第2話 身の不運を嘆きます
☆
「いったーぃ……」
弥生は、ベッドの上でぐったりとのびていた。
街の要所に張り巡らされた厳しい非常線のなか、もう学校の制服に戻っているのだから平気なはずの警官たちの存在にびくびくしながら、ほうほうの体で帰りついたなつかしい我が家。その二階にある、六畳間の自分の部屋である。
壁にはアーティストやアイドルのポスターがいくつか貼られていた。リアルな男性ユニットのものもあれば、アニメの女子ユニットのものもある。
本棚の上段に並んで座っているのは、むくむくとした可愛らしいくまのぬいぐるみの群れ。
お気に入りの服を収めたクローゼットに、中は誰にも見られたくない女の子のチェスト。もちろん、机の上には教科書やノート、参考書のたぐいもきちんと並んでいる。
その傍らのラックにはマイクロコンポやちょっとしたアクセサリー、その他の小物類が収まっている。何の変哲もない、日常そのものの佇まいだ。
その見慣れた調度に気をゆるませたとたん、こき使われた体が口々に不平をいい始めた。
「こ、腰がぁ。腕がぁ……背中が、太ももの筋肉がぁ……」
「甘えた声をだすんじゃない」
枕もとに転がっている金属製の球体が、表面を振動させてそんな音声を発した。
直径は六センチほど。白銀色の表面が鈍い光沢を放っている。その上を赤と金色のラインがくねくねと走っていた。
「筋肉痛だなんて、お前それでも十代か? 運動不足なんだよ、運動不足。そんなありさまじゃ、戦闘装甲服の性能の半分もひきだせないぞ」
「体育の授業はちゃんとでてるもん」
弥生はうらめしそうに球体を見やった。
「それに、わたしはふつうの女子高生で、戦いなんて専門外なのっ。筋肉痛くらい、しようがないでしょ」
「たしかに普段は使わない筋肉だったかもな。でも、これからはそういう所も鍛えてもらわないと困るぜ」
と金属の塊がえらそうにいう。
「なにせ、今のお前はこの世界を護る選ばれた騎士なんだからな」
「それよ、わたしの一番いいたいのは!」
弥生はがばっと身を起こした。
「なんでわたしがそんなのに選ばれなきゃいけないの? わたしはただの女の子よ。何の取り柄もない、ごく普通の」
「いやいや、あれでなかなか立派な戦いぶりだったぜ。ちょいと具合は悪かったかもしれないが、初陣は誰だってあんなものさ。いや、それを差し引けば、むしろ巧くやったほうだ。俺が教えた見得も綺麗に切れたし、何より凛々しさ美しさときたら、とても初めてとは思えないほど俺もほれぼれとして……」
「お世辞いってもダメだから! わたしもうやらないからね。あんな恥ずかしいこと、二度とやらないから!……誰か他の人探してよぉ。こういうのにむいてる人」
後半は哀願調である。
「お前はむいてる」
球体はぴしゃりとはねつけた。
「マジな話、お前には才能がある。それは使ってもらった俺が一番よくわかってるんだ。もっと自分を評価しろよ。人間、自分を卑下してたらろくな人生手に入らないぜ?」
「コンピュータのあなたに人生とか言われたくない!……それにわたし、別に『正義の味方』なんてやりたくないもん……」
弥生はシーツに顔をうずめた。
くすん、と鼻を鳴らす。
(あーあ。どうしてこんなことになっちゃったんだろ……)
つい先日までは、善良でか弱い、どこにでもいる一介の女子高生だったのに。
しくしく。
(なんにも、取り柄なんてないのに……ただの女の子なのに、わたし……)
シーツに突っ伏したまま、心はどんどん落ち込んでいく。
実際、弥生はそのとおりの、ごく平凡で地味系な、目立たない少女だった。
両親や友人たちは、どこか励ますように「可愛い」といってくれるが、見初めてくれた男子がこれまでにいるわけではない。頭の出来が並みであるのは、学校の成績が証明している。
スポーツはどちらかといえば苦手なほうだ。もちろん人に誇れるような一芸を持ち合わせているはずもなく、クラスで団体行動のあるときは、いつだって「その他大勢」だった。
人生の主人公は自分? 誰だってこの世にひとつのオンリーワン? なるほど聞こえはいいかもしれない。けれど周囲と交われば、自分はけっして主役をやれるような娘ではないとわかってしまう。はっきり言ってしまえば、たぶんいてもいなくても、クラスの雰囲気は変わらない。
「わたしはちょっと違うもん」
と思いたくても、根拠はどこにも見つけられず。結局は、この部屋のように、山も谷もない平凡で安逸な人生を、これまでなんとなく過ごしてきたのである。
それが、何が悲しくて今さらあんな特撮オタみたいなことをしなければならないのか。
あの出逢いが、すべての始まりだったのだ……
☆
「狙われておる」
後ろからふいにそんな声をかけられ、弥生は思わずふりかえった。
今日は日曜日。たっぷりと出された数学の課題に午前いっぱいつぶされてから(それでも真面目に取り組んだのだから、誰か褒めてくれてもいいと思う)、ちょっと気分転換に出た市街にあるキティランドで、前から目を付けていた可愛いぬいぐるみを買った。その帰りのことだ。
弥生の真後ろに気配もなく立っていたのは、背の低いひとりの老婆であった。
ついさっき、『よろず占い』と書かれた紙を雑居ビルのレンガ風の壁面に貼りつけ、小さな露台を立てていた後期高齢者である。
夢見る女の子のご多分にもれず、弥生も占いはきらいではない。本棚には、占星術や相性診断の本がいくつも並んでいるし、占い専門の週刊誌だってついつい買ってしまう。
だからといって、今ここで占ってもらうつもりはなかった。
なにせその老婆ときたら、
「戦う者が必要だ」
だの、
「愛と正義の騎士が」
だのと、意味のわからないことをひとりで供述していたのだから。
(近寄らないほうが、いいよね)
誰だってそう思う。弥生もそう思う。
なので、まったく気づいていないふりをして、老婆の前を足早に通りすぎた。
そして角を曲がったとたん、背後からいきなり声をかけられたのである。
「わわた、わたしに何か御用ですか?」
本能的に身を固くする。いつのまについてきてたんだろう。驚いたせいで、心臓がどきどきいっている。
もしかして、これ事案?
「いま、ちょっと足を止めたじゃろう」
と皺だらけの老婆。
「わしの言葉に、ほんのわずかだが耳を貸したな?」
弥生は黙っていた。そりゃ、何をぶつぶついってるんだろうと思って、一瞬歩く足を鈍らせはしたが。
でもそれは本当に一瞬だったはずなのに、そんなの目ざとく気づかないでほしい。
「あ、あの、わたし急いでますから……」
「待ちなされ。誰も取って食いやせんて」
ふぁっふぁっふぁっ、と老婆はただでさえしなびている顔をくしゃくしゃにして笑う。
「いまもいうたが、この世界は狙われておる。この空の遙か彼方から時空の壁を越えて、憎むべき犯罪評議会が、この世界を陥れんとしておるのじゃ」
犯罪評……
弥生は絶望的な気分になった。かわいそうに、このお婆ちゃん、うわさに聞いた黄色いお薬が必要な人なんだ。あれ、虹色の救急車だっけ?
でも、どうしてそんな人がわたしに絡んでくるのよぅ。
「わしは彼奴らと戦う、こことは別の世界“バスフ”に生きる者じゃ」
と、老婆はまたかわいそうなことを胸を張っていう。
「あんたは、多元宇宙とか、異世界といった言葉を知っとるかね?」
「……ま、まあ、なんとなくは知ってるかも知れないけど……」
「どっちなんじゃ。……いや、まあよい。とにかく、この世界くらいに文明が発展しておれば、概念だけは育っておろうが、宇宙はけしてひとつの実相で語られるべきものではない。たとえ肉眼では確認できずとも、わずかずつ異なる位相や時空には、さまざまな世界が存在するのじゃ。
わしらの住むバスフも、この地球も、たがいに隣接する異なる世界同士でな……」
うんうん、とひとりで納得しながら、老婆は話をつづけた。
「まあ、兄弟世界のようなものじゃよ。無論、そんな世界はここだけではないがの。
そして、バスフでわしが属しておる組織は、バスフ中央行政院強制執行局というて……平たくいえば、ここでいう警察のようなものじゃ」
「えーと、あのー……」
誰か助けてくれないかな、と弥生は周囲の人を見まわした。
みんな目も合わせてくれなかった。そそくさと歩き去っていく。
ちょっと冷たくないですか世間の大人たち。
「さて、言うまでもないことじゃが、警察があるということは、前提として犯罪者どももおるということじゃ。バスフの犯罪者どもはいま、非常に強力な組織を作り上げて、わしら強制執行局と対立しておる。
それが、犯罪評議会なのじゃ。
彼奴ら悪の手先と戦うのは、強制執行局に課せられた神聖にして崇高な使命。その強制執行局のメンバーであるわしが、なぜわざわざこの世界にやってきたか、お前さんにわかるかね?」
「い、いえ、よくわからないけど……」
え、えへへ、と弥生は気弱に愛想笑いをする。トラブル回避にはまず笑顔。刺激しないように。
「犯罪評議会の新たなる標的が、この世界だからじゃよ! 彼奴らは、つぎの侵略の魔の手を、この世界に伸ばしはじめたんじゃ!」
老婆は拳を振りあげた。身にまとった、魔女が着るような小汚いローブをわさわさと揺らす。
「あ、あの、あんまり興奮しないほうが、いいんじゃないですか、なーんて……」
「おお、心配してくれるのか。やさしい、いい娘じゃのお」
老婆は目を細めて弥生を見上げた。
「え」
「今までにも、同じようなことはあった。彼奴ら犯罪評議会が侵入し、荒廃していった世界。独力で撃退に成功した世界。色々ある。……じゃが、わしらはそのとき、いつも蚊帳の外におかれておった。
なぜなら、わしらには他の世界を助けるための権限が与えられておらんからじゃ」
老婆は、いかにも残念そうに肩を落とした。
「バスフ内でなら、彼奴らといくらでも戦える……が、その外となると、もう駄目なのじゃ。予算やら世論やら、法規制やら政治的な駆け引きやらがいろいろあっての。わしらは歯噛みする他はない。
とくに、この世界とバスフは、正式な通商があるわけでもなし、わしらにはまったく手がだせん。中央立法院での議会工作も、なかなかうまくいかぬでのう……」
遠くを見るような眼差しで、老婆は物憂げにつぶやく。
なにを言っているのか、弥生にはよくわからなかった。
ていうか全然わからない。
「……さりとて、彼奴らの凶行をいつまでも手をこまねいて見ておるわけにはいかん。このままでは、不幸になる者が増えるばかりじゃ」
差し当たってわたしがいま不幸なんですが、と弥生は言いたかったが言えなかった。このお婆ちゃんを刺激するかもしれないし。
「さて、そこでじゃな。わしらはこの閉塞した状況を打開するために、局内で極秘裏に新しい計画を始めることにしたわけじゃがどこへ行く?」
少しずつ間合いを取り、離れようとしていたところを呼び止められて、弥生は飛びあがった。
「え!? あ、う、うん。あのね、そろそろ帰りのバスの時間が……」
「わしの話はお前さんの帰宅時間より重要じゃぞ。何しろこの世界の命運がかかっておるわけじゃからして」
「そ、そうね。わたしもそう思うけど、でもやっぱりその……あ、そうだ! お婆ちゃん、あっちにね、交番があるから、わたしが連れてったげる」
弥生は老婆の手を取ると、とっておきの笑みを浮かべた。刺激しないように。
「やさしいお巡りさんに、名前と住所、ちゃんというのよ」
「えい、黙って聞いとれっ。わしゃ正気じゃわいっ。……まったく、わしのいうことにようやく耳を貸した相手が、こんな失敬な小娘とは……」
老婆は、しばらくぶつぶつとつぶやいていた。
「……じゃが、まあよい。まるきり関心のない者に押しつけるわけにもいかん。少なくとも、お前さんはここまでおとなしく話を聞いとったしな。よしよし、ちょいと難はあるが、お前さんは合格じゃ」
「ちょ、ちょっとっ」
何やらきな臭い雰囲気に、弥生はあわてて手を振った。
「わ、わたしは別に聞きたくて聞いてたわけじゃないんだから! そ、それに関心なんてないもん! なんのことだか知らないけど、とにかく関心ないから。不合格でいいわ」
「いーや、合格じゃ。わしらは好意でやっとるんじゃからこれ以上手間を取らせるな。というわけで、お前さんに、これを授ける」
何が「というわけ」なのよ、と弥生が思う間もなく老婆が袂から取りだしたのは、とりたてて変哲なところもない――それでいて、どこか一癖も二癖もありそうな、金属製の白い球体だった。
「インテリジェントコアじゃよ」
ふぁっふぁっふぁっ、と老婆がまた魔女みたいに笑う。
「このなかに“ナイトエンジェル”の設定がすべて詰まっとる。使い方は、声で尋ねればすぐわかるようになっとる。わしがいちいち説明しとる暇はないんでな。すぐ次のを探さんとならんし」
球体を差しだされ、弥生はこわごわと受け取った。そうしないと、騒ぎだすかもしれないと思ったのだ。
厄介事は、いやだった。
「強制執行局内でも、最新鋭の代物じゃ。まあ試作機じゃから、実験を終えて処分したことにすれば書類上の問題はないし、試作機の性能が量産型を上回っているのはよくあることじゃ。かならず役に立つじゃろ。
……本当はの、わしもこんな無責任な真似はしたくないんじゃ。じゃが、わしらも公式の協力や要請は法律で禁止されとるしの。これ以上の介入はできんのじゃよ」
といって、老婆は無念そうに首をふる。
「彼奴らをうまく退けられるかどうかは、すべてお前さんたちの努力次第じゃ……では、たしかに渡したぞ」
つぎの瞬間、老婆の姿はかき消えた。
まさに、一瞬で目の前から消えてしまったのだ。
まわりの空気が、びゅうと音をたてて老婆の立っていたあたりに渦を巻いた。
「お、お婆ちゃん?」
弥生はびっくりして、おろおろとあたりを見まわした。
だが、応えるものは、もう誰もいなかったのである。
……いや、いた。
「こいつはまた、可愛らしいお嬢ちゃんだな」
手にした球体が、ぶるぶる震えた。
「俺はポーっていうんだ。あんたの相棒になるわけだな。今日からひとつ、よろしく頼むぜ」
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