第6話 無縁ではいられないみたいです



    ☆



 家に帰りつく頃には、弥生の心はすっかり決まっていた。

 これ以上、平穏な生活をかき乱されるのはもういやだ。こんなお荷物なんていらない。


 弥生は玄関で靴を脱ぎちらかすと、どんどんどん、と乱暴に階段を踏み鳴らしながら二階へ上がっていった。両親が家にいれば、小言のひとつも飛んでくるところだ。


「わたしは正義の味方なんてやる気ないんだから! あんな恥ずかしくて危ないこと、もう絶対、二度と、何があろうと金輪際やらないからね!」


 自分の部屋に入って、ぶんっと鞄をベッドへ投げつける。そのまま、もう鞄のほうなんて見向きもせずにブレザーの制服を脱ぎはじめる。

 投げられた拍子に蓋の開いた鞄から、ポーが転がり出てきた。シーツの上を水晶玉のように行ったり来たりしながら、抗議の声を上げる。


「じゃあ、この世界の平穏はどうするんだよ? ここはお前の暮らしている世界だろ? 特捜騎士以外に、奴らと戦える存在なんてありゃしないんだぞ」

「心配しなくたって、日本には警察があるし、自衛隊だってあるんだから! そういう専門の人たちに任せておけば大丈夫なの、世の中そういうふうにできてるの! そんな危ないこと、ただの女子高生がやる道理なんてないもん!」


 弥生もつんとそっぽを向いたまま、ハンガーに制服をひっかけて壁に吊した。

 そのまま身を翻して、さっさと部屋を出ていく。


「お、おい!」

「お腹すいたから、台所で何か食べてくるわ。あなたはそこでしばらく反省してなさい。それと、フォーチュンに連絡つける方法考えといてよね。あなたを返すんだから」

「俺が何を反省するんだ! 大体いまさら返すったって、俺はもうお前の生体認証で登録してるんだぞ!……って、聞いてるのか、おい!」


 部屋のなかから叫ぶポーには耳も貸さず、弥生は足早に階段を下りていった。

 無視無視。もうポーの顔なんてみたくない、と弥生は思った。

 顔なんてないけど。


(勝手なことばかりいって! そうよ、どうしてわたしがそんなことしなくちゃいけないの? わたしだって怒るときは怒るんだから!)


 一階に降りると、あまり迫力のない薄い肩をいからせながらずんずんとリビングに入る。


「ああん、もういやっ」


 壁際に鎮座する三人掛けのソファへ、跳ねるように座りこんだ。手前のガラステーブルに置いてあるリモコンを手に取り、TVのスイッチを入れる。

 早い午後のこの時間に放送しているのは、暇な奥さま向けのワイドショー番組が大半だ。


「……もっと面白いところないの?」


 何度かチャンネルを切り替えてみたものの、どこの局も代わり映えのしない内容である。

 弥生はあきらめてリモコンを放り出した。ソファにごろんと横になり、クッションを枕代わりにして目をつむる。

 まぶしさを避けようと窓辺から差し込んでくる日差しに背をむけ、TVの音声も背中で聞く。


 ……それから十分ほど、弥生は何をするでもなく、ただぼんやりと寝そべっていた。


 ポーが来たら、何をいわれたって返事もするまい。理不尽なことを押しつけられて、どれだけ不機嫌でいるかをアピールしなければ。そう思って、降りてくるのを待ちかまえていたのだ。

 けれど、二階へ置き去りにしてきたポーはすっかり黙り込んでしまったらしい。階段からは、ことりとも音がしない。


「…………」


 放っておかれるのも何となく気に入らなくて、唇を尖らせる。

 今までは、家に誰もいないとなるとこちらの足元にころころまとわりついて、家の中で見るもの触れるもの、すべてを珍しそうに質問してきたくせに。TVをつけると正面に陣取って、何時間でも動かないくせに。


「……ふん、そっちも怒ってるっていいたいの? そんなの、わたしのせいじゃないもん……」


 弥生はもそもそと身じろぎした。ソファの上なので、横になっていても少し窮屈だ。

 もっとも、寝心地悪く感じるのは、ソファだから、というばかりでもない気がする。


「向こうだって怒ってるかもしれないけど、わたしだって怒ってるんだから……」


 ぶつぶつと口の中でつぶやく。

 ふと、眉根にしわが寄りっぱなしになっているのを感じて、弥生はとても嫌な気持ちになった。


 怒るのはいやなことだ、と弥生は思う。

 物事が公平じゃない気がしたり、理不尽に扱われていると思って、その感情に身を任せている間はまだいい。

 けれど怒りが冷めてくると、そのあとに来るのは決まって自己嫌悪だ。


 めったにない事だけれど、帆乃香とも、こうして何度か喧嘩したことがある。たいていは些細なことがきっかけで、お互いに涙ぐむまで口論したこともある。

 でも、喧嘩して二日もたつと、自分の口にした言葉のひとつひとつが自分に突き刺さってくる。どうしてあんなことをいってしまったんだろうと、すがりついて泣いて謝らずにはいられなくなる。

 それは帆乃香も同じらしい。だからこそ、ずっと親友でいられるのだけれど。


 弥生は、はあっ、とひとつため息をついた。

 どうしてあんなコンピュータのせいで、こんな嫌な気持ちにならないといけないんだろう。


「……ほんとに、何か食べよ」


 ひとりでぽつんとふて寝するのにも飽きてしまって、弥生はソファからのっそりと身を起こした。

 こんなときは、まずお腹に何か入れよう。

 食べたからといって問題は何も解決しないけれども、食べないで怒ったり悩んだりするよりは、食べながら怒ったり悩んだりしたほうがずっとマシだと思う。なんとなく。


「冷蔵庫に何かないかな」


 リビングから台所へ入って、冷蔵庫を開けてみた。


「あ、ケーキの箱。……そっか、お母さんが夕べチーズケーキ買ってきたんだっけ」


 たしか、夜食かおやつにでも食べなさい、といっていたような気がする。夕べは疲れて早寝したから、まだ食べていなかった。

 弥生はさっそく箱を取り出した。ふたを開けてみると、まだ半分以上も残っていた。

 やけ食い用としては、まったく申しぶんあるまい。弥生は少しだけ気分が良くなった。


 箱を抱えたまま食器棚に移って、引き出しから切り分けに使う大振りなナイフと、ケーキ用のフォーク、それに平皿を確保する。

 先にそれだけリビングのテーブルに置くと、また台所へ戻ってティーバッグの紅茶を入れた。砂糖は入れないでおこう。ケーキがあるんだから。太るし。


 弥生はお盆に紅茶のカップを乗せてリビングに運ぶと、ふたたびソファへ腰を下ろした。

 ナイフをとり、チーズケーキに刃を入れる。

 最初はするすると切っていたのだが、だんだん、手の動きが緩慢になっていく。

 ようやく一切れ分を切りわけ、平皿に取ってから、弥生は階段のほうをちら、と見やった。

 ポーの気配はやはりない。もう降りてくるつもりがないようだ。


「……さ、食べよ。いただきまーす……」


 弥生はフォークの先でケーキをつついた。


 …………。


 つつきはするものの、そこから先になかなか進めなかった。

 なんだか、胸苦しくて、気まずかった。


「……わたしも怒ってるけど、向こうだって怒ってるよね……」


 ポーとの喧嘩で、自分が口走ったことを思い返す。


 怒りのあまりついなじってしまった、というのもあるけれど、ちゃんと人格や感情のあるポーに「あなたなんていらない!」とまでいってしまったのは、やっぱりひどかったかもしれない。


 頭を冷やして考えれば、ポーの言い分だって全く理のないことではない。それくらいは弥生にもわかる。

 ポーにしても、あのフォーチュンというお婆さんにしても、迷惑をかけるために地球へやってきたわけではないのだ。すべて善かれと思っての行動なのである。

 本来、自分たちとは何の関わりもない、弥生たちの住むこの世界のために。


 むしろ、話に聞いた立法院とやらのように「他の世界のことまで知るか」とほっかむりするより、まだ良心的といえるのかもしれない。


「でも、やっぱりわたしがする理由なんてないわよ、ね……もっと、ちゃんとした人に頼めばいいんだから……」


 ちゃんとした人というのがどういう人なのかは、よくわからないけれど。

 弥生は、力なくチーズケーキの端を切り取り、もそっと一口食べた。

 おいしい。

 ちょっとだけ気分が軽くなって、二口めを口に運ぶ。

 そしてふと、TVに目をやった。


 いつのまにか、ワイドショーは終わっていたようだ。代わりに流れているのは屋外からのライブ映像だった。カメラマンもあわてているらしく、ときどき画像がずいぶんとブレる。

 画面には、どこかの学校が映っていた。上空からだ。おそらくヘリからの映像だろう。

 なんだか校舎がどこかで見たような造りなのは、気のせいだろうか。

 ちょうど調整がついたのか、音声が流れはじめた。


『……えー、こちらは現在生中継でお送りしています、わたしは現在、N市上空の取材ヘリからお伝えしています!』


 レポーターの声は緊迫していた。


『地上に見えますのは、N市にあります、東雲高校です! あの煙が見えますでしょうか!? 高校に逃げ込んだ宝石店強盗の残りふたりの身柄が確保された、というのは先ほどお伝えしましたが、先日、電気街を破壊したベリアルと名乗る人物が、その同じ高校を襲っている、という情報が入ってきました!

 校舎からは火の手があがっているのが見えます! 避難している教員の姿も確認できますが、怪我をした生徒などはいないのでしょうか!』


 弥生の指から、フォークがすべり落ちた。


「う……うちの学校じゃない!」


 ソファからあわてて立ち上がる。


「た、大変っ。でも、どうしてうちの学校にベリアルが……ううんっ、そんなの考えてる場合じゃない。ポー、降りてきてよ! 早くTV見て!」


 階段の下まですっ飛んでいって叫んだ。

 ややあって、ポーが二階から転がり落ちてきた。


「なんだよ、うるさいな。さっきは人をさんざん邪魔者の疫病神みたいにぬかしてたくせに……」

「そんなことより、学校が大変なのよ! ベリアルが現われたの!」

「どれ」


 ポーは、ひょいっとテーブルの上に跳ねあがった。重力を知らないような動きである。


「……ほう。こいつはたしかにお前の通ってる学校だな。まあ間がいいというか悪いというか、どうせ攻めてくるなら俺がいる間にくればいいものを……」


 弥生はぶんぶん腕をふった。


「冷静にしてないでよっ。ど、どうしよう?」

「どうしようって……愛と正義の騎士は嫌なんだろ」


 ポーの口調はさめていた。


「そのうち、また警察が来るさ。それとも自衛隊か。それまでここでのんびり見物してればいいんじゃないか」

「で、でも……」


 弥生はふたたびTVを観た。あっと声をあげる。

 画面はひとりの女生徒の姿を映していた。

 顔は、はっきりとは見えない。

 でも、弥生にはすぐにわかった。


「大変! あれ、帆乃香だわ!」

『女生徒がひとり、ベリアルに近づいていきます! 何か呼びかけているようですが、上空からではわかりません! 説得を試みているのでしょうか?』

「ちがうと思うな、わたし……」


 親友の陶然とした足取りに、弥生はげんなりした。


「ってのんびり論評してる場合じゃないわ。ポー、なんとかしてよ! 元々あなたの世界の人でしょう、ベリアルって」

「なんとかしたいのは山々だが、俺にはどうにもできないな。俺は、しょせん器でしかないんだから。装備してくれる特捜騎士がいなきゃ、ただの役立たずの玉っころさ」


 弥生ののどが、ぐぅ、と音をたてた。

 しばらく沈黙。


「……わかった」


 弥生はしぶしぶいった。


「今度だけ、もう一回だけナイトエンジェルになるわ。とにかく帆乃香を助けないと」

「いいや、駄目だ。あいにくだが、そんな理由でやるつもりなら、おまえを特捜騎士にするのはもう断る」


 ポーは毅然として断言した。

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