第5話 悪が来襲したようです



    3



「ふりきれ! 警察なんぞふりきっちまえ!」

「うるせえっ、今やってるだろうが! てめえこそ、銃ぶらさげてんなら足止めくらいしてみせろ!」


 セダンタイプの旧いシビックのなかで、二人組の男が非建設的な怒鳴りあいをやっていた。

 シノギに困った暴力団員から五万円で買ったマカロフを持って宝石店事務所に押し入り、売上金を強奪したまではよかったが、気がつけば警官隊が十重二十重。強行突破をはかったさいに仲間のひとりは捕まった。残るは、このステアを握る痩せた中年男と、拳銃を持った粗暴そうな若者だけだ。


「だいたいてめえが……!」

「なんだと、だったらあのときおめえが……!」


 あまり、仲がいいとはいえなかった。

 熱血な友愛で結ばれた強盗団というのもあまり聞かないが。

 そもそも、この状況下で悪党面した強盗たちが涙を流しながら抱きあって熱い友情をむさぼるように確かめあっていたら、アクションというよりはむしろホラー映画に近い。


 だが、追いつめられた者はときとして異常な力を発揮する。性能ではパトカーに及ばないはずの旧車を、痩せた中年男はぎりぎりの運転で操り、寄せつけようとしない。

 タイヤがキュルキュル鳴り、車はT字路を左へターンした。幅広の国道に出る。


(しまった!)


 中年男は舌打ちした。この道は見通しが良すぎる。加速勝負になってしまったら、こんな旧式の大衆車では勝ち目がない。


「おい、前、前!」


 助手席の若者が叫んだ。ずっと前方に、二車線の交差点があった。進路はクリアだが、信号は赤――交差する道路は、かなりの交通量だ。

 信号が変わる気配はない。交差点はぐんぐん近づいてくる。


「こんのおっ」


 中年男はギアを一速落とすと、踏み抜く勢いでアクセルペダルを床へたたき込んだ。年老いたエンジンが怒涛のように吠え、回転計の針が一気にレッドゾーンへなだれ込む。冷汗が額に浮いたが、感じる暇もない。

 シビックは、奇跡のようなタイミングで流れる車の切れ目をすりぬけた。

 群れをなして追いかけてきたパトカーは、二の足を踏んでおいてけぼりだ。


「やった!」


 若者が後ろをみて叫ぶ。


「浮かれてんじゃねえ、どうせ非常線を張られてるぞ!」


 緩むGに息をつきながら、中年男はいまいましげに叫んだ。

 くそっ、なんてこった。こんなに早く警察に通報されるとは。だからこんな、鼻息が荒いだけの若造どもと組むのは嫌だったんだ。


「なら、どこかへ立てこもって人質をとろうぜ! そのほうがいいや、人の多いところで何人か見繕えば、警察だって手も足もでねえだろう」


 その言葉に、中年男はかっとなってステアリングに掌底を叩きつけた。


「行き当たりばったりで好きなこと抜かすな! だいたい、どこに立てこもるんだ? そんなに都合よく頭数のいるような場所があるか!」

「あるさ、この先にな」


 若者が舌なめずりした。


「高校がある。俺の母校よ。行跡不良ってんで、三年前に俺を追いだしやがった。ふざけやがって、担任の野郎がいたら真っ先にぶち殺してやる!」


 その言葉に、中年男は驚いたように眉をあげた。


「……なるほど。この時間なら、まだ生徒がいるか」


 顔にじわじわとどす黒い笑みを浮かべる。ガキを人質に取れば、たしかに警察もそうそう強硬には出てこれまい。こいつにしちゃ、なかなかの思いつきだ。

 どうせ捕まれば全部終わりだ、と中年男は思った。だったら、一か八かやってやる。

 ふたりを乗せた旧いシビックは、道路をまっすぐに進んでいく。高校の校舎が見えるまでに、そう時間はかからなかった。

 中年男は、急ハンドルを切ってふたたびタイヤを鳴かせると、正門から高校の敷地内へ乗りこんだ。校舎の正面玄関の鼻先へ、タイヤをロックさせながらきわどく停まる。


「よし、いくぞ!」

「おお! 待ってろよ先公ども!」


 中年男が、後部座席に放りこんでおいた札束と宝石入りのスポーツバッグを担ぎ、若い男のほうは拳銃を振りかざした。蹴るようにドアを開けて、あわただしく車から降りる。

 ふたりはそのまま、校舎内へと逃げ込んでいった。






「なに、あの車。あぶないなあ」


 二階の教室の窓から、帆乃香はうす汚れたシビックを見おろしていた。

 雑誌とお弁当とお菓子を交えての楽しい同好会活動も一区切りつき、何気なく外を見ていたときだ。

 向かいにある管理棟の玄関先に、ほとんどつっこむかのような勢いで車がとまったかと思うと、なかから二人組の男が血相変えて出てきた。スポーツバッグを、やけに大事そうに抱えている。

 でも、若いほうが手に握っている、あの黒光りするものはなんだろう?


「ねえ、あれピストルに見えなかった?」


 と、隣でチョコポッキーの残りをかじっていた会員のひとりがいった。


「まさかぁ」


 帆乃香は苦笑した。


「そりゃあ、日本もだんだんいろんなこと起こって危なくなってきてるけど、こんなところで鉄砲なんて……」


 そのとき、管理棟のほうから、パンッという破裂音が響いた。


「……何の音、あれ」

「さあ……」


 帆乃香たちは、互いの顔を見あわせた。

 そうしている間にも、パンッ、パンッ、と破裂音が聞こえてくる。

 つづいて、教師たちのものとおぼしき悲鳴も。

 やがて、遅まきながらパトカーのサイレンの音が近づいてきた。


「……ねえ。これって、いくら何でもただ事じゃないよ」


 そのまま女子プロレスに入門できそうな体格の女生徒が、顔に不安そうな表情を浮かべていう。


「ここにいたらマズイんじゃない?」

「マズイって?」とチョコポッキー。

「逃げたほうがいいんじゃないかっていってるの。非常階段から」

「でも、下手に動かないほうがいいかもしれないわよ。だいたい何がどうなってるのか、わかんないんだし」

「そんなこといってるうちに、逃げ遅れたらどうすんのよっ」


 会員ふたりが言い合いをしている間、帆乃香はしばらくじっと管理棟のほうを見ていた。

 やがて、すっくと立ちあがる。


「あたし、ちょっと様子見てくるわ」


 その言葉に、もめていた少女たちははっとふりかえる。


「で、でも帆乃香、危ないよ」

「そうだよ、やめときなよ」

「だいじょうぶ、見てくるだけだから。みんな、お菓子とか片付けといて。すぐ戻るわ」


 会員たちに言いおくと、帆乃香は教室を飛びだした。

 管理棟へつながる校舎中央の渡り廊下めざして、廊下をばたばたと走っていく。


 まさか、嘘よね――帆乃香は自分に言い聞かせた。そんな映画みたいなこと、ほんとに起こるわけないもん。

 まあ、正義の味方と悪の戦士は、いるかもしれないけどさ。


 ふと、弥生のことを思いだす。あの子、休み時間になるたび妙にナイトエンジェルに肩入れしていた。あんまりしつこく言うものだから、ついついベリアルを褒めちぎって、ナイトエンジェルを馬鹿にしてしまったが。


(いいすぎたかな……)


 弥生が怒ったような、それでいて傷ついたような目をして下校するのをみて、帆乃香もじわじわと後悔していた。まさか、弥生がそんなにもナイトエンジェルに入れこんでいるとは思わなかったのだ。


 今夜、仲直りの連絡いれたほうがいいかな。

 明日は土曜日だし、ケーキの美味しいお店、ひとつ開拓したし。手打ちとしてはそんなところでいいだろう。

 弥生は幼稚園の頃からの付き合いだし、何でも気兼ねなく話せるいちばんの友達なのだ。こんなことくらいで、喧嘩したくない。


 とはいえ、ちらっと思ってしまった。


(でも、ほんとにあんな弱そうなのの、どこがいいんだろ?)


 息せき切って、渡り廊下につながる角を曲がる。

 とたんに誰かの胸に飛び込みそうになり、帆乃香はたたらを踏んだ。


「す、すいませ……」


 謝りかけた言葉がとぎれる。目が、こんなに開いたのは生まれて初めてというくらい真丸に見開かれた。

 けけけ拳銃!


「ようし、やっと生徒見つけたぜ! 最初の人質はおめえだ!」


 血走る目をした若者が、硬直した帆乃香のブレザーの衿をひっつかんだ。乱暴にぐいと引き寄せる。


「逃げようなんて思うなよ。ちょっとでも逆らいやがったら、頭吹き飛ばすぞ!」

「ひっ、ひい……!」


 こめかみへねじ込むように銃口を突きつけられ、帆乃香は恐怖にひきつれた声をあげた。

 体ががたがた震えだす。


(あああごめんなさい神様あたしいい子になります勉強もやります課題もやります家のお手伝いもしますチョークを生理用品とこっそり変えて若い男の先生をからかうこともやめます好奇心猫を殺す初めにいいだしたのは誰なのよなんでもっと早くいってくれなかったの意地悪いじわるいじいじいじいじ)


 混乱していた。


「へっ恐えか!? 恐えか、ああ!?」


 人質の怯えように、若者はかさにかかった。


「おめえを最初の盾にしてやる。ポリ公どもが四の五の抜かしたら、真っ先に死んでもらうぞ、いいな!」いいわけあるか。

「なんだ貴様ら、その志の低さは!」


 突然の一喝に、男たちは飛びあがった。餃子の具のように練りわさびを詰め込んだチューインガムを食べて五秒ほど経過したチンパンジーもかくやという飛びあがりようだった。

 あわてて後ろをふりかえる。

 甲冑を着たベリアルが、仁王立ちになっていた。

 全身から怒りのオーラを立ち昇らせ、兜からのぞく目は憤怒のあまり釣りあがっていた。


「ええい、この国は平和すぎる! こんな惰弱な戦士しか生みだせんとは……官憲を相手に戦いもせず逃げまわるばかりか、己の無力さを姑息な手段で補おうとは! それでも誇りある悪の戦士か、恥を知れ!」

「な、なんだおめえは! 警察か!」

「撃て、撃ち殺せ!」


 中年男の叫び声に、若者の持つマカロフが火を噴いた。ベリアルの胸に命中する。

 いや。命中したかに見えたが、着弾にはいたらなかった。

 ベリアルが、弾丸を指でつまみ止めてしまったのである。

 男たちが、あんぐりと口を開いた。


「この程度の力量で悪を名乗るなど片腹痛い! 貴様らも悪の戦士なら、せめてこのくらいはやれ!」


 叫んだベリアルの手から、まばゆい雷電がほとばしった。

 渡り廊下の窓をつきやぶり、管理棟の二階に命中する。ちょうど家庭科実習室のあるあたりだ。

 ガス管に引火して、派手な誘爆が起こった。校舎中の窓ガラスが、爆風と衝撃で一斉に砕け散る。


「ひいいいっ」


 あまりにすさまじい雷撃と火炎に、男たちはへなへなと腰を抜かす。

 若者の腕から解放された帆乃香は、茫然とベリアルを見つめていた。


「失せろ下郎めら! 貴様らに破壊の見本をみせてやる!」


 炎に染まるベリアルの瞳は、早くも戦いの予感を孕んでらんらんと輝いていた。

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