第7話 わたしの選んだ戦いです

 弥生は、ぽかんとした。

 ポーが何をいっているのか、よくわからなかった。


「……いま、なんて?」

「断る、といったんだ」


 ポーは厳しい声音をだした。


「はっきりきくぞ、弥生。お前は特捜騎士として、今後もこの世界のために戦う意志があるか? ないなら、もうナイトエンジェルに変化することは認めん。ここでおとなしくTVを観てろ」

「だ、だって!」


 弥生の声は悲鳴に近かった。


「嘘でしょう!? さっきはあんなにナイトエンジェルをやれやれっていってたじゃない!」

「ああ、いったさ。いったとも。だが勘違いするな。

 これはな、戦いなんだ。友達が危ないときにだけ気分で戦われたんじゃ、俺がこの世界に与えられた意味がないんだよ」


 AIの合成音声なのに、その言葉は物憂げな響きさえ帯びていた。


「特捜騎士としての責任を引き受け、自分の世界のために戦うか。それともただの女の子として、流れに身をまかせて傍観するか。道は二つに一つだ。いま選んでくれ」

「そんな……!」


 弥生はもう一度TVを観た。

 帆乃香は、ただならぬ決意を胸に秘めた足取りで、一歩一歩ベリアルに近づいている。決意の内容はともかく。

 帆乃香にとってはミーハーの相手かもしれないが、ベリアルは歴とした悪人なのだ。帆乃香の持つ甘っちょろい期待が通用するような相手ではない。


「……ベリアルは、帆乃香に危害を加えると思う?」

「さあな」

「ひょっとしたら、相手にしないかもしれないわよね? わたしのことだって、最初は小娘呼ばわりしてたくらいだもん」

「かもな」

「それに、帆乃香だってきっと目算とか、考えくらいあるよね? ただ憧れてるってだけで、こんな無茶しないわよね?」

「友達のお前がそういうならそうなんだろうよ。よく知らないけど」

「…………」


 そうよ、きっとそうよ。帆乃香はうまくやるつもりなのよ。

 弥生は、必死でそう思おうとした。

 でもきっと、帆乃香には何の目算もなければ考えもなく、ただ憧れてるってだけであの場にいるのだろう。あああ。


 となれば、あとはベリアルにあるかもしれない一抹の良心に期待するしかない。なんとはかない期待だろうか。


(やっぱり、助けに行かなきゃ)


 弥生は痛切にそう思った。

 でも、ここで行ってしまったら、この先ずっと騎士でいなければならないのだ。そしてやることといえば、街中でミサイルをぶっぱなすような悪人との戦いなのである。

 いまどきの騎士受勲者にそんなことをした者が一人でもいるだろうか。警察どころか、普通軍隊が相手をするのではなかろうか。


 まして、どうしてそんなことが自分にできるだろう。ただの女の子にそんなこと。

 わたしは、世界を守る騎士になんて――


「戦うわよ、戦えばいいんでしょ!」


 とうとう、弥生は叫んだ。


「愛と正義の騎士として、今後も世界を守るために戦うことを誓います! これでいいのっ!?」


 ……のちのち、どうしてあんなことを宣言してしまったんだろう、とぶちぶち後悔する羽目になるのだが。

 この時の弥生に、そんなことを考えている余裕はなかった。


 とにかく、いまは帆乃香を助けなければ!


「……ま、いまはそんなところで上出来だろうな」


 ポーの声は、いつもの調子に戻っていた。


「よし、じゃあさっそく片づけようぜ。前にも言ったが、変化したあとは俺はアドバイスできないぞ。戦闘装甲服の機能管制にかなりのデータを処理しなきゃならないから、いちいち事細かに音声インターフェイスはしてられないんだ」

「わかってる」


 弥生は短く答えた。もうヤケだ。

 ポーを右手につかんで、高々と捧げあげる。すると、ポーの表面を走る赤と金のラインがきらきらと輝きだした。


「シフト、バトルドレス!」


 叫んだ瞬間、弥生の体をまばゆい光が包みこんだ。直径二メートルの光輝、分子凝縮フィールド。

 着ていた衣服が瞬時に分解し、原子レベルにまで還元される。一瞬生まれたままの姿になるが、ミリ秒単位なので誰にも認識されることはない。

 同時に、ポーにインストールされた変化アプリが読みだされ、分解した原子は光の繭のなかで再結合し、別の分子組成を編みあげた。弥生のボディラインにあわせ、原子が再構成をとげる。


 ――ヘルメットにバイザー。優美な白い戦闘装甲服バトルドレス

 この姿をみて、弥生とわかる級友はひとりもいるまい。


「はぁっ……!」


 弥生は、特捜騎士となった我が身を見おろした。

 分子結合の名残か、装甲の表面からときおり静電気の青い光が弾ける。


「ナイトエンジェル、か……!」


 一度変化してしまうと、弥生は自分でも驚くほど、心が軽くなっているのを感じた。

 迷いが、すっかり消えたとはいわない。けれども、さっきまでの鬱々とした気分は、どこかへ吹き飛んでいた。


(そうだ。わたしはまだ、何もやってないんだ)


 不思議に爽快な気分のなかで、弥生は突然気がついた。


 思えば、昨日までは、自分に戦うことなんて出来るわけがない、と思い込んでいた。羞かしいし、恐いし。何事もなく、ただ早く家に帰りたいとばかり願っていた。

 今までもそうだ。自分は何ひとつ取り柄のない、ただの女の子だと思っていた。頭が良かったり、スポーツの得意な人のことを、傍から見上げて羨ましがるばかりだった。才能のある人はすごいな、でもわたしにはあんなの無理。努力なんて何もせず、それですべてを終わらせていたのだ。


 でも、本当にできないかどうかは、やってみなければわからないではないか。

 少なくとも、いまベリアルと戦うことは、自分にしかできないことなのだから。

 倉坂弥生は、レベルが上がった!


「帆乃香、いま助けにいくわ。無事でいてねっ」



    ☆



 校舎の火災はスプリンクラーのおかげでほぼ鎮まったものの、学校の敷地内へ進入していたパトカーの群れは、あちこちで大破炎上していた。

 ガソリンに引火しているためか、激しく燃える炎の先から、派手な黒煙がわきあがって空を染めている。


 その赤々とした炎に照らされながら、ベリアルは使いきった携行ミサイルの弾帯部を操作して、ミサイル形成アプリを起動した。小型の分子凝縮フィールドが大気中に浮遊する雑多な分子をかきあつめ、新しい弾体を造っていく。


「まだか、ナイトエンジェルは」


 ミサイルの補充はアプリに任せて、ベリアルは空を仰いだ。

 上空でバラバラと耳障りな音を立てて舞っているのは報道のヘリコプターばかりで、ナイトエンジェルがでてくる兆候はない。

 パンパンッ、と音がして、甲冑に鉛弾がはじけた。警官が撃ったようだ。


「ええい、しつこいやつらだっ」


 ベリアルは、左腕に仕込んだガトリングガンを掃射した。警官隊は沈黙する。


(早く来い、ナイトエンジェル)


 ベリアルは心のなかでつぶやいた。こうるさい治安部隊はあらかた片づけたが、肝腎の正義の味方が現れないのでは話にならない。


(来ないのなら、あのうるさいヘリとやらを二、三機撃ち落としてやろうか)


 ベリアルがそんなことを考えはじめたとき、ふいに後ろから少女の声がした。


「ああ、あの……さっきは、助けていただいて、ありがとうございました」

「ああん?」


 面倒くさげに首をめぐらせる。

 ひとりの女生徒が、ベリアルを見つめて立っていた。

 たしか、先ほどあの情けない二人組に拳銃を突きつけられて怯えていた女生徒だ。

 その頬は鮮やかに赤く染まり、瞳はうるうると潤んでいた。

 車を焼く炎のせいだろう。ベリアルはそう判断した。


「助けたわけではない。あの下郎どもの情けないやり方に我慢がならなかっただけだ。戦うなら正義の味方と戦え! 倒すなら正義の味方を倒せ! あまつさえ戦士でもない貴様らのようなひ弱で無力な者を盾にして生きのびようとは、戦士の風上にもおけん! 虫けらめ!」

「本当に、そのとおりと思います」


 帆乃香は、うっとりとした顔で返事をした。

 プロレス好きの彼女は、殺伐とした言葉にも耐性があった。自分のことを無力な者といわれても、ちっとも腹が立たない。

 恋い焦がれた人を前にして、細かいことはどうでもいいのだ。


「ほう、気が合うな。だったらとっとと失せろ。貴様も目障りだ」

「はい。あのう……お逢いしたばかりで、厚かましいと思われるかも知れないですけど……」

「なんだ、うるさいぞ。用があるなら早くいえ」

「あの……ベリアル様のファンクラブ、作ってもいいですか?」


 …………。

 栄えある悪の戦士の脳内活動が八秒間ほどフリーズしてしまったことは、けっして本人の責任ではないだろう。

 苦労して、ようやく言葉をひねりだす。


「……なんだと?」

「ファンクラブです」

「…………」


 ベリアルは、あんぐりと口を開けた。

 今まで、いくつもの世界を破壊と混乱に導いてきたが、原住民からこんなことをいわれたのは初めてだった。


 もしかしたら、こいつは治安組織がいち早く送り込んできた工作員で、極めて手のこんだ懐柔作戦なのでは。そうも思ってみたが、それにしても論点がずれすぎている。

 だいいち、敵を応援してどうなるというのか。

 やはり正義の味方のいる世界は一味ちがう。


「な、なんなんだ、この娘は……」


 理解不能の相手に、ベリアルは苦しげにうめいた。

 戦闘にド素人であるのは見ればわかるし、こんな無力な人間をわざわざ手にかけるなど、悪の戦士の美学に反する。

 だが、こんなことを平然と口にする女が、ただの小娘とも思えない。

 どう処理すればよいのだ。


「う、うぬぬぬっ」


 ベリアルが頭を悩ましていると、その場に、ぴぃんと緊張感あふれる声が響きわたった。


「ベリアル、その娘から離れなさい!」

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