていたナイトエンジェルたちが、どのようにして誕生したのかも。
どうやら彼女たちを騎士に任命したのは別の人物らしく、連絡は今のところ取れないそうだが。
まだ細かいことは不明だが、ひとつだけ確かなことは、将棋の棋士ではないということだ。
「お気持ちはわかります。誰でも、新しい状況に遭遇すれば戸惑うものですからね。でも、できるだけ早く慣れてください。犯罪評議会はすでにこの世界へ侵略の魔の手をのばしているし、それと戦えるのは、戦闘装甲服を身につけた『愛と正義の騎士』以外にはありませんから。
とはいえ、ぼくの優秀さを知れば、不安も自然に無くなりますよ。どうぞご安心を」
「…………」
「どうしてそんな目で見るんですか」
「深い意味はないよ。気にすんな」
「いっときますけど、ぼくは本当に優秀なんですよ」
タウはこだわった。細かいことが気になるタイプらしい。
「先端技術の粋を集めて造られてますもの。コンパクトで高性能、良き助言者でありデータの宝庫、困ったときには即参上、話相手もつとまるボケもかませる……と思います。練習すれば」
「そいつはけっこう。その調子でちったあ謙遜のしかたも練習しなよ」
「本当に優秀ですってば」
ころころ、と黄色い球体がもどかしそうに転がる。
「あてにしてくださいよ、ぼくたちはこれからパートナーになるんですから。パートナーは絆が大事でしょ。相手を思いやる心と、互いの能力への信頼。これがなければパートナーシップはうまく働きません」
「……そりゃま、そうだけど」
「戦闘時になれば、ぼくの優秀さは証明できます。そりゃ、たしかにぼくはエネルギー兵器や誘導兵器の形成アプリこそ積んでませんけど、操作性では一級品なんです」
ちょっとプライドを持っているようで、タウは得意げに語りはじめた。
「ぼくの形成する戦闘装甲服は、人間工学と服の性能をぎりぎりまで平衡させた絶妙のバランスを保っているんです。過重な武装にこだわるあまり、使用者の関節や筋肉の動きを制限してしまうような不粋な代物ではありません。それに、格闘戦のほうがデータ処理の負荷率は高いんですよ。戦闘装甲服の管制機能をフルに使いますからね。それを行なえるぼくは、仲間たちと比べても高度な処理能力と設計思想を……」
「わあった、わあったよ」
皐月は手をひらひらと振って制した。
そこらへんの口上は、昨夜もたっぷり聞かされたのだ。
「うぬぼれ屋のコンピュータか……。馴染むまで、時間かかりそうだな」
ため息をつくと、皐月は床へ尻餅をついて、着替えようとパジャマの裾をまくり上げた。
けれども、はっと気がついてあわてて元通りに引きおろした。
ちろ、とタウを見やる。
「……どうかしましたか?」
「着替えたいんだよ。あっち向い……」
といいかけて、ふと悩んだ。こいつどこが顔だか目だかわかりゃしない。
「お前、ちょっと部屋出てろ」
「は? なぜ?」
「なぜって……お前一応男っつうか、男の人格だろ」
「たしかにぼくの模擬人格は男性のそれに似せられていますが、それが何か」
「何かじゃないだろ! こういうときは、男は外に出るもんなんだよ」
「……ああ、なるほど。人間の羞恥心ですね」
ようやく得心いった、という声である。
「でも、あんまり意味ないと思いますよ。皐月さんの体はもう全部スキャンしましたし、体型データだってすべてメモリーにおさめてますから」
皐月の動きが、ぴたりと止まった。
「……なんだって?」
声がうわずる。
「今なんて言った?」
「ですから」
どうしたんだろうこの人は、という風情で、タウは言葉を継ぐ。
「昨夜、試しにナイトサンダーに変化したでしょう? 使用者の体型にあわせて変化アプリの各変数域を設定する必要がありますから、あのときにボディラインはミリ単位ですべて解析しましたけど」
「……ミリ単位……」
「はい。各部のサイズは全部押さえましたし、脂肪のつき具合や筋肉の発達具合、関節の可動範囲もすべて把握しました。皐月さんの体については、もう皐月さん以上に詳しい自信があります。ほら、ぼくはパートナーですからね。よく知っておかないと今後の作戦行動にもいろいろと支障が……あの、どうかしましたか?」
皐月の体は、わなわなと震えていた。
他はともかく、胸のサイズだけは誰にも知られたくなかったのである。
だから、キレる一歩手前なのである。
なんだかんだいっても所詮AIにすぎないタウは、引き際を見誤った。
「あの、大丈夫ですよ。重要なデータですから、ぼくのメモリーだけに留めておきます」
ぶちっ。
「……この変態コンピュータ!」
指導も警告もなしに、皐月はげしっ、とタウを蹴り飛ばした。
「わー!」
いきなりの攻撃に対処できず、タウは壁にごんとぶつかった。跳ね返って、また皐月の足元に転がってくる。
「てめえ、よくも乙女の柔肌をぉ!」
今度は踏んづけた。
「あああたしはこれでもまだ誰にも見せたことなかったんだぞお! スケベ痴漢! 女の敵! ぶっ壊してやるぅ!」
「こ、興奮しないで! ぼくは今後のために必要なことをしただけで、そのあの、別に見たくて見たわけじゃなくて、見なくて済むんならぼくだって何も……わっ、何でますます怒るんですか! 冷静に、冷静にぃ!」
室内を必死で逃げまわるタウを、皐月はどたどた追いかけまわす。
その横で、ミナはようやくむくりと起き上がった。ふわあ、とのびをする。
眠そうに上体がふらふら揺れるたび、ご丁寧に伸びたアホ毛もゆらゆら揺れた。
「おはようございまふぅ……はれ、ふたりともどうしたんですかぁ?」
☆
「どーもこーも」
Tシャツの裾をジーンズの細腰に押し込みながら、皐月はぶつぶつとつぶやいた。
「プライド過剰でスケベ変態なコンピュータだとは聞いてなかったぞ。……そりゃ、どうしても必要だってんなら我慢するけどよ。せめて前もっていえよな、前もって」
「ぼくはまともで優秀なAIなのに……」
さんざんいぢめられたタウは、部屋の隅でいじけていた。
「体型データを取るよう手順を作ったのは、ぼくじゃないんだ……蹴飛ばされるのは、ぼくじゃなくて設計担当者であるべきだよな……」
皐月はその言葉を無視した。
「まあまあ。サツキさんだってちょっぴり驚いただけなんだから。落ち込まないで。ね?」
まだパジャマ姿のミナが、拗ねたAIをペットのようになでなでする。
「ふん。ほっとけ、そんなやつ。……それよりミナ、しゃっきり目ぇ覚めたんなら、いいかげん服着ろよ。なんか飯食いにいきたいからさ」
「ご飯ですかぁ!?」
ふりむいた瞳は、子供のようにきらきらと輝いている。タウのことなどあっさり忘れたようだった。
「……どうせぼくなんか……」
AIがぶつぶつ。
「わあ、わたしもうお腹ぺっこぺこなんですぅ!」
「あたしもだ。考えてみりゃ、ゆうべはあんたの説明聞いてるばっかりで、ろくなもん食ってないしな。クローゼットからなんか適当に見繕ってよ。裾折れば、あんたでも着れるだろ。さっさと……」
と、そのとき、ピンポーン……と居室の呼び鈴が鳴った。
「はーい」
返事をして、皐月はとたとたと廊下に出る。三和土の前で、壁の来客確認用モニターを見た。
葵だった。
すぐにドアをあけた。
「よう、早えな。どうした?」
「早いって……もう十一時よ」
少し時季の早いサマーセーター姿の葵が、面食らったようにいう。
「いつ起きたの? あなた、いっつも朝早いのに」
「あー……まあ、いろいろとな」
ははは、と笑ってごまかす。
「で、なんだい?」
「あ、そうそう。あのね、今日暇ある? もし暇だったらさ、ちょっとつきあってほしいんだけど」
「いいよ。どこへ?」
「駅前。昨日の被害状況とか、映像に撮っときたいの。この」
といって、嬉しそうにトートバッグから取り出したのは、品のよいデザインをしたカメラだ。
「EOSの初仕事には、やっぱり風景写真よりも事件写真のほうがしっくりくると思わない?」
茶目っ気いっぱいに言ってみせる友人に、皐月は苦笑した。
「ふふ。何だかいっぱしの報道カメラマンって感じだな」
「そのつもりだもん。わたし将来は……お客さま?」
「へ?」
皐月は葵の視線を追った。三和土に、ミナの履いていたブーツがあった。
「あ、忘れてた。……おーい、ミナ! ちょっと来い!」
「はぁーい」
とたとた、と音がしてミナがひょっこり顔をだす。
「なんですか?」
「葵、こいつ連れてっていいかな?」
と、皐月は親指でミナを示した。
「邪魔にはならないからさ。あ、それと、先に飯食いにいっていい? あたしらまだ何にも食べてないんだ」
「うん、いいけど……」
思いがけない少女の存在に、葵は戸惑っているようだ。
皐月はミナのところまで戻った。
「タウは?」
「それが、まだ拗ねちゃってて……」
「ちぇっ。だったらもうほっときな」
「で、でもぉ……」
「あんたと違って、この世界の人間さまはコンピュータのご機嫌伺いやるほど暇じゃねーの。それに、あいつは食い物なんかいらないんだろ? 部屋んなかにいりゃ、おとなしくしてるさ」
「うーん、そうかもしれませんけど……」
「ねえ皐月。大丈夫なの?」
葵が所在なげにきいた。
「わたし、ひょっとしてお邪魔?」
「んなこたないって。一緒にいこ。ミナも興味あるだろうし」
……ほどなく、マンションを出た三人は、住宅街の路地を近くの喫茶店へと歩きはじめた。
葵はそれとなく皐月に寄り添った。腕をとり、皐月の耳元で囁く。
「ねえ、あの子誰? 何だかずいぶん親しそうだけど」
「うん、まあ……ちょっと、親戚のやつなんだ」
「ふーん。親戚ね……」
葵はちらりとふりかえった。
やや後ろを歩くミナは、近所の家の庭先からのぞく花や緑豊かな木々に見とれている様だ。歳のわりにずいぶんと幼い感じがする。
(全然似てないけど……ほんとに親戚なのかしら)
木塀の外まで枝を張り、青葉をいっぱいに茂らせている樹に、ミナはうっとりと目を細めた。
どうやら、いい季節にこの世界へやってきたようだ。これまでは任務達成のことで頭がいっぱいだったけれど、それも無事に終わった。ようやく一息つき、余裕の生まれた心で周りを見ると、こんなにも生き生きとした綺麗な木や花がたくさんある。
「ああ、ここもいいところねぇ」
平和で穏やかな光景に、ミナはごろごろと喉を鳴らすような声でいう。
「何だか、もうバルドに帰ってきたみたい」
使用者にタウを預けたからには、これで任務は完了だ。あとは本国へ帰還するだけ。昨日までと違って実に気楽なものである。
まあ、もう少し皐月の側にいてみてもいいな、とは思う。少し荒っぽい人だけど、初対面なのにお風呂を貸してくれたし、ベッドも貸してくれたし、今からご飯だって食べさせてくれるんだから。
餌付けされただけで懐くというのもまったくもって単純な話だが、ミナはそういう少女なのだった。
この件が終われば、晴れて休暇だ。もっともその前に、強制執行局で書類の山と格闘しなければならないが。
「またお仕事かー」
ふと、ミナの表情が曇った。
「今度は、何回書き直しさせられるのかなぁ。わたしって、休暇もお仕事でつぶれちゃうのよね……」
これでも公僕であるミナにとって、休暇がつぶれるというのは本来ありえないことだ。……仕事の手さえ早ければ。
「仕方ないわよね。わたし気が弱いし、いつまでたってもドジでノロマだもん。学校でも、先生にいっつも怒られてたし……」
しょんぼりと肩を落とす。
「お婆ちゃんにも苦労かけてるなぁ。お婆ちゃんのおかげで強制執行局に入れたのに、ちっとも役に立たないんだもん……」
不甲斐ない我が身が祖母に申し訳なくて、ミナの胸はしくしく痛んだ。
自分がなにか失敗するたび、祖母はやれやれ、とため息をついて、「まあよい、まあよい」と泣きじゃくるミナを慰めてくれる。そうしてくれると嬉しいし、安心するし、そんなふうにやさしい祖母がミナは大好きだ。
でも、それでは駄目なのだ。ちゃんと、責任と自覚を持った一人前の局員にならなければ。
異世界へ渡って『騎士の資格』を持つ者を捜し出し、戦闘装甲服の設定を組み込んだインテリジェントコアを貸与する……などという込み入った任務に志願したのも、祖母に喜んでほしかったから。そして、一人前の局員としてやっていけるようになりたかったからだった。
「……でもわたし、ついにやったのよね。初めて任務をこなせたんだわ。だって、こんなにいい人が見つかったんだもん」
嬉しそうに顔をほころばせ、ミナは元気よく顔を上げた。
皐月たちはずっと前方を歩いていた。いつのまにか、おいてけ堀をくったらしい。
「あら、いけない」
口元に手を当てると、あわてて駆け出そうとする。
そのとき、ぽん、と誰かの手が肩を叩いた。
「ハーイ、お嬢さん」
「はい?」
声をかけられ、ミナは笑みを浮かべたままふりむいた。
笑みが、凍りついた。
「捜したわよ、子猫ちゃん」
サンドラは、にんまりと口の端を釣り上げて笑った。
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