第11話 あたしは厄介事に巻き込まれたのか?



    ☆



「たすけてくださぁい!」


 と、そいつは言いたかったらしいのだがよくわからない。

 皐月は聞いていなかった。たす、のあたりで体が勝手に反応していた。本能的に身を沈め、左手で相手の腕を振り払う。同時に鳩尾へ右の正拳!

 完全に自動化された、なめらかな連撃。すべては、日頃の鍛錬の賜物だった。


 しかし、まるで無警戒だった相手に、この攻撃は思いきり深く入った。

 つづいて、たまらず前のめりになった相手の首筋へとどめの手刀をぶち込もうとして、皐月はようやく相手が何者であるかに気づいた。


「げっ!?」


 女の子だ。

 それも、自分より少し年上っぽいぞ。


「なっ……し、しまったぁ!」


 そのまんまどちゃこ、と地面に倒れこみそうになった少女の体を、これまた鍛えぬかれた反射神経でとっさに腕をのばし、寸前で受けとめる。


「や、やっべえっ。お、おい、大丈夫か? しっかりしろ、おいっ」


 抱きかかえた少女の頬をぺしぺしと平手打ちする。

 完全に失神していた。


「…………」


 ひゅうううう…………

 一陣の風が、路地を吹き抜けていく。

 きょろきょろ、と皐月は抜け目なくあたりを見まわした。

 目撃者なし。

 いまなら誰にもばれないぞ。

 ではなくて。


「と、とにかく家に運ばなきゃ」


 ぐったりと力を無くしている少女を、皐月はよいしょ、と抱き上げた。

 ほんのちょっと、かすかに「捨てていこうか」と魔が差したことは認めるが、やはり置いてはいけないだろう。

 念のためにもう一度あたりを見まわし、やはり誰にも見られていないことを確かめると、皐月は自宅のあるマンションへ全速力で駆けだした。



    ☆



 皐月の姿が、完全に見えなくなってから数秒……


 気絶した少女が駈けてきた方向から、今度はひとりの女が現れた。

 それはいいのだが、着ているものが凄まじい。なんとエナメル加工の黒革に金や紫のラメが入った、見事なまでに体型を浮き上がらせたボンデージスーツ。それも太ももわき腹胸元と、切れ込まれた部分が不自然に多い。ほとんど女全開である。


 つまり閑静な住宅街にはどうあってもなじまない。教育上よろしくない。


 けれどもスタイルがいいので、それなりの場所に行けばまだ何とかなるんじゃないかという希望はある。新宿二丁目のお店に行くとか。バラエティ番組に出るとか。

 皐月と少女が遭遇した角まで走ってくると、女は立ち止まって四方を見わたした。

 すでに人影はない。

 ちっ、と舌打ちする。


「このあたしともあろう者が。あんな小娘ひとり見失うとはね」


 女は、長い髪をいまいましげにかきあげる。その拍子に、脱いだら豊満そうな胸部がゆさ、と揺れた。

 どうしてこんなに要るのだろうか。大きくてもあまりいいことはないと思うが。しかもどうやらそれをさらに寄せて上げているらしく、谷間がすっかり密着していた。

 服はともかく、その谷間で溺れてみたいという男は多いことだろう。

 ところで汗疹できませんか。


「まったく、どうせ捕まるのに無駄に逃げまわって、可愛げのない小娘だこと。どれだけ手を焼かせれば気がすむの!」


 見失ったことがよほど腹立たしいらしく、女は憤然とした表情だ。

 あなたのような人に追いかけられたら、誰でも逃げると思います。


「ふっ、でも……」


 と、あらぬ方向へ流し目をくれる。さすがにそういう仕草は艶っぽかった。


「ふっふふ。いつまでも逃げ切れるものじゃないわよ。このあたしに目を付けられて、無事にすんだ者なんていないんだからね」


 と女はいったが、たしかに一緒にいるだけでまず人格を疑われるだろう。


「逃さないわよ、仔うさぎちゃん。必ずあたしの足元にひざまずかせてあげる。それからその可愛らしい身体を責めて責めて責めぬいて、知っていることを洗いざらい絞りだしてあげるわ。覚悟していなさい!」


 右手を口元にあてがい、ひとしきり高笑い。


 彼女の名は、サンドラ。

 我らが世界へ侵入してきた、二人目の特務戦士。形の上ではベリアルへの支援要員なのだが、実際には監視役に近い。

 無意味なスタンドプレーに走りやすいベリアルに代わり、実質的な犯罪植民地化計画の中枢を担う人物として、新たに犯罪評議会が送り込んできたのである。


 犯罪評議会には、人を見る目がないのかもしれない。

 まあ、人は外見では決まらないが。

 ひとりでわめいている怪しい風体の女に、近所の人たちが何だなんだ、と顔をだした。


「なんなんでしょうかね、あの人は」

「さあねえ。まあ、最近いい陽気だからねえ」

「なるほど……」


 隣近所のもの同士、胸がとても大きいどこかのお姉さんを腕を組みつつ見物する。

 サンドラは高笑いをやめて周囲をねめつけた。


「なるほどじゃないでしょ!」


 聞いてたのか。



    ☆



「ここまで、はあっ……くれば、はあっ……安心、かな」


 ようやく安堵の息をつきながら、皐月はつぶやいた。

 ここは、先ほどの場所から百メートルほど離れたところにあるマンションの一二階、皐月の居室である。

 いかに幼い頃から空手で鍛えてあるとはいえ、人ひとり抱えたままここまで走ってくるのはさすがにきつかった。制服のブレザーが汗だくだ。

 皐月は玄関から廊下を抜けてリビングに入ると、少女をソファへ寝かせた。


「ふう……これでよし、と」


 手近なところからタオルをとると、額に浮いた汗を拭う。


「……それにしても、なんだか小汚いやつだなあ」


 少女の薄汚れた顔をあらためて見て、皐月は眉をひそめた。


「あたしだけだから良かったけど、親父らがいたら、この家からつまみ出されてるぞ」


 よく見ると、気絶した少女はぴっちりとした白と青のツートンカラーの、ツナギのような服を着ていた。何かの制服らしいが、これも埃まみれで実にみすぼらしい。

 荷物といえば、背中に背負った小さなデイバッグひとつきり。


「……ちぇ。こいつ、おっきいな……」


 呼吸にあわせて浮き沈みする少女の胸を見て、皐月はちょっとくやしそうにつぶやいた。

 思わず自分のブレザーの胸を触ってみたりする。

 全然足りない。

 成長期だからいいもん。


「……やっぱ、家出かな? あとでシャワー使わせてやるか……ま、その前にとりあえず、意識を戻してやらないと」


 介抱の邪魔になるので、先にデイバッグを脱がせた。なかでごろごろと何かが転がる音がする。なにか丸いものが入ってるみたいだ。

 背中から活を入れてやると、


「……ふにゅう……」


 意外に愛くるしい声でうめいた。


「気がついたか?」


 体を抱えて軽く揺さぶってやる。ふるりと睫毛が震え、少女の目蓋がゆっくりと開いた。


「はあ……あっ……こ、ここは……?」

「あたしん家だよ」


 罪悪感を感じて、優しく応えてやりながら、皐月はちょっと驚いていた。

 こいつ、なんて綺麗な瞳をしてるんだろ。


「具合はどうだ? さっきは悪かったな、いきなりだったから、体が勝手に動いちまって。でも、そんなに強くはしなかったつもりなんだけど……まだ痛むか?」

「少し……あ!」


 突然、少女はバネ仕掛けのように立ちあがった。皐月の襟元に今度こそは、というようにすがりつく。


「あ、あのっあのっ。ここ、大丈夫なんでしょうか!? アヤシイ人につけられたりなんてことは!?」

「つけられたあ?」


 皐月はきょとんとした。はて、と首をひねる。


「たぶん大丈夫だと思うけどな。誰にも見られなかったし」

「え?」

「あ、いや。……でも、つけられるなんて穏やかじゃねえな。なんかやらかしたのかい、あんた?」

「わたしは何もしてません!」


 年齢に似合わず、ずいぶんと舌たらずな声だ。


「何かしてるのはあっちのほうで……あー! せ、背中……わたしのバッグぅ!」


 少女は自分の背に手をまわし、そこに何もないのを確認して泣き声をあげた。


「あわただしい奴だな」


 皐月は汚れたデイバッグをほれ、と差し出した。


「バッグならここにあるよ。あんたを正気づかせるときに脱がしたんだ」


 よほど大事なものらしく、少女は抱き締めるようにデイバッグを受け取ると、急いで中をのぞきこんだ。

 中身を確認して、それでようやく安心したのか、とたんにへなへなとその場にへたり込む。


「よ、よかったぁ……また任務に失敗しちゃったのかと思った……」

(……任務ぅ?)


 皐月の眉間に、そろそろしわが寄りはじめた。

 さっきから、女子高生の日常生活ではすこぶる聞き慣れない言葉ばかり飛び出してくる。

 なんなんだ、こいつは。

 ピー、じゃあるまいな。

 よかったを連発していた少女は、ふいに熱のこもった瞳で皐月を見上げた。


「あの、助けていただいて、ほんとうにありがとうございました。このご恩は一生忘れません」

「はあ?」


 皐月は目を大きくしばたたいた。大げさな言葉に、急にそわそわする。


「いや、助けるもなにも……あたしゃあんたを殴っちまって、それで介抱しようととりあえずここに運んだだけで……」

「それでも、結果的にはわたしを助けてくださったんですわ」


 少女はとても嬉しそうである。


「あのまま捕まってたら、きっと戦闘装甲服バトルドレスのインテリジェントコアも取り上げられていました。そうしたら大変なことになるところでした……きっと、あの……えっと……」

「皐月だよ。宮脇皐月っての」

「サツキ、さん? えへへ、わたしはミナ・モルファっていうんです」


 胸元に手を当て、無邪気そのものの笑顔で自己紹介する。布地を押さえられて形がよりふっくらはっきりとした胸に、男なら喜ぶのだろうが皐月はちょっと複雑な顔をした。


「きっと、わたしたちは普段の行いが善かったから、神様が救ってくださったんですね。だって、わたしは正義を守る強制執行局の一員だし、サツキさんは見も知らぬ異世界人のわたしを介抱してくれた、優しい人ですもの」

「は、はあ?」


 何をいっているのか、よくわからない。

 だいたい何なんだ、その強制なんとかってのは。


 皐月は、ミナの様子を注意深く観察してみた。

 なんか仔猫みたいにちんまりした印象の奴だけど、やっぱりあたしよりちょいと年上っぽいな。

 それなのに異世界がどーの正義を守るがどーのと夢みたいなことを。


 そういえば、ミナの着ている衣装はどこか子供のころに見た特撮番組にでてくる制服っぽい。こういうのは正義の秘密戦隊の連絡係かなんかやってるお姉さんがよく着る服で、しかもそいつはたいていドジでマヌケで、敵の策略に片っ端からハマっては泣きわめくだけの足手まといなのだ。


 きっとコスプレが好きなんだろうな、と皐月は思った。関心は全くないが、メディアのおかげでそういう知識はある。


(……こいつ、夢と現実の区別が付かないタイプかよ。まいったなあ……)


 思わずぽりぽりと頭をかく。

 ふと気づくと、ミナはいつのまにか口を閉ざし、つぶらな瞳でじぃっと皐月の顔を見ている。


「な、なんだ?」


 ちょっと笑みがひきつった。


「あの……きっとこれは、何かの縁だと思うんですね」


 ミナは勝手なことを言いはじめた。


「わたし、今まで誰にも全然相手にされなかったんです。このお話持っていっても、みんな

『取り込み中だから』とか、

『うちはセールスお断わり』とか、

『あんたバカァ?』とかいわれ続きで、誰もまともに聞いてくれなくて。そのせいで、全然お家に帰れなくて、お腹すいて、疲れちゃって、でも犯罪評議会の人に見つかっちゃって休むこともできなくて……まあ、なんてかわいそうなのかしら」


 ミナはぐすんと鼻をすすった。自分の立場に自分で同情したらしい。


「あ、あのねえ……」

「でも、きっとあなたこそが、局長のおっしゃった『騎士の資格』を持つ方なんですわ。こうしてお話してみて、わたしやっとわかりました」


 ミナはにっこり微笑み、涙を拭った。

 皐月は勘違いした。将棋の棋士がどうしたって?

 べつに将棋になんて興味ないのだが。


「あの、それでですね。えーと……」


 ミナはしばらくもじもじしていたが、やがて意を決したように、こういった。


「も、もしおよろしければ、あの、せっ正義の味方なんて、やっていただけないでしょおか?」


 えへへ、と愛想笑いする。


「……はあ?」

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