第一話 浅草には鬼が出る[2016.03.05改稿]

「……まき…………真紀まき……」


 誰か呼んでいる。大事な人の声。


「おい真紀! どうせまだ寝てんだろっ! 分かってんだぞ、さっさと起きろ」


 ドンドンドンドン。

 激しく叩かれるドアの音のせいで、私はパチッと目を覚ました。


 なんだろう……すごく懐かしい夢を見た気がして、酷く疲れている。

 しだれ桜の薄紅のラインが、まだ目の奥から消えない……


「真紀! 早く起きろ、学校に遅刻するぞ。おい真紀!」


「…………真紀」


 あ、そうだ。真紀って私の名前だ。

 夢現ゆめうつつの中、自分の名前さえどこかに置いてきたような気分になる。

 今は西暦二〇一六年。四月の下旬。

 私、茨木いばらき真紀は、高校二年生になったばかりの女子高生だ。

 うつろな眼をこすって天井を見上げる。

 うん、私の住んでいる古いアパートの、いつもの天井だ。

 真横を見ると、可愛い牡丹ぼたん桜の提灯ちょうちんが、一つだけぽつんと置かれている。

 朝でも淡くぼんやりとしたあかの灯を抱いていて、提灯の表面に不思議な文字を浮かび上がらせていた。


「真紀いいいいぃぃっ! いい加減に起きろ! ほんとやばいって。二年生になってまだ一ヶ月も経ってないのに、すでに五回は遅刻してるんだぞ!」


かおるってば……せっかちなところはほんと昔から変わらないんだから……ふあ」


 私はあくびを一つして、ボサボサ頭の緩いパジャマ姿で玄関まで歩いて、さっきからめっちゃ叩きつけられているドアを開けた。


「おはよー」


「おはよー、じゃねーよ。この自堕落女め」


「昨日、せっちゃんとこの提灯作りを手伝ってたの……流石は百鬼夜行の為の提灯だわ。まじないと鬼火を込めるから、霊力の消費が大きい……ふわあ……」


 むにゃむにゃしながら真面目に答える。

 扉の向こうには、真っ黒の髪に真っ黒の瞳、また真っ黒な学ランに身を包んだ、背の高い高校生男子が立っていた。

 彼の名前は天酒あまさけ馨。

 この私、茨木真紀の幼稚園児時代からの幼馴染おさななじみであり、同じ高校のクラスメイトだ。

 涼しげな目元をした整った顔立ちの美男だが、表情を見るにかなりご立腹の様子。


「いけしゃあしゃあと寝坊の言い訳をしやがって。俺が何回このドアをノックしたと思っている。五十八回だ。見ろ、この手。真っ赤だ。お前を起こすためにこの被害!」


 馨はわめいて、ドアを叩き続けていた自らの手を私に見せつけた。

 拳でドアを叩きつけた回数を数えているなんて、相変わらず几帳面な男。

 私はそれをちらっと見ただけで部屋に戻る。馨もまた、ぶつぶつ言いつつ私の部屋へと入った。


「このドア、最近閉まりが悪いのって絶対あんたのせいだと思うんだけど、馨」


「お前が呼び鈴で起きないのが悪い。というか学校のある日に自分で起きてないのが悪い」


「ああもううるさいうるさい。ご近所迷惑だわ」


「このボロアパートにお前以外の人間は住んでいない。問題ない」


 馨はせかせかと私の寝ていた布団をたたみ始めた。

 私はその間に着替える。

 制服は典型的な紺色のセーラー服。赤いタイ。

 思春期真っ盛りのはずの高校二年生の男子を前に、なんてはしたない……と思うかもしれないが、馨に至っては私の着替えなどどうでも良いらしく、今度は私の荷物をせっせと揃えている。


「あ……鏡を見ると、大きな猫目の美少女が」


「自分で美少女とか言うな。ぶっちゃけ寝起きのお前は山姥やまんばみたいだから。頭、大爆発してるからな」


「仕方がないでしょう、猫っ毛なんだから」


 赤みを帯びた長い髪が見事にうねりまくっている。

 櫛でといて整えれば、まあ、ウェーブのかかった軽やかな髪型に見えるんだけど。


「さあほら行くぞ!」


 馨は自分のカバンと私のカバンを肩にかけ、私の背を押して部屋から追い出す。

 合鍵で戸締りをきっちりして、馨はあくびをしている私にカバンを押し付けた。


「急ぐぞ。十五分の電車に間に合わなければ遅刻だ。お前のせいで俺まで怒られるのはごめんだからな」


「ねえ馨、私朝ごはんを食べてないんだけど気がついてる? それとも気がついてないふりをしてる訳?」


「我慢しろ」


 馨は私の質問に答えもしないで、なんか早口でそう言った。


「無理よ。私が大食いなのあんただって知ってるでしょう? 特に今日はお腹の空き方が尋常じゃいわ。この感じだと、二限目辺りにめちゃくちゃ大きなお腹の音が鳴るわよ。あんた私にそんな大恥をかかせるっていうの?」


「バカ言え。そんな乙女の恥じらい皆無のくせに。新学期初日の校長の挨拶の時に、音が響きやすい体育館で盛大に腹の虫を鳴かせて、それでも素知らぬ顔をしていたくせに」


 カンカンカンと、びた鉄の階段を降りた。

 細道の奥にはアーケードのある商店街が見える。

 そこはまだ人通りの無い“浅草あさくさひさご通り商店街”だ。

 浅草ひさご通りとは、浅草の六区興行街から言問こととい通りに至る南北に走る商店街で、赤鳥居の様な柱が支える、開閉式の和風アーケードが特徴的だ。浅草には数多くの商店街が存在するが、ひさご通りはその中でも特に江戸街を意識した、粋な商店街と言える。

 私は、浅草ひさご通りの南口に近い場所から、横に伸びる細道にあるオンボロのアパートの二階に住んでいた。

 とても女子高生が一人で住む場所ではないが、贅沢ぜいたくは言えない。

 両親は私が中学生の時に二人とも事故で亡くなり、親戚の叔父おじさんに無理を言って一人暮らしをさせてもらっている。学費やアパート代を出してもらっているのだから。

 私と馨は急ぎ足で浅草ひさご通りの南口を出て、花やしき通りをつっきっていく。


「あ……せっちゃん」


 早朝だが、“化猫堂ばけねこどう”と書かれた看板を掲げる古い提灯屋の店先の椅子に、誰かが座り込んでいた。

 化猫のお面をかぶった、地味な浴衣姿の女主人。

 男前な姿勢でプカプカと煙管キセルを吹かし、目の前をずらずら歩く赤い小鳥にお米をいている。しんと静かな商店街の少し奇妙な光景だった。

 おそらく、今の彼女が見えている者は少ないだろう。

 なにしろ “人ならざるあやかし”だ。

 浅草にはそういうものが数多く住んでいる。


「おや?」


 彼女はこちらに気がつくと、素敵なハスキーボイスで声をかけてきた。


「おはよう真紀ちゃん。昨日はうちの仕事を手伝ってくれて助かったよ。おかげで次の百鬼夜行に間に合いそうだ」


「そう、良かったわ。せっちゃんの役に立ったのなら」


 ニッと笑う。

 せっちゃんはお面の向こう側の鋭い瞳で私をじっと見てから、「眠そうだね」と申し訳無さそうに言った。


「大丈夫よこのくらい。学校が面倒くさいけど。じゃあね」


 化猫のお面を付けたせっちゃんに手を振り、前を歩く馨に駆け寄る。


「あ。また何かあったら私に言ってね、手伝うから!」


 今一度振り返ってそう言うも、もうさっきの場所に彼女はいなくなっていた。


「おい真紀……あまりあやかしに関わるな」


「……馨」


 側でこの光景を見ていた馨の表情は固い。

 彼もまた、あやかしを見る事が出来る人間だ。

 馨は私の腕を引っ張って、耳元で小さくつぶやいた。


「俺たちはもう、人間なんだ」




 浅草寺せんそうじの境内から伸びる仲見世通りの商店は、当然まだ開いていない。

 しかし観光客はちらほらいたりするので、朝早くからご苦労なことだと思ったりする。

 やっぱりこの浅草は日本有数の観光地。顔を上げれば少し遠くに、何より高い東京スカイツリーが見えたりするのだ。

 よく晴れた空をつっきって伸びる、巨大な電波塔。

 電車の時間が気になるのか、馨はせかせかと歩く。

 私もそれについていきながらグウと鳴るお腹を押さえつつ、「おなかすいたなー……」と。


「ああ……江戸前寿司ずしが食べたいわね……穴子寿司」


「朝から!? ありえねえ……」


「あくまで願望を言っているだけよ。そうやって色々と紛らわしているの!」


 馨がドン引きした顔をしていたので、私も言い訳をする。ただ食べたいものを呟いただけなのに……

 東京メトロ銀座線浅草駅。

 一番近い入り口の階段を降りていきながら、馨はまたお腹を鳴らした私を、横目にチラッと見てため息をついた。


「パンを駅のコンビニで買ってやる。それで良いだろ」


「え、いいの!?」


 私は嬉しくて、思わず馨の背をバシバシ叩いた。


「さすが、沢山のバイトを掛け持ちしているだけあって稼いでるわね馨。気前がいいわ」


「…………」


「持つべきものは働き者の夫。時代が変わってもその点は何一つ変わらないわね」


「誰が夫だ? 誰が、誰の夫だ? 寝言は寝て言え」


 馨は即否定したものの、駅の構内にある小さなコンビニでは、ちゃんと大きなデニッシュリングと小さなパックのコーヒー豆乳を買ってくれた。

 電車を待つたった三分の間にそれをぺろっと食べてしまう。しかし足りない……


「おい、電車きたぞ」


 すぐにやってきた電車に、慌てて乗り込んだ。

 朝の電車に乗るのは苦しい。東京は本当に人が多くて、特に通勤通学ラッシュは電車にぎゅうぎゅう詰めにされる。

 だけど高校のある上野うえの駅には三駅で着くからなんとか耐えられる。

 上野駅から徒歩十分のところにある、都立青城せいじょう高校が、私と馨の通う高校だ。


「真紀、このままじゃ間に合わないぞ」


「なら裏の壁を越えて行けばいいじゃない。一番の近道よ」


 私たちは学校を囲う高い壁沿いに走り、一番下駄箱に近い場所で、二メートル以上はあろう壁に向かって猛ダッシュ。タンと壁の前で強く跳んで、軽々壁を乗り越えた。

 敷地内の芝生の上に無事着地し、休む間もなく下駄箱に駆け込む。

 朝から学校の庭掃除をしていたおじいさんが腰を抜かしてぽかんと口を開けていたけれど、気にしている暇もない。

 下駄箱で「やばいやばい」と声をかけあい、階段を駆け上がっている時にはチャイムが鳴って、チャイムが終わりそうな時に二人してクラスに駆け込む。

 ま、間に合った……はあはあと息を整えつつも、何食わぬ顔で席に着く。

 クラスの生徒たちは「またあいつらか……」みたいな感じでチラチラこちらを見ていた。




「お昼だよ真紀ちゃん。お弁当食べよう」


 四限目が終わった後、私の肩をトントンと叩き、ある男子が声をかけてきた。

 またしても空腹に襲われ、机に倒れ込んでいた私は、げっそりとした表情で振り返る。

 そこには学生らしからぬ、端正で洗練された空気を持つ男子が立っていた。


由理ゆり……あんたの爽やかな笑顔は今の私にはまぶし過ぎるのよね」


「え、何それ」


「……私今日、お弁当を持ってきてないのよ」


「ほんと? 真紀ちゃんがお弁当を持ってこないって、珍しいね」


「寝坊してしまったの。昨日、あやかしのお手伝いをしていて、霊力を沢山使っちゃったからね。くたくたなのよ」


「ああ、なるほどね……そりゃ、馨君がご立腹な訳だ」


 困り顔をしてクスッと笑う。

 柔らかい髪と色白の肌が、いっそう女顔に拍車をかけている。

 彼の名前は継見つぐみ由理彦ゆりひこ

 浅草に古くからある老舗しにせ旅館の息子で、育ちの良いお金持ち。ちなみにこのクラスの委員長。

 更に言えば、私と馨と、幼稚園時代から小、中と同じ学校に通って育った幼馴染だ。

 私の前の席の馨が不機嫌な顔をして振り返った。


「当たり前だ。朝から真紀を起こすのに苦労させられる。俺が迎えに行って、こいつはやっと目を覚ましやがった」


「言ったでしょ。昨夜は化猫堂で遅くまで提灯作ってたの。溶かしたロウで、こう……提灯の表面にまじないを書いくでしょう? そして鬼火を閉じ込めた鬼灯ほおずきを一つずつ入れておくの。百鬼夜行前で繁忙期なのよ。私も百個作ったわ」


「おいバカ。化猫とかそんな……あんまり大きな声で言うな」


 馨は焦り顔になり、声を小さくして私を叱った。

 お昼休みの、ガヤガヤと騒がしいクラスの中では、私たちの話なんてすぐかき消されるのに。


「つーか真紀、お前もそろそろあいつらと関わりすぎるのはやめろよな。あいつらに奉仕したって大した金が稼げるわけでもないし、浮世離れに拍車が掛かるぞ」


「あんた、私が無償で働いたと思ってる訳? 昨日は提灯を一個もらったわ。牡丹桜の柄が綺麗なの」


「そんなもん貰ってどうするんだよ。せめて人と関わるアルバイトをしろ」


「提灯は役にたつわよ! 化猫堂の提灯を持ってれば百鬼夜行に参加できるのよ。買うと高価だし、日本全国のあやかしたちが皆こぞって欲しがるものよ」


「あーーっもう、あやかしとか百鬼夜行とか、そんな単語使うな! また変な奴だって思われるぞ。そもそも人間のお前が百鬼夜行に参加する必要は一つも無い」


「うるさい馨。馨うるさい!」


「ま、まあまあ二人とも……教室で痴話喧嘩はやめて……」


 言い合う声が強くなってきたので、クラスメイトたちはこちらを気にし始めた。

 こういう時に私たちを止めようとするのが、いつもの由理の役割だ。


「ね、部室に行こうよ。民俗学研究部。真紀ちゃん、僕のお弁当を分けてあげるからさ。母さんが張り切りすぎて重箱を持たせてくれたんだ。みんなで食べてって」


「え、いいの!? わーい、豪華なお惣菜そうざいが食べられる!」


 げっそりしていた顔を上げ、思わずはしゃいでしまった。

 由理の家のお弁当は昔ながらのお惣菜が多いが、どれもとても美味しくて豪勢だ。時々、由理のお母さんが何かのお祝い事のように重箱を由理にもたせる。


「ね、馨君も。部室ならその手の話も自由にできるし」


「……そうだな。ここじゃまともに真紀を叱れそうにない」


「何言ってんのよ。私は叱られる覚えはないわよ」


「まあまあ」


 いつも通りの会話をしながら、私たちは教室を出た。

 廊下を三人で歩いていると、あちこちから興味深々の視線を向けられる。

 私たちはとても大人しく毎日を過ごしているつもりなのだけれど、案外目立っちゃうのよね。

 特に女子の、馨に対する視線が熱烈だ。

 馨って昔から、本当にモテまくる……

 そりゃあ幼馴染の私から見てもイケメンだし、学校の成績も良いし運動神経も抜群だけど、馨の場合かなり異常なほど異性に興味を持たれるので大変だ。


「相変わらず馨君への女の子の視線は熱いね。そういうところは昔から変わらない」


 由理は風呂敷に包まれたおおきな重箱を抱えたまま、また眉を八の字にして笑った。


「……俺は特に興味は無い」


 馨はすかした態度を貫いているので、私は言ってやる。


「馨に興味なくても女子にはあるのよ。ほら、向かい側一〇メートル先の曲がり角、あんたに告白したくて待っている女子とその取り巻き多数。あれは三組の本郷ほんごうさん一派ね。学年カーストのトップ層に君臨する、全国大会レベルのサッカー部のマネージャー。リア充系のギャルよ」


「回避します」


 馨はただ一言そう言って、私の腕を引っ張って前に出した。

 一年生の入学当初からモテまくり告白されまくりだった馨は、いつもこうやって私を盾にし、告白されるのを回避してきた。


「馨、また私を盾にする気ね」


「仕方がないだろう。俺あの手の女子苦手なんだよ……もし告白を断ってみろ。自信満々だからこそプライドを傷つけるかもしれない。そうなったら厄介だ。恨まれるかも」


「なにそれ。過去のトラウマ? 情けない男ね……」


 馨はとある過去の経験から、その手の女子の怨念おんねんの怖さを知っている。

 だからこそおびえているのだ。


「まあ、あんたの気持ちも分かるし、別に盾になってあげてもいいけど、じゃああんたは私に何をしてくれるのよ。タダで頼みごとを聞いてやるほど、私は甘くないわよ」


 ほれほれと見返りを要求すると、馨は声を絞り出す。


「……放課後、浅草グルメをおごってやる。これで手を打て」


「わーいわーい! 馨大好き!」


「随分安い“大好き”だな。だが俺もバイトがある。放課後もそんなに付き合ってられないからな」


「わかってるって。働くあんたは好きよ。“結婚”してからも沢山稼いできてね!」


「ふざけんな。お前のATMになる気は一切ない」


「あんたのものは私のもの、私のものは私のもの」


「堂々とジャイアニズムを発揮しやがって。お前どこの悪ガキ大将だよ!」


「悪ガキ大将じゃないわ。あんたの妻よ」


「離婚だ。いますぐ離婚だ」


「……ま、まあまあ落ち着いて……てか君たちまだ結婚してないでしょ……」


 由理がやっと私たちの言い合いを止めに入った。

 馨が女子の告白を回避する為だったのに、高校生らしくない本気の痴話喧嘩がヒートアップして、私たちは本郷さんたちの前を通り過ぎたことにも気がつかなかったのだ。

 彼女たちは多分、相当腹立たしかったでしょうね。

 背中に女子的怨念を感じるから……

 



 私たちは旧館にある美術室……の隣の、古い美術準備室の前に立っていた。

 ドアには適当に “民俗学研究部”と書かれたダンボール板が、ちょっと斜めって貼り付けられている。

 ここは私と、馨と、由理の本拠地。

 美術準備室を拠点に活動している、たった三人の民俗学研究部の部室だ。

 開きにくいドアを開け、室内に入る。

 壁にずらっと並んだ本棚には、古い美術雑誌や怪しげな図鑑、いつのものか分からない漫画雑誌が積み上げられている。また窓際には石膏せっこう像やデッサン用の牛骨、イーゼルなんかが並んでいるが、ずいぶんと使われていないものばかりなのかほこりをかぶっている。

 また、出入り口側の壁にはホワイトボードがあって、会議後のような言葉が羅列して書かれている。

 タイトルはこうだ。


『なぜ我々あやかしは人間に退治されなければならなかったのか』

 

 うーん、ちょっと、いやかなりいかがわしい感じがするわね。

 中央のテーブルの上には、他にも……


安倍あべの晴明せいめいおよびみなもとの頼光よりみつに葬られたあやかしの皆さんについて』

『京妖怪と大江戸妖怪の確執がヤバい』

『クソみたいな陰陽局おんみょうきょくの連中をぶっ殺す』

『前世の黒歴史を無かったことにしたいし残ってる文献を燃やしたい』

『タダで隠世かくりよへ行く裏技』


 などなど。どう考えても怪しい単語の羅列。ていうか危ない単語の羅列。

 同級生にのぞき見されたら確実にイタい視線を送られそうな会議内容のファイルが、適当に放り出されている。

 表向きは民俗学研究部と名乗っている我々三人だけど、活動としては“あやかし関連”ばかりを扱っているのよね。

 なぜかというと、私たち三人組にはあやかしが見えていて、“とある理由”から無視することが出来ず、なんだかんだと関わりを持ってしまうから。

 それ故に、私たちが“人間になりきれない”から、ってところかしら……


「わー! たけのこと厚揚げの煮物だ。美味しそう!」


「おい紙皿を取れ、真紀」


 由理が開けた重箱にすっかり目を奪われていたが、私は急いで戸棚を開いて、置きっ放しの紙皿や、ここで使っているマグカップを取り出した。由理が部室の隅っこにある小さな冷蔵庫から緑茶のペットボトルを取り出し、それぞれのマグカップに注ぐ。

 重箱の中身は春野菜の煮物と、ふきの煮物、だし巻き卵に鶏の唐揚げ、黒豆、たけのこご飯と梅紫蘇しその小さなおむすび。

 渋いけど、昔ながらのお弁当の料理の数々に、私はさっそく部屋の中央に置かれている古い木製のテーブルに紙皿と割り箸を並べて、ちょこんと席についた。


「相変わらず由理の弁当はすごいな。花見の弁当みたいだ」


「うちの旅館の料理長から教わった料理を、母さんはすぐに作りたがるんだ。だからいつも弁当が重箱みたいになる」


「いいじゃねーかよ。毎日手作りの弁当作ってくれる母親なんて。うちの母親なんて俺のことは放置して、ここ数日男の所に行ってるぞ」


 馨はとんでもない家庭環境をごく当たり前の様に暴露しつつ、私の紙皿に料理を取り分けて目の前に置いてくれた。

 私はその紙皿の上に、更におかずを盛り足す。大好きな煮物と唐揚げ……


「いただきまーす」


 お腹がすきまくっていたので、さっそくたけのこの煮物をぱくり。

 ダシがしっかりしみこんだ柔らかいたけのこ。味も濃すぎず、品の良い甘みとたけのこの風味が口いっぱいに広がる。梅紫蘇のおにぎりと一緒に食べるとさらに美味しい。


「やっぱりこういう昔ながらのお料理っていいわよね〜。由理のお母さんのお料理は優しい味だし、私、本当に大好き!」


「ふふ……母さんも真紀ちゃんがそう言ってくれるから、いつも沢山作るんだと思うよ。君たちに食べて欲しいんだ」


「由理のお母さんも大好きよ、私」


 由理のお母さんは、母のいない私や、家庭環境が複雑な馨をいつも気にかけてくれる。

 美味しいお弁当を作ってくれたり、家に呼んでくれたり、何かと行事に誘ってくれたりする、とても優しい人なのだ。


「あ、そうだ真紀ちゃん馨君。今日の放課後、どうせ浅草寺あたりをふらつくんでしょう? 僕も一緒に行っていい? 習い事の前に芋ようかんを買っていかなきゃ」


「…………」


 私と馨はお弁当を食べつつ、顔を見合わせた。


「別に断りをいれなくても、いつもみたいに一緒に帰ればいいじゃないか」


 馨が尋ねると、由理はいつものようにクスッと笑う。


「だって、夫婦水入らずのデートを邪魔する気がしたから」


「はあ? 夫婦じゃねーしデートじゃねーよ。俺が理不尽にバイト代を略奪され続ける恐怖の時間だ……」


 馨が何か言い出したので、私は素早く別の提案をしてみた。


「じゃあ三人で浅草寺のお参りをして、おみくじを引きましょうよ。私予言する。絶対馨は凶を引くわ!」


「話をらしやがって……」


 というわけで、私たちは放課後、三人で浅草寺のお参りに行くことになった。もちろん、仲見世通りで浅草グルメを堪能しつつ、だけどね。


「“あやかしが好きな浅草グルメ二〇一六年春”もそろそろまとめなくちゃ。今度みんなに聞いて回ろうっと」


「そんな無駄なことばっかりしやがって……」


「こういうデータは何かと役に立ったりするのよ?」


 すぐ側に山積みになっている、あやかし関連の研究ファイルの中から、日々の活動を記した日誌を抜き取った。

 すると、ズザザアと他のファイルが雪崩落ち、危うく私のマグカップが倒れそうになる。

 私のマグカップを事前に持ち上げた馨が、すかさず嫌な顔をした。

 ファイルの隙間から覗く単語は、酒呑しゅてん童子どうじ茨木いばらき童子どうじ……あやかし、前世、安倍晴明、鬼退治、源頼光……そんなものばかり。


「見ろ! お前が片付けずにそこらに放り出してるからだ。俺だったら絶対誰にも見られたくないから、石膏像の裏にある鍵付きの金庫に隠す。……痛々しいとかこじらせてるとか思われる。ぶっちゃけ恥ずかしい」


「いちいちそんな所から取り出す方が面倒くさいじゃない。それに、こんな旧館の美術準備室なんて誰も来ないわよ」


「そういう問題じゃねーよ。いいか、こんな……あやかしとか酒呑童子とか茨木童子とか……安倍晴明とか! こういう単語を今時の高校生がやたら気にしてたら、それはただの中二病、もしくは妖怪オタクだ」


「別に間違ってなくない?」


「だから! もうちょっと恥じらいを持てって言ってんだよ!」


 馨がガツンと机の上に私のマグカップを置いたせいで、マグカップの中身が飛散した。

 その勢いのまま断言する。


「たとえ! 俺たちのが平安時代の“あやかし”だっただろうが何だろうが! そういうのはなあ、普通はありえない話なんだ!」


「……あ。馨、自分で言っちゃった」


 私と由理は、何故かパチパチと拍手。

 その事実を馨がわざわざ認めるのは、結構レアだからね。

 馨は何故かとてつもなく赤面して、私たちに背を向けてしまった……敗北感に打ちひしがれている。


「だけど、本当に不思議な話よね。あれって平安時代の話なのよ。千年も経ったこんな時代に、私たちがもう一度巡り会えるなんて……」


「……そんな話は、誰も信じない」


「そうだね。だけど……僕たちはちゃんと覚えているし、共有しあっている。記憶を」


「どうして、こんなことになっちゃってるのかしら。周りを見ても、前世の事を覚えている人なんて居ないし、あやかしが人間に転生したなんて話、どこからも聞こえてこないのに」


 埃くさい美術準備室の、春の温かなお昼時。

 この部室の窓から、中庭に植えられた柳の枝がゆらゆら揺れる。



 嘘の様な、ほんとの話をしよう。

 私たちは普通の人間ではない。

 今はただの高校生としての人生を謳歌おうかしているけれど、私たちはそれぞれ、複雑な前世の“記憶”を片手に握りしめ、この世にただの人の子として生まれてきた存在だ。

 民俗学研究部の、茨木真紀、天酒馨、継見由理彦―――

 私たちは、それぞれが平安時代の“大妖怪”だった前世の記憶を持っているのだから。


        ◯ 


 昔々、ある京の都に、平安を脅かす二匹の悪い鬼がいた。

 名を酒呑童子、茨木童子と言う。

 多くのあやかしを従えていた彼らは、大江山おおえやまから都に降りて、多くの悪事を働いていた。

 彼らはとにかく乱暴で残酷。それでいて酒飲みで大食いで、人間たちを襲っては、何かを奪ったり、何かを壊したりしていた。

 困り果てたみかどと、当時力を持っていた摂政の藤原ふじわらの道長みちながは、陰陽師である安倍晴明に悪事の正体を占わせる。

 安倍晴明が酒呑童子と茨木童子の仕業だと告げると、藤原道長は源頼光とその配下に、二匹の鬼の討伐を命じたのだった。


 これは現代にも残る、とても有名な鬼退治の伝説。

 だけど、この伝説の悪役である酒呑童子と茨木童子が、実は “夫婦”だったと知る者は少ないかもしれないわね……

 この悪名高い鬼夫婦、酒呑童子と茨木童子こそ、馨と私の前世の姿だ。

 かつて酒呑童子と茨木童子は、鬼と言われるようになったその強い霊力をもってあやかしたちを束ね、大江山に特殊な縄張りを作って暮らしていた。

 当時あやかしたちを問答無用に調伏していた人間の陰陽師たちから、あやかしを守り、平穏に暮らすためだった。

 しかし私たちの居場所は、当時最も力のあった陰陽師・安倍晴明によって暴かれ、鬼退治という名目で源頼光一行によって襲撃された。確かだまし討ちみたいな事をされたのよね。私たちは容赦なく退治されてしまったのだ。

 なんという無念。安倍晴明と源頼光、許すまじ……

 私と馨だけでなく、由理もまた『平家物語』でおなじみの大妖怪・ぬえの記憶を持って生まれてきた身だ。

 当時、鵺は私たち鬼夫婦の友人だった。だけど鬼夫婦の死後、鳴き声が不気味と言う理由で人間たちに討伐された哀れなあやかし……

 こんな死後、私たちはあやかしの記憶、そして前世と変わらない強い霊力を持ったまま生まれ変わった。あやかしだった感覚、人に退治された恨みをいまだ忘れることが出来ずにいるのに、人としてそれぞれの家庭があり、当たり前のように学生生活をしている。

 それがとても危ういことだと、馨も由理も分かっている。

 だって、大妖怪として名をせた時代から約一〇〇〇年経ったこの世の中でも、あやかしと人とのいさかいは絶えず、またあやかしたちの問題は解決していない。

 だから私に、あやかしに偏りすぎたりしないよう、注意し、心配するのだ。

 もう、ただの人間として普通の人生を歩み、何事もなく平凡な日々を送るために。

 あやかしに関わったって、助けようとしたって、ろくな事は無いんだから、と。


        ◯


 浅草に商店街は数あれど、雷門かみなりもんから入って浅草寺まで続く、仲見世通りに軒を並べる店のにぎわいは常に衰えを見せない。放課後のこんな時間でも観光客が多いのだ。

 いつも通っている仲見世通りだけど、今日は馨が浅草グルメをおごってくれるということで、私は大はしゃぎ。


「ねえ馨! まずはあれ、あれ、きびだんご! 冷やし抹茶も一緒に」


「やっぱりお前の気の済むままに奢らされる訳だな」


「そういう約束だったでしょう?」


 五本入って三百円のきびだんご。

 きな粉たっぷりの、小ぶりのきびだんごが、まだ温かいうちに紙袋に包まれ手渡される。また一緒に買った冷やし抹茶は、ほのかな甘みがあって飲みやすい。

 きびだんごと冷やし抹茶を、店の横のテーブルで立ち食いする。


「真紀ちゃん相変わらず豪快に食べるね。一口で一串食べちゃった」


「まるでしとやかさが無いからな、昔から」


 由理と馨は二人で一つのきびだんごの袋を買い、分け合っている。こそこそ何か言いながら、私の食べっぷりを観察している失礼な奴らだ。


「うーん、これこれ。五本なんてあっという間に食べられちゃうわ」


「満足か?」


「まだまだよ。とりあえず次も甘いもの。その次に浅草メンチで締めよ!」


「……まあでも、その程度で勘弁してくれるんだな」


「流石にあんたのバイト代も、無限にあるって訳じゃ無いでしょうしね」


 学生のバイト代なんて微々たるものだ。馨はそんな中、私に美味しい浅草グルメを奢ってくれたのだ。


「あ、そうだ。僕もお土産に買わなくちゃ」


 忘れていたのか、由理がその事を思い出した。

 と言う訳で、次は芋ようかんを買いにいく。

 芋ようかんが売られているのは浅草の老舗しにせの和菓子屋で、芋ようかん以外にも寒天であんこを包んだ、丸いあんこ玉も有名だ。


「あ、焼き芋ようかん食べたい」


 由理が芋ようかんの箱詰めを買っている間に、私は焼き芋ようかんを発見した。

 芋そのままの甘みを生かした、まさに芋そのままを食べているような感覚に陥るここの芋ようかんは、そのままで食べても勿論もちろん美味しい。

 だが食べやすい長方形にカットされ、鉄板でバターと共に焼かれた焼き芋ようかんは、たまらなく美味しそうな匂いを周辺に漂わせている。


「ねえ馨、私まだあの焼き芋ようかんっての食べたことない」


「……二百円か。まあ安めだな」


「見て、バターで芋ようかんを焼いてるのよ。美味しくないわけがないわっ!」


 馨の学ランの首元を引っ張りガクガク揺さぶって、彼がひるんだところをお客の列に並ばせる。

 馨は律儀に三人分買った。一つを受け取り、すぐさまパクリ。


「うーん、焼き芋を食べているみたい!」


 一口で半分は無くなった焼き芋ようかん。その様子を馨は黙って見ていた。

 由理もしっかりお土産をゲットし、戻ってくる。


「ここの芋ようかん、お茶の先生に持っていくんだ。先生大好きだから」


「由理って習い事いっぱいしてるものねえ。お茶以外に何しているんだっけ」


「お花とヴァイオリンと弓道」


「相変わらず忙しいな……」


 私たちは熱々ほくほくの焼き芋ようかんを世間話のお供にする。

 そして今度は仲見世通りを真横につっきって伸びる伝法院でんぼういん通りを曲がる。


「今度は浅草メンチ、今度は浅草メンチ」


「これが最後だからな」


 浅草メンチとは、その名の通り浅草でとても人気のメンチカツで、揚げたては特に美味しい。

 サクサクの衣に、旨味たっぷりの合挽あいびき肉。一口食べれば肉汁が口いっぱいに広がり、そのコクと甘味にびっくりする。


「ああ〜これこれ。これよ、これを食べなければ浅草民とは言えないわね。美味しいものが沢山あるし、浅草万歳。もう一生浅草に住むわ」


「相変わらず浅草愛が強いな。女子高生って普通はもっと、渋谷しぶやとか原宿はらじゅくとかシャレた街が好きなんじゃないのか?」


「まあ僕ら普通の高校生とは言い難いからね……」


 三人揃って美味しく浅草メンチを食べてしまった。

 ここで浅草グルメ巡りは終えて、今度は浅草寺の境内でお目当てのおみくじを引いてみる。

 浅草寺のおみくじは、小さく折りたたまれたおみくじと違って、巨大なおみくじ箱を振って出てきた木の棒の番号を確かめる仕組みだ。

 すぐ側に設置されている棚から、同じ番号の引き出しを開け、紙を一枚取り出す。


「げっ!」


 そして案の定、馨が凶を……って、いや、違う!


「大凶よ! 馨ってば大凶を引いたわ!」


「わあ……馨君は流石の運の無さだね」


「前世の行いが悪いのよ。私、知ってる」


「うるせえよ! 浅草寺は凶が出やすいんだよ。前世の行いが悪いってだけならお前たちだってみんな大凶のはずだろうが見せてみろ!」


「私は大吉」


「僕は……半吉。ごめん」


「…………」


 馨はとても運が無い。

 浅草寺でおみくじを引いたのもかれこれ五回はあろうかという所だが、その全てが凶だったし、今回に至っては大凶だ。

 馨はへこんでいるのかちょっとうつむいたまま、おみくじを何度も読み返して震えていた。


「……ダメだこりゃ、もうすぐ大怪我を負うらしいぞ俺。そして家が燃えるらしい」


「あはは、なにそれー……って、ん? 馨、怪我するの? 燃えちゃうの?? それは最悪よ。私、馨が怪我するなんて嫌だわ……」


 最初は笑っていたけれど、徐々に不安になる私……

 なんだかんだと、馨の場合、その手の災いはありそうな気がする。

 実際に彼は、笑えないほど不幸を呼ぶ男だから……


「ねえどうしよう、由理」


「ふふ……大丈夫だよ。浅草寺のおみくじはいつもそんな感じで、なかなか意地悪なことばかり書いてあるんだ。僕は半吉だけど、“待ち人きたらず”ってあるし……。それに悪いおみくじを引いても、これ以上悪くならないとか、戒めにすれば回避できるとか、考え方は色々だからね。自分の気持ちさえしっかりしていれば悪いことは起きないよ」


「そ、そうよね。確かにいっつもひどいこと書いてあるし……私のにも、なんかあんまり良くなさそうなこと書いてある」



 望み事がかないそうですが、大いなる災いによって隔てられてしまいます。

 天と地をひっくり返すような出会いがあるでしょう。



「……う、うーん」


 なんだか嫌な予感がする。

 これで大吉なんだから、大凶を引いた馨のおみくじには、悲惨なことばかり書かれているんだろう。馨はまだ青ざめておみくじをガン見してるし。


「よし、気を取り直して参拝しましょう。浅草観音様にお願い事をしっかりして、災いを回避するのよ」


 私たちは三人揃って、立派な浅草寺の拝殿に登り、賽銭箱さいせんばこの前に並んだ。

 私は五円、馨は十円、由理は五十円を賽銭箱に投げ入れる。

 私は手を合わせて、近所のあやかしのおじいさんに習った作法の通り「南無観世音菩薩なむかんぜおんぼさつ」と唱えた。


「えっと、二年生になったけど、みんな仲良く、楽しく過ごす。それが一番大事……そして浅草のあやかしたちが皆ひもじい思いをせず、私も美味しいものがたらふく食べられますように……馨が沢山アルバイトで稼いできますように」


「俺の稼ぎはお前のもんじゃないから」


 参拝中だと言うのに、つっこむ事は忘れない馨。


「俺は至って普通の真人間としての生活を求める……今度こそあやかしに振り回されたりしない生活を……そして俺の稼いだバイト代を真紀から守る事ができますように」


「馨君ってば切実な願いだね」


「そういうお前は何を願うんだ、由理」


「僕……うーん、そうだなあ。とりあえず君たちが幸せな結婚をすることと、僕の家族がみんな元気でいること、かな」


「なんだそれ、お前、嫌がらせか?」


「心からの願いだよ……ふふ」


 最後のふふ、がかなり意味深。馨は「げー」と。


「…………」


 そして、それぞれ目をつむって静かにお祈りをする。

 口に出せないけれど、人生をかけてでも叶えたい願い。


 今世こそ幸せになれますように……





「茨木のあねしゃん茨木の姐しゃん〜」


 お参りを終えて拝殿から降りている時、小さなものたちが私に声をかけてきた。


「あら……隅田川すみだがわ手鞠河童てまりかっぱたちじゃない」


 そいつらは拝殿の柱に隠れ、私たちを見上げていた。

 頭にお皿を乗せた、緑色の生もの。いわゆる河童。

 特にこの手鞠河童という種類は、河童の中でも小さくて柔らかい。

 その名の通り手鞠サイズで、マスコットキャラクターの様にコロンとしていて愛くるしいから、愛玩あいがんあやかしとしてその手のマニアに大人気だったりする。


「お助けくだしゃいでしゅ茨木の姐しゃん。僕たちこのままでは過労死するでしゅ」


 そんな手鞠河童たちは、つぶらな瞳をうるうるさせていた。

 よく見るとお皿の水が乾いていて、若干ヒビが入っている。


「……何かあったの?」


 私はかがみこんで、二匹の手鞠河童に問いかける。


「おい真紀、こんなところで……今のお前、何もない場所にしゃべりかけているようなもんだからな」


 馨がすかさず私に注意した。

 まあ確かに、あやかしの見えない普通の人間からしたら、私の行動はかなりの不思議ちゃんでしょうよ。

 私は手鞠河童二匹を手のひらに乗せて、人目のつかない境内の隅っこまで連れて行った。

 馨と由理も、なんだかんだと私たちについてくる。


「実はかくかくしかじかなのでしゅ〜」


 手鞠河童が言うことには、彼らは合羽橋かっぱばしの地下にある食品サンプル工場の新しい工場で、朝から晩まで過酷な労働を強いられている、という内容だった。

 新しい工場は牛鬼というあやかしたちが仕切っていて、か弱い手鞠河童たちに日給千円ときゅうり一本で働かせているのだとか。

 おかげで手鞠河童たちは過労死寸前。

 この二匹の手鞠河童は、見張りの牛鬼の目を盗んで、私に助けを求めてやってきたのだった。


「日給が千円ときゅうり一本は酷いな。時給の間違いじゃないのか?」


「日本のブラック企業も真っ青な労働環境だね……」


 流石の馨と由理も、河童たちのかわいそうな状況に複雑な顔をしてうなる。


「せめて日給二千五百円ときゅうり三本は欲しいでしゅ!」


「ここはひとつ、浅草あやかし界隈かいわいの水戸黄門、最強の茨木の姐しゃんにお願いでしゅ。どうか工場長を改心させてくだしゃいでしゅ!」


「水戸黄門……??」


 河童たちの要望は思いのほかたいしたことないが、今のままでは辛そうだと、そのやせ細った体とひび割れた頭のお皿でよくわかるのだ……

 人間界で生活するあやかしたちは、生きていくために人間のお金を稼げる仕事を探している。

 この人間界にはあやかしが安心して住める場所が少なく、また生きていくために必要な霊力を補える食べ物が少ない。

 だからこそ、あやかしが人を襲って食べたり、力を暴走させて怪奇現象が起きたりする事がある。そんな事件が起きたら、今度はあやかしが人間に排除されてしまう。まさに、食うか食われるかの関係だ。

 あやかし側が人間との共存を望むのなら、“お金”というわかりやすいものが必要になってくるし、またお金を稼ぐには“仕事”が必要になる。

 現代では人間たちに混ざってたくましく商売をするあやかしも沢山いるけれど、仕事を見つけられないあやかしや、低級のあやかしたちをこき使って自分だけボロ儲けしようとする悪徳あやかしもいたりするのが、ここ近年の問題だ。

 そんなあやかしたちの事情や問題を解決するのも、我らが民俗学研究部の活動の一環だと思っている。少なくとも私は。

 だってこんな風に、私たちを頼ってやってくるあやかしは少なくないから。


「よし、わかった! その牛鬼、私が成敗してくれるわ。その代わり、何かお礼をちょうだい。タダ働きはしない、もらえるものは貰う主義よ」


「わーいわーいでしゅ。じゃあ隅田川の土手に埋めてるかっぱの埋蔵金あげるでしゅ」


「別にお金じゃなくても良いけど」


「そこは金貰っとけよ」


 馨にひじで小突かれた。

 いやいや。お金はあやかしたちにとって、あって困るものじゃないから貰わない。


「わーいわーいでしゅ。了解でしゅ。きゅうりを一本贈呈するでしゅ」


「きゅうり一本……まあいいわ」


 埋蔵金からきゅうり一本と、謝礼のレベルが一気に落ちたけれど、仕方が無い。

 あやかしたちの秩序を守るため、ここは浅草の水戸黄門とか言われている私の出番というわけだ。


「……あ、俺もうすぐバイトだわ」


「ごめん真紀ちゃん……僕ももうすぐお茶のお稽古けいこが……」


 しかし男ども二人はまるで乗り気ではない。

 協力してやろうとか、頼りがいのあるところを見せてやろうとか、そんな気持ちも無さそうでとても冷めている。

 わかっていましたとも。

 こいつらがあやかし関連の事件に関与したがらないことくらい。


「ふん、いいわよ。私一人でなんとかするわ」


「おいおい真紀、いつも言ってるだろ。もうあやかしたちの問題に首を突っ込むな。俺たちに一つも利益は無い。前世のことを忘れたのか」


「……なら分かるでしょう。私、あやかしたちのことは放っておけないのよ」


「バカか。お前はほんとバカだな……真紀」


 馨はいつもの調子ではなく、思う事がある複雑な面持ちで、わずかに視線を落とす。

 私は手鞠河童たちを肩に乗せ、立ち去り際に軽く言い返した。


「馨はバイトを頑張って稼いできなさい。由理もせっかくお土産を買ったんだから、お稽古に行かなくちゃ」


「…………」


「……真紀ちゃん」


「ここからは私の、ただのボランティアだわ」


 馨と由理は、なんだかんだと私を心配している。

 私が正義面して牛鬼という凶暴なあやかしを懲らしめに行くことが、危険だからという訳ではない。彼らは私が、その程度のあやかしに負けるはずはないと知っている。

 ただ、心配は別のところにあるのだ。

 私があやかしと関わりすぎるということ……助けようとしてしまうこと……

 その先にある、人間との対立を。


「さすがは最強の茨木童子しゃま。僕たちを助けてくれる、大妖怪様でしゅ〜」


 だけど肩の手鞠河童たちだけは、暢気のんきな顔をしてはしゃいでいる。

 私のことを“茨木童子”と呼び、絶対に自分たちを助けてくれるのだと信じているのだ。

 

         ◯


 かっぱ橋道具街。それは台東たいとう区西浅草に位置する、有名な道具街だ。

 調理器具や食器、食品サンプル、料理飲食店器具や様々な飲食店の制服など、食に関する道具を揃える店がこれでもかというほど軒を連ねている。

 旅館やホテルなども多く、下町を感じられる落ち着いた雰囲気と、現代の観光地としての賑わいを兼ね備えている。

 私の住む浅草寺エリアとはまた違った趣のある地域である。

 またその名と土地の河童伝説から、マスコットキャラクターに河童を起用している。

 河童のイラストや像が至る所にある河童にまみれた商店街なので、河童好き河童マニアにはオススメのスポット。

 さて。合羽橋の河童伝説とはこうだ。

 かっぱ寺と呼ばれている曹源寺そうげんじのお墓のある、江戸時代の商人・合羽屋かっぱや喜八きはちは、この周辺の水はけが悪く、度々洪水によって悩まされていたため、私財を投資してこの付近の掘割工事を行った。この様子を見ていた隅田川の河童たちは、喜八の心意気に感銘を受けて、夜な夜な工事を手伝ったのだとか……

 このような流れがあり、合羽橋はあやかしたちにとって、特に河童たちにとって仕事を見つけやすい場所と言われている。コネクションがいくつかあるらしいから。

 しかし時代は変わるもの。

 この合羽橋にやってくるあやかしは、何も河童だけではない。

 そもそも浅草は数多くのあやかしが潜む、日本でも有数のあやかし密集地帯だ。

 他の土地からここへやってきて、新たに事業を発足し、河童という都合が良く数の多い働き手を使って、あくどい商売をするあやかしもいる。

 それが今回の場合で言う、牛鬼たちである。

 あやかしが浅草で商売をする時、にある労働組合に参加し、許可を得なければならないのだが、どうやらこの牛鬼の工場は不法に運営されていた様だ。




「みかんの着彩するでしゅ……」

「抹茶アイスの型取りするでしゅ……」

「白玉量産するでしゅ……つるつるにニスを塗るでしゅ……」

 さて。

 手鞠河童てまりかっぱの言っていた通り、合羽橋の地下にある食品サンプル工場の労働環境は劣悪だった。河童たち目が死んでる……


「おら、ふらふらしてんじゃねえ!」


「あぎゃー、でしゅー」


 その小さな体を生かして延々と細かい食品サンプルを作らされている手鞠河童たちは、少しでも休もうものなら、見張りの牛鬼に首輪から電流を流されて痛い目に合わされる。

 その様子を、私と私を呼びに来た手鞠河童たちでのぞき見していた。


「なんてひどい……あんな状況で、よく逃げて来られたわね」


 私に知らせに来てくれた手鞠河童たちは、さぞ決死の思いで脱走したのだろうと思っていたが、肩に乗っかる彼らは愛らしく小首を傾げた。


「運良く首輪が外れたでしゅ」


「軟体なので割と上手くいくでしゅ〜」


「へえ。そういうとこ結構適当なんだ……」


 現代あやかし特有のヌルさと詰めの甘さだ。

 元悪役妖怪としてはそこが気になってしまうけど、それでもこの小さな手鞠河童たちが牛鬼によって酷使され、苦しめられているのは目の前の光景からよく分かる。

 河童の皿の水に電気ショックは通りやすいのか、お皿がひび割れているもの……

 牛鬼とは、頭のツノと牛の尻尾しっぽがくっついている牛面の鬼だ。人間の作業着を身にまとい、半端に人に化けている。

 工場長は傷跡が頬にある男だ。ガタイが大きく、髪は短めの茶髪。

 いかにも悪いことをしているおっさんの見た目だ。


「おいそこのガリガリのかっぱ! かき氷のシロップの色は東京スカイツリーにちなんだハワイアンブルーだって言っただろうが! なんでやぼったい緑色にしてんだてめえ。しかもなんかきゅうりのスライスがのってるし!」


「……き、きゅうり味きゅうりトッピングのかき氷でしゅ……かっぱ界隈では夏に先駆け、流行間違いなしのかき氷でしゅ」


「かっぱ以外に需要の無い食品サンプルなんて要らねえ! せめてメロン味にしろ!!」

「あぎゃー、むち打ちやめるでしゅー」


 一際ガリガリに痩せた手鞠河童が、牛鬼に鞭打ちされそうになった。


「やめなさい!」


 いよいよ見過ごすことができず、私は声を上げて表へと出た。

 馨と由理と別れた後、いったん家に戻って取ってきた、縦長くて大きくてごわついた袋を抱えたまま……

 夏場に向けて冷たい和甘味やかき氷の食品サンプルを作っていた手鞠河童が、げっそりとした面持ちで顔を上げる。

 鞭打ちしようとしていた牛鬼もその手を止めた。


「なんだてめえ……人間?」


 牛鬼は、目の前に現れたちんまりとした私に顔をしかめる。

 ただ手鞠河童たちが「茨木のあねしゃんでしゅ〜〜っ」と飛び跳ねて歓喜したので、牛鬼は戸惑い、「な、なんだ!? 一体何なんだ??」と工場内を見渡した。


「私、茨木真紀って言うの。手鞠河童たちが日給千円ときゅうり一本でこき使われてるって、私に泣きついてきたのよ。だから私、今からあんたを懲らしめるわね」


「はあ?」


「あんた、この浅草のルールをまるで分かっていない、よそ者のあやかしのようね」


「お嬢ちゃんこそ、俺様がいったい何者なのか知らねー様だな」


「そりゃああんたなんて知らないわよ。あんただって私のこと知らないでしょう? それと同じよ」


 私が生意気な事を言うと、牛鬼の工場長はピキッと額に筋を作り、横暴な態度で自らに親指を差し名乗った。


「俺は鎌倉かまくらで名をせた牛鬼ぎゅうきの頭領、名を元太げんた。かの有名な源頼光と戦ったと言われる“牛御前うしごぜん”……の末裔まつえいだ!」


「……へえ、牛御前」


 その情報に一つピンときたことがあって、私は前世の記憶の引き出しを開けてみる。

 こいつの言う事が本当なら、私は多分、こいつの先祖を知っている。

 まず源頼光という名前は思い出すだけでも不快なんだけど、源頼光に討伐され追い詰められた当時のあやかしってとても多いのよね。

 まあ大抵、裏に安倍晴明が居たりするんだけど……


浄瑠璃じょうるりとかで有名なあの牛御前だぞ。源頼光の軍勢を隅田川で滅ぼした。俺は格が違うぜ!」


「別にあんたが源頼光の軍勢と戦った訳じゃないでしょう。牛御前なら私も友だちだけど、自分の末裔がこんなことしてるって知ったら、きっと悲しむわね……河童たち大好きだから牛御前」


「……ん?」


 牛鬼の元太は何が何だか分かっていない。

 さて、この工場長の言う、「牛御前伝説」は様々な文献に残っているとても有名な伝説で、浄瑠璃の題材にもされている。

 平安時代の、みなもとの満仲みつなかという豪族の元に、三年三ヶ月の妊娠期間を経て生まれた娘が居た。

 しかしその娘には、あろうことか牛の角としっぽが生えていた。当時の平安京では、意味も無く人間からあやかしが生まれたり、元々人間として生まれても、やがてあやかしになり果てる者が多く存在し、それは一種の“呪い”だと言われていた……

 自らもたたられると思った源満仲は、この娘を疎んで殺害しようとする。しかし娘は心優しい“とあるあやかし夫婦”によって救われ、山中でひっそりと育てられたらしい。これが牛御前だ。

 しかし源満仲は、あろうことか息子の頼光にこの牛御前を討伐する様命じる。実の父と兄によって命を狙われた牛御前は“とあるあやかし夫婦”によって逃がされ、今で言うこの浅草まで逃げて逃げて、追い詰められた所で隅田川に飛び込み、火事場の馬鹿力で頼光の軍勢を追い払ったとか何とか……

 その時、隅田川に住んでいた河童たちが色々と助けてくれたみたいで、牛御前は今でも河童を溺愛できあいしているのよね。

 あ、ちなみにこの牛御前、今では隅田川沿いにある牛嶋うしじま神社の神様やってます。大出世!

 “とあるあやかし夫婦”の片割れとしては、実に鼻が高い訳です……


「それにしても、あの牛御前の末裔がこんな小物くさいことをしているなんて……ていうかあの牛御前、いったいいつどこで、子孫を残す様なことやらかしてんのかしら……」


 段々そっちが気になってきた。


「まあいいや。今度女子会トークしにいこう。今はこいつを懲らしめなくっちゃ」


 私はニヤリと口元に弧を描き、手に持っていた長い袋のヒモをほどいて、中からごつごつした木製バットを取り出した。

 まあバットっていうか……くぎとかいっぱい刺さってるんだけど……


「それ何でしゅか〜」


「バットよ。見て分かるでしょう?」


「なんか一杯、釘が刺さってるでしゅ〜。血の跡とかあるでしゅ」


「歴戦の釘バットなのよ……なんか文句あんの? 一応鬼の金棒に近い武器を自分で作ったつもりなんだけど、なんか文句あんの?」


「な……なんにも無いでしゅ〜」


 肩もとで、一生懸命首を振る手鞠河童たち。

 牛鬼の工場長は、私の“金棒”を見て少しひるむが、強気な怒りをあらわにして「やっちまえ!」と手下の牛鬼どもをけしかけた。奴らは作業着を破いてまで巨大で恐ろしい姿を露にし、私に向かって飛びかかってきたのだ。

 なんてベタな展開。


「せーの」


 私も嬉々として、牛鬼に向かってバットを振った。

 ちょっとバットを振っただけなのに、豪風と共に牛鬼どもが勢い良く弾け飛んで行くのよね。壁や天井に体を打ち付け、目を回しながらぽろぽろ落ちる。

 連鎖してあちこちで色んなものが崩れ落ち、ガシャンゴシャンと嫌な音を立てて壊れている。手鞠河童たちも汗まみれになって、あちこち逃げ惑っていた。


「あちゃー……食品サンプルもぐしゃぐしゃだわ」


 いや、手加減はしているつもりなんだけど、前世から持ってきちゃった有り余る霊力と、身体能力、自慢の腕っ節のせいで……

 牛鬼の工場長はあっけにとられていたが、やがて顔を真っ赤にして怒り狂う。


「くそっ! この生意気な小娘め! どうせこの界隈かいわいを取り締まってる、正義面した退魔師だろう!」


「いや……別にそんなのじゃないけど……」


「くそう! 鎌倉でもにやられた。あの退魔師どもが鎌倉妖怪の商売を邪魔しなかったら……居場所を追われなかったら、俺だってこんな……っ」


「……?」


「だがしかし、人間ごときに負ける俺様ではない!」


 怒髪天を衝く勢いで自らも本来の姿を現し、工場長は五メートルはあろうかという巨大な牛鬼に変化した。


「お、でかい」


 今までの中級牛鬼と違って、蜘蛛くもに似た手足がある。

 上級牛鬼のあかしだ。鬼瓦のような大きな顔と鋭い牛角、きばの光るよだれの滴る口元をして、四つんいになっているこの姿は、身震いする程恐ろしい……と思う。

 ただの人間、ただの一般人が見てしまったのならそう感じるに違いない!


「お前なんて頭からまるごと食ってやる!」


 牛鬼の工場長は無数の牙をむき出しにして、私に覆いかぶさろうとした。

 しかし怯む事無く、迎え撃たんとバットを構えた。


「馬鹿ね。私はあんたよりずっと大物よ」


 大きく振るったバットは牛鬼の胴体にジャストヒット。

 それがちょっと快感で、私は満面の笑みで思い切り振りきる。


「あははっ、場外さよならホーーームラン!」


 強い霊力を込めて打ったので当然牛鬼は地下工場の天井までよく吹っ飛び、一度激しく体を打ち付け、工場の端っこに積み上げられていた出荷前の食品サンプルが詰まった段ボール箱の上に落下した。

 ガラガラと崩れた段ボール箱、また剥がれ落ちた天井のコンクリートに埋もれ、牛鬼はそこから這い出ようとしている。


「おっと」


 奴が立ち上がる前に、目の前で堂々と立ち重たい釘バットで地面を突くと、ガツンと地面が大きくへこんだ。

 牛鬼、起き上がる前に体を丸め縮こまる。


「これで懲りた?」


 私はそんな様子を見下ろし、今一度ニッと勝ち気な笑みを浮かべる。手加減もしたし、あやかしがこの程度で死んだりしないが、私との力の差を感じ牛鬼は抵抗を諦めた様だ。


「このっ、このクズっ、クズの工場長でしゅっ」


 手鞠河童たちが今こそこの恨み晴らさんと、工場長に群がって小さな水かき付きおててでペチペチ攻撃をしていた。あんまり効いてないみたいだけど。

 ちょうどその時、空を切る様な音が真後ろを通り過ぎ、私の髪が風に流された。

 ぎゃあと鳴いて倒れた中級牛鬼が、斜め後ろに一匹。


「ん?」


 奴の側には、豆大福の食品サンプルが転がっている。すさまじい豪速球をぶつけられたらしい。

 投げた者は分かっている。出入り口からこそこそ入ってきた黒髪の男子生徒だ。


「馨……やっと出てきたわね。ずっと居たくせに」


「お前も気を抜くなよな。後ろから狙われてたぞ」


「そんなの気がついてたわ」


 私の事を叱りつけていたくせに、後から絶対追いかけてくる馨。

 もうほとんど片付いちゃったんだけど。


「……お前たち……いったい何者だ? 本当に人間なのか?」


 工場長はかすれる声で私たちに問いかけた。


「違うな。お前たちは人間だが、人間の退魔師なんかとは格が違う。だがあやかしでもない……何なんだ、いったい……」


「さあねえ……そんなのは私が一番聞きたいわよ」


 私はとぼけたような顔をしてみせた。

 ずっとずっと考え続けても答えの出ない立ち位置。

 大妖怪としての記憶と力を持ち、無意識で居ればあやかしの感覚のままに行動してしまうのに、それでもやっぱり人間として生まれた人の子だ。

 鼻で笑って、地面につけたバットを支えに、牛鬼の工場長の顔をのぞき込んだ。

 赤く緩やかな長い髪が、肩から流れて落ちる。


「浅草はあやかしに寛容よ。日本で最も“あやかしが働きやすい土地”だもの。でもルールは守ってくれなくちゃ。鎌倉で何があったのか知らないけど、浅草でそれなりに商売をしたいのなら、あんたは少し勉強不足だったわね。私が制裁しなくても、いつか誰かにおきゅうを据えられていたでしょうよ」


「……でも、じゃあどうしたら良かったんだ。鎌倉での損失を取り戻すには、セコいことをするしか無かった。借金もあったんだ。……こんなしょうもねえ、俺たちみたいなゴロツキ、雇ってくれる場所なんて無えよ」


 何もかもやる気を失くしている工場長。図体はデカいくせに、めそめそし始める。


「真面目にやり直す気があるのなら、へ行くと良いぞ」


 私の隣に立った馨が、工場長にある提案した。

 工場長は泣きっ面をゆっくりと上げる。


「浅草地下街には、あやかしたちがこの浅草で働く為の労働組合がある。人間とあやかしが協力して作った組合だ。借金があるなら相談に乗ってくれるだろうし、お前たちが浅草でやっていく為の仕事と居場所をくれるだろう」


「浅草……地下街……?」


 場所の名をつぶやいた後、工場長は長く息を吐きながら、意識を失ってしまった。

 あちこちで手鞠河童てまりかっぱたちが「解放でしゅ〜」「工場長ざまあでしゅ〜」と喜び、踊り狂っていた。


「……馨、あんた、一緒に来ないって言ってたくせに」


「うるせえな。流石に少し……気になったんだよ」


「アルバイトは?」


「店長に時間を変えてもらった。後から行くさ」


「…………」


「おい手鞠河童たち。お前たちも迂闊うかつだったぞ。働けるからって、こんな怪しい工場に勤めるもんじゃない。時給と労働環境の下調べは大事だぞ。数多あまたのアルバイトを経験している俺が言うんだから」


「はーい、でしゅ」


 分かっているのか分かっていないのか、だまされやすいピュアな手鞠河童たちは愛らしく手を挙げたのだった。


「ねえ、この有り様をどうしよう……馨」


「この有り様はほぼお前のせいだろ。……はあ。こりゃあ後片付けが大変そうだな。組合に連絡しないと……」


 散らばる食品サンプルと、倒れ込んでいる牛鬼たちをいちいち確認しつつ、馨はスマホを取り出して、知り合いの組合員に連絡してくれた。


「おい真紀、組長怒ってたぞ。怒って嘆いて泣きそうにしてた。また茨木か、って」


「だって……でも殺してないから!」


「いやそういう問題じゃねーよ。……はあ、俺も、お前の頭を地面に押し付けて並んで土下座、までしかしないからな」


「…………」


 彼はかなり機嫌が悪そうな顔をしている。でも、私は少し嬉しかった。


「ふふ」


「何笑ってんだよ」


 ギロリと馨が私をにらむ。


「いいえ。あんたってなんだかんだ文句言ってても、私の味方なのねえ」


「俺は面倒事が嫌なだけだ。暴れん坊将軍のお前の破壊行動が行き過ぎた時、穏便かつ平和的に解決するには……俺が出ていった方が早い」


「うんうん。そうよね」


「……調子に乗ってるな真紀。だいたいお前はー」


 馨が説教始めようとしたので、私は馨の顔を真正面から見上げて、「いつもありがとうね、馨!」と満面の笑みで言った。

 すると馨は、そこまで出かけていた嫌味を飲み込み、ため息をまた一つついて、まめまめしく周囲を片付け始めるのだった。

 いとも簡単に重たい牛鬼を担ぎ、入り口付近に適当に転がす。

 そんな様子は、私がかつて愛した夫・酒呑童子の、強くて無慈悲で、それでいて几帳面な面影を同時に思い出させる……

 いえ、かつてではないわね。私は今も馨が大好き。


「ふふ、馨、私も手伝うわ!」


「いや手伝うっていうか……これ全部お前がやった所業……」


 そんな私たちの足下に群がる手鞠河童は、空気も読まずにこんな風にわめいていた。



「流石は伝説の酒呑童子と茨木童子。最強のあやかし夫婦、浅草に降臨なのでしゅ!」

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