第6話:準備と不安

 私は明るくなった部屋全体を見渡し、ふっと息をついた。自室に戻り、急に体を止め休めたおかげで、慣れずに走って乱れた息が急に苦しく感じられてきた。さっき兵士にぶつかった際崩れた体勢を無理して慌てて体を捻って立て直したせいもある。今さらながら先の兵士の屈強な体と、そこに身に着けた鎧の頑丈な重量感が思い出される。大きく息を喘がすと、先ほど室内の照明と祭壇に灯して回り、今私が室内を見渡す助けとなっているロウソクの、火が点いた焦げ臭く、また、甘くすえたような臭いの煙が鼻と口から肺に入って、私は咳き込んだ。心臓がバクバクいっている。普段訓練を積んでいる将兵からすれば砦の中を走り回るなど伝令などで日常茶飯事で大したことはないのだろうが、私は鎧を着ずに、布の薄衣を身に着けているだけでこのありさまだ。いつもなら、まだ開け放しの戸を振り返り、かがり火の煙い煙混じりではあるが、清冽な戸外の夜の空気を吸いに小屋から数歩外に出るところであるが、今は一刻を争う上、かえってこの臭気が私の緊張感を高めてくれる。それに、いつも行う占いに燈明は必ずと言っていいほど付きものだ。もう一度強く咳き込むと、身を前に屈めてよじらせたおかげで幾分落ち着いた呼吸と心臓の高鳴りを幸いに、振り向いて戸を閉め、万一にも邪魔が入らぬよう錠をかけた。


 私は大股に左の壁に歩み寄ると、壁奥手の、祭壇のちょうど平行横手に位置する箇所の棚の仕切りの中から、一つの大きな箱を取り出した。7センチほどの高さに、幅50センチ、奥行き30センチほどの広さを持った平箱で、濃茶色をした木の本体の角と縁に沿って金箔の装飾と黄色い石の象嵌が施され、蓋の中央部には各先端が丸みを帯びた暗赤色の星の紋様――我がトーイス家の家紋――がこれも石の象嵌で描かれている。

 その箱を棚の天板の上に乗せると――ゴトリと音がした――、上着の内のポケットから小さな鍵を取り出して、それを鍵穴に差し込んで錠を外し、また鍵を内ポケットに戻して金色をした――金というわけではない――留め金を外し開ける。

 大きな分重みがあり、少し力のいる蓋を開け、小屋の木の壁に立てかける。内部は宝石箱よろしく、なめらかなビロード生地で覆われ、クッションの型で細かく区分けした中に色とりどりの透明な石が複数個ずつ置かれている。白、水色、赤……。これらが占いの儀式の際使う道具で、通常こうして専用の箱に入れられ丁寧に保管される。宝石箱に収める宝石と同じような扱いだが、実際はこの占い石は純度が高く、そこそこ珍しくはある輝石の類で、ほとんどは宝石ほどは珍しくも高価でもない。もっとも、ぺマ王国ばかりでなく、周囲の国にも令名を広げている我がトーイス家――今では他国からも畏怖の対象となっている伝説の大占い師の祖父と弱冠の私だけだ――の扱う占い石――普段単純にこう呼んでいる――はむらなく、純度も特に高く、大粒の極上の物ばかりで、ここに並ぶいくつかは実際の宝石よりも高価なものだった。


 私は、"占い石箱"があった場所の横に畳んで置かれた白い絹布を棚から取り上げると、天板の上の箱の横に置いてきれいに広げ、箱から赤、赤、オレンジ、白、水色と5つの宝石をさっとつまんで布の白地の上に置くと、お互い擦り合って傷つけないようにそっと、しかし修行と実践で何千回となく繰り返した手慣れさで、手早く乗せられた宝石ごと布を持ち上げて、後ろを向いて早足に祭壇に進み、祭壇前の絨毯に布を静かに置いた。


 次は水晶玉だ。しかしその前に部屋の三方の窓を閉めねば。今しがた入ってきた戸口の他は、小屋の開口部が直接軍が集結している砦内の出口門に面した広場に向いておらず、今はあらかたの隊長が集まり始め、各々自分の統率する隊をまとめにかかっている時点のため、先ほどまでの準備と私語の喧騒もかなり抑えられ、出入り口をきっちりと閉ざした今となっては屋外から小屋に入り込んでくる騒音もほとんど聞こえないほどだったが、何せどんなことで邪魔をされないとも限らない。それに、仮に騒音や物理的な妨害にあわないとしても、ぴちっと閉ざされた密閉空間はそれだけで安心感を与え、占術に集中できる環境を作り出すこととなる。手早く、今面している入り口から左側の壁、続いて正面の祭壇の裏に半ば隠れた形となっている方のそれぞれのかすかに開いた押し開き窓を手前に引くことできちっと閉じ合わせ、両方に掛け金をかけた。続いて、間仕切りを回り込み、ベッドが接した右側の壁の窓を、身を乗り出し、ベッドの上に片膝をつきながら腕を伸ばして閉じる。この右側のスペースまではロウソクの火を灯しておらず、外からのかがり火もちょうどごく近い――6メートルほど――位置に面する営舎の陰になる形ではっきりとは届かないため、書き物机が置いてある一角と、間仕切りと天井との間の狭い隙間を通してうっすらと部屋中央の灯りが届くだけだった。その薄ら暗さのため、私は先ほどまでの焦りから、静かな、日常の内省を取り戻し、この寝室部に入る際、書き物机の上に乱雑に放り出された本や、書き取るための紙、ペンを眺めやり、また、この砦に移ってきた際は緊張のし通しだったが、いつの間にか親しくなじみ深いものとなったベッドの上の白くやわらかな寝具を見ることにより、ふと、今しがた置かれた出撃の状況と先ほどの星の凶兆を考えあわせて、今目にするこの自室内の平穏も今夜持つのだろうかという頼りない不安に覆われた。窓を閉める際、冷たく新鮮な夜気の風に乗ってかすかにカチャカチャという武具の音と、将兵達の野太く低いぽつぽつとした話し声が届いてきた。

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