番外編 馨、鬼の旧友と出会う。

 俺の名前は天酒馨あまさけかおる

 夏休みにコンビニのアルバイトに励む、至って普通の、真面目な高校二年生だ。

 しかし前世が千年前の大妖怪・酒呑童子しゅてんどうじっていう……

 なんかもう、デカすぎる爆弾を抱えているせいで、あやかし関連の厄介ごとに巻き込まれる事が多々ある。

 というか自ら巻き込まれに行く前世の妻がいるせいで、俺もまた引っ張り込まれてしまうという感じなのだが。

 俺の前世の妻・茨木童子いばらきどうじの生まれ変わりである茨木真紀まきは、あやかしたちをどうしても見捨てられない性分だ。

 きっと今日も、釘バット片手に、どっかの浅草あやかしの手助けをしているのだろう。

 俺はあいつとは違う。

 人間。普通の人間。だから人間たちに囲まれたアルバイトに勤しむ。

 夕方の客の居ない店内。スイーツの棚に新商品を並べながら、そろそろ上がりの時間だなーとか考えていた。

 ふと空気中の霊力の流れが変わった気がして、顔を上げる。

 そこには、漆黒の髪と、鈍く煌めく赤い目を持つ色男が一人……


「やあ酒呑童子。今日も地道に労働に励んでいるみたいだね……」


 ……ああ、視界の色がワントーン落ちるはずだ。

 現世じゃもう滅多にお目にかかれないほどの、大妖怪のお出ましだ。


鬼神きしんじゃないか。隠世かくりよの老舗宿の偉ーい大旦那様のくせに、現世の、しかも浅草の小さなコンビニに出没とは驚きだな」


 そいつは、古い友人とでもいうのか。

 俺が酒呑童子だった千年前に出会った、鬼同士の友で、俺は奴を鬼神と呼んでいる。

 あの頃、現世とは違うあやかしたちの棲まう世界〝隠世〟の調査の為、こいつと一緒に現世から隠世に渡った事があったっけ。

 こいつは現在、その隠世にて〝天神屋てんじんや〟という老舗旅館を営んでいるのだが、時折こちらの情報を仕入れにやってくるのだった。

 浅草に立ち寄る際は、こうやって俺の居るところに会いに来る事がある。


「僕は今、つぐみ館にお世話になっているよ。酒呑童子が近所のコンビニでアルバイトをしていると、ぬえに聞いてね」

「今の俺は馨、だ。いつまでも酒呑童子って呼ぶなよな」

「ふふ。そうだったね……」


 人に化けた姿は、二七、八歳ってところか。まあ、見た目は若くともその雰囲気はあまりに人外的というか、落ち着きすぎているものがあるが。

 人の世に馴染んで生きているあやかしたちとは、やっぱり何かが違うよな。


「それにしてもお前、普段は黒の羽織姿なのに、今日はやけに爽やかだな。白いシャツにジーンズか……本来の姿を知っていると違和感やばいぞ」

「僕からしたら、お前が一介のコンビニ店員の制服を着ているのが、なんというか嘆かわしい」

「嘆かわしいとか言うな。一介のコンビニ店員さんだって必死に生きてんだぞ」


 俺は立ち上がり、コンビニの外で待つ大柄な男を確認。あれは鬼神が隠世から現世に連れてきた御付きのあやかし……カマイタチか。


「ん?」


 ふと、鬼神が持つ買い物カゴを覗いた。


「ジャンクフードやレトルトのカップ味噌汁、オニギリや菓子パンばかり……お前、どこのお一人様サラリーマンだよ」

「現世の人間がよく食べている加工食品を調査中なのだ。特にコンビニの経営や商品には興味がある。天神屋の営業に活かしたいのと、うちの宿で食事処を営む新妻のサポートができればと考えているんだが……。うん、彼女の喜ぶものを見つけたい!」


 鬼神は急に力説しはじめる。さっきまで飄々としていたくせに。


「お前……俺様な見た目のわりに、新妻には随分と甘々だよな」

「俺様な見た目……? 僕は僕だ」

「そうだなー。お前、昔から一人称〝僕〟だもんなー」


 まあ、知ってる。昔から、こいつはつかみどころが無い様でわかりやすい奴なのだ。

 確かこの鬼神は最近、人間の娘を嫁に貰ったんだっけ。

 あやかしは霊力の高い娘を嫁にもらうと格が上がると言われているから、それだけであやかしにとっては一つのステータスなのだが、そんなことは関係なくこの鬼神は新妻を相当可愛く思っているみたいで、会うたびに新妻の話ばかりしている。

 昔のこいつは少し冷めたとこもあって、嫁なんて要らないとか言ってたのになあ。

 時代が変わると、考え方も変わるものかな。

 鬼神は手のひらにポンと拳を落とし、「そうだ」と。


「コンビニでアルバイトをしている馨に聞きたい。コンビニで売れる定番スイーツや、商品はあるだろうか? 天神屋の土産物が奮わなくてね。常に新商品を出している大手コンビニの商品を参考にしたい」

「コンビニで売れているもの、ねえ」


 俺は自分が整えていた棚を見つめ、顎を撫でて唸る。

 おそらく、隠世で珍しいものを探しているところなのだろうから、和菓子的なのはオススメしがいがないな……


「デザートの定番は、やっぱりナタデココの入ったゼリーや、ヨーグルトじゃないのか? ナタデココって九〇年代にすごいブームになって、今や日本でもごく当たり前のように食べられている。確か……ココナッツの汁か何かの発酵食品だよな」

「なたでここ……? 何かの呪文めいた名だな。パッケージを見るに、四角い寒天の様だが……うーむ、いまいち何なのか捉えきれない」

「まあ気持ちは分かる。こればっかりは食ってみないとな」


 ナタデココって、真紀が結構好きなんだよな。

 前に真紀に「ナタデココって何の果物なの?」って聞かれて、それで調べてやったら、実っていうかココナッツの汁の加工食品だと分かった。あいつは多分、普通に何かの果実をカットしたやつだと思ってたみたいだが……


「でも、どのコンビニにもナタデココ入りのゼリーってのは一つは置いている。要するに、よく売れるんだ」

「ああ、でもそういえば、ココヤシの実の発酵食品……最近、隠世の南の地で流行している甘味のにそういうのがあったような……」


 鬼神は何やら考え込んでいる。

 俺には隠世の事情ってものは、いまいち良く分からないが。とりあえず棚からナタデココのゼリーを見繕い、ポイポイと鬼神の持つカゴに入れた。


「あとはなあ……やっぱり最近のコンビニと言えば、チキン系のお惣菜は各コンビニが競い合ってるって聞いたな」

「チキン系?」

「フライドチキンとか、唐揚げとかだ。一つ一二〇円〜一五〇円とお手軽で、ちょっと小腹が空いた時にコンビニで買って食うっていう。学生も大人も、男も女もみんな、良く買っていくな。揚げるのが追いつかない時もある」

「チキン……チキン、か。うん、それはなかなか面白いかもな」

「なら、金のフライドチキンと、からあげさん一パック買っていけよ。外で待ってるカマイタチの御付きにも食わせてやれ」


 とか言いながら、鬼神のカゴに、定番の美味しいロールケーキや、最近入荷したばかりの変わったフレーバーのジュース、またSNSで「マズすぎる」と話題になっているトマト味のグミとか入れる。


「馨は悪どい商人だな。ポイポイと人のカゴに商品を入れて」

「金持ちなんだからケチケチすんなよな。お前の嫁の土産にでもすればいいだろ? 喜んでもらえるかもしれないぞ」

「うーむ。そうか。なら買おうか」


 コクコク頷く鬼神。……単純な奴め。

 ひょいと鬼神の持つカゴをレジまで運んでさしあげる。

 鬼神は新妻のことを考えているのか、ほくほくした様子で懐から財布を出すのだ。

 よしよし、しめしめ。


「ふふ。まんまと買わされてしまったな。馨は昔からキレ者働き者で、有能だ。その商才は、ぜひ卒業後、天神屋で活かして欲しいと思っているのだが……将来の就職先の事は、もう考えているのか?」

「は? まだ大学にも行ってない身に、何を……。つーか、人間の俺が、あやかしまみれの隠世の宿屋に就職って、どんな冗談だよ」

「お前の嫁も連れて来ればいいよ。そもそも現世では伝説と言われる大妖怪・酒呑童子と茨木童子であるのなら、隠世に招かれたところで誰も反対などできない」

「このご時世にありがたい話だが、俺はこれでも人間の生活が気に入っている。ここ、浅草の地もな……。それに俺が隠世に就職するなんて言ったら、真紀が何て言うか。あいつ、心底浅草が好きだからな。お前だって、うちの鬼嫁の鬼嫁っぷりを知っているだろう? あ、お惣菜は別の袋にお入れしますねー」


 レジの内側で、ガラス製のフードショーケースから、揚げたてのフライドチキンとカップに入ったの小さな唐揚げを一つずつ取り出し、袋に詰めながら。


「ふふ。まあ、愛妻家な馨ならそう言うと思ったけどね……君の鬼嫁を怒らせるのは、僕だって少し怖いし……昔、君をしばらく独り占めして、恨まれたことがあるからなあ。あ、スプーンだけもう一つつけといてもらえますか?」


 鬼神は遠い昔の事を思い出し、くすくす笑う。


「しかし僕は、優秀な人材に対して貪欲だ。スカウトは長期的に行うつもりだから、また声をかけるよ。君の結界構築能力は希少だし、隠世でも役に立つ。……他に取られるのも癪だからな」

「ったく。俺は誰のものにもならねえ……というか、強いて言うのなら、俺は真紀のもんだ。あいつのものはあいつのものだが、俺のものはあいつのもんだからな。はい、二五二〇円になります」

「すでに嫁の所有物と認めてしまっているのを見ていると、かつての勇猛果敢な酒呑童子を思い出せなくなる……あ、領収書ください」


 はいはい。天神屋様、天神屋様、と。


「ふん。まだ新婚気取ってるお前には分からんだろうがな。夫婦関係ってのはな、諦めと妥協、そして諦めが肝心で、お互いの情がものを言う。自分勝手なことはしないが、お互いの意思や行動は尊重する。それが長続きの秘訣だ」

「……僕よりずっと子供に見えるお前に、夫婦について説かれるとはな。しかし千年の夫は言うことが違う。参考にさせてもらうよ」

「ああ。まあお前んところも上手くいくことを願っているよ。お買い上げ、ありがとうございましたー」

「ふふ……ではな酒呑童子。いや、馨」


 そして、コンビニの袋を持って、鬼神はこのコンビニを出て行った。


「…………」


 鬼の角……

 熱気で揺れる、外の景色と共に、彼の額にそれが見えた気がしたが、気のせいかもしれない。

 また静かな店内に戻る。あいつが居る間は、客が一人も来なかったな。

 なんとなく……冷房の冷気とは違う何かが、店内をひんやりと漂っている。


「ねえねえ! 天酒君今のかっこいい人と知り合いなの!? それともお兄さんとか!?」

「え」

「私ちょー好みなんですけどっ! お兄さんだったら紹介してよう」


 コンビニでバイトをしているテンションの高い女子大学生の先輩が、俺たちのことを遠巻きに見ていたのか、鬼神が出て行くなり凄い勢いで尋ねてきた。


「別に……兄とかそういうのじゃないです。ただの古い友人ですよ」

「古い友人?」


 そんな言い方をする関係が、先輩にはいまいち理解できないらしい。

 そりゃそうだな。一六年と少ししか生きていない俺が、大人を相手に古い友人、だなんて……大人というか、そもそもあやかしなんだけど。

 千年前は、お互いに酒を酌み交わした、上も下も無い、対等な鬼同士だった。

 やがてあいつは隠世で、俺は現世で目的を見出した訳だが、それぞれの運命は、あの時代に劇的に動いていくーーー

 鬼とはどちらの世界でも、〝悪役〟であることに変わりはなかったから。


「天酒君? おーい」

「あ、すみません」


 先輩に声をかけられ、ぼんやりとしていたところを、現実に引き戻される。


「いつもの彼女さんが、待ってるよ」

「彼女?」

「うん、さっきからずっと外のベンチに座って待ってる」

「げっ、真紀」


 コンビニの外のベンチには、確かに真紀が座っていた。全然気がつかなかった!

 ゆらりとこっちを振り返り、じとっとした目で俺を見る。


「実は、上がりの時間を十分すぎてるよ天酒君」

「ええっ!」


 真紀はおそらく、この近辺であやかし絡みのヘルプをした後、俺を迎えにここまで来たのだろう。もしかして待たせていたのか? 怒っているのか??

 俺は急いで帰りの身支度をして、先輩と副店長に挨拶をし、コンビニを出た。


「ま、待ったか真紀」

「馨……さっき、天神屋の鬼神に会ったわ」

「あ? ああ、コンビニに来てたんだよあいつ」

「ふーん。あんたたちは仲良しだったから、会話も弾んだでしょうねえ」


 真紀はいたって普通の態度だった。さっきのジト目はいったい何だったんだ。


「私、ここからずっと見てたのよ、あんたたちが仲睦まじく話しているとこ」

「マジで? じゃあ妙な悪寒をずっと感じていたのは、何も鬼神の霊気だけではなくお前の視線的な……」

「何よそれ、人のこと悪霊か何かみたいな」

「悪霊じゃねえよ。ただの鬼嫁だろ」


 真紀は鬼嫁と呼ばれることに慣れきっているせいで、そこのところを怒ったりつっこむ事は無かったが、あからさまに「はあ〜」とため息をついた。

 どことなく背が丸まっている。


「あの鬼神を見つけると、あんたがどこかに連れて行かれそうで、時々焦っちゃうのよね」

「……え?」

「だって……千年前のことだけど、酒呑童子があの鬼神に連れられて、ひと月くらい大江山を離れて隠世に渡ったことがあるでしょ? 私、あの間なーんの連絡も取れなかったから、あんたがもう隠世から戻ってこないんじゃないかって、ずっと心配だったんだから。今でもあのひやひやした感じと、帰ってこない帰ってこないって荒れ狂っていた日々を覚えてるもの。私も隠世に行くって豪語して、四眷属に随分となだめられたわ。あんたが居ないと、全然ダメダメだったんだから、私」

「……真紀」


 真紀は遠い昔のことを思い出しながら、どことなく唇を尖らせている。


「は……はは。今世で俺が、お前に何も言わずに居なくなったことなんて無いだろ。ほんと心配性だな、真紀さんはー」

「何よ馨。嫌にご機嫌ね……」


 てっきり何か怒っているのかなーと思っていたが、彼女は鬼神と出会ったことで、小さな不安を抱いていたみたいだ。

 かつての申し訳ない思いも湧いてくるけれど、ちょっぴり嬉しかったりする。


「まあでも心配しなくて良い。今世の俺は、平穏を望んでいる。あやかしまみれの隠世に、わざわざ行くことは無いだろうよ」

「でも旅行とかで良いから、ちょっと行ってみたいわよね、隠世。あの鬼神って今はお宿の大旦那なんでしょ? 行き帰りの通行札付き宿泊プラン、あんた旧友のよしみでもらえたりしないの?」


 そんな事を言って、脇をつついてくる真紀。


「がめついなあ、真紀さんは」

「貰えるもんは貰う主義よ」


 軽やかな足取りのまま、彼女はくるりと俺に向き直り、「今日の夕飯どうする?」と。

 夏の夕方の、どこか懐かしい匂いのする、生暖かい風が、彼女の赤みがかった緩やかな髪をなびかせた。

 変わらない。

 何も変わらない、俺たちの日常。

 学生の夏休みの日々を、俺たちは学生らしからぬ夫婦じみた関係のまま、平穏に過ごすのだ。

 この、現世の浅草で……人間として。


「んー。そうだな……今日は、焼き魚食いたい。脂ののった塩サバ食いたい」

「じゃああんた、うちのアパートの庭で、七輪で焼いて」

「……え? 夏の蚊と戦いながら?」

「そうよ。だってそっちの方が美味しいじゃない?」


 彼女はクスッと小悪魔めいた微笑みを浮かべた。

 ……ちょっと可愛いと思ったらこれだ。


 働いて帰る旦那を、さらにこき使う〝鬼嫁〟め!

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