第一話《裏》 馨、真紀に穴子寿司を買っていく。[2016.03.05改稿]

かおる君はどうせ真紀ちゃんを追うでしょう? 今も変わらず愛妻家だね?」


 浅草寺せんそうじにて、バイトに行こうとする俺に、由理ゆりは笑顔でこんな腹立つ言葉をなげかけた。


「まあ馨君が居れば大丈夫だろうけど、なんかあったら連絡して。じゃあねー」


 そのくせ、あいつはちゃっかりお茶の稽古けいこに行きやがった……

 何を考えているのかイマイチ分からない、腹黒野郎なところは前世から変わらない。


「そう、俺は真紀まきの後を追うよう、由理にけしかけられたのだ……それ以上でもそれ以下でもない」


 すでに俺は、合羽かっぱばしの地下に作られていた違法の食品サンプル工場まで来ていた。

 工場は思いのほかデカく、よくもまあ浅草地下街の組合にバレず今まで運営していたものだと驚かされた。


「うわ、真紀の奴……まるで弱いものいじめしてる悪ガキ大将みたいだな」


 もしくはくぎバットもったヤンキー。

 すでに真紀が、牛鬼ぎゅうきの工場長をワンパンという名のワンホームランで片付けてしまっていた。

 俺に出来た事と言えば、最後の力を振り絞って真紀に襲いかかろうとしていた中級牛鬼に向かって、そこにあった食品サンプル(豆大福)をぶつけて、もう一度夢の中に戻ってもらっただけ。

 あと真紀の破壊した工場の後始末をして、後からやってきた労働組合の組長に、真紀と一緒にキツいお叱りを受けた、くらいのものか。

 アルバイトにも遅れたし、真紀の暴走の後始末も決して楽ではないけどな。




「あ……半額の江戸前寿司ずし


 夜八時にデパ地下の漬物屋でのアルバイトを終え、目の前のスペースに店を構える江戸前寿司の売り場で、半額のシールが貼られた売れ残りをのぞいていた。


「穴子寿司、真紀が食いたいっつってたな……あ、鉄火巻きも」


 何となくそんな事を考えて、何となくこれらの寿司を買ってしまった。

 デパ地下から出て、こんな時間でも人がいる明るい浅草寺の境内を横切り、花やしき通りを通過して、浅草ひさご通りに隣接する真紀のアパートを訪れる。


「はっ」


 また俺は真紀の為に土産を買って、あいつの家へやってきてしまった……

 かなり無意識でここまでやってきてしまったのは、これがいつもの事だからだ。

 朝、こいつを迎えに行くのも、夜、バイトの後にあいつの元へ訪れるのも、逆らい様の無い俺自身の習慣なのだ。

 まるで平安時代の通い婚……


「いやいや、今は夫婦じゃないから」


 自分で自分にツッコミを入れる。

 気を引き締めて呼び鈴を鳴らすと、朝と違って真紀はすぐに出てきた。

 真紀もすっかりお腹をすかせて待っていた様だ。要するに、俺がアルバイトの帰りにここへやってくると、信じきっていた。


「おかえり馨ー……って、あ! その袋はもしやお土産!? お寿司だ!!」


「扉を開けて、速攻買い物袋をあさるな」


「わあああ、穴子寿司と鉄火巻き?」


 真紀は大喜びで、俺の手を引っ張って部屋に引き入れた。


「ほらほら、中に入って。今日は河童たちがお礼にくれたきゅうりを使って、ポテトサラダと浅漬けを作ったの。あと関係ないけど揚げ出し豆腐」


「寿司とポテサラと浅漬けと揚げ出し豆腐……謎の組み合わせだな」


「あんたがバイトしてるところで貰ってきた浅漬けの素があったじゃない? あれで作ってみたら凄く美味しかったわ。あとお豆腐が凄く安かったから」


 六畳一間の真ん中に古いちゃぶ台。部屋の隅っこにテレビ。

 ただそれだけの、女子の部屋とは思えない飾りっけの無い部屋だ。

 女子高生らしく好きなアイドルや歌手のポスターを部屋に張ったりもしないし、そもそも真紀にはそんな奴が居ない。壁に貼ってあるのはこの商店街で配っていた超地味なカレンダーだけ。

 こざっぱりした小さな箪笥たんすの上には、死んだ両親と写った写真が一枚だけ飾られている。

 朝は散らかった部屋だったのに、今はしっかりと片付けられ、ポテトサラダときゅうりの浅漬けだけが大きな器に盛りつけられ、卓上に並んでいた。

 真紀は大ざっぱそうに見えて、結構料理ができる。

 凝った料理はしないが、一人暮らしをしているせいもあり、メジャーな家庭料理や自分が好きな料理は、一通り作れるのだ。


「お前……ポテトサラダつまみ食いしただろ。一角がやたら減ってるぞ」


「だって、今日も体を動かしてお腹空いてたし」


「勝手に少し食ってれば良かったじゃないか」


「……あんたと一緒に食べたかったんだもの。つまみ食いは別だけど」


「お前なあ……俺が来なかったらどうするつもりだったんだ」


「ほぼ毎日入り浸ってる奴が、何言ってるんだか……」


「…………」


 まあ……真紀の言う通りだ。ゴホンと咳払い。

 真紀が台所に戻って、まだ作り途中だった揚げ出し豆腐を仕上げて、ある器に盛りつけていた。

 確か、ちょっと前に真紀が老いたあやかしを助けた時、お礼で貰ったとか言っていた骨董品の丼鉢だ。良い品物なのかは分からない。ちなみにペア。

 台所に立つ彼女の背中を横目に、俺も卓上に寿司を並べる。

 おお、こうして見れば立派な食卓だ。


「わーい、美味しそう美味しそう」


 揚げ出し豆腐を持って来た真紀は、すぐにちゃぶ台の前に座って、手を合わせ「いただきます!」と元気よく言って、さっそく大好きな穴子寿司を食べた。

 結構大ぶりの身が乗っていたが、一口でぱくり。


「うーん、最高に美味しい。ここの穴子寿司、身はふっくらしてるしタレも濃過ぎないから、私、大好きなのよね。シャリも美味しいし」


「そりゃよかったな」


「馨、ありがとう。私が食べたいって言ってたの、覚えていてくれたのねえ」


「…………」


 幸せそうに頬張る真紀を見ればこそ、一時間分のバイト代が土産に消えたとしてもまあ良いかと言う気分になってくる……

 俺は温かい揚げ出し豆腐の器を持ち上げ、まじまじと眺めた。

 揚げた茄子の添えられた、俺の好物料理の一つだ。

 こんがり揚げ焼きした絹豆腐に、たっぷりの大根おろしときざみネギをのせて、甘めであっさりした、でも風味豊かなつゆをかけて出来上がりの、簡単な家庭料理だ。

 大根おろしと刻みネギにつゆを染み込ませ、豆腐薄い衣が半分トロッと、半分カリッとしているうちに食べるのが美味しい。

 全てが絡まった時の味わいときたら……ああ、たまらない。

 働いた後の温かい飯は良い。やっぱり心安らぐ。


「はいポテトサラダも食べて。あんたの好きなハムとで卵も入れてるから」


 今度は、ガラスの器にたっぷりポテトサラダを硝子の小鉢に盛る真紀。

 まだ形の残るゴロゴロとしたじゃがいもと、きゅうり、にんじん、玉ねぎという典型的な野菜の他に、ハムや卵、マカロニもたっぷり入った欲張りなポテサラだ。

 見た目はごつごつしてインパクトがあるが、食べると薄口で、じゃがいもの甘みが楽しめる。お酢と塩で下味を付け調理し、少なめのマヨネーズで仕上げているらしい。

 パンチの効いた濃い味が好きな高校生に不釣り合いだが、精神的にジジババくさい俺たちには丁度良い。

 作る料理や使っている調味料が変わっても、前世からずっと食べてきた真紀の料理の基本の味は変わらず、俺にとって母の味以上に馴染みがあったりする。

 俺は自宅に居るより、こいつのこの部屋に居ることの方が多く、真紀も当たり前の様に俺の分の夕食を作っていたりするから、まあ俺が何かを奢ったり買って行ったりしても、結局お互いに必要なものを与え合って、助け合っているに過ぎないのだった。

 嫌味やわがままを言い合っているように見えるかもしれないが、それもまた、ずっと昔から変わらない、俺たちのやりとりなのだった。


「美味しい?」


「……まあな」


「きゅうりの浅漬けも取ってあげる」


「ってお前、俺に副菜を食わせて寿司を独占する気だな。俺も穴子寿司を食う」


「あ、一番大きいの取った! 馨のくせに生意気よ!!」


 いつものような喧嘩をしながらも、俺と真紀は騒がしい夕飯を楽しんだのだった。



 食後は、借りている海外ドラマのDVDを並んで鑑賞していた。

 俺たちは二人とも前世には無かった映像コンテンツが大好きで、何かとDVDを借りて来て一緒に観ている。

 そんなこんなで夜もふけ、もう十時四十五分となっていた。


「おっと。そろそろ帰らないとな。十一時を過ぎて外に居たら、警察に補導される」


「えー、もう帰っちゃうの? 今日も一話しか観られなくて、先が気になるんだけど」


 真紀は俺が帰ると言うと、文句を垂れて俺の腕を引っ張った。

 どうやらさっきまで観ていた海外ドラマが、“主人公死す!?”みたいなところで終わったので続きが気になっているらしい。


「お前だけで観てれば良いじゃないか。そのためにここに置いてるのに……」


「嫌よそんなの、面白くないわ。あんたと観るから待ってる」


「あっそう」


「どうせならここに泊まれば良いのに。そして一晩中DVDを観ましょう。で、朝から死んだように寝るの。明日、学校お休みだし!」


「馬鹿か。一人暮らしの女子高生の家に泊まり込むなんて不健全だ」


「クソ真面目野郎なんだから……別に良いじゃない元夫婦なのに」


 唇をとがらせている真紀。

 俺はそんな彼女を横目に、立ち上がって帰る準備をして、玄関のドアを開けて外に出る。


「明日は来る? 何時に来る?」


 真紀は俺を玄関まで見送りつつ、問いかけた。


「朝からずっとバイトだから、夕方かな」


「そう。分かった。……ねえ、明日何か食べたいものある? 今日は沢山奢ってもらったし、明日は休日だから、ちゃんとしたの作るわよ、私」


「んー……なら生姜しょうが焼き食いたいなあ。豚の」


「あんた好きよね?。分かった、明日は豚の生姜焼きよ! 買い物行かなくちゃね……」


 真紀は必要な食材を何となく数え上げている。

 そんな彼女をじっと見て、俺は少し忠告した。


「ついでに言っとくけど、お前……俺が夕方まで居ないからってまたあやかしたちの問題に首つっこむんじゃねーぞ」


「え? あ、うん……」


 真紀の表情が変わった。

 こいつ、やっぱり明日も朝から浅草のあやかしたちに会いに行く気だったな。


「成績も学年で最底辺を彷徨さまよう程ヤバいんだから、ちゃんと宿題もしろよ。それが嫌ならバイトでもしろ。お前、進路調査だってまともに書けないくせに」


「あーあー。分かった分かった。早く帰らないと補導されるわよ!」


「はいはい。じゃあな」


「……じゃあね。気をつけて帰るのよ」


 最後には真紀に追い出される形で、このボロアパートの一室から出る。

 階段を下り、真紀の部屋を見上げると、真紀は窓から顔を出して「ばいばーい」と大げさに手を振っていた。そして、俺が見えなくなるまで窓から見送っているのも、いつものことだった。

 そういう真紀の姿を見ると、少しだけ帰るのがキツくなる。

 明日も出来るだけ早く、あの家へ行こうと思ってしまうのだった。




 言問橋ことといばしを渡り、スカイツリーに向かう大通りのマンションに、我が家はある。

 鍵を開けて部屋に入り、居間の電気をつけるも、やっぱり誰も居ない。

 今朝、俺が学校へ行く為に家を出た時からものの位置が変わっていない。新聞やテレビのリモコンの位置とか。

 要するに誰かが何かをした痕跡こんせきすらも無いのだ。


「…………」


 我が家は絵に描いた様な家庭崩壊をしている。

 遊んでばかりで家事をしない母、家庭を放置し不倫相手の元へ帰る父、そんな二人を冷めた目で見続けてきた俺……

 俺には元あやかしとしての前世の記憶がある。一度大人になっているし、我ながら自立しているし、ただの人間の子どもとして両親に何かを期待している訳でもない。

 だが、騒がしい真紀の家から自宅に戻ると、何だかむなしい気持ちになる。


「まあいい。さっさと寝て、明日も朝からバイトを頑張ろう……」


 そして稼いで稼いで稼ぎまくって、明日は真紀に何か美味しいケーキでも買っていってやろう……真紀も、俺の好物である豚の生姜焼きを作ってくれるみたいだし。

 ああ、でもそうだ。そもそもどれだけ稼いだら、将来あいつを何不自由無く食っていかせる事が出来るのだろうか?

 真面目に高校で勉強をして、進路を決めて大学へ行って、福利厚生のしっかりしたホワイトな企業に就職、もしくは国家公務員になって、それで……


「あれ、いかんいかん。何考えてんだ俺……結婚なんて考えたら真紀の思うつぼだ。結婚は人生の墓場。そう言い続けないとあいつが調子に乗る……前世のあいつのっぷりを忘れるな馨」


 入浴中に無意識に考えていた。

 高校生らしい様で、まるでらしくない将来への葛藤。

 その行き着く先にドッと疲れを感じ、俺は温かいはずの湯船で軽く震えていたのだった。

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