第8話:トーイス家の本分

 私はクッションに座した状態から、正面の祭壇から乳香の煙の甘い香りが立ち込める中、身を屈めて目の前の水晶玉に手をかざし、それを見つめながらぶつぶつと呪文を唱え始めた。目は半眼にし、透明な水晶玉の中心点の少し行き過ぎた所を焦点を定めず、見るとも見ず目を当てる。香炉から立ち上る細い煙が渦を巻いて、正面の祭壇を中心に少しずつ部屋に充満していくと、その白灰の煙に当たった室内の各所からの蝋燭の光が乱反射してぼやけ、煙に混じる乳香のむんとした甘い香りと一緒になって視覚、嗅覚に日常とかけ離れた麻痺を与え、その感覚に茫洋とした蓋をする。そこにぶつぶつと唱え続ける呪文のが私自身の頭の中で反響して、その単調な一定のリズムが聴覚にも外界との感覚の遮断を作り出すことで術者に一定の催眠トランス状態を招く。


 こうした、香や呪文で催眠トランス状態を自分の内に起こし、占いの際、天界そらより降りてくる託宣――天意――をより鋭敏に受け取れるようにするのは占術の一つの基本的な手法だ。


 天意を受け取るといっても、トーイス流はその受け取った天意を‘読み取る’といった方が正しいだろう。


 託宣を受ける方法には二つの主流の方向がある。一つは原始の小さな集落社会時代の折から行われている、主に一定の才能を持つ巫女が行うシャーマニズムだ。これは、先に挙げた煙や香の香り、一定のリズムの音の他、ある種の催眠効果のある植物を摂取するといった様々な方法でトランス状態を作り出した後、彼女――彼もいるが――の目の前に現れた幻視や、頭の中に鳴り響く(天からの)言葉の幻聴をそのまま口から言葉として伝え、周囲はその託宣を受ける。この手法は今も行われてはいるが、前時代的で素朴に過ぎるといってよく――と、いってももちろん中には天界との見えない声の伝導管を直接頭の上につなげているのではないかと思われるほど正確無比な託宣を行い、深い畏怖の対象とされる巫女もいたが――、巫女の天性の才能が多く影響する他、シャーマンの調子コンディションや周囲の状況により、結果にかなり曖昧さを来すことが多い。その他、シャーマンとして生きる者は生涯童貞を貫く必要があり、一部人との接触も制限される場合があるなど、社会の中で生きる際にも制約が多く、周囲もその関わり方が難しかった。


 我がトーイス流はより理知的な方法で、天地に現れた様々な事象とその後に現れた出来事とをつなぎ合わせることでその関わり方を測り、予兆と事件との起こりの連続の経験的な観測の積み重ねを行うことで、何かが起こる兆しを前もって知る手法を獲得してきた、いわば科学といっていい物だった。科学なら誰にでも身に付けることが出来る。もちろん、何の分野においても才能というものはあり、ある高さで行き詰まりにぶつかる者は現れるが、それにしても先のシャーマニズムほどまるっきり資質だけに委ねられるということはなく、努力と訓練次第でどんな者でも一定の高さまで達することはできる。天地人に様々な前兆を読み取る手法はあるが、例えば先に観測し、今その結果をもとに占おうとしている占星術は代表的な物の一つであり、その歴史の長さと、各星相互の関連性を読み取る複雑さから最も難解かつ洗練された手段だ。そこには先人達――我が流派は私トーイスの祖先が多いが――の気の遠くなるような観測結果とその後の大小の事件の記録の蓄積、各星相互の位置関係を測る数学手法の考案、発展の歴史がある。我が祖父の下について長きにわたって修業、研究を重ねている高弟の内には私など到底敵わない観測と計算能力の碩学の徒が幾人かおり、最も優れた者は天体を一瞥するだけで、本来天文図に正確に記録を取って綿密に計算しなければならない星相互間の関係を割り出すことが出来る。当然祖父もその資質は高く持つが、私などその祖父の血を引き、代々続く最も高名な占い師の家系に生まれながら、その方面の才能はぱっとしなかった。その他、落雷、地震といった天変地異から、その鳴き声やしぐさなどから未来予知が可能とされる幾種類の霊動物や、特に敬われる神木の植物の観察まで、観測する種類、対象は多岐に渡るが、なかなか面白いのは幾代も前の占いの教則本の古書には‘森の木々から突然騒がしく鳥達が飛び立てば敵がいる徴’といった、今からすれば完全に兵法に分類されるものまでいくつか載っていることだ。

 それら自然外界の事象を観測、観察しての占術方法は‘天地’の手法に分類され、それだけで一定の結論を導き出すことが出来るが、そうした自然界の観測に捉われず、何種類かの占い具を用いて未来を予測する‘人’の手法もある。‘人’は例えば、骨にあらかじめ薄い筋を入れて火を入れ、そのひび割れ具合を観察したり、10面以上もある複雑ないくつもの賽を振ったり、裏返した一組数十枚のカードをめくったりといった方法があるが、素朴で原始的なシャーマニズムが巫女の体を通して直接天意を受けようとするのに対し、道具という媒介を用いる点が文明的である。外界の自然事象を観測出来ない際でも容易に行うことが出来、無論単独でもある程度未来を読み取ることが出来るが、先の‘天地’の観測結果を反映させた上で、これら‘人’の手法を用いると、より深く、正確に先を見通すことが出来る。


 これら占い具を用いての手法は、一組の占い具内の各関連を問う物が多く、道具を媒介とするとはいえ、ある程度それを操作する術者の状態に左右されるため、種々の手段を用いて催眠トランス状態を作り出しはするが、基本的にはやはり出て来た事象を頭と知識を使って読み解いて天意を知ろうとする、理知的な面が強いといってよい。しかし、我がトーイス家には、代々一族にのみ伝わり、実行可能な占術法の天賦の才能があった――それは水晶玉の内に将来の兆しを読み取る能力だ。もちろん一般の占い師にも水晶玉を用いることが出来ないわけではないが、大抵はその中にチラッチラッと小さな光が時々術者の目に映り、そこから一生懸命意味を読み取ろうとするぐらいのものだ。だが、トーイスの血を引くものは水晶玉の中に(直接未来の光景が見えるわけではないが)確固たる兆しを幻影ビジョンとして見出すことが出来る。一種シャーマニズムの幻視にも近いもので、これが出来るのは我々の祖先神であるトーイの女神の占術の源流ルーツに負うところが多いかもしれない。彼女は、夫である知恵と力の男神モノテーがはるか西の国から先に挙げたような経験則に基づく理知的な占術方法を持ち帰る以前は元々偉大な巫女シャーマンであり、彼によって新しい占術方法を伝えられるとそれを吸収した上、数々の改革を加えもしたという、(シャーマニズムの)神懸かり的なところと理法占術の理性的な面の両方を持ち合わせていた。その血を脈々と受け継いでいるからこそトーイスの一族は他の血に生まれた占い師達がどうやっても手に入れることが出来ない特別な能力を持ち合わせていると考えられ(当然我が一族に実行可能な特別な術はこれだけにとどまらなかった)、そしてそれこそが、ぺマ王国にとどまらず、近隣諸国においても我がトーイス家が占いの手法、力量面で絶対的な地位を獲得し得ている理由なのであった。

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