第8話 精いっぱいやります!



    4



「来たか、ナイトエンジェル!」


 踏みしめていた地面をずざっ、と鳴らして、ベリアルは声のほうに向きなおった。

 実はいくぶんほっとしていた。わけのわからない小娘の相手をするより、戦いのほうがずっと気楽だ。


 そういう考え方の男なのである。


 ふたつの校舎の間に張りだした渡り廊下。その向こう側に、戦闘装甲服バトルドレスを着込んだ白銀色の少女が立っている。

 ベリアルが足を踏みだすと同時に、少女はさっと身を翻した。バーニアを噴射し、そろそろ赤みがかってきた日の光に装甲をきらめかせて、大きく飛びあがる。


「待て、逃げるか!」


 ベリアルもバーニアに点火した。弥生を追って、校舎を飛び越えていく。

 あとにぽつんと残された帆乃香は、その後ろ姿をいつまでも見送っていた。


「素敵……ベリアル様……」


 瞳は、完全に恋する乙女のそれだった。






「帆乃香、いまのうちに逃げてね!」


 弥生はヘルメットのなかで叫んだ。自分が囮になる間に帆乃香が逃げてくれれば、と思ったのだ。

 もっとも、この気遣いを帆乃香が斟酌してくれるかどうか、一抹の不安はあったが。


 一方、報われないけなげな決意に身をおく弥生の背中を、ベリアルは嬉しそうに見つめた。


「のがさんぞ、ナイトエンジェル! ここで貴様を沈めてやる!」


 滑空しながら、肩に積んだ携行ミサイルの照準を弥生に合わせる。先行する弥生はすでに放物線の頂上を過ぎ、下降をはじめている。

 避けられないよう、着地寸前を狙った。


「バーニアの出力が足りんようだな。それが運の尽きだ」


 弥生が校庭に着地する瞬間、ベリアルは引き金を絞った。ランチャーの尻からバックファイアが吹き上がり、火を噴く弾体が弥生へ飛んだ!


「なんなの?」


 ヘルメット内を反響する警告音に、弥生はとまどった。バイザーが映す矢印の方向へ目を転じる。

 だが、戦闘装甲服の反応のほうが早かった。かわしきれないと判断したポーが、強制的に防御姿勢を取ったのだ。

 弾体が弥生のバックパックに命中した。


「きゃあ!」


 爆発に弾き飛ばされ、弥生は地面に転がった。

 戦闘装甲服のおかげで痛みはないものの、一瞬何がなんだかわからなくなった。

 身を起こすまもなく、ズシャッという重々しい音が響く。顔をあげると、前方にベリアルが着地していた。


 甲冑を着て立ちはだかる姿は、鉄でできた彫像のようだった。


「あ、あなたなんかに負けないから!」


 弥生はベリアルをきっとにらんだ。勇気を奮い起こして立ちあがる。

 同時に、警告表示がバイザーの上を流れはじめた。故障箇所がつぎつぎと表示される。

 そのなかに何よりも重要な部分を見つけてしまい、弥生は真っ青になった。


(コンデンサーに異常、主送電回路断線? やだ、プラズマカノンの電力はどうするのよ!)


 小声で発射体勢を命令する。新しい表示が返ってきた。


『発射不可。補送電系起動。コンデンサー修復には分子再結合を要する。除装後、再変化せよ』


「できるわけないでしょ、敵の目の前で!」

「何をぶつぶつ言っている。貴様は正義の味方だろう、マジメにやれ」


 ベリアルはずんずんと近づいてくる。


「つ、使える武器は……」


 弥生の反射的なつぶやきに、バイザー表示が反応した。何だかよくわからない武器の名前がいくつか並ぶ。ただし、モードはすべて赤だった。

 緑のサインが出ているのは、小型のレーザー発振器ひとつきり。


「嘘……」

「さあこい! しかけてみろ、ナイトエンジェル!」


 ベリアルが盛んに弥生の攻撃を誘う。弥生はなかばやけになって、左手甲に仕込まれたレーザーメスを乱射した。

 だが、レーザーの熱量ではベリアルの積層甲殻を貫通できない。甲冑の表面を舐めるように流れ散るだけだ。


「無駄だ。その程度の出力では、俺の対レーザー保護膜は破れん」


 ベリアルの声音に余裕が生まれた。


「どうやら、思ったより戦闘装甲服の損傷が大きいようだな。せっかくの獲物だ、しばらく楽しませてもらうぞ」



    ☆



 弥生が、学校の帰りに通った商店街。

 そこの電器店に展示された五〇型TVには、いまや芸能人のゴシップ話など欠けらもなく、弥生とベリアルの緊張感あふれる戦いが映っていた。

 ときおり、通りがかった人が店先に立ちどまり、その映像をのぞきこむ。だが、画面から数秒遅れて聞こえてくる生の爆音に、はっと気づいたように急ぎ足で去っていく。


 そんななかで、ただひとり、店の前でじっとその映像を見続けている人物がいた。

 腰まで届く黒髪が印象的な少女である。


 年齢は一六歳くらいだろうか。着ているのは乳白色のベレー帽、そしてほんのりピンク色をしたワンピース。

 どことなくぽよよんとした雰囲気を漂わせた、可愛い女の子だ。


 彼女は、艶やかな黒髪をときおり風になぶらせながら、ちら、と爆音の聞こえてくる方角を見やった。

 遠くに、黒煙がたち昇っている。


『えー現在、N市にあります東雲高校で、ベリアルとナイトエンジェルの戦いが行なわれております』


 さすがにレポーターの声は緊張していた。


『あっ、ナイトエンジェルが脚をつかまれ、宙に放りあげられました!……地面に落ちたナイトエンジェルに、ベリアルが容赦なく蹴りを放っております。ベリアル強し! ナイトエンジェル、成すすべがありません!』


「エンジェルさんはぁ、思ったよりぃ、弱いみたいですねぇ」


 少女はのんびりとした声でつぶやいた。


「やっぱりぃ、わたくしが助けに行かないといけません。そういうことですねぇ」


 彼女はそっと店先を離れた。周囲をうかがって、誰にも見られていないのを確かめてから、店舗の間の路地に入る。

 そして、持っていたポーチから、何かを大切そうに取りだした。

 それを掌に乗せて、話しかける。


「そちらのお婆さまとのお約束どおりぃ、わたくしは全力を尽くしますぅ。……デルもぉ、どうぞ協力をよろしくお願いしますねぇ」

「はい、喜んで。貴女のために力を尽くすことができて光栄です、葉月さま」


 少女の掌の上で、緋色の金属球が震えた。



    ☆



 何度目かの蹴りをかわして立ちあがったものの、弥生はすでにふらふらだった。連打を浴びると、さすがに装甲越しでもこたえる。


「ポー、なんとかならないの? このままじゃやられちゃう……!」


 つぶやきに応えが返ってくる。


『ジェネレーター、過負荷運転中。出力上昇。火器使用モード可』


 明滅する電圧値は不十分だが、もはやかまっていられない。弥生は二の腕に生まれた光球をつかむと、ベリアルめがけて投げつけた。


「オクタパイル!」


 甲冑にぶつかった瞬間、光球は八つに散らばりベリアルを囲んだ。

 瞬間、光が炸裂してベリアルの姿が消し飛ぶ。


「やった!?」


 弥生の顔が歓喜に輝く。

 だが、甘かった。


「光圧を利用した兵器か! なかなか工夫しているな!」

「!」


 きらめく光の渦を裂いてベリアルが飛びだしてきた。弥生の胸元を掌でつきとばす。

 それだけで弥生の体は十メートル近くも吹っ飛ばされた。まるで発勁のような威力である。

 ずどどーっと盛大な土煙をあげて地面に転がった弥生は、つっぷしたまま、もう立ちあがることもできなかった。


「どうした。もう終わりか、ああん?」


 近づいてくるベリアルの、勝ち誇った声が耳にとどく。


「……ううう。コンデンサーさえ無事なら、こんなやつになんて負けないのに……」


 ヘルメットの中で、弥生は悔しさに歯噛みした。

 女の子に暴力をふるうなんて最低だ、と思う。

 きっとよほどの醜男ブサメンに違いないわ。ざまーみろ。

 そうでも思わないと、悔しくてたまらない。


「何かいったか?」


 ベリアルが弥生のヘルメットをつかみ、抱えあげた。戦闘装甲服を着た弥生の体が、軽々と持ちあがる。


「ずいぶん楽しかったが、このへんで幕をおろすとしよう。貴様にはしばらく眠ってもらうぞ。評議会に送致して、強制執行局の戦闘装甲服の性能をたしかめねばならんからな」


 ベリアルの掌が目の前でちりちりとスパークする。どうやら、剥き身の口の部分から電撃を食らわせるつもりらしい。ひどい話だ。

 抵抗しようにも、もう体に力が入らなかった。


(こんなことなら、あのチーズケーキ、全部食べとくんだった……)


 弥生は、かすれる意識で思った。


(フォーチュン、化けてでてやるから。……でも、帆乃香を助けることができて、よかったかな……)


 こんな状況なのに、心のどこかには心地よい達成感があった。


 そうよ。わたしは逃げなかったもん。やれるだけのことはやったもん。

 重要なのは結果じゃなくて過程だって、世間の人はみんないってるもん。

 わたしは必死にがんばったのよ。誰にだって胸を張っていえる。

 だから早く気絶させてください神様。


 不気味に火花を散らしながら近づいてくる掌から、弥生は目を反らすことができない。 と、そのときだった。


「そこまでにぃ、しておきなさぁーい!」


 背後から、黄色い声が飛んできた。ひどくぽよよんとした声が。

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