第六話 百鬼夜行(上)

 六月上旬の、ある休日の朝。私は両親のお墓参りに来ていた。

 お墓の掃除をして花を飾ったら、お墓の前にかがんで、手を合わせる。


「でね、かおるってばガラスを踏んづけて大怪我をしてしまったの。まあ私たちは霊力が高いから、通常より怪我の治りが早いけど……。それに由理ゆりが馨の治癒を手伝ってくれているから、もうほとんど治っちゃった。でも、お医者さんが不思議に思うからって、あえて完治を遅くしているのよ。もどかしい話よね〜」


 つい最近の出来事を一方的に報告する。これは月一の日課だ。

 父も母も、私が中学二年生の時に、ある事故で亡くなってしまった。

 母はしっかりしたキャリアウーマンで、でも少し大ざっぱな所があるさばさばした女性だった。父は逆に、とてもおっとりした家庭的で子煩悩な男性で、小さな頃はいつも私を浅草花やしきに連れて行って遊んでくれたっけ。

 両親が共働きだったのもあり、私はかぎっ子だったけれど、馨や由理がいつも一緒に居てくれたし、さみしい思いをした事など無い。夕食は家族揃って食べる事が多かったし、何より家族が揃えば会話の耐えない、和気あいあいとしたにぎやかな家庭だった。

 そりゃあ確かに、私はどこか普通とは言い難い子どもだったかもしれない。

 前世の話も、あやかしの話も、私の事情についても……生前の両親には、一切話す事が無かったから。

 それでも両親は、私を可愛い我が子と信じて疑わなかった。

 大食いの私がひもじい思いをしない様にと、母はいつも大きなおにぎりを沢山作って、台所のテーブルの上に置いてくれていた。時間が経ってしっとり張り付いたノリと、絶妙な塩加減がたまらない、おかかと梅を一緒に握ったおにぎり。私の大好物だ。

 小学校から帰って来るなり、おやつにぺろっと平らげていたっけ……今でもあの味が、恋しくてたまらない時がある。


「あれだけママの手作りおにぎりを食べまくってたのに、このスレンダーな体型を維持しているなんて、私ってほんとお得な体質してるわよねー……」


 なんてどうでもいことつぶやき、私は立ち上がって膝をたたいた。


「じゃあね、パパ、ママ。また来るわ」


 誰も居ないが、お墓に向かって手を振る。これも、いつもの事だった。

 漂う線香の香りが何だか落ち着く。懐かしく、物悲しい気分にもなるけれど。


「わあっ!」


 霊園の出入り口にある大きな木からバサバサと飛び立つ黒いからすにビビらされ、その場で軽く飛び跳ねた。からすは悠々と、この浅草あさくさの空へと舞う。


「からす……そう言えば千年前の茨姫いばらひめには、金のひとみを持つからすの眷属けんぞくがいたっけ」


 懐かしい香りと、今のからすの流れで、ふと思い出された千年前の眷属……

 かつて茨木童子いばらきどうじには四眷属と呼ばれる四匹の従者が居た。スイの様に再び出会えた眷属も居れば、いまだ出会えないかつての仲間も居る。

 からすのあの子は今、どうしているかしら。


『たとえ私が居なくなっても、決してその命を無駄にせず、強く生きて……』


 茨姫は、家族や我が子のように思っていた大事な眷属たちに、そんな言葉を残した。

 あやかしは長生きだし、大妖怪だいようかいであればある程、今もまだ生きている可能性はあるのだけれど……世界は広いから、そう簡単には会えないのかな。

 私はここに、浅草に居るわよ。


「馨や由理とあっさり出会えた事は、本当に奇跡的ね」


 だからこそ、前世の夫と親友と、幼少の頃から出会い、共にここまでの人生を過ごす事の出来た奇跡的な状況を、今でも不思議に思う。

 私たちは、何か特別強い縁で繋がっているのかもしれないわね。




「嫌だ!」


 浅草地下街にある“居酒屋かずの”の休憩室で、らしくない由理の声が響いた。


「絶対に嫌だよ! 女装なんて!」


 というのも、今夜の百鬼夜行に一乃かずのさんが参加できなくなったせいもあり、女顔の由理に女装命令が出たのだった。


「仕方ねーだろ継見つぐみ。お綺麗きれいどころを連れているのと連れていないのじゃ、俺たちに対するあやかしたちの興味の度合いが違う。これはもう、一度むさ苦しい野郎ばかりで行った時と、一乃を連れて行った時の、奴らの反応の違いで出てる結果だ」

「そんな事言ったって! お綺麗どころなら真紀まきちゃんが! いるじゃないですか!」


 由理は私をびしっと指差した。

 あらやだ。由理ったら私のこと、ちゃんと“綺麗”って思ってたのね……


「あー……。茨木だけではちょっと不安……いやかなり不安っていうか」

「ん? それどういう意味、組長」

「頼む継見! この通りだ!」


 いよいよ大和やまと組長は土下座してみせる。それにならって、周囲に居た労働組合のサングラスたちも土下座。由理、サーと青ざめた。


「まあいじゃないか由理。お前なら女装もいけるって」

「全然うれしく無いんだけど。他人事だと思ってるでしょ馨君」

「私も由理の女装見たい! 絶対可愛いわよ!」

「真紀ちゃん、無邪気なわくわく顔やめて……」


 由理がなよなよしていたので、私はバッと彼に飛びかかり、ソファに押し倒したあげくそのブランドものっぽい白いシャツを無理やりぎ取る。


「ああああああああっ、真紀ちゃんがーっ、真紀ちゃんが僕に無理強いする!」

あきらめが悪いわよ由理。江戸っ子の日本男子なんだから女装くらいちゃちゃっとやりこなしてみせなさい」

「日本男子だからなんですけど!」

「あらやだお肌すべすべ〜」

「タ、タスケテ〜〜〜」


 馨と組長が、少し離れた場所でこの様子を見守りつつ、合掌。

 由理はジタバタ暴れていたが、やがて何もかもを諦め、涙を飲み、全てを私にゆだね……

 そして彼はとうとう、女にされてしまったのだった。


「わあ、可愛い! 本物の女の子みたい!」

「うう……っ」

「泣いちゃ駄目よ由理。せっかくのお化粧が崩れちゃうわ」


 白地に薄緑色の桜模様が描かれた清楚せいそな着物は、由理の雰囲気にぴったりだ。

 浅草地下街あやかし労働組合は、台東たいとう区と墨田すみだ区の“区の木”であるサクラを模した、緑桜の紋を掲げている。緑色の桜の花なんて珍しいけれど、組長たちがこういう時に着る羽織袴はおりはかまにも、この紋様が描かれているのだ。

 由理の地毛に近い色をした、長いストレートのカツラをかぶせて、ちょっとお化粧を施せば、彼はもうただの女の子にしか見えない。

 いや、そこらへんの女の子より断然美しい。女顔だったというだけの話ではなく、もともと姿勢も良くて、洗練された物腰柔らかな雰囲気があったから。

 女の子にしては背が高いけど、組長や馨の方がより高いので違和感は無いし、胸に関しては着物だからなんとでもなるしね。タオルをつっこんでいる。


「いやー……絶対いけるとは思ってたが、まさかここまでとはな」


 和装の組長と馨が、少し遠くでニヤニヤして由理を見ている。


「男にしておくのが勿体ないぞ継見」

「いっそ組長の愛人になるとか」

「そこ、勝手な事ばかり言って楽しまないでください。見せ物じゃないんですよっ!」


 由理はプンスカ怒っているが、可憐かれんな女子姿なのでそれもまた可愛いとしか言えない。


「まあまあ。この姿の時は由理ちゃんって呼ぶわね」

「……由理ちゃん……」


 ポン、と由理の肩に手を置く。由理はすっかりいじけてしまって、部屋の隅っこにうずくまって禍々まがまがしいきのこを栽培し始めた。


「ところで男子共? 私だって可憐極まる着物姿な訳だけど、何か言う事は無い訳?」


 私の場合、由理とはコントラストになるよう、黒地に緑桜が咲く着物を着ている。

 髪もしっかり結い上げたし、私のイメージからは少しかけ離れた地味な着物姿な訳だけど、まあこれが浅草地下街あやかし労働組合のモチーフなんだから仕方が無いわよね。


「お前の場合、極妻感半端無いな」

「何か強そうだ」


 それなのに男共ときたらこれだ。由理ほどの興奮も無く、「似合ってる似合ってる」と、適当に流しやがった。女度で由理に負けた気がして、何か悔しい……


「さて、準備ができた所で、一つお前たちに伝えておく事がある」


 組長がどかっとソファに座って、真面目な顔つきになった。


「今回の百鬼夜行……もしかしたら鎌倉妖怪かまくらようかいがらみのゴタゴタがあるかもしれねえ」

「鎌倉妖怪のゴタゴタ?」

「というのも、鎌倉妖怪の魔淵組まぶちぐみの頭領、魔淵というあやかしは陰陽局おんみょうきょくの追跡を逃れ、東京に潜伏中との情報が入っている。奴は陰陽局の退魔師との抗争で片目を負傷したらしいが、手下に守られ、しばらくジッと潜んでいたとか」

「ねえ。その魔淵っていったい何のあやかしなの?」

「そこだ茨木。その情報が一切入ってこねえ。鎌倉宮の側を流れる川の中に“狭間はざま”を作ってそこから出る事は無く、信頼の置ける手下にしか姿を見せなかった様だ。浅草で暴れていた鎌倉妖怪共も、魔淵組傘下ではあったものの、頭領である魔淵の姿は見た事が無いと言っていた。そもそも魔淵組とは、鎌倉でも新興の一派だ。本来鎌倉は、六地蔵と呼ばれる地蔵尊たちの力が強かった土地だからな……」


 組長は一通り手持ちの情報を説明した後、背後に控えていた無言サングラスの矢加部やかべさんから紅茶のティーカップを受け取り、それをすすって一息つく。


「とは言え、魔淵という奴は、自分の一派を壊滅に追いやった陰陽局や、裏でそれをけしかけたとされる九良利くらり組に強い恨みを抱いているだろう。百鬼夜行は全国のあやかしが集うし、いまだ正体不明の魔淵の侵入を拒む事は不可能に近い。奴が百鬼夜行の会場に現れ、九良利組に対し何か事を起こすのも、十分ありうる」

「……そんな危険地帯に行かされる俺たちって」

「まあまあ天酒あまさけ。お前たちにとっちゃ取るに足らん状況だ。前にも言ったろ? 何か面倒くさそうな事になったら、俺を置いてすたこら逃げろって。……これは杞憂きゆうで、結局何にも起きないかもしれないしな」

「…………」


 そうは言っても、そんな話をされては気になってしまう。

 その魔淵という鎌倉妖怪の頭領は、いったい何者なんだろう。

 はたして百鬼夜行に現れるだろうか。




 今夜の百鬼夜行は、浅草一の規模を誇る狭間、“裏凌雲閣”で行われる。

 凌雲閣とは、明治めいじ大正たいしょうの時代に浅草に存在した、煉瓦れんが造りの十二階建ての塔の事だ。

 時代を考えればとても高い建造物だったらしく、通称・浅草十二階とも呼ばれていたとか。

 この建造物は、関東大震災で八階以上が倒壊してしまい、その後解体され、今では跡地にパチンコ店が建っている。

 ちなみに私の住む浅草ひさご通りは、凌雲閣跡地に接している場所なのよね。

 一般的に、この建造物はすでに存在しない歴史上の産物な訳だが、実のところ“狭間”と呼ばれる空間には同じものが存在する。

 “狭間”とは、ある一定の力を超えた大妖怪や神々が固有に生み出し所持する、簡易な結界空間の事だ。

 現世と、その他の異界との間に点在し、日本のあちこちにあるので、今でもあやかしたちが活用しているあやかしたちの便利空間という訳だ。

 ちなみに陰陽局は、大なり小なりこの狭間をつくる事の出来る大妖怪や神々を、S級以上と定めている。これ豆知識よ。


「百鬼夜行に参加するあやかしは、全国で指定された妖提灯を持っていなければならない。ここら辺なら化猫堂ばけねこどうのものだな。茨木が持っていたものを含め、俺たちは六つの提灯があるから、六人での参加となる。お前たちと、俺と、うちの連中二人、だな」


 この提灯は非常に手に入り難いのだが、私が一つ持っていたおかげもあって、労働組合からは六人での参加が可能となった。

 身内は多い方が良い。百鬼夜行は化かし合い大会だから。


「あ、提灯を持ったあやかしたちが来てるわね」

「みんな百鬼夜行の参加者かな……」


 入り口は凌雲閣跡地のパチンコ店、では無く、その裏手に続く路地裏だったりする。

 観光地からわずかにれたこの薄暗い路地裏には、ちらほらと提灯を手にしたあやかしたちが集い始めていた。


「そろそろお面を着けろ。この百鬼夜行には全国各地のあやかしが集う。あまり素顔を見られない方がい」


 組長に言われた通り、私たちは用意していたお面をかぶった。

 私の場合、目元が細くくり抜かれた、おしろいを塗った鬼女の能面だ。

 馨の場合、典型的な鬼神のお面。由理は猿のお面。組長は浅草地下街のおさがずっと使っているらしい、目尻の下がったおきなのお面だった。これが結構不気味なのよね……


「あ、変わった」


 路地裏をあてもなく歩いていたら、妖提灯の表面の文字がゆらめき、ある瞬間から “狭間”へと招かれ、見知らぬ土地を歩いていたりする。

 いかにも妖しさの漂う、霧のかかった視界。

 静かな中を、ぼんやりと灯る提灯が行き来している。素顔を見せないお面のあやかしたちが、あちこちから同じ方向へ向かって歩んでいるのだった。


「……わあ」


 視界が晴れ、目の前に巨大な建造物が現れた。

 赤い煉瓦造りの塔、“裏凌雲閣”だ。


「この狭間が発見された時、ここは無人無妖の空間だったらしい。どんなあやかしが、何の目的でこれを造ったのかは、まだ分かってないんだよな」


 この狭間を所持するあやかしは不明で、結果、昭和時代より浅草管轄の灰島はいじま家が管理しているという。

 百鬼夜行にはうってつけの場所だが、そういう催しに貸し出す以外に、使い道がほとんど無い空間だと組長はぼやいていた。

 でも歴史上失われたはずの凌雲閣が、そっくりそのままここに存在していたなんて、ちょっとロマンのある話だ。現世の人間たちが知ったら、びっくりするだろうな……


「ようこそおいで下さいました。浅草地下街あやかし労働組合ご一行の皆様」


 凌雲閣一階の薄暗いフロントにて。“九”と書かれた紙のお面を着けた、紺地の着物の女性によってエレベーターまで案内された。

 実際の凌雲閣にも、日本初の電動式エレベーターが備わっていたらしい。それを模して造ったものだろうか。和風の装飾が施された古めかしいエレベーターだが、乗っているのはあやかしばかりなので、違和感も少ない。

 さて、エレベーターは七階で止まり、我々は百鬼夜行の会場にたどり着いた。

 そこは円形の大広間になっていて、既に大勢のあやかしが飲み食いをしている。立食パーティーの様な構図だ。着物姿のあやかしたちが、現代風の立食パーティーをしているのはやっぱり奇妙だが、これこそが最近の百鬼夜行。

 お面を着けて素顔を隠している者も居れば、この場ではごく普通に素顔をさらし、楽しげに談笑しているあやかしも居る。

 ちらほら人間も招かれているみたいだ。あやかしと関わりのある人間は、少ないとは言え居ない訳ではないからね。


「九良利組は陰陽局の連中とも、それなりに交流のある一派だ。その存在をバックに、大江戸妖怪はこの九良利組によって統率されている。京妖怪みたいに、どデカい派閥がいくつもあって、常に縄張り争いをしている訳じゃない」


 組長がさりげなく、現世におけるあやかし事情を教えてくれた。


「九良利組って世渡り上手なあやかし一派なのね〜。まあでも、そんな事はどうでも良いのよ。お料理美味おいしそう……」

「お前は飯にしか興味が無いんだな」

「当たり前でしょう馨。私がここへ来る意味はその一点にしか無いのよ」


 組長がやれやれと頭をき、「俺は挨拶あいさつ回りをしてくるから、しばらく飯でも食ってろ」と私たちにしばしの自由を与えてくれた。私がご飯を気にしすぎていたからかもしれない。

 吸い寄せられる形で、さっそくお料理の並んだスペースへと向かった。

 おお、豪華なホテルのバイキングみたい……

 和風テイストの料理が多めに並んでいるのが、あやかし好みって感じ。小皿に好きな料理を取って、会場に並ぶテーブルを利用して食べるというよくある形式だ。


「ねえねえ見て見て、おっきいエビ焼いたの!」

「へえ、伊勢エビの味噌みそ焼き」

「あっ、肉! 焼いた肉のかたまり!」

「お前他に言いようが無いのか? 原始人かよ」


 馨のそでを引っぱり、見慣れぬ豪華な料理が何が何だか分からず、子どもみたいな語彙ごいりょくになってしまう私……

 だって、本当に大きな肉のかたまりなんだもの。それを、のっぺらぼうのシェフがこの場で切り分け、お皿に盛りつけてくれる。レアなお肉の断面を見ているだけで血が騒ぐわ。


「ほお。これ柚子ゆずソースのローストビーフだと。これでもかってくらい、いっぱい食っとけよ。普段食えないものばかりだからな」

「勿論よ。今こそ私の胃袋が試される時よ」

「やめてよ〜、意地汚いよ二人とも〜」

「黙れ金持ちめ」


 そりゃ由理ちゃんはこういうの慣れてるかもしれないけどさ!

 私と馨は昨日のご飯がニラ玉丼オンリーという若干切ないものだったこともあり、とりあえず普段食べられない料理は全部食べておかなければという焦燥にかられている。


「でも焦ってはダメね。時間はまだあるし、食べ終わったらまた取りにくればいいんだから……ゆっくり攻めていけばいい……あああ、向こうにデザートのコーナーがある!」

「ゆっくり攻めるんじゃなかったのか? デザートは飯の後だ」


 デザートコーナーへ吸い寄せられそうな私の襟をつかんで、馨が私の軌道を修正。

 とりあえず私たちはお料理の小皿を持って、空いているテーブルを探して会場をうろついた。その際、まじまじと参加しているあやかしを確認してみたのだけど、浅草では見かけないあやかしも、勿論良く知った者たちもここにやってきている。

 そば屋の豆狸の親子も、同じ商店街の仲間たちと一緒に来ているみたいで、風太ふうたが私たちに気がつき、ニッと笑って手を振ってくれた。私もひらひらと手を振り返す。


「あ……」


 右側後方より、良く知った胡散臭い笑い声が聞こえて振り返った。

 奥のテーブルで知り合いたちと語りながら、酒を浴びる様に飲んでいる、その派手な着物を羽織った青年は私も良く知る者だった。


「スイ、あんたも来てたの」

「あれっ真紀ちゃん? どうしてここに!?」


 千夜せんや漢方薬局のあるじである、水蛇みずち水連すいれん。通称スイだ。

 彼は片眼鏡モノクルを押し上げつつ、ここに居る私の姿をまじまじと見つめた。


「真紀ちゃん、和装だなんて珍しいね」

「あんたこそその姿は何? なんか見覚えのある着物を羽織ってるみたいだけど」

「あ、これ〜?」


 スイは自分のまとっているその着物の袖を持って、くるりと回って見せる。

 それは、鮮やかな紅色の、牡丹ぼたん紋の小袿こうちき……だったもの。

 覚えがある。それは千年前の私が、眷属けんぞくになったスイに与えたものだった。

 平安時代のものより今風の羽織の形に直されているので、きっと修繕を繰り返すうちにそうなったのだろう。

 どう見ても女ものだが、スイが身につけるとそれなりに様になる。普段から派手な着物を着ているからね。


「真紀ちゃん覚えてる? かつて茨姫様が俺に与えてくださった小袿。まあ色々リメイクしちゃったけど」

「あんたまだそれ使ってるの?」

「当たり前じゃないか。俺にとっては、主にもらった大事なものだからねえ。契約のあかしの様なものだったし」


 スイは酔っ払っている中でも、憂いを秘めた微笑みを浮かべ、遥か千年前の主を思う。


「大切に大切に保存し続け、修繕を繰り返し、霊気干しし、時に除菌スプレーをふりかけつつ、こういう華やかな舞台では梅花の香を焚いて身につける様にしている……いとおしい茨姫様の事を思い出しながら、ね」

「お前すごい気持ち悪いな」

「ふふん、馨君。言っとくけどそれは俺にとって褒め言葉だからね?」


 頬を染め人差し指を立て、何故か誇らしそうにしているスイ。馨、どん引き。

 スイと語っていたあやかしたちは、どうやらスイの店の常連さんたちだったらしく、空気を読み「ではこれで」とこの場から去って行った。

 ちょうど空いたテーブルに落ち着き、私たちはやっとご飯にありつく。食事の際は、お面を頭の横にずらして着けていた。


「うう〜、このローストビーフ柔らかくって美味しい」

「真紀ちゃーんお酒もあるよ〜。九良利組は気前がいから、高級地酒が揃ってて美味しいのばっかりなんだよね〜」


 スイがこの場のノリで、更にお酒を持って来たけれど、私たちは至って真面目な高校生。


「お酒も煙草もNGよ。なのでご飯をたらふく食べます……」


 私はお酒よりお料理の方が気になって、もうすっかり食べるって事に集中している。


「じゃあ馨君は? 昔はお酒好きだったじゃん。一緒に酒盛りしたじゃーん。酒飲みで有名だったから酒呑童子しゅてんどうじって呼ばれてたくらいだし」

「おい水蛇、俺は今世じゃまだ酒飲めないんだから、そんな勘違いされそうな事を言うな。つーか高校生にそんなもん勧めるなよな。お前、陰陽局おんみょうきょくの連中に殺処分されるぞ」

「わっ、馨君ってば今や真面目な高校生気取ってるの? かわいそう〜〜、じゃ俺が全部飲んじゃおう〜〜」

「いつも以上に腹立つ水蛇だな。そんなに飲んで、二日酔いで泣いても知らないぞ」

「はーん、俺が何者か忘れているのかい馨くーん。希代の薬師、水蛇みずちの水連様とは俺の事。ふふん……二日酔いに効く秘伝の胃腸薬など常備している」


 スイは懐から自分の薬局で売ってる秘伝の胃腸薬を取り出し、見せつけていた。その拍子に、一つぽろっと床に落ちたので何となく拾って眺める。薬包紙に包まれた粉薬……


「ちょっとスイ、あんた飲み過ぎよ」

「えー。でも茨姫様の命令とあらば、俺だってお酒を飲むのを止めるけど〜。その代わり頭をでてよー真紀ちゃ〜ん」

「おい。誰かこのヤバい中年を凌雲閣のバルコニーから突き落とせ。JKに頭を撫でさせようとしている変態だ。事案ものだ」


 馨の目はマジだ。スイの襟を掴んで、本気でここから連れ出そうとしている。


「あはは……相変わらずだね、水連さんって」

「馨との仲も、いっつもあんな感じだしね……仲が良いんだか悪いんだか」


 流石の由理も苦笑いだ。すっかり酔っ払っていたスイだが、女装姿の由理に今更ハッと気がついて、片眼鏡を押し上げる。


「んん? あれ? も、もしかして君は由理君? ぬえ様!?」

「え……あ、はい」


 由理、返事のトーンがいつもよりツートーンくらい落ちる。


綺麗きれいで大人しいお嬢さんが居るなーとは思ってたんだけど……まさかまさかの由理君だったなんて! えええ〜何それ女装〜? 鵺様、流石にお美しいな〜」

「笑いをこらえたムカつく顔して褒めないでください……酒瓶で殴って頭かちわりますよ……三枚におろして蛇の蒲焼き作りますよ……」

「あ、あれ、由理君なんか性格まで変わっちゃってない? 清楚せいそな見た目に反比例して毒多めになってない? 目とか殺し屋みたいなんだけど」


 見た目は可憐かれんな女性姿なのに、普段の男の子でいるよりずっと荒々しい由理。元々笑顔でさりげない毒を吐く奴だったけれど、それが解放されてしまった感じ。

 スイはすっかりおびえて、酔いも冷めたみたいだ。私は殺気立つ由理の肩をポンポン、と。


「まあまあ由理。ごはんでも食べて落ち着きなさい。スイーツ取って来てあげようか? 糖分取るとストレス発散になるし、イライラも治まるわよ」

「ううう……真紀ちゃんに気を使われてる……っ」

「それ悲嘆にくれるとこなの!?」


 ぶちぶち失礼な事を言いつつも、お腹がいていたのか料理をつつき出した由理。

 私は自分と由理の為に甘いものをお皿一杯とってこようと思って、楽しみにしていたスイーツコーナーへとふらふら向かう。


「おー、高級そうなケーキや和菓子ばっかり」


 見るからに洗練されたスイーツの数々。どれを取って良いのやら迷う……


「わっ」


 そんな時、何かが背中にドンとぶつかった感覚があって、あやうくスイーツの並ぶテーブルに倒れかけた。まあ私はぐっと足を一歩踏み出し、何とか踏ん張ったけれど。

 何事かと振り返ると、体調の悪そうな若者が一人、あからさまにふらついていた。

 スーツ姿の真面目そうな眼鏡の青年……この人、人間だ。

 二十代後半って所かな。耳に小型でハイテクな通信機っぽいものを付けているが、顔にはお面すら着けていないので、なんと言うか場違い感がすごい。


「ちょ、ちょっとあんた、大丈夫?」

「慣れないお酒を飲んで……最高に気分が悪いデス……」

「目ぐるぐるしてるわよ。妖酒ようしゅに当てられたのかな……あ、でもそう言えば、さっきスイが落とした胃腸薬がある」


 返すタイミングを逃して、帯に挟んでいたのよね。ちょうど良かった。


「ちょっと待ってね」


 水の入ったグラスを持って来て、この青年の腰をガシッと掴んで支え、とりあえず妖気の薄いバルコニーまで引っ張り出す。

 腰掛けるのに丁度良い椅子があったので、青年をそこに座らせて、薬を溶かした水のグラスを手渡した。


「この水をゆっくり飲み干して。浅草一の薬師が作った秘伝の胃腸薬だから良く効くわよ」

「あ、ありがとうございます……」


 青い顔をした青年はゴクゴク水を飲んで、はあ〜と大きく息を吐く。

 そして私の顔を見上げて、ズレた眼鏡を整え、目をぱちくりとさせるのだった。


「もしかして……あなたも、人間ですか?」

「え? ええ、一応ね。えっと、浅草地下街あやかし労働組合って言ったら分かる?」


 人間が相手なのでお面を外した。青年は私が若い女の子だと分かって、更に驚いていた。


「あっ! も、もしや灰島家のお嬢さんですか?」

「……んー……それもちょっと違うかな」


 だけど青年は興奮気味に立ち上がり、私の手を取り「浅草地下街のご活躍は聞いていますよー」とぶんぶん上下に振った。

 さっきまでの弱った態度が嘘みたいだ。それともスイの薬の効き目が凄いのか……


「私、こういう者です」


 青年はポケットから名刺ケースを取り出し、きっちりした社会人って感じの作法で私に名刺を差し出した。私はその名刺に書かれたものを見て、わずかに目を見開く。


「……陰陽局?」


 晴明桔梗印せいめいききょういんは、まさに陰陽局の掲げる象徴だ。何者かを書き連ねた肩書きにも、堂々と陰陽局と書かれている。


「はい。陰陽局東京本部に所属しております、青桐拓海あおぎりたくみと申します」


 名刺と青年の顔をさりげなく見比べた。普通の人間に見えるが、しっかりと探ってみれば、わざと隠しているだけで相当な霊力の持ち主だと分かる。


「陰陽局が、どうしてここに?」

「……九良利組の皆さんに招待していただいたので」

「もしかして、鎌倉妖怪の件で?」

「…………」


 さりげなくその事に触れると、青桐さんは僅かに表情を変えた。

 バルコニーから見える、偽りの夜空に浮かぶ幻想の月光が、私たちを照らす。一度生温なまぬるい夜風が私の横髪を揺らし、沈黙を彩った。


「あなたは、鎌倉の件をご存知なのですね」

「浅草でも色々と面倒な事があったからね。鎌倉には陰陽局が立ち入ったって聞いたけど」

「……ええ」


 青桐さんが眼鏡を押し上げつつ、また何か口を開きかけた時だった。


「青桐さん、大丈夫っすかー?」


 締まりのない口調でバルコニーにやってきたのは、毛先のねた派手なオレンジ髪に、気崩したスーツ姿。耳には青桐さんと同じ通信機をつけている。高校生か大学生か、ちょっと良くわからないけれど……青桐さんより若い感じ。

 不良っぽさがまた、青桐さんのきっちり感とは対照的だな。

 でもこっちの方が、より術者っぽい霊力を纏っている。対あやかし用のカッコイイ刀をぶら下げているあたり……陰陽局の、退魔師か。


「あああかね君。すみません、この方にお薬を頂いて。もうすっかり良くなりましたよ」

「ったく、酔いやすいのに付き合いで飲むからこうなる。つーかこんな敵の巣窟で、貰った薬をほいほい飲むなんて……青桐さん相変わらず甘過ぎっすよ」

「いやでも、このお嬢さんは人間ですし。それに、相手を疑ってばかりいては、こちらが信用される事などありません。陰陽局だって、あやかしに歩み寄らねば!」

「…………ったく。ほんと甘いんだから」


 オレンジ髪の青年はチッと舌打ちし、私をギロリと見下ろし「何睨にらんでんだ赤毛女」と悪態をつく。

 許し難いめた態度だ。睨んでないし、むしろ上目遣いでじっと見てただけ。

 それにこっちが言いたい……お前こそそのオレンジ頭は何だ、と。


「こら、口が悪いですよ茜君。この方は私を助けてくださった恩人です。すみません。こっちの彼は津場木つばき茜と言って、陰陽局では若きエースとうたわれている退魔師でして」


 ……へえ、エースねえ。


「茜君、こちらは浅草地下街あやかし労働組合の……えっと……すみません、お名前をおうかがいしてもよろしいですか?」


 青桐さんが後頭部を撫でながら、申し訳無さそうに私に名を尋ねる。さらに茜という男に「まだ名前も聞いてねーのかよ」とつっこまれていた。


「私、は……」


 さて。組長の許可も無く陰陽局のやからに名乗るのは、流石にマズいだろうか。

 視線をらしがちに口ごもっていたら……


「あ、真紀! いたいた、大和さん呼んでるぞ!」


 ちょうど私を発見した馨がバルコニーにやってきて、私の腕を引っ張ってここから連れて行こうとした。私は慌ててお面を着け直す。


「あ……」

「ん?」


 馨は陰陽局の二人に気がついただろうか。

 彼らとはチラッと視線を交わしただけで、馨はすでに前を向いていた。




 連れて行かれたのは、この円形の会場を見渡せる上階、いわゆるVIP席だった。

 そこには既に組長や由理たちが居て、九良利組のあやかしたちに持て成されている。


「魔淵組は……」

「ええ、ちらほら残党も居るみたいですが、特に変わった動きも無く……本人に至っては、まだ確認できていません」


 そんな会話が聞こえて来る。例の鎌倉妖怪に関して、情報交換をしているみたいだ。


「あ、ぬらりひょんのおじいさん」


 リッチな一人用のソファに、後頭部の長いあやかしの老人が座っている事に気がついた。以前出会った時の風貌とは違い、ここではあやかしの姿をさらしているが、例の蕎麦屋で出会ったおじいさんだ。


「また会ったねえお嬢ちゃん。今宵こよいの百鬼夜行、楽しんでおるかな?」


 ニヤァ……。おじいさんはいかにもあやかしらしい笑みを浮かべている。

 両脇には九良利組の大柄なあやかしたちが控えていて、“九”と書かれた紙のお面の隙間から、静かに私を見下ろしていた。

 組長たちがお面を外していたので、私もここではお面を取り外し、素顔をさらした。


「百鬼夜行にお招きありがとう。あの時貰もらった匂い袋も、愛用しているのよ」


 私は構わずニコリと笑って挨拶あいさつをし、帯にくっつけていた匂い袋を「ほら」と見せた。


「私、茨木真紀と言うの。あの時は挨拶できなかったから、一応ご挨拶するわ」

「ほっほ。ならばわしも……よっこらせ」


 おじいさんは杖を支えにゆっくりと立ち上がって、笑顔で閉じられていた目をすっと開けた。その時のピンと張りつめた妖気は、まさに大物というのに相応ふさわしいものだったが、私は特に顔色を変えなかった。


「わしは大江戸妖怪“九良利組”の長老、九良利信玄しんげんと言う。まあ見ての通りどこからどう見てもぬらりひょんのじじいじゃ。ほっほ」

「そうね。どこからどう見ても立派なぬらりひょんのおじいさんね。頭の後頭部が長いとことか……のらりくらりしているところとか、何考えてるか分からない所とかー」

「こ、こら茨木」


 私の生意気な発言に組長は慌てて肩を引いたが、信玄のおじいさんは「ほっほっほ」と愉快な声をあげてうれしがっている。


「お嬢ちゃんには以前助けてもらった事があるじゃろう。わしはどうにも、あの力に見惚れてしまってのう。冥土の土産に、もう一度お嬢ちゃんの力を見てみたいと思ったのじゃ」


 この言葉に反応したのは後ろで大人しくしている馨や由理の方で、彼らは僅かに警戒心をあらわにし始めていた。


「冥土の土産って……でもおじいさん、少なくともあと五百年は余裕で生きてそうよ」

「ほっほ。言うのう……良きかな良きかな」


 何がいのか。信玄のおじいさんは今一度ソファに座り、意味深に何度かうなずいた。


「お嬢ちゃんの様な、霊力の高い人間の娘は非常に珍しい。元々人間は男児の方が高い霊力を持って生まれやすかったが……昨今はいっそう、霊力の高い娘が生まれ難くなっている。あやかし界もそうじゃが、人間の術師の一族も霊力のある娘が生まれず、嫁不足で衰退の一途とか聞いたのう……」


 嫁不足、か。確かにそのせいで、あやかし界では年々大妖怪が生まれ難くなっていると聞く。記録として残るS級以上の大妖怪は、それこそ平安時代、鎌倉時代、江戸時代の者ばかりだ。また術師の一族もそういう傾向にあり、時代のせいか恋愛結婚も多くなったせいで、高い霊力を持った優秀な術師が排出されにくいとか……

 大和組長のおばあさんやお母さんも、確か一般人だったっけ。しかしそういう事もあって、灰島家は術師としての力が薄まってきていると、昔聞いた事がある。組長も霊力に関してはそれほど高い訳じゃないし。

 まあ、私たち“一般人”にはまるで関係のない話だ。

 信玄のおじいさんはこういう世知辛い話を嘆きつつ、片手を上げて「雪久ゆきひさは居るか」と。


「何でしょう、おじじ様」


 名を呼ばれ出て来たのは、ムスッとした表情の、私たちとそう変わらない年頃に見えるつんつん頭。羽織袴はおりはかまがいまいちしっくりこない少年だった。

 ぬらりひょんなのだろうが、人間に化けたままでいる。こういう百鬼夜行の場を面倒くさそうにしているのが、いかにも今時のあやかしの子って感じ。


「こやつはわしせがれの倅。要するに孫じゃ。大江戸妖怪の将来を担う宿命にあるわけじゃが、どうだろう。お嬢ちゃん、こやつと一度、手合わせしてくれないか?」

「手合わせ? ここで?」

「そうじゃ。この百鬼夜行は雪久のお披露目の意味合いもある。美しい華との手合わせであれば、客も注目するじゃろうて」


 なるほど。見せ物に一役買ってくれという意図があるのか。

 しかし話の流れに違和感を感じ、私の身を案じたのだろう。大和組長が「すみません、そんな危険な事を茨木にさせる訳には……」といよいよ口を挟もうとしたが、ぬらりひょんの大御所にスッと視線を向けられ、言葉を止めてしまった。

 私は組長に目配せし、大丈夫よ、と。ここはとりあえず話の流れに身をゆだねてみる。


「それに、お嬢ちゃんは言っておったよ。頼み事があったら言え、と。匂い袋分の働きはする、と」


 信玄のおじいさんは、従者のあやかしからさやに納められた一本の刀を受け取り、それを私に掲げ、またニヤア……と目を細めた。


「……確かに、その通りね」


 大江戸妖怪ようかいの総元締めとして、長年やってきたぬらりひょんらしい。

 俗っぽい催しだが、以前約束してしまった手前、簡単に拒否する事も出来ない。

 あやかしにとって、約束事とはとても重要な意味を持つ。特に一度言葉にした事は。

 だけど……本当のねらいは何だ? 刀を受け取り、それを見つめ考える。


「その手合わせって、私が勝ったら何かくれるの?」


 私の言葉に、この場の九良利組のあやかしたちがプッと吹き出した。例の雪久って孫も。

 ふーん、なるほど。私が勝つと言う予定は、あちらには無いみたいだ。

 だけど信玄のおじいさんだけは、閉じていた片目を開け、馬鹿にする様子もなく私を見据えている。


「その時は、何でもあげるよお嬢ちゃん」

「じゃあ、私が負けたら?」

「ほっほ。その時は、そうじゃのう……孫と仲良くしてくれればそれで良い」

「は?」

「そしてゆくゆくは、孫に嫁入りするとなお良いよ」

「…………あ」


 ああ〜なるほど、そういう話でしたか。合点がいって私は軽く天を仰いだ。

 馨や由理、組長たちもぎょっとして、「それはやめた方が良いって」「何も知らないからそんな恐ろしい事を……」とヒソヒソこしょこしょ。いつもながらに失礼な奴らめ。

 まあでも確かに、私はその手の格好の餌食でしょうよ。

 人間の娘を嫁に貰う事は、古い時代よりあやかしの格をあげる事とされている。高い霊力を持つ“人間の娘”を所望するならなおさら……


「おじじ様、お言葉ですが」


 しかし私が何かを言う前に、雪久とやらがしれっと口を出した。


「俺こんな生意気そうな娘、ぶっちゃけ嫌なんですけど」

「は?」

「ていうか勝手に嫁とか決めないでください。俺まだ大学生ですし、マジで興味無いです。結婚なんて自由無いしコスパ悪いって言うし」

「…………」

「俺ゆとり世代なんで」


 お、おう。色々とつっこみどころはあるが、ジェネレーションギャップが人間以上に大きそうなあやかし界。信玄おじいさんも「うーむ」と困ってしまっている。しかも私の事はいまいちお気に召さない様子。


 なんで私、勝手に嫁候補にされて、勝手に拒否されてる訳? 何か悶々もんもんとするんだけど。

「それに俺、どっちかっていうとあっちが良い」


 そして雪久は少し後ろで大人しくしていた由理を……いや、女装姿の由理ちゃんを指差した。


「…………」


 えーと、そいつ女装してるただの男ですよ? いや、うん、分かるけどさ。

 由理は何がそんなに悔しいのか「うっ」と涙目になって震え、いよいよ組長の後ろに逃げ込んだ。なんかそれも乙女っぽくて可愛いわよ。

 組長もまた由理を守るような体勢を取ってしまった為「チッ、そっちで出来あがってるのかよ……」ととんでもない勘違いをされる始末。御愁傷様ですっ!


「はあ。いつの世も、あやかしってのはほんと変わんねーな……」


 そんな状況の中、馨だけがやけに落ち着いた様子で、つかつかと私の前に出た。

 ぬらりひょんの長老を、その漆黒のひとみで見下ろす。


「回りくどい事を言っているが、なあじいさん。結局は孫の立場の為、大江戸妖怪の未来のため、力のある人間の娘との婚約を手っ取り早く取り付けたいだけだろ。たまたま見つけた真紀に目をつけただけで、真紀の何が良いとか、そういう話でもない。そこにあるのは、見栄と、意地と、理想だけ……」

「……馨」

「あと幻想だな、うん。真紀は人間のか弱い乙女の皮をかぶった、あやかし泣かせのモンスターワイフだぞ。こんな鬼嫁、絶対やめといた方が良いぞ、と俺は言いたい」


 九良利組のあやかしたちが「無礼だぞ、小僧!」「というか何言ってる!?」とあちこちから憤った声が上がる

 私もまた「モンスターワイフって何よ!」と、背伸びをしてまで馨に顔を近づけて問い詰めたが、馨は「何ってそう言う意味だろ」とだけ。

 彼は私の手から刀をひょいと奪うと、鞘から勢い良く抜いてニッと笑う。

 刃は馨の霊力をまとい鈍く光り、信玄のおじいさんや、孫の雪久の顔色が変わった。


「真紀が見せ物の手合わせなんかする必要は無い。俺がやる」


 格好良く宣言した馨。いやうん、カッコイイけどさ。

 でもちょっと待って、あんた……足の裏怪我してなかった?


「か、馨、無茶しない方が良いわよ。まだ怪我が治り切ってないじゃない。足裏またぱっくりいくわよ!」

「バカっ、そんな格好悪いこと言うな! せっかくお前の為にちょっと頑張ってみようとか思ったのに……」

「ん? あんた私の為に戦うの?」

「何だその疑問形! あーあー、これだから自分の身を自分で守り尽くせる鬼嫁は。ヒロイン力ゼロだな……」


 照れ隠しなのか、本気で呆れているのか……馨は顔を片手で覆って、絶望感たっぷりのうなり声を出している。


「あ。さてはお前! 俺が久々に刀振るうからって、負けるかもとか思ってるんだろ?」

「そんな事無いわよ! かつてのあんたはほんと強かったから……でもほら、ブランクってあるじゃない?」

「お前〜〜〜っ、元旦那だんなを信用できないのか!」

「元旦那ってなんか離婚したみたいな言い方やだーっ」

「いや、今そんな話をしている訳じゃなくてだな」

「うん。ちゃんと信じてるわよ。負けたら承知しないわよって、そういう話」

「…………あ、はい」


 ええ、はい。恒例の私と馨の夫婦めおと漫才終わりました。お騒がせしました。

 信玄のおじいさんはこの様子をじっと見ていたが、会話の終わりを見極めると、「まあよかろう」と多少面白く無さそうな声でつぶやき……


「若いの。お前さんの名は?」

「俺は天酒馨。至って普通の真人間だ」

「ほっほ。普通の真人間とやらに、大江戸妖怪の筆頭である我々ぬらりひょんが倒せるじゃろうか?」


 さっきまでの温和な空気とは裏腹な、妖しい目の色になって馨を見据える。

 馨はそんなものにひるみもせず、お面を今一度被って階段を下りて行った。


「おじじ様、ご安心を。あんなひ弱そうな男、一瞬で葬ってみせますよ!」


 雪久は今までとは違い、やる気に満ち満ちた表情だ。多分、見せ物じみた私との手合わせより、ずっと白熱したものになりそうだと思っているのだろう。男の子だな。

 信玄のおじいさんは今一度立ち上がり、この階層から下の大フロアを見下ろして、声を張った。


「皆の衆、今宵はよくぞ集まってくれた!」


 芯のある、良く響く声だ。流石に威厳があるな。「大御所様だ」「ご隠居様だ」と、あちこちから注目の声が上がり、誰もが信玄のおじいさんの次の発言を待った。


「定例の百鬼夜行ではあるが、今宵は少しばかり面白い催しを用意した。我が孫、雪久と、浅草地下街あやかし労働組合の若き少年による、あやかしと人間の手合わせじゃ。とくとご覧あれ」


 おおおお、と、あちこちから興味深い様子のあやかしたちの声が上がった。

 催し事を楽しみにしているあやかしも居れば、九良利組と浅草地下街に良好な関係がある事の方が気がかりなあやかしたちも居るみたいで、ひそひそと噂話を始めるやからも居る。

 人間になんか負けるはずがないと思って余裕めいた口笛を吹くぬらりひょんの孫と、相変わらず可愛げの無いしかめっ面のうちの馨。

 中央のフロアに火の玉が集まり、手合わせの為の舞台をぐるっと囲んでいた。


「えーえー、馨君何やってんの何やってんの〜、ひっく」

「わっ! 水蛇絡むな。どっかいけおっさん」

「えーえー、ひどいよ〜酷いよ〜、ひっく」


 誰もが舞台から降りて試合を外から見守ろうとしているのに、泥酔したスイだけはこの舞台に残ったまま、めんどくさい感じで馨に絡んでいる。


「あちゃ〜、真紀ちゃんあれどうする?」

「全く。スイってば、普段はそこそこ落ち着いてるのに、酔っ払うと子供みたいな構ってちゃんになるんだから。手がかかるわ……」


 馨がいまいち集中出来そうに無かったので、私と由理はお面を着け直して、急いで下のフロアに下りた。邪魔者となっているスイを手合わせの舞台から引っ張り出す。


「邪魔しちゃダメよスイ。馨は大事な妻を別の男に取られまいと、足の裏を怪我した不憫ふびんな状態であやかしと戦うんだから。珍しく全うなヒーローなの」

「んー……大事な妻って?」

「勿論私の事よ。あとお酒飲むのもう止めなさい」


 スイの手から酒瓶を奪い、側の椅子に座らせ落ち着かせた。ついでに側にあったグラスの水に胃腸薬を溶かして、そのままスイの口へ流し込む。うん、これで良し。


「何かお母さんみたいだね、真紀ちゃん」

「それ由理に言われたく無いわね。でも、眷属けんぞくは今でも我が子みたいなものよ。手がかかる時もあるし、い事したら褒めてあげたいし……悪い事したら叱ってあげなくちゃ」

「女子高生にお世話される、見た目年齢三十路みそじのあやかしって……」

「我が子はいくつになっても可愛いって言うじゃない!」

「女子高生が言う言葉じゃないけどね……」


 由理は随分と遠くを見ていた。

 さて。私はいよいよ、馨の事が気になって仕方が無くなる。

 すでに舞台は整い、馨と雪久が向き合い、刀を構えていた。


「ああ、あああ。馨ってば、大丈夫かしら。ねえ大丈夫かしら由理!」

「落ち着いて真紀ちゃん。信じているって言ってたのに、ほんと心配性なんだから」


 いつの間にやら用意されていたドラの音が響き、馨と雪久がキッとにらみ合って、動く。

 お互いの刀が勢い良く振り上げられ、打ち交わされる。刃の重なる音が、この会場に響き渡った。

 こういうのはとても懐かしい……鋭い切っ先が相手を狙う、命のやり取り。

 だけど私はハラハラしてしまって、祈りのポーズのまま、一度ぎゅっと目をつぶった。

 だけどすぐに、ポンと。由理の手が優しく私の背をたたいた。


「大丈夫だよ、目を開けてごらん真紀ちゃん。馨君、まるで昔の酒呑童子の様じゃないか」

「……由理?」


 隣に居た女装姿の由理が、楽しげに瞳をきらめかせた少年顔で、それを見守っていた。

 私はその表情に促されるように、馨の戦う舞台へと視線を戻す。


「……馨」


 馨の刀捌きは見事だった。最初こそ雪久に勢いがあるように見えたが、それは単純に、馨が相手の力量を見ていただけで、刃は一つも馨に届いていない。

 決して軽く無い相手の刀を簡単に受け止め、なし、舞う様に躱し続ける。ついでに怪我をしている足もかばっての振る舞い。

 余裕のある戦い方に気がつくだけの力量は、雪久にはあるみたいだ。故に、焦り出す。


「!?」


 相手の焦りを巧みに支配し、ここぞと言う所を見極めて踏み込む。馨は今まで最低限の霊力しか使っていなかったが、一気にその巨大な霊力を刃にわせ、その威圧感だけで相手の動きを鈍らせたのだ。

 研ぎすまされた剣筋をもって、相手の刀を無駄無く弾き飛ばした。

 弾かれた刀が、高い金属音を奏で、後方のテーブルに突き刺さる。


「…………」


 わずかな沈黙の後、大きな歓声が響く。

 あやかしたちは、絶対に負けるだろうと思っていた人間の少年の勝利に、しばらく興奮していた。


「ま、参りました……」

「……どうも」


 雪久は素直に負けを認め、青ざめて放心気味。

 それだけ、馨との間に、圧倒的に力の差を感じたと言う事だろう。

 見せ物としての派手さは無かったが、馨の力は今でも健在だ。冷静で冷徹。戦いや精神を操り支配するやり方は、ド派手で無駄な勝負をする私とは正反対。

 だけどそれこそが、あの酒呑童子の戦い方で、強さでもあった。

 ああ……何だか久々に前世の夫の面影を見た気がして、ちょっとだけきゅんときた。

 格好良かったわよ、馨!


「……?」


 しかし、そんなトキメキやら感慨に浸っていたのも、一瞬の事。

 私はこの会場に漂う異様な空気に気がつく。由理も同じものを察知したのか、険しい表情をして、会場を見渡していた。


「どこだろう……何か……」

「殺気……?」


 殺気と言うには、あまりに禍々まがまがしい視線を、どこからか感じるのだ。

 陰陽局おんみょうきょくの連中だろうかと思ったが、彼らは彼らで、この気配にいち早く気がつき、ピリピリしている表情だった。ただ、やはり気配の出先に気がつけていない。


「………羽?」


 キョロキョロとしていると、黒い羽が一枚、頭上から目の前を通り過ぎ、音も無く足下に落ちた。私はハッと目を見開いて、顔を上げる。

 真上―――そいつは天井のシャンデリアの陰に隠れ潜み、この時を待っていた。漆黒の狩衣かりぎぬを纏った、 “黒からす”の面を着けたあやかしだ。


「馨、上!」

「!?」


 それは、あまりにも不意打ちだった。私が叫んだと同時に、頭上から一直線に振り下ろされた大太刀の攻撃を、馨がとっさに刀で防ぐ。

 しかし怪我をしていた足で激しく床を踏んでしまう。


「……っ」


 おそらくその衝撃で、足の裏の傷口が開いたのだろう。馨は激しく表情をゆがめ、刀を受け止める力も僅かに緩む。敵はそれを見逃さず、大太刀の軌道を変えた。

 あの大太刀は、茨姫の―――


「チッ……!」


 馨は雪久を押し、彼を庇う形で自らの胸に大太刀の刃を受けてしまった。


「馨っ!!」


 流れる血に染まり、その場に倒れた馨。計算して受けた刃で傷は浅い、しかし……

 場は騒然とし、一瞬の静けさの後、大きな悲鳴があちこちから上がった。逃げ惑うあやかしたちに混乱する会場。彼らに阻まれながらも、馨の元へ向かう。

 ぬらりひょんの孫である雪久が、倒れた馨に「おい、大丈夫か!」と何度も声をかけていたが、そんな雪久に、小柄なからす面のあやかしの、血に染まった刀が向けられている。


「……悪いのはお前たちだ」


 その、少し高めの少年の声に、私はハッとした。


「僕を陥れ、居場所と、大事なひとみを奪った。あの方が美しいと言った、僕の瞳を。ならば僕も、お前たちの平和を脅かす。たとえ契約をたがい、悪妖あくようと成り果てようとも」


 からす面のあやかしは、その面をゆっくりと取り外す。

 線の細い少年の姿をしているが、その表情は激しい憎しみと悲しみに染まっていて、片目には眼帯をかけていた。もう片方の瞳は……美しい金色だ。


「……あれ……は」


 私はそのあやかしを知っていた。

 私だけではない。由理もスイも、懐かしいその者の姿に、瞬きも出来ずに居る。


「僕は八咫烏やたがらすの“深影みかげ”。かつてはかの茨木童子様の眷属だったが、今は魔淵と呼ぶものも居る。……鎌倉妖怪“魔淵組”のおさだ」


 深影。黒い狩衣をまとい、淡々と名乗ったその少年を、私はひたすら見つめた。

 彼も持つ大太刀はまさに、茨木童子がその黒烏のあやかしに授けたもの……

 その者は千年前の関係者であり、私にとっては、前世の“家族”も同然だった存在だ。

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