第2話 ゴブリンからの招待状
ライトアップされた繁華街の上空で、羽衣を揺らした麗しい天女がつぎつぎと舞い踊る。
ホログラムの彼女たちが見下ろす下界の街は、混乱した猥雑な気配にあふれている。
目抜き通りから一本奥へ入ると、かえってひどい人ごみだった。喧噪にかぶさって聞こえてくるのは、有線で配信される最新のヒットナンバー、パチンコ店の勇ましい電子音。
路地端では、うす汚れた老人が呼び込み用のプラカードをかかげて立ちつくし、えたいの知れない食物の匂いが、道ゆく人々の嗅覚を刺激する。
そして、その視界を埋めつくすのは、けばけばしいネオンの光だ。
『――うちは、そこでも絶対勝つわ』
数分おきにチャンネルが切り替わっている。いまはスポーツ専門局のようで、アーニャが何かのインタビューに応えていた。
連勝記録が、また更新されたようだ。画面の下に“V21”と映っている。
(あの女は、それほどの実力なのか……)
義孝は、アーニャの気の強そうに輝く瞳を思いだした。
ずいぶん鼻息の荒いことをいっていたが、どうやら口先だけではなかったらしい。
(……だから、なんだ?)
自分が画面に見入っていたことに、義孝は軽い驚きをおぼえた。いつのまにか立ち止まってしまっている。
(……どうでもいい。俺にはいまさら関係のないことだろ……)
ふたたびチャンネルが切りかわり、スーツを着た若い男がスクリーンに現れた。どうやら、通常のニュース番組のようだ。
『――厚労省の専門部会で新たに承認審査が始まるガンの特効薬、GF2について、患者団体からは期待する声が――』
義孝はつよく奥歯を噛みしめた。音がしそうなほどの勢いでTVスクリーンから顔を背けると、ふたたび人込みの流れと溶けあっていく。
通りをゆく、人々の影。彼らの頭上に連なるネオンの色彩の果てで、上空へ放たれたレーザー光が旋回している。
それが目に入った瞬間、義孝は、わん――と、耳元でなにかがうなった気がした。
一瞬、視野が前方へとダッシュをかけた。意識が電磁気のかたまりと化し、音速の数十倍の速さで天空を走る。“キャノンボール”で駆けた空だ。すべてが七色の電光波につつまれ、彼の周囲を飛びかって――
義孝はかぶりをふり、意識をひきもどした。
もう乗らない。五年前のあの日、そう誓ったのだ。
「ねえ、そこのお兄さん、遊んでかない? 三万でどう?」
横から白人の女が腕をからめてきた。立ち止まったのが目立ったのだろう。日本に夢を求めてやってきたが、食いっぱぐれた、といった風情だ。
大きく開いたブラウスの胸もとを、これみよがしに見せつけてくる。
義孝は鬱陶しげに腕をふりほどくと、無視して歩きはじめた。
「ふん、しみったれ! どうせ不能でしょ!」
女は罵声を放った。さらに母国語で何か叫ぶ。その声も人込みに呑まれ、すぐに聞こえなくなった。
どこへ行くというあてもなく、ただ流れに身をまかせてぼんやりと歩いていた義孝は、ふと、通りの真ん中にひとりの女が立っているのに気づいた。
肩口で思いきりよく断ちきった髪。すこしやせた、鋭利ささえ感じさせる顔つき。
女にしては背も高い。義孝よりも目線が上のようだ。
カシミヤのセーターとセミタイトなスカート。黒いエナメルのハイヒールを履いている。品の良い衣装をまとってはいるが、その下の身体は鍛え抜いているのが見て取れた。鋼の緊張感も、隠しきれていない。
装飾品のたぐいはいっさい身につけていない。効率だけがすべてといわんばかりだ。
はしごする飲み屋をさがして歩く中年の酔客たちが、彼女の横を目をふせて避けるようにとおりすぎていく。
いつもなら、女ひとりと見れば酔った気の大きさで声のひとつもかけるだろう若者たちでさえ、彼女の前まで来ると、仲間たちとのばかな会話を湿っぽくとぎれさせた。そのまま、けっして服が擦りあわぬようにするりと横を抜けていく。
女はまるで、川面に打ちこまれた一本の太い杭だった。
義孝は眉をひそめた。女の無感動な眼差しは、まっすぐ自分へ向いている。いったいなんの用があるというのか。
義孝は、ゆっくりとした足取りで、女に近づいていった。
ろくでもない用事だろうとは思ったが、避けていく他の男たちのように、守るべきものはない。失うものもない。
以前はあった。彼にも、大切なものが。たったひとつしかなかった存在が。
だが、いまはもうないのだ。
義孝は女の前で立ちどまり、顔を見上げた。
先に口を開いたのは、女のほうだった。
「
「おまえは?」
「
感情のこもらぬ声音だった。
「亘理さんですね?」
「仙崎、だと?」
義孝の顔がゆがんだ。
驚きと、憎しみで。
「興業屋の仙崎か? まだくたばってなかったのか、あのハイエナ野郎は」
女は、義孝の言葉には論評しなかった。
「わたしといらしてください。仙崎さんが、あなたにご相談したいことがあるそうです」
☆
義孝は仙崎がきらいだった。理由はふたつ。
新しい商業レースである“キャノンボール”の周辺では、業界人のこまかな住み分けはまだできあがっておらず、ひとりで何役もこなすグランドマネージャーもいる。義孝も、キャノンボーラーとなったきっかけは仙崎のスカウトだった。
だが、恩義は毛ほども感じない。仙崎はいわゆる「ハゲタカ」の部類に入る男で、義孝のおかげでずいぶんと荒稼ぎをしたのだ。
顔に世馴れた笑みを貼りつけながら、他人を金ヅルとしか考えない。腹黒で強欲なタヌキだった。
そんな男が数年ぶりに自分を招いたとなれば、何か魂胆があってのことに決まっている。
仙崎をきらうもうひとつの理由を、義孝は腹の底へ押し込めた。思い浮かべたが最後、顔の真ん中に拳をぶちこんでしまうだろう。
「いやあ、よくきてくれたな!」
女に案内されるまま足を運んだ三階建ての事務所ビルの一室で、仙崎は義孝をあいそよく出迎えた。
高そうな三つ揃いのスーツを着ているが、せりだした腹と趣味の悪いヘアトニックのにおいがすべてを台無しにしている。
「さあ、入ってくれ。おいおい、遠慮するなよ。以前はよくふたりで、これからのキャノンボール界をどうするか、いろいろと語り合ったもんじゃないか。……
仙崎はなれなれしく義孝の肩を抱いた。そのままソファにすわらせ、案内してきた女に退室を命じる。
「よく俺を呼びだせたもんだな」
片埜が出ていくのを待って、義孝はいった。
「恥知らずコンテストにでも出てみたらどうだ? きっと優勝できるぜ、俺が保障してやる」
「まあそういうな」
仙崎はネクタイをゆるめると、むかいのソファに腰を沈めた。
「たばこは……やらんのだったな。どうだ、最近?」
「まあまあ、だ」
「ふむ、まあまあか……」
仙崎は内ポケットからメビウスを取りだした。一本くわえ、ライターで火を点ける。
ひと息吸って、しばらく頭を掻いていたが、すぐに灰皿へねじこんだ。
「やめた。おたがい、ストレートにいこう。まったく知らない仲じゃないんだしな」
「ケッ。気色の悪いことをぬかすな」
義孝は露骨に吐き捨ててみせた。
だが仙崎は意にも介していないようだ。
「そういうなよ。……で、どうだ。そろそろ気は変わらんか? いまな、活きのいい強いのがいるんだよ。まだ女子高生の女の子なんだが、見込みがある。昔のおまえのようにな」
義孝は仙崎の顔を凝視した。
ややあって、
「……
ぼそりとつぶやく。
「ほお? その名を知ってるってことは、“キャノンボール”にまったく未練がない、てわけでもなさそうだな」
仙崎はうれしそうにいった。
「そうか。アーニャは、あんたがひっぱってきたプレイヤーか……」
「知ってるんなら話は早い。ああ、そうだとも。最近のあの娘の人気はたいしたもんだぞ。『若き天才』、『ハイパースピードエンジェル』、なかには『光速の乙女』なんて見出しをつけるスポーツネットもあるくらいでな」
仙崎は傍らのマガジンラックへ手をのばし、雑誌をいくつか拾いあげた。テーブルの上にページをひろげる。
アーニャの写真や、インタビュー記事が掲載されていた。
「『若き天才』番匠アーニャ、いまや前人未踏の二一連勝、どこまでつづくか破竹の快進撃……てな具合に、マスコミが大騒ぎさ。実力がある。アクションは派手で、スタイルは抜群、顔もトップアイドル並みだ。なによりオーラというか、スター性がある。ちょっと口の悪いのが玉に瑕だがな。……グランドマネージャーの誰もが夢見る、理想的なキャノンボーラーだよ」
「つまり俺のようなロートルにはもう用はないわけだ。じゃあな」
「まてまて、話はここからだ」
仙崎は腰を浮かせる義孝の肩に手をおき、ふたたびソファへ沈めた。
「あわてるともらいが少ないぞ?……たしかに、アーニャには素質がある。マスコミのいうとおり、天才といっても言い過ぎじゃないだろう。
しかし、俺から見ると、いまひとつなんだな」
「なにが?」
「強すぎるんだ。あまりにもずば抜けすぎて、ライバルがいないっていうか、な」
背中を丸め、分厚い手を擦りあわせる。声音に、さぐるような響きが交じった。
「ひとことでいって、壁になるやつがおらんのだ。一方的に勝ちまくるんで、レース展開が一様になりすぎる。本人は満足してるかもしれんが、お客さんのほうがな……ダレる原因になっちまうんだよ」
「……なるほど、賭けが成立しにくくなってきてるというわけか」
義孝の瞳が昏く燃えた。
「いかにもあんたらしい心配だな、仙崎。さすがは、やり手のグランドマネージャーさまだ」
「昔のことは悪いと思ってる。このとおりだ」
仙崎は、がばっと頭をさげた。
たっぷり五秒もそうしてから、挑むように顔をあげた。
「だから、なんとか水に流してくれんか? ギャラも弾むぞ。おまえほどの男が、いつまでもあんなゴミ溜めみたいなところでくすぶってたって、しようがないだろう。
なっ、俺にまかせてくれ。絶対、悪いようにはしない。保障する」
「いつか聞いた台詞だぜ」
とつぜん、義孝は獰猛な顔つきになった。
「あんたは変わらんな、仙崎。ぜんっぜん変わってねえよ。てめえの儲けのためなら、他人なんぞ雑巾みたいに使いまくって、しぼれるだけしぼり取るんだろうが。悪いようにしない、だと? あんたはそれと同じ台詞をアーニャのほうにもいってるはずだ、賭けてもいいぜ。そうして、あの娘の才能もいずれは食いつぶす。ハイエナみたいにな」
「おいおい、そりゃいいすぎだ」
仙崎は無実を訴えるように両腕をひろげた。
「たしかに、俺はグランドマネージャーだ。ある程度は商売のことも考えなきゃならん。おまえのような若いやつからみれば、うす汚く見えるようなことでも、あえてしなくちゃならんときもある。
……しかし、俺の仕事は、おまえたちキャノンボーラーあってのものだ。俺はおまえたちには、足を向けては寝られんと思ってる。こいつは正直な気持ちだぞ、いままで誰にも話したことはないが……。それを食い物になんて、するわけがないだろう」
「あんたは五年前のあのとき、GF2がまだ実験段階で、ろくな効果もないと知っていた」
義孝は苦労して息を吐きながら、激情を押さえるようにいった。
「知っていながら俺に八百長を持ちかけたんだ。自分の金儲けのためにな。俺が、結局は妹を失うことになると承知のうえで、勝負をさせたんだ」
「そりゃ誤解だよ。あのときもさんざん説明しただろう。ちょっと落ちついてくれ、俺はただ――」
「話はこれで終わりだ」
義孝は今度こそ立ち上がった。火を噴くような瞳で、仙崎をにらみつける。
「はっきりいっておくぞ。俺は、あんたを儲けさせるのは、もう金輪際ごめんなんだよ。あんたは腹の底から腐りきった、真正のクズ野郎だからな。この場で殴りとばされないだけでも感謝しろ」
「まてよ」
仙崎は憂欝そうにかぶりをふった。
「……なるほど、じゃあそれはそれでいいとしよう。
……で、おまえはこれから、何をして生きていくんだ。週雇いの用心棒か? 水素ステーションのタイヤ交換員か? なんでもいいが、おまえは最強のプレイヤーなんだ。そのことを忘れるな」
「うまいな、仙崎。まるで心配してるように聞こえるぜ」
義孝は唇をゆがめた。
「だが、あいにく俺はもうあんたのやり口を知ってるし、いつまでも昔のようなただのスピード狂いのガキじゃない。キャノンボールに乗せたきゃ、世間知らずの天才小娘だけを乗せてりゃいい」
ふたりの間に、しばしの沈黙がおりた。
「……わかった、今はそういうことにしとこう……」
仙崎はため息をついた。
「しかしな、もし気が変わったら、俺の端末に連絡――」
義孝はやにわに腕をのばし、仙崎の胸ぐらをつかみあげた。
「変わらねえよ、仙崎」
思わず息をのむ仙崎に、義孝は押し殺した声音でつぶやいた。
もがく太った体を放りだし、部屋をでる。ドアの横に片埜が立っていた。
義孝は目もくれず、事務所の廊下をいらだたしげに歩いていった。
☆
「よろしいのですか? 提案に応じなかったようですが」
義孝と入れかわりに部屋へ戻ってきた片埜が、仙崎に声をかけた。
「ああ? いいわけないだろ。あいつには役に立ってもらわんと困る」
仙崎は仏頂面で応えた。先ほどまでの愛想のよさが嘘のようだ。
「あいつといいアーニャといい、才能のありすぎる奴は扱いに困る。といって無能じゃ話にならんし、まったく!」
苛立たしげにふたたびメビウスをくわえ、火を点ける。
煙を吸い、荒々しく吐きだした。
「そもそも、キャノンボールは賭け事なんだよ。競輪競馬と同じだ。だったら、胴元が賭けで儲けることを考えてなにが悪い。それに協力するのが、あいつらキャノンボーラーどもの務めだろうが!……どいつもこいつも夢をみては、体のいい綺麗事ばかり並べやがって。形になるまで、誰が面倒みてやったと思ってるんだ!」
仙崎は声を荒げながら、不機嫌そうに煙を吸った。
「……で、どうなさいますか?」
片埜は仙崎の不興になぞまるで頓着せず、無感動にたずねた。
仙崎は、そんなボディーガード兼秘書を一瞬不快げににらんだが、すぐに目を戻すと、吸っていたメビウスの灰を無造作に落とした。
テーブルの上に散らばるが、気にもとめない。
「……義孝が動かないなら、動くように仕向けるまでだ。キャノンボールに強いスポーツメディアの記者に情報を流す。ひも付きでな。あいつが否でも応でも、引きずり出してやる」
「わかりました。そのように手配します」
片埜が応える。
ひも付きとは、記者に金を掴ませる、という意味だ。
こちらに都合のいい記事を書かせるための。
「アーニャは、しょせん跳ねっ返りの小娘だ。自分の才能に有頂天になってるだけのバカなガキだ。それでもうまく手のひらで転がしてやれば、まだまだ金を産む。
だが、そのためには食わせるエサがいる。
……おまえにはせいぜい、いいエサになってもらうぞ、義孝。どうせおまえなんぞ、もうそれぐらいしか使い道は残ってないんだからな」
仙崎は歯をむきだして、憎々しげに吐き捨てた。
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