第二部 宮脇皐月の場合
第10話 破壊と混沌のタネ、らしい
1
耳をつんざくような、激しいサイレンの音が街にこだまする。
道路に並ぶ車群を押しのけ、間をぬい、ときどき対抗車線にまでとびだして相手に急ブレーキを踏ませながら、そのパトカーはH市の中心街へと急行していた。
「道をあけてください、緊急車両が通ります! 道をあけてください!」
屋根に取り付けられたスピーカーから、中年警官のだみ声が飛ぶ。
パトカーの助手席に座り、コンソールにつながるマイクを握るのは、今年で勤続二〇年、来年には厄年を迎えようかという巡査部長である。
本格的な渋滞がはじまる前でよかった、と交通状況を見ながら彼は思った。
ふたつの国道に挟まれ、そのアクセス路を兼ねているH市中央部の道路は、朝夕刻になればうんかのごとく車が押し寄せ、身動きがとれなくなる。
いまは午後三時、金曜日。事件が起こるには、わりと現場へ急行しやすい時間帯ではあった。
それでも少し混んではいるが、これならあと二、三分で現着できるだろう。
「道をあけ……こらっ、前のロードスター! とっとと道をあけんか!」
一喝して、スピーカーマイクをオフにする。
なかなかストレスがたまっているようである。
「まったく、暴走族めが。警察に奉仕するのが善良な市民の義務なのに……」
口が滑ったにしてもとんでもないことをぶつぶついいながら、彼はつづいて警察無線用のマイクを取り上げた。
先行して、すでに現場へ入っているはずの仲間を呼び出す。
「四号より七号へ、状況報告を乞う、どうぞ」
『……どひー!……』
遠くから聞こえるような声。マイクが放りっぱなしになっているらしい。
彼はカチカチと送受信の切替スイッチを押した。通じているか?
「七号へ、こちら四号。聞こえるか? 状況報告を乞う!」
『……た、助けて、林田さんっ……馬鹿っ、早く来いっ……』
「おい!?」
『……たっ退避ー、退……ひえー!……』
それきり、何の声も聞こえなくなった。
「…………」
何があったんだ。
巡査部長は表情を曇らせた。こんな異常な状況は初めてだった。
「どういうことでしょう?」
ステアを握る巡査が、不安そうにきいてくる。
まだ若い。今年警察学校を卒業して、このH市の警察署に配属されたばかりの新米である。
「わからん、とにかく急げ。少しくらいなら」
はねとばしてかまわん、といいかけて巡査部長はふと我に帰った。
「あーいや、無理してもかまわん。現着が最優先だ」
「はい」
緊張しているのか、若い巡査は素直にうなずく。
普段からこうならこいつも少しは可愛げがあるものを、と巡査部長は運転席に座る新米の横顔を見やった。
この若造とペアを組んでまだ一月。少しは気心も知れてはきたが、やはり二〇年もの世代間ギャップはいかんともしがたい。
まったく近ごろの若いやつは、経験もないくせに生意気なことばかりほざいて、大衆を監視して国家体制を守りぬく神聖な警察の職務を単に生涯の安定を得るための手段としか考えていない。じつに嘆かわしいことだ。
しかし、この真剣な横顔はいい。仕事にうちこむ若手というのは、傍で見ていていつも可愛い。思わず赤いほっぺを指でつんつんしたくなるほどだ。うふ。
お前、警官やめたほうがいいぞ。
「きました。あれです」
と若い巡査が指差したのは、駅ビルの一階部分を占めるショッピングセンター街だ。
正面のバスロータリーには、回転灯をまわしたパトカーが一台停まっている。
「ん。七号がいるな……ちっ、やはりこのへんは邪魔な車が多いか。おい、そこの歩道がすいてる。いけ」
「え、歩道ですか? 野次馬だらけですけど」
という会話をかわした刹那。
ふたりの乗るパトカーの前方で、ドゴーン! という破壊音が轟いた。
「わっ! な、なんだっ!?」
伝わる音の大きさに、彼らは思わず前方へ目を凝らす。
そして、音につづいて眼前で展開する光景に、彼らはふたりとも度胆を抜かれた。
ショッピングセンター街の入口に造られた、装飾の施されたコンクリート製アーチが、内側から爆破された……いや、違う。突き崩されたのだ。
壮麗なステンドグラスが粉微塵に砕け散る。電飾用ケーブルがぶちぶちとひき千切れる。二階の広い窓にひびが入り、ガラス片が地上に降り注ぐ。
そして、なかからそいつが現れた。
のっぺりとした円筒形のボディ。
上端は半球形になっている。その半球のてっぺんにちょこんと乗った、多面球状の複合センサーヘッド。
ぶっとく短い、四本の脚。
肩からのびる二本の腕。ちゃんとひじの部分に関節があり、先端には五本の
特大の釣り鐘に手足をつければ、ちょうどこんな形になるだろう。これをデザインした人物は、センスにはなはだしい問題がある。四〇年前のロボットアニメでも、もう少しましな造形をしてるのに。
だが、なにしろ実物。間抜けた外観に反比例して、その威圧感は強烈だった。
「ロ、ロボットぉ!?」
巡査部長が絶叫する。
「そ、そんなもんが……ばかな……」
などと、のんびり驚いている場合ではなかった。邪魔転じて理想的な盾となるはずの一般車両が、生意気にも身の危険を感じて残らず路肩に乗り上げたのだ。
パトカーは、空いた道を破滅めざして一直線につき進んでいく。
「おい、なんで車を停めんのだ!」
隣へふりかえって叫んだ巡査部長に、運転する若い巡査は泣きそうな声をあげた。
「そっそれが、さっきからずっとブレーキを踏んでいるんですが、加速するばかりでっ」
「なにぃ? わっ馬鹿、そりゃアクセルだっ! 早く停めんか!」
とはいうものの、もはやロボットは真っ正面だ。今さら間にあうはずもない。
「ぶつかる!」
激突を覚悟して、ふたりが身をすくめる。
つぎの瞬間、ロボットは唐突に消滅した。
正確には、消えたのではない。ボディを構成している金属分子の結合が瞬時に崩壊して、周囲の大気へと爆散してしまったのである。
だが、警官たちにとってそんなことはどうでもよいのであった。とにかく消えてくれたのだから。いやっほう。
「た、助かったぁ!」
思わず歓声をあげ、ふたりはほっと胸をなでおろす。
その直後、ふたりの乗ったパトカーは駅前へ置き去りにされた七号車にオカマを掘った。
☆
『……では夕方のニューストゥデイ、今日の特集です。
昨日の午後三時ごろ、K電鉄H市駅ビル内に謎のロボットが出現、駅一階のショッピングエリアに入居している店舗、あわせて七軒を全半壊させました。
幸い死者はなく、負傷者はむちうち症の警官二名を出したにとどまりましたが、この事件について、これまでにわかったことを検証していきたいと思います。コメンテーターは、元東京地検の……』
中央改札口を出るなり聞こえてきた音声に、宮脇皐月はひょいとふりむいた。
すらりとした外見の少女である。背は一七〇センチほどはあるだろうか。それに比べてかなりちんまりとしたブレザーの胸もとには、私立聖昇女子学園の校章が縫い付けられていた。
頭の後ろでは栗色のポニーテールが爽やかにゆれている。目鼻立ちも、意志が強そうにすっきりと整っていて、見るからにスポーツ少女、といった雰囲気だ。
音声は、駅二階にある中央コンコースの壁からだった。そこに多くのTVモニターが埋め込まれているのだ。
この鉄道会社と同系列資本のCATV会社が宣伝用に設置したもので、モニターの数は三七。映るチャンネルはすべて別々。国内の主要地上波や衛星放送はもちろん、CATV会社が独自に放送している地域密着番組から、文字放送に交通情報、さらには気象情報や医療情報と、たいていの放送は網羅している。
「……どのチャンネルの声なんだよ」
皐月はいらついた声をだした。ここの問題はいつもそれだ。アンプがどの局と接続しているのか、さっぱりわからない。画像がこれだけあるのだから、モニターの上にランプでも点くようにすればよかったのに。
「一般の局だろうけどなあ。えーと、地上波はたいてい右に固まってるから……」
「あれじゃない?」
同じ制服を着て、皐月のとなりを歩いていた少女が、先にモニターを指差した。
八瀬川葵。やはり聖昇女子学園に通う、皐月の同級生である。こちらはこちらで、ずいぶん小柄だ。まるで中学生にしか見えず、皐月とは頭ひとつ分も背丈がちがう。並んで歩くと、同級生というよりは姉妹のようである。
けれど、ふたりともそんなことはちっとも気にならないようだった。
「ほら、LBSって書いてるぶん。右から二列目の」
「えーっと。……ああ、なるほどな。口の動きがあってる」
くっきりとした眉をひょこっと上げて、皐月はようやく見つけた画像に見入った。
夕方の四時からはじまる報道番組。原稿を読んでいたニュースキャスターの映像から切り替わり、損傷箇所に青いビニールシートをかぶせられた当のこのH市駅が、外からの生中継で映りはじめる。
そういえば、コンコースのそこかしこでは、放送機材を抱えた男たちが何やら打ち合わせをしているし、白いヘルメット姿の警官たちが何人も立っている。空からぱりぱり聞こえてくるのは報道ヘリのローター音か。
「なんか、この街もいきなりメジャーんなったな。これできっと全国に名が売れたぜ」
皐月は楽しそうにいった。モニターの前で群れている人々を尻目に、ふたたび歩きだす。
「しっかしまあ、最近は事件にこと欠かねえよな。先週は、例のべリアルとかいう奴が東雲高校をぶっ壊したし」
「そうね。あれもすごかったね」
葵は微笑みながら相づちをうった。
県立東雲高等学校。皐月たちの通う聖昇女子学園からは二キロほどしか離れていない。
このH市の南隣にあるN市で起こったあの事件は、まだ記憶に新しい。あのときは警察から避難命令がでて、学園もたいへんな騒ぎだった。
「そういや、結局アレも顛末はここのTVで見たんだっけ。いやあ、ミサイルべりべり撃ちまくるんだもん。あの爆発には血ぃ騒いじゃったよあたし。興奮したなあ」
あっはっは、と皐月は明るく笑う。
「ちょっと、声がおっきい」
葵は皐月の口を掌でふさいだ。
それから、何かを思い出したようにくすくす笑いだす。
「なんだよ、何がおかしいんだ?」
「だってぇ。皐月ってば、荒事になるといっつも楽しそうにするんだもん。前からそういうとこあるよね。治にいて乱を好むっていうか」
友人の言葉に、皐月は唇を尖らせた。
「ちぇっ。どうせ空手のせいだっていいたいんだろ」
「空手じゃなくて元々の性格でしょ、あなたの場合」
少女らしからぬ性格であるが、葵は好もしそうに見つめる。
「あ、そういえば、クラブの予算編成会議、空手部はどうだったの?」
「あたしんとこは去年とくらべて倍増だよ。実績作ったからな」
皐月はウィンクしてみせた。
しかし、すぐに浮かない顔になる。
「……でも、今年は下級生にも育ってもらわねえと。インハイにまともに出られるの、あたしだけだもんな。といって、厳しくしすぎたら頭数が減るだろうし……」
コンコースからバスロータリーへと通じる階段を下りながら、皐月は腕組みをして考え込んだ。
聖昇女子学園は、名門かどうかは知らないけれどもこの近辺ではそれなりに名が通っているし、一応はお嬢様校の部類に入る。テニスや新体操といった見栄えのいい部ならともかく、空手部などという野蛮な匂いのするクラブは、毎年部員を集めるだけでも一苦労だ。使いものになる部員ならなおさら。
そんな状況下にあって、皐月の存在は空手部史上はじまって以来の珍事、いや希有なことだった。
何しろ去年、まだ一年生だったにもかかわらず、全国高校女子空手道選手権大会で、組手個人ベスト4にまで食い込んだのである。
予算倍増というのも、実のところ今までが冷遇されすぎていたのだ、という気がしないでもない。数も実績も無い部にまわす予算はないと、清蘭会はこれまで剣もほろろだった。皐月の活躍ぶりを学園当局が評価して、今期の予算案が通ったとき、皐月は苦々しげな顔をしている清蘭会の役員たちにしてやったりと思ったものだ。
そもそも『清蘭会』などという気取った名前が気に食わない。ふつうに『生徒会』っていえばいいのに。
とはいえ、予算が増えたところで、いきなり優秀な人材が集まるわけでもない。才能は金では買えないのである。普通。
「今のままじゃ、護身術を兼ねた美容クラブみたいなもんだからな、うちは。県大会に勝てる練習プログラム作るだけでも大変だぜ」
皐月はぽりぽりと頭を掻いた。
「清蘭会のこともあるし、しばらくはあたしががんばって、人寄せパンダになるしかないか……」
「うちみたいな学校だと、そもそも空手部の存在自体が珍しいもんね。まあ、がんばって、新部長。私は来年の予算に狙いしぼってるから」
葵の言葉に、皐月はびっくりして友人の顔を見た。
「来年って、今はまだやっと五月だぜ?」
「だって、今年度分はもう決まっちゃったんだもん」
葵は頬をふくらませて、ぷう、とむくれてみせる。
「それに私、三年になっても新聞部やめる気ないし、残ってれば自動的に昇格して、副部長の役職から“副”が取れるでしょ?……それまでに絶対スクープをものにして、実績作ってやるの。皐月みたいに」
「スクープってなにを?」
「決まってるじゃない。この一連の事件の真相よ」
好奇心いっぱいに瞳を輝かせ、葵は駅ビルの崩れた壁にかかった防水シートを手で示した。
「きっとこの事件、ベリアルとかナイトエンジェルと関わりがあるに違いないわ。追っかけて、ばっちりカメラにおさめてうちの新聞に載せるの。……東雲高のあとでさ、わたし新しいカメラ買ったのよ。すっごく性能のいいの。高かったけど」
といって、葵はまいったまいった、というように舌を出した。
「まあ、これもスクープのための先行投資よ。今度こそ最高の画を撮ってやるんだから」
「ナイトエンジェルね……」
友人の紅潮した顔をみながら、皐月は小首を傾げた。
ナイトエンジェル、ナイトフレイム。『愛と正義の騎士』を標榜し、ベリアルと戦った謎の少女たち。
あれって誰がやってんのかな、と皐月はいつも興味をそそられる。うちの新入部員にああいう気合いの入ったやつらがいれば、部の今後の見通しも立つんだけど。
ほんと、スカウトしたいくらいだよ。
ふと見ると、いつも乗るバス路線の発着場では、すでにバスが乗客を飲み込んでいた。
「いっけね。ごめん葵、あたしもう行くよ」
「うん、またね」
にこにこしながら手を振ってくれる葵に、皐月はぶんぶんと手を振り返してからバスに飛び乗った。
すぐに扉が閉まり、バスはごうう、とうなりながら慌ただしく発車した。
空手部の今後の方針のことなど考えているうちに、バスは停留所についた。
乗降口から歩道に降りたつと、皐月は車の往来する表通りから、静かな裏道に入った。
やや暗くなってきた住宅街を、自宅のマンションへ歩いていく。
「んー……!」
茜色の雲がたなびく空に腕をのばし、元気良くのびをする。今日も一日終わったあ、と皐月は軽い満足感を覚えた。
自分の名前だから、というわけではないが、この五月ぐらいの陽気が皐月はいちばん好きだ。
とくに、こんな日暮れどき。こうして生ぬるい初夏の夕方の風を浴びるのは、とても素敵なことだと思う。
ただ、こういう女の子らしいことをいうと、級友たちがみな意外そうな顔をするのが今ひとつ気に入らないが。一応は、こういうところもあるのだ。あたしだってちゃんとした女の子なんだからな。
そりゃ、まわりと比べて少し荒っぽいのは認めるけれど。
「あ、もう冷蔵庫にたいしたもん残ってなかったな」
皐月はとつぜん現実に帰った。
「そう、卵は買おうと思ってたんだ。あと牛乳と、あー、レタスもなかったな」
あれがない、これも買おうと、指を折りながら口の中でつぶやく。女子高生のわりには、ずいぶんと所帯染みた台詞である。
それもそのはず。実をいうと、皐月はマンションにひとりで暮らしている身の上なのである。
といっても、複雑な家庭環境に生まれ育ったわけではない。大手商社員の父親がインドネシアへ転勤になってしまい、母親もそれについて一緒に行ってしまった、というだけの話だ。
皐月自身は、空手を続けたいからと日本に残り、家を守ることになった。それがもう半年近くも前のこと。
これでも年頃の娘なのだから、両親は自分が家にひとりで残ることに反対するかと思いきや、実にあっさり
「いいよ」
で終わってしまった。信頼されているのか、それとも男を作ったりしてハメを外す甲斐性などなかろうと高をくくられているのか。考えると少しくやしい。
もちろん、学園側には、事情を説明した当初はとても渋い反応をされたものだ。そのような生活環境の方は当校生徒にふさわしくありません、と理事会に嫌みをいわれたこともある。
けれども、中等部入学以来の快活で積極的な人柄と、級友たちばかりか先生方にまで人望の厚い生徒ぶりが物をいい、最終的にはそれなりの金額の寄付金を納めることで学園側とは折り合いがついた。この点については、皐月はわがままを聞いてくれた両親にとても深く感謝している。
ただ、ひとつはっきりしているのは、家に残ると自分で決めた以上、生活の細々としたことはすべて自分でやらなければいけない、ということである。炊事も掃除も洗濯も、自分以外にやってくれる人などいない。
友人たちは羨ましがるが、これが意外と大変なのだ。
「こりゃ、コンビニじゃなくてスーパーでないと手に負えないなあ。それに今日の晩ご飯、何にしよう。ご飯は炊いたのがまだあるし、お味噌汁作って、あとはなんか適当に惣菜でも買うか……」
つぶやきながら、民家の連なる路地を左に折れる。
とたんに、真っ正面から誰かにがばっ、と襟首をつかまれた。
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