科学の力で正義の味方になった女子ががんばるお話

白井鴉

第一部 倉坂弥生の場合

第1話 初めての戦いでした



    1



「そっそこまでよ! こここの、この世の平和を乱す悪者め!」


 ここは某県某都市の中心街、商業エリア。

 の、一角にある電器店ビルの屋上で、倉坂弥生は顔を真っ赤にして叫んだ。


 相手は、さざえの親戚みたいな異形の甲冑に身を鎧い、街なかで小型の携行ミサイルをぶっぱなしていた男だ。


 断っておくが、事実である。弥生の叫んだのがビルの屋上だからといって、けっして小さな子供とその親と、一部の怪しい風体をした青年たちを相手にした『正義の味方』ショーではない。見おろす地上を区切る太い道路のあちこちで、大破した車がのたうち、炎と煙をぼうぼうもくもく吐いている。


 ほんの数分前まで、そこは逃げ惑う一般市民で大混乱に陥っていたのだ。


 悪に敢然とたちむかうべく現れた弥生が着ているのは、白色に輝く戦闘装甲服バトルドレス。赤と金のラインで縁取りがほどこされている。乙女の体にフィットした優美なラインは、さながら白銀の騎士だった。

 ただ、脚がかくかく震えているあたり、やや迫力に欠けてはいたけども。

 自分でも、震える脚が気にはなっている。だから止めようとしているのだが、どうしても震えてしまうのである。


(み、みっともないなあ……)


 恐くてびくびくしながら、弥生は思った。でも距離があるから、きっと相手は気づかないよね。

 気づいていれば哀れに思って、手加減してくれるかもしれないけど。


(どうか気づいてください。お願いっ)


 弥生は心から祈った。

 鎧男の目が鋭く光った。手加減はしてくれそうになかった。


「何者だ、貴様は?」

「な、何者っていわれても……えーと……」


 口篭もっていると、ヘルメットのバイザー表示が急かすように点滅しはじめる。


「わ、わかってるわよぅ。ちゃんとやればいいんでしょ……」


 はあぁっとため息をついて、弥生はゆるゆると見得を切った。特撮ヒーローが、戦いの前にいつもやってみせるアレだ。これだって姿見の前で四〇分も練習させられたのである。でもまさか本当に披露するはめになろうとは。


「こ、この世の悪を裁くため、愛とせえぎの騎士、特捜ナイトエンジェル、ここに参上!」


 手先足先を、ぺち、と情けなくのばす。


(うー、羞かしいよぉ……)


 ヘルメットのなかで、弥生の頬がぽっぽっと熱をふく。

 これがあれか、羞恥プレイというものか。こんなの、ちゃんとした女の子のすることじゃない。なんでTVのヒーローやヒロインは、こんな恥ずかしいことを臆面もなくやれるんだろう。

 羞恥のあまりつむっていた目を、恐るおそる開ける。

 と、鎧男の持つ携行ミサイルの発射筒が、まっすぐ彼女に向いていた。


「え」


 少女の戸惑いを、非情な攻撃は待ってくれない。大気を揺るがす発射音、つづいて金属製の弾体が、炎を噴きつつまっしぐらに迫り来た!


「わっやっ嘘ぉぉわあ!」


 驚いてあたふたした拍子に、ただでさえ頼りなかった足元がずるりと滑った。唐突にビルの谷間へ放りだされる。支えなんてどこにもない。

 紐なしバンジージャンプ!


 ゴンッ


 …………。

 ああ、花も恥じらう可憐な乙女の、美しくもはかない生涯が、またひとつ悲しい伝説となって――


「……ちょっとぉ、なんてことするのよ!」


 弥生はすぐに起きあがった。


「無茶苦茶しないでよ! 戦闘装甲服がなかったら死んでたじゃないの! ていうか人にそんなもの向けて、ちょっとは良心の仮借を感じないの!?」

「姦しい奴だな」


 冷ややかな声だ。


「もう一度聞こう、何者だ? お前が着ている戦闘装甲服、この世界のものではなかろう。むしろ我々の世界のデザインに近い。どこで手に入れた、小娘?」

「小娘じゃないわ! 愛と正義の騎士、特捜ナイトエンジェルよ!」


 弥生の声はでんぐり返っていた。ミサイルを撃ち込まれるという人生初めての体験のせいで緊張の糸がぶちぶっちんと弾け飛び、すっかり気が動転してしまったのだ。


「いい? わたしはあなたみたいな変な人の相手なんてしたくないの! 早く家に帰って、ご飯食べて、お風呂入って宿題やらなきゃいけないの! てっとりばやく終わらせるから、謝るのなら今のうちよ!」


 無我夢中でそう叫ぶと、弥生は戦闘装甲服のバックパックから鈍色の砲身をせりあげた。バイザー表示、制圧射撃モード。ジェネレーター出力開放、電力充填。


「エンジェル、プラズマカノン!」


 声を張りあげたとたん、砲身から光条が一閃した! バンッ! という車のバックファイアのような砲声がビルの谷間に轟く。

 つぎの瞬間、閃光は鎧男とまるで関係のないあらぬ方向へ飛んでいった。

 はるか遠くで、着弾したとおぼしき建物が爆発する。

 …………。

 寒い風が、二人のあいだを吹き抜けていった。


「……貴様な。せめて照準くらい合わせてから撃ったらどうだ?」


 と鎧男。


「まあいい。みずから進んで破壊行為に邁進してくれたわけだからな。こんな協力的な原住民は初めてだ。見直したぞ、小娘」

「特捜ナイトエンジェルだってば!」


 弥生はぶんぶん腕をふりまわした。バイザーの下の顔は真っ赤になっている。


「いい今のはちょっとしたミスだもんっ。そそれに……そうよ、あなた、悪人でしょ。悪人のくせに偉そうにしてないでよ。ちょっとは申しわけなさそうにしたらどうなの!?」

「悪人か……むしろ『混沌をもたらす者』とでも呼んでくれたほうが、俺としてはしっくりくるんだがな」


 鎧男は鮫の笑みを浮かべた。


「そもそも、秩序や平和などに価値があると考えるのが間違いのもとなのだ。それは産業から活力を奪い、技術の進歩を停滞させ、解決不能な諸問題を社会に発生させる唾棄すべき代物なのだぞ。そこから人々を救いだす方法は、唯一、既存秩序の破壊以外にない。俺はこの世界を救済しにきたのだよ」

「ふざけないで! 何が救済よ、人を傷つけて、たくさん物を壊しておいて」

「物については他人のことはいえんと思うが……」

「いえるの! わたしはせ……正義の味方なんだから。……いちおう」


 弥生はためらいがちにつぶやいた。

 気を取り直す。


「……さ、さあ、もういいから早く自分の世界へ帰ってよ。さもないと、今度こそ本当に撃っちゃうわよ」

「あくまでやる気というわけか」


 どこかうれしそうな鎧男である。


「退かぬというなら貴様には死んでもらおう。俺も、これでなかなか忙しいのでな。小娘ひとりにいつまでもかかづらわっている暇などない」


 鎧男が、にたりと笑いつつミサイルの照準を弥生に合わせようとしたそのとき。

 けたたましいサイレンの音を響かせ、警察車両が大挙して押し寄せてきた。

 どうやら鎧男の火力を警戒して、今まで体勢を整えていたらしい。二〇台近いパトカーに機動隊員輸送車、放水車、装甲車まで出張っている。

 ききーっとタイヤをきしませて停まった輸送車から、完全武装の機動隊員がわらわら降りてくる。放水車の砲塔がゆるやかに回転し、標的に照準をあわせた。


『そこの被疑者ふたりに告げる! おとなしく武器を捨てなさい!』


 パトカーから降りてきた指揮官らしい私服刑事が、マイクを通じて呼びかけてくる。


『もう逃げられんぞ、ふたりとも投降しなさい! 投降の意志を示さない場合は、実力行使にでる!』

「えぇ!?」


 同列扱いされて、弥生は仰天した。


「わ、わたしはちがいますぅ! わたしはこの世の悪を裁くために……」

「裁くためにあそこの建物を爆発させたのか?」


 鎧男がくっくっと笑う。


「だが、実力行使とは笑わせてくれる。どこまでやれるか、見せてもらおう」


 と言うがはやいか、肩にかついでいた携行ミサイルを、今度は警官隊へ向けた。

 マイク片手の刑事が、ぎょっと目を剥く。

 発射筒の引き金に、鎧男の太い指がかかる。

 それを見たとたん、弥生の頭のなかは真っ白になった。自分は戦闘装甲服を着ているからいい。でも、普通の人があんなもので射たれたら!


「だっ、だめぇ!」


 弥生は、とっさに鎧男へ飛びかかっていた。

 こうなったら鋭い蹴りでミサイルを弾き飛ばそうとか、この頑強そうな相手を倒すのはこのわたしだとか、そういうヒーローめいたことは一切頭になかった。

 ただ、


(なんとかしなきゃ!)


 と反射的に体が動いたのだ。

 しかし、鎧男はその反応を見越していたらしい。一瞬早く背中のバーニアを噴かして、空高く舞い上がる。

 寸前で相手を見失った弥生は、そのままつんのめって転んだ。


「きゃん!」

「貴様を試しただけだ。なるほど、たしかに正義の味方だな。小娘のくせに使命感だけはあるらしい」


 滞空しながら、鎧男は意味ありげにうなずく。


「俺の名はベリアル。今日のはほんのあいさつ代わりだ。近いうちにまた会おう。それまでに、その服の使い方をマスターしておくんだな、ナイトエンジェル!」


 いい捨てると、ベリアルは一気に上昇した。

 ビル街を飛び越えると水平飛行に移り、そのまま空の彼方へ小さくなっていく。

 その後ろ姿を、弥生は座り込んだまま見送っていた。


「……はあ……」


 小さな胸にためていた息を、ほーっと吐きだす。

 どうやら、戦いは終わってくれたらしい。

 ああよかった。

 プラズマカノンをもう一発ぶん射つ電力はコンデンサーに蓄まっていたけれども、騎士は後ろから射ったりはしないものだ。後味も悪いし。

 弥生はバイザーをあげて、指先で額の汗をぬぐった。


(ああ、これでやっとこの羞かしいカッコから解放されて……)

『まだ仲間がいるぞ、取り押さえろ!』


 とつぜん、スピーカーの怒鳴り声があたりに響きわたった。


「され……へっ?」


 何事かとふりむいた弥生の顔から、とたんに血の気がざざざーっと音をたてて失せていった。盾を持った機動隊員たちが、鬨の声をあげながら彼女めざして怒涛のごとく押し寄せてくるではないか!


「ちょちょ、ちょっとお、わたしは味方だってばぁ!」


 ぶんぶん腕をふりまわす。

 彼らは聞いていなかった。

 指揮官が捕まえろというのだから、それ以外のことはしないのだ。あんな物騒な相手へ気楽に突入命令なんか出しやがってこの野郎、なんてことは考えるけど口には出さない。

 闘う小役人を舐めちゃいけない。


「だめえっ、逃げなきゃっ」


 弥生はあわてて自分のバーニアに点火した。まさか正義の味方が警察に逮捕されるわけにはいかないだろう。噴射圧を最大にして、路面を蹴りたてる。

 小柄な体躯が、ビル街を数十メートルも跳びあがった。捕まえそこねた機動隊員たちが後ろから来る仲間に圧され、どしゃどしゃと重なりあう。


「ぎゃっ!」

「ぐぇっ!」

「でゅふふっ!」

「ごめんなさーい!」


 なんだかわからないものの、弥生はとりあえず謝っておいた。トラブルを回避するための、日本人に備わった知恵である。遠くでいったん着地して、もう一度ジャンプする。

 機動隊が体勢を立て直したときには、もう弥生の姿はどこにも見えなかった。

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