第五話 浅草地下街あやかし労働組合

 見鬼の才を持つ、藤原家の娘・茨姫いばらひめ

 私は昔、そう呼ばれていた。

 しかし人の子として生まれながら、何の呪いか災いか。

 十五になったいにしえの赤月の夜、私は“鬼”と成り果てた。

 髪は燃え上がる炎のごとく、鮮やかな赤。額には、鋭い鬼の角。

 その力は、人のものでは既になく。

 膨大な霊力を制御する事が出来ず、少し触れれば人やものを壊し、感情を高ぶらせれば簡単に大地をえぐった。

 父は変わり果てた我が娘を恐れ、私を賊に殺害された事にして、地下深くに造った座敷牢ざしきろうに幽閉した。陰陽師おんみょうじが何度も術を施した、切れない鎖で繋いだのだ。

 出して、ここから出して。

 呪符が張り巡らされた恐ろしい牢の、格子の隙間から手を伸ばし、泣き叫ぶ。

 それでも、鬼をそこから出してくれる人間はいない。

 今まで私を「姫」と呼び、愛し慈しんでくれた人たちも、簡単に私を恐れ、疎み、やがて忘れた。会いに来る者など一人も居なかった。

 何日も何日も、私はたった一人。

 孤独の中、日の光を浴びる事も無く、鬼と成り果てた運命を呪った。

 そのうちに生きる事に疲れた。こんな所に縛り付けるくらいなら、いっそ殺してくれればよかったのに……

 だけど、転機は訪れる。

 こんな私に手を差し伸べ、ここから出してくれようとしたあやかしたちがいたのだ。

 それは、当時都で最も陰陽師を手こずらせていた鬼“酒呑童子しゅてんどうじ”と、人に化け公卿くぎょうとして大内裏で働いていた“藤原公任ふじわらのきんとう”という男。藤原公任の正体は、あやかし“ぬえ”だ。

 公任の計画と手引きのもと、私は酒呑童子によって座敷牢から連れ出される。


『茨姫。居場所が欲しいのなら俺が作ってやる。行きたい場所があるのなら、どこへだって連れて行ってやる。……だからどうか生きる事を諦めず、俺にさらわれてくれ』


 酒呑童子がおりを壊し、手を差し伸べ告げた言葉を、忘れた事など一度も無い。

 その代わり、私は人であった事を、その未練を捨てたのだ。

 この茨姫こそ、後の世にまで名を残す大妖怪ようかい茨木いばらき童子”であり……

 現在の私、“茨木真紀まき”の前世である。


        ◯


 ヒョー……ヒョー……

 どこか懐かしい、澄み切った奇妙な鳴き声で目を覚ました。

 開け放った春の夜の窓辺に、青白く発光するツキツグミがとまっている。

「なんだ……まだ夜中の三時じゃない」

 変な時間に起きてしまったものだ。それなのに、目覚められた事にホッとする。

 六畳一間の狭い部屋。ここはあの座敷牢と変わらない狭さだけど、 “今”の私の家だと分かっただけでざわついた心が落ち着くのだ。

「懐かしい夢を見ちゃった……お前の鳴き声のせいね、きっと」

 窓辺に指を差し出すと、ツキツグミはちょんと私の指に飛び乗った。

 そしてガジガジと指をむ。可愛げの無い小鳥め……

 澄んだ空気に乗って、窓から花の香りがふわりと舞い込み、私は思わず窓から顔をのぞかせた。

「あ……薔薇ばらだ」

 こんなオンボロアパートの庭の一角に、赤い薔薇が植えられていた。

 大家さんが植えたのかな……強く高貴な薔薇の香りは、あやかしだらけのこのアパートには似合わない気がするけれど、不思議と魅入られる。

 月と、薔薇と、そしてツキツグミの鳴き声。

 キラキラとした澄んだ霊気が立ち上る、天気の良い晴れた月夜だ。

かおる由理ゆりも、前世の夢を見る事って……あるのかしら」

 私はあの二人に、命を救われた大きな大きな恩がある。




「あれ、組長じゃない」

「あ、組長」

「組長さん、どうしてここに?」

 学校のお昼休みの事だった。

 私と馨と由理がお弁当を食べる為、民俗学研究部の部室へやってきた所、中に黒いスーツ姿の若い男が居たのだ。彼は私たちの反応に対し、「おい、三人揃って組長って呼ぶな!」とさっそくキレている。

 この青年はここの学生でも、先生でもない。窓辺にもたれ、手をポケットにつっこんだポーズのまま、眉と目の間が狭い怖い顔をしていた。

「ったく、お前らは相変わらずだな。学校に用があったから、ついでにお前たちに挨拶あいさつでもと思って来てみれば……」

 この怖い顔の青年の名は灰島大和はいじまやまと。歳は23。

 大学卒業ほやほやな新社会人感はこの人には無く、若いのに大層な存在感がある。

 彼はこの高校のOBであり、浅草あさくさで働くあやかしたちの秩序を守る、浅草地下街あやかし労働組合の若きボスだ。

「組長、前はどうもありがとうね」

「前ってどれだ茨木? お前が牛鬼の工場をぶっ壊したやつか? お前が隅田すみだ川の河童かっぱの埋蔵金を掘り当てようとしてデカい穴を掘ったやつか? それともつい最近蕎麦そば屋でチンピラを半殺しにしたやつ?」

「全部よ全部」

 おどけた様な表情をして、色々誤摩化す。どれもこれも事実だから、否定のしようも無いしね。

「ったく、お前って奴はほんと、手加減ってものを知らねーよな。合羽橋かっぱばしの工場もそうだが、あそこまで壊し尽くす必要性があったのかどうか。おかげでうちの仕事が増えただろうが」

「あれでも手加減した方なのよ。私が本気で暴れたら、ぶっちゃけ浅草は業火の海に……」

「あーもう良いです。そういうのほんとやめてね」

 私の事情や力の事をよく知っている大和組長は、手のひらを前にかざして「洒落にならん」と青い顔。

 気の利く由理が、さっそくお茶を入れていた。我が部室には水もケトルも、由理が最近持って来た新茶の高級茶葉もあるからね。

「大和さん、粗茶ですが」

「ああ。……継見つぐみが入れたお茶は香りが違うな」

 組長は由理のお茶がお気に入りだ。

 一応これでお坊ちゃん育ちなので、お茶の善し悪しが分かるのだろう。

「大和さん。真紀がボコった牛鬼や、鎌倉かまくらのチンピラあやかしってどうなったんですか?」

 由理が入れたお茶をちびちび飲みつつ、組長は馨の質問に答える。

「牛鬼のやからは、隅田川を挟んだ墨田すみだ区にある牛嶋うしじま神社が引き取ってくれた。あの神社の神である牛御前様にこき使われつつ、更正って感じかな。ここでの正しい商売の仕方をたたき込んだら、それぞれ独立の道もある」

「へ〜牛嶋神社が引き取ったんだ。なら牛御前がビシバシやってくれるでしょうね」

 浅草近辺には、浅草寺せんそうじを始め数多くの寺社仏閣があり、浮世慣れした俗っぽい神様たちが住んでいる。また神社はちょっとした悪さをしたあやかしの更正の場として、このような時に協力してくれる事があるのだった。

「それと、蕎麦屋で暴れた鎌倉妖怪のチンピラ共は、国際こくさい通りに新規オープンした商業施設で働くことになった。経営者はあやかしだし、寮もあるしな」

「そう。仕事と居場所が見つかったみたいで良かったわ」

 真面目に働いて、ご飯を食べて、寝る場所さえあれば、あとは自分次第で道は切り開ける。浅草とはそう言う場所だ。

「で、大和さん。本題は何ですか? 報告だけしに来たって訳じゃないですよね」

「…………」

 由理の鋭い問いかけで、組長の目の色が変わった。

 組長はお茶して世間話をするほど暇ではない。

 灰島家が仕切る浅草のあやかし労働組合は、人間とあやかしの共存を目的に結成された、江戸えど時代より存在する大組織だ。

 浅草で商売をするあやかし、仕事を探しているあやかしはここに所属し、様々な支援を受ける代わりに、人間とのもめ事を起こす事は決して許されない。 

 浅草はこの労働組合があるため無法地帯ではないものの、この近隣には大江戸妖怪最大の派閥、ぬらりひょん九良利くらり組も存在し、緊張感のある地域だ。

 あやかし退治屋の組織“陰陽局”も目を光らせている為、あやかし関連の事件が起きれば、穏便かつ迅速な処理に追われ、大和組長は胃痛を起こす日々なのである。

 私たち三人は労働組合に属している訳ではないけれど、まあ“前世あやかし今人間”というちょっと複雑な立ち位置の為、組長とは昔から関わりがあり、持ちつ持たれつの関係にある。まあ要するに、かなりお世話になってきてるのよね。

「継見の言う通り、俺は別件で用があってここへ来た。だが学校じゃ詳しい話は出来ない。放課後……“浅草地下街”へ来てくれないか?」

 湯飲みを側の台において、意味深な笑みを浮かべた大和組長。

「あ、俺今日アルバイトなんで」

「僕はお稽古けいこが……」

 しかしうちの男子共の非協力的なことよ。ずるっと肩すかしを食らった組長に「お前たちもうちょっと俺を立てろよ!」と指を突きつけられつっこまれている。

 それでもうちの男子共、横目に見合って「えー」と。

「じゃ、じゃあ茨木。お前だけは拒否権無いからな。お前にも関係がある事だし」

「そうなの?」

「それに、お前のやらかした事を、今まで何回処理してきたと思っている」

 大和組長は私の肩をガシッとつかんで、あやかし顔負けの形相で迫る。ついでにどこから取り出したのか、高級菓子折りをチラつかせ、私を誘惑するのだ。

「ま、まあ私は別に良いけど。そこの男共みたいにリアルが充実してるわけじゃないし」

 お菓子につられて了承すると、馨がすかさず「あ、真紀が強制連行なら俺も行きます」と。こうなると由理も来ないわけにはいかず、やれやれポーズで「じゃあ僕も……」と。

 組長はあからさまにホッと胸をで下ろしていた。

「忙しい所悪いな。じゃあ、後ほど浅草地下街で」

 菓子折りを私に押し付け、部室を出て行く大和組長。

「…………」

 組長が部室を去った後の、数秒の沈黙。それを破ったのは由理の一言だった。

「大和さん、疲れてそうだったね。忙しいのかな」

「確かに。先日も少しやつれていたけど、それに拍車がかかった感じ」

 逃げ延びた鎌倉妖怪が大量に浅草にやってきていると聞くし、私たちの耳に入ってこないだけで、それ以外にも多くのあやかし関連の事件が起こっているのかも。

「……厄介な匂いがするな」

「でも大和さんの頼み事だったら、僕ら断れないしねえ」

 馨と由理は気がかりな事がありそうで、しきりにうなっているが、私はと言うとわくわく顔で、さっそく高級菓子折りの包み紙を破る。バリバリバリバリ。

「わあ、色とりどりのマカロンの詰め合わせ! 組長ってば顔に似合わず可愛いの持ってきてくれたじゃない」

「…………」

 じー……。なんか馨と由理の視線を感じる……視線が背中に刺さる……

 だけど気がついていないふりをして、マカロンを口一杯に頬張っていた。



 浅草地下街―――それは、日本最古の地下商店街。

 東武とうぶ線浅草駅の地下通路と繋がっている、ノスタルジー全開の古い商店街だ。

 配管むき出しの天井と、切れかかった薄暗い電灯、ひび割れたタイルの床……昭和を思い出させるレトロな看板が掲げられた店が続く。

 飲み屋が多いため、この時間は開いているお店とまだ開いていないお店があり、人通りはそれほど多くないが、ちらほら居るという程度。

 まあ、私たち学生がここを歩いていると、すれ違い様に不思議な目で見られるわね。

 この独特な雰囲気は、流石にレトロチックだからというだけでは説明できない。というのも、浅草地下街には、数多くのあやかしが紛れているのだ。

 商売をしているあやかしも、お客で訪れるあやかしも。

 なんせ、ここは浅草地下街あやかし労働組合の本拠地がある場所だもの。

「久々に来たけど、やっぱり雰囲気あるね」

「視線を感じる。あやかしも人間も混ざってんな……ここはやっぱり特殊だ」

「あ、ほらここ。組合への入り口の一つよ」

 由理、馨、そして私は、“居酒屋かずの”と書かれた看板を見つけ、立ち止まった。

 キョロキョロ辺りを見渡し、知り合いなど居ないか確かめてから、その居酒屋へと入る。

「…………」

 中は暗く、あちこちから煙草たばこの匂いが漂ってくる。

 すでに営業中で、この時間からお客もそこそこ入っているみたいだ。そのほとんどが“あやかし”ってのが、この居酒屋の特徴ね。

 一斉に視線がこちらに集まり、ひそひそとうわさされる声も耳に届く。

「おや? まあまあ大妖怪の皆さん、おそろいで。ここへ来るなんて珍しいね」

「あ、久しぶり、一乃かずのさん」

 カウンターの内側に居た、髪を結い上げたつやっぽい着物の女性が、私たちに気がつき笑いかけた。彼女は一乃さん。この居酒屋かずのの店主だ。それでいて……

「真紀ちゃん、相変わらずおめめがくりくりしてて、可愛いねえ」

 にょ〜と首が伸び、一乃さんの顔が私の真ん前までやってくる。

 彼女もまたあやかし。かつては、吉原よしわらのろくろ首大夫として名をせた有名な妖怪だ。

「一乃さんはずっと変わらず綺麗きれいよ」

「うふふ。その言葉をうちの大和坊ちゃんに言っとくれ」

 次に一乃さんは、馨と由理の顔の前まで首を伸ばした。

 色っぽい視線で、二人をめ回すように交互に見る。

「酒呑童子様は相変わらずの色男だこと。ぬえ様も嫉妬しっとしちゃう程美しいねえ……」

「は、はあ」

「二人ともあと十年したら、吉原出身のこのお姉さんが可愛がってあげるからね」

「…………」

 馨と由理は身の危険を感じたのかゴクリと生唾なまつばむ。でもなんかちょっとうれしそう。

「おいそこの妖怪ようかい若作り。高校生相手にセクハラはやめろ」

 大和組長のドスの利いた声が聞こえた。

 居酒屋の奥の扉から、ちょうど組長が出てきた所だった。

「誰が妖怪……若作りババアだって!?」

「ババアとまでは言ってない。だがお前の事だ一乃」

「もうっ。坊ちゃんは本当にデリカシーが無いね! 良い大人だってのに!」

 一乃さんはしゅるると首を縮め、いつも通り人の姿となってぽかぽか組長をたたいている。

 ぷんすか怒ってはいるけれど、一乃さんは組合に属し、灰島家の下で働くあやかしだ。

 かつてあった東京大空襲で行き場を失った彼女を、浅草地下街の労働組合が手を差し伸べ助けたとかで、彼女はその恩を忘れずずっとこの組織に忠誠を誓っている。

 大和組長の事は生まれた時から知っているらしく、いつも坊ちゃん坊ちゃんと呼んで可愛がっているのだった。

「さあこっちだ。ついてこい三匹の妖怪人間」

「ん? 組長今なんか悪口言った?」

「え? いや……流れでつい」

 真顔で大和組長の背中を取る私。とたんに組長は「すみませんすみません」と。

 休憩室っぽい奥の部屋の、壁に仕掛けられた隠し扉を組長のカードキーで開くと、更に下へと続く階段が現れた。

「おお……相変わらず大掛かりな仕掛けだな」

「浅草地下街にこんな秘密の場所があるなんて、誰も信じないだろうね」

「でもちょっとロマンを感じる」

 馨と由理は、階段を下りながら壁をこんこんと叩いて他の仕掛けを探したり、足踏みして階段の強度を確認したりしている。何かすごく楽しそうだなこの男子たち。

 下りたり曲がったり、隠し通路の扉を開いて通ったり、随分と入り組んだ場所まで進む。

 これだけ大掛かりな迷路を作った理由としては、やっぱりこの先にある場所が、浅草のあやかしと人間の関係の均衡を保っている中核だからだ。

 浅草地下街あやかし労働組合とは、味方となるあやかしや人間も多いが、邪魔だと感じる者たちも数多く存在する敵の多い組織である。

「さあ着いたぞ」

 やっと辿たどり着いたのは、割と普通の事務所っぽいドアの前。貼付けられたプレートに“浅草地下街あやかし労働組合本部”って書いている。

 中に入ると、黒いスーツにサングラス姿の男たちが数人居て、それぞれのデスクで働いていた。いやかなり普通の事務所だ。

 大和組長が戻ってきた事に気がつくとすぐに立ち上がり、「ご苦労様です、坊ちゃん!」と勢いのあるお辞儀をするのだった。いや……かなりあっち系の匂いのする流れだ。

「ここはやっぱりやくざの事務所っぽいな」

「おい天酒あまさけ。やくざの事務所とか言うな。至って真面目な組織だ」

 でもそれは由理も私も、ぶっちゃけみんなが思ってる事だから……


 大和組長は私たちを黒いソファに並んで座らせ、向かい側に座った。

 黒スーツの男が紅茶とケーキを持ってきて、目の前の机に並べる。

 美味おいしそうなビターチョコレートケーキだ。そしてダージリンの良い香り……

 目を輝かせ、出されたケーキをガツガツ食べていると、隣の馨が「太るぞ」とか余計な一言を。なので馨のケーキも食べてやった。

「あああああっ、お前! 人様のケーキを!」

「あんたがまるで手をつけないから、いらないのかと思ったわ」

「ふざけんなこの大食い遠慮無し女め〜〜っ」

「あんたのものは私のもの、私のものは私のもの」

「ふざけんなこの鬼嫁め。今すぐ離婚だ!」

 こんな場所でもヒートアップする、私と馨の痴話喧嘩げんか

「おい、そこの鬼夫婦。痴話喧嘩なら後でやれ。見せつけてくれるな!」

 話を始められない大和組長はイラッとしているし、由理はと言うと自分のケーキに被害が無いように、しっかり守っている。

 私と馨はにらみ合いながらも、お互いふんとそっぽを向いて、やっと大人しくなった。

「じゃあ本題に入るぞ。これを見ろ」

 組長は胸ポケットをあさり、取り出した一枚の紙を目の前のテーブルに広げた。

 それは、赤ペンで星マークの印が入った浅草周辺の地図だった。

「何これ。浅草に眠るお宝の地図?」

「違う。6月のの日に行われる、大江戸妖怪たちの百鬼夜行の開催場所だ」

「ああ……あのあやかしたちが集まって情報交換する、ただの出会い系パーティー」

 馨は現代の百鬼夜行をそのように言い表した。

 百鬼夜行と言うのは、あやかしたちが深夜に大行進をする事象であるが、現代では百鬼夜行を行える場所は、大妖怪が管理する“狭間”というちょっとした特殊な裏空間だけに限られている。

 というのも、眠らない現代社会の街中で、夜な夜な百鬼夜行なんて行うと、人との衝突に繋がりやすく、大事件が勃発ぼっぱつしやすい。交通事故が起きてあやかしも危ないしね。

 それでもあやかしたちは、百鬼夜行を定期的に催している。

 それはかつての様な大行列の行進ではなく、百鬼夜行専用の提灯ちょうちんを持って“狭間”に集い、飲み食いをして様々な土地のあやかしたちと交流する、大規模な宴会だ。

 この百鬼夜行にて商売仲間を見つけたり結婚相手が見つかったりする事もあるらしく、人間界で居場所を失いやすいあやかしたちの、一種の出会いの場なのだった。

「今回の百鬼夜行は、なんと浅草最大の“狭間”、浅草六区ろっくから入る “裏凌雲閣うらりょううんかく”で行われる。この百鬼夜行には俺も参加しなければならない」

「組長、人間なのに百鬼夜行に行くの?」

「今回は開催地が浅草だからな。主催側が、大江戸妖怪最大の派閥“ぬらりひょん九良利組”という事もあって、お呼ばれを無視する訳にもいかない」

「ぬらりひょん……」

 そう言えば、以前狸の蕎麦そば屋でぬらりひょんの大御所を助けた事があったっけ。その繋がりかしら。

「それに、少し気がかりもある」

「気がかりって……もしかして、鎌倉妖怪の件ですか」

 馨の問いかけに、大和組長はピクリとまゆを動かして、「ああ」とうなずく。

「牛鬼も、あのチンピラ二人組も、鎌倉妖怪だったっけ」

「ああ。実のところ鎌倉妖怪は約2ヶ月ほど前、陰陽局おんみょうきょくと衝突し大規模な粛清に遭っている。その時、数多くのあやかしが捕われ、またその住処すみかを追われたんだ」

 陰陽局とは、平安時代より名を変え日本に存在する、退魔師の組織だ。

 日本に数々あるあやかし退治を家業としている名門一族や、フリーの退魔師、陰陽師などが加盟している。

 人間に害がありそうなあやかしを問答無用で退治する、そんなやからばかりの組織だ……

「というのも、鎌倉妖怪の“魔淵組まぶちぐみ”という一派が、人間に対して違法な商売をしていたらしくてな」

「……違法な商売?」

 由理がスッと目を細め、端的に聞き返す。大和組長は側に居たサングラスの男に合図をすると、サングラスの男は木の小箱をテーブルに置いた。

「これを見ろ」

「…………」

 なんか、小分けにされた袋に乾燥した粉々の葉っぱが入っている。

「これ何?」

「やばいな。場所も場所だし、いけない薬をやくざに売りつけられてる気分だ……」

「絶対に手を出しちゃダメだよ二人とも」

 私と馨と由理が、いけない雰囲気漂うブツを前にひとしきりザワついていると、組長が

慌てて「薬じゃねーしやくざでもねーよ!」とドスの利いた声で否定した。

「これは、鎌倉妖怪たちが主力商品として製造していた 高級な“妖煙草たばこ”だ。鎌倉妖怪たちは、あやかし専用の強い妖気の混ざった嗜好品しこうひんを数多く扱っていた。煙草や酒なんかだな。問題は……それをひそかに、人間にも売っていた事だ」

「……人間に? それって確か、戦後禁止された商売じゃなかったかしら。特に煙草」

「ああ。妖煙草はあやかしに無害でも、妖気に耐性の無い人間には影響が強すぎるからな。今回、この手の煙草を手に入れた人間たちが、妖気に毒され意識不明になったり、中毒症状に苦しんだり、死にかけた奴も居た。表向きはヤク中的な扱いで処理される訳だが、裏では陰陽局が動いた訳だ」

「なるほどな。そりゃ、あやかしを悪と見なしている陰陽局の連中に目を付けられる訳だ」

「ああ、これに関しては、金に目のくらんだ鎌倉妖怪共の自業自得としか言えない。しかしまあ、鎌倉妖怪が不幸だったのは、それを事前に取り締まる、うちの様な労働組合も無かった所だな。確か鎌倉の労働組合は十年前に破産したんだったか……」

 組長は続けて、あやかしの生み出した“妖的”な品物が、人間界に渡る事は度々あるという話をした。

 骨董品や書物など、古い時代のものは特に多く、世間一般的に、それはいわく付きの品物という扱いを受ける。

 現代では労働組合や陰陽局が回収してまわり、管理しているらしい。なんせ、人間たちやこの社会に悪影響を及ぼしかねないからね。人間というものは、この手の品物に魅せられやすいと聞く。

 これらは、あやかし側が悪意無く売ってしまったものだったり、悪意をもってわざと人間たちに流したものだったりするが、結局の所、人間に害を与えてしまったあやかし、また人間に害を与えかねない商売をしたあやかしは、人間の敵として処分の対象となる。

 こういう時に、政府御用達ごようたしの陰陽局が動き、内々に処理するのだった。

「で、問題はここからだ。人間に売った方が金になるからと言って、魔淵組の鎌倉妖怪たちは、ある大江戸妖怪ようかい一派からの注文を断り続けていた。それが、今回の百鬼夜行の主催である、ぬらりひょん九良利組だ」

「うそ。すごい度胸ね。大江戸妖怪最大派閥の注文を断るなんて……」

 でも、それはあやかしの力というものの影響力が下がってきた証拠でもある。

 結局、人間に対して商売をした方が稼げるのは、その通りだから。

「どうにも魔淵組の連中は、この手の商売がバレた理由を、九良利組が腹いせに陰陽局に密告したせいだと考えている様だ。そのせいで、夜な夜な双方のあやかしの抗争が耐えなくてな。浅草が巻き込まれたらたまらん。俺たちも徹夜して頑張ってんだ」

「それで組長、目の下のクマがすごいのね」

「ああ……まあそう言う事だな」

 組長は頷きつつ、あくびをしていた。本当にお疲れのご様子だ。

「何かを見落として、浅草でヤバい事件でも起きてみろ。今度はここが陰陽局の連中に目を付けられてしまう。それは大変まずい。せっかく長い時間を費やして、あやかしにとって平和な場所にしたってのに。そもそも人のシマで好き勝手されるのは気に入らねえ」

「……人のシマって」

 いかにもやくざっぽい言い回しはさておき、確かに浅草は、東京で最も人間とあやかしの関係が深い土地だ。もし大きな問題が起こったら、正義面した陰陽局の退魔師のお出ましとなり、それこそ鎌倉の様に、浅草のあやかしたちが居場所を追われる可能性がある。

「そこで、まあ頼みというか、相談がある」

 組長が改まって、前のめりになり何故か小声になったので、私たちはつい……

「ま、まさか、やっぱり煙草を買えと……っ!?」

「違うっ! 百鬼夜行についてだ! ……おい矢加部やかべこれを引き下げろ。こいつらには少し刺激が強すぎたみたいだ」

 サングラス男の矢加部さんが、組長に言われた通り箱に入った例のブツを引き下げる。

「お前たち……というか、主に茨木」

「ん?」

 追加で出された揚げ饅頭まんじゅうかじった姿のまま、名を呼ばれ目をぱちくりさせた。

「実は今回の百鬼夜行、お前にも招待状が届いている。しかもVIP扱いだぞ」

「百鬼夜行に招待……しかもVIP?」

 はて、どういう事だろう。組長は私に、綺麗きれいな和紙の封筒を手渡した。

 それを受け取って、宙に掲げる。サングラス男の矢加部さんがハサミをそっと差し出してくれたので、受け取って封筒を開け、手紙を取り出した。すると、何も書かれていない紙の表に、ジワジワと文字が浮かび上がって招待状の文面が現れる。

「おいマジかよ……確かに真紀を招待しているな」

「真紀ちゃん、大江戸妖怪の偉いあやかしと関わりあったっけ」

「んー……あ。もしかして、丹々屋たんたやで出会った、あのぬらりひょんのおじいさんかしら」

 思い当たるのは、あのおじいさんしか居ない。鎌倉妖怪のチンピラたちが暴れても、ひたすら鴨せいろを食べ続けていた、あのおじいさんしか。

 ぬらりひょんだと分かったのは、最後の最後だったけれど……

「その通り。前にも言ったろ。あの方は大江戸妖怪最大のあやかし一派、ぬらりひょん九良利組のご隠居様だ。茨木の事を随分と気に入ったみたいで、ぜひ百鬼夜行に招待したいとの事だ。俺としても、茨木に参加してもらえれば助かる。タダで美味うまい飯が食えるぞ」

「……タダで美味い飯。悪く無いわね」

 私は美味い飯というフレーズにすっかり翻弄ほんろうされているが、馨と由理は「んん?」といういぶかしげな顔をしている。普段は百鬼夜行などというあやかしにまみれた集会に興味を示さない馨が、困惑した様子で大和組長に物申した。

「大和さん、真紀だけ行かせるのは少し……いやかなり問題ありかと」

「私、まだちゃんと行くとは言ってないけど……まあ行くけど」

「安心しろ。天酒と継見も、参加できるように手配している。まあ、参加する気があるのなら、という所だがな」

「……なら、僕は参加します」

「ん……?」

 驚いた事に、最初に参加の意を示したのは、今の今まで黙っていた由理だった。

 馨が後から「じゃ、じゃあ俺も」と、いまいち決まらない返事をすることになる。

 いつもなら、私や馨の様子を見て、やれやれな感じで由理が付き合うのがお決まりの流れだったのに……

 由理はわずかに視線を落とし、何か特別言う事もなく、上品にお茶をすすっていた。

「お前たちが来てくれるのなら、俺も心強い。外部の大妖怪たちの化かし合い大会に行くのは、毎度のごとく胃痛がしてくるからな」

「組長、なんか胃を痛めてばかりでかわいそうね」

「心にも無い事を言いやがって、茨木。まあ今回は鎌倉妖怪の件もあって、九良利組とは協力体制を築きたいという狙いもある。正直俺の様な人間の若造が居るより、お前たちの方が存在感も影響力もあるだろう。俺は術師の家の生まれとは言え、霊力はお前たちより圧倒的に低いしな」

 組長はふっと苦笑し、肩をすくめてため息をついた。

「いや何、あまり深く考えるな。なんかヤバいと思ったら、俺の事はかまわずすたこら逃げてくれて良いからな。俺だって……本当は、ただの人間であるお前たちを、この手の事に巻き込みたくは無いと思ってるんだぞ」

「……組長?」

「たとえ前世が大妖怪だろうが、お前たちはもう、ただの人間だ。家族だっているし、学校もある。あやかしと関わらなければならない家業って訳でもない。それなら……できるだけあやかしと関わらずに生きていきたいと思うのは当然だろうな」

 大和組長は私たちの事情を知っている、数少ない人間だ。

 小さな頃からこの家業に縛られている者として、私たちの存在や考え方には、色々と思う所があるのだろう。怖い顔をしているけれど、この若者が背負っているものは、今の私たちよりずっと大きなものだ。

 なんせ、浅草で商売をするあやかしたちの未来を左右する、大きな要の役割なのだから。

「と言う訳で……」

 帰り際に、組長は私たちにそれぞれ小さな風呂敷を手渡した。

「はいこれ、賄賂……いや違うお供え物? いやいやただの土産のバームクーヘンだ。百鬼夜行ではよろしく頼むぜ大妖怪様方〜ははは」

 組長、私たちの肩をポンポン、と。これでもう、この件からは逃げられないみたいだ。

 


 浅草地下街を出て、私と馨、そして由理の三人で、夕暮れ時の雷門かみなりもん通りを歩いていた。

「組長は好きよ。人間にしちゃあ、なかなか見所のある男だわ……あやかしの事をいつも考えているし、それに毎度お土産をくれるし」

「ほお。なら大和さんのところに嫁入りするといいぞ」

「そんな、組長がかわいそうだわ!」

「真紀ちゃんって……一応自覚はあるんだね。何とは言わないけど」

「そして俺はかわいそうでも良いんだな。哀れだ」

 由理は苦笑いしているし、馨はため息をつきつつ肩からずり落ちたかばんをかけ直す。

 失礼な男共め。

「確かに、大和さんは普通の人間でまだ若いのに、大きな組織を背負っている。今の僕らよりずっと大変だろうね。あやかしと人間のバランスを取ると言うのは……」

「……由理?」

 由理はふとそんな事を言って、憂いを帯びた視線を上げた。

 その時にはもう、いつものさわやかな笑顔になっている。

「じゃあ僕ここで。明日、また学校でね」

「お、おう……」

「うん、また明日ね、由理」

 途中で、方向の違う由理と別れて、私と馨は、共に浅草ひさご通りにあるあのオンボロアパートへと帰った。

 少しの間、無言で人ごみを歩いていたのだけど、私は途中で立ち止まり、馨に尋ねた。

「ねえ馨、組長の依頼……引き受けるの嫌だった?」

「んー……別に」

「そう? でもなんか、さっきから顔つきが険しいっていうか。由理も何か変だったし」

「そりゃあ、心配が一つも無い訳じゃないが」

 馨もまた立ち止まって、私の方を振り返る。

「まあでも仕方が無い。お前が断れば大和さんの立場にも影響が出るしな。それに由理が引き受けたんだから、俺が文句を言う訳にもいかない」

「……確かに、由理がこの手の話を、自分から引き受けるのは少し珍しいものね」

「多分あいつは、大和さんに昔の自分を重ねてしまってるんだろうよ」

「…………」

 人間とあやかし……

 その間に立ってバランスを取っていた、千年前のぬえというあやかしの事を思い出す。

 確かにその姿は、今の大和組長と重なる点が多い。由理は組長を見る度に、かつての自分を思い出すのだろう。そして、その末路も。

 どちらに偏る事も出来ないと言うのは、孤独だ。だけど、こういう立場の者が居なければ成り立たない秩序というものがある。

 由理は、そう言った前世のしがらみや苦悩を、今でも思い出す事があるのかな……

「ねえ馨……馨は、前世の夢って見る事ある?」

「は? なんだいきなり」

 ふと、私は昨日見た夢を思い出し、馨に問いかけた。ちょうど、馨や由理もそういう夢を見る事があるのかなって、考えていたのよね。

「……見ない事は無い。だが、別に大した事じゃない」

「そう。あんたの事だから、毎夜悪夢を見てうなされてるんじゃないかなって思ってたのに」

「それほど前世にこだわりは無い。引きずるつもりも無い。お前や由理とは違ってな」

「…………」

 馨には、私や由理が、前世にこだわっている様に見えるのか。

 まあその通りなのかもしれないけれど……でも私には、馨がそうじゃないとは思えないのよね。

「ねえ馨、今日の晩ご飯、何食べたい?」

「何だ、もう飯の話か? 切り替え早すぎないか? 驚いたぞ」

「何食べたいって聞いといてあれなんだけど、実は今家計が火の車なの。馨もバイト代が入る前だし。だから今夜は質素な食事になりそうよ」

「……マジか。少し食費足そうか?」

「大丈夫よ。妻としては決まった食費であと二日を切り抜けたいと思ってるわ。だから三択ね。一、もやし鍋。二、もやしと卵のとん平焼き。三、もやしとサバ缶の炒め物」

「もやし様様だな……」

「もやしなら激安で大量に食べられるからね。私のお腹を満たすには、もやしに頼るしかないのよ」

「……じゃあ、もやしとサバ缶の炒め物で。俺、サバ缶好きだし」

「サバ缶って保存食にもなるし、安売りしている時に買っといて良かったわ。後は……ちょっとずつ残ってる野菜と乾燥わかめでお味噌汁作って……馨がバイト先からもらってきた大根とごぼうのお漬物もあるし……あ、そう言えば組長がくれた高級バームもある! うーん、でも馨も私も食べ盛りの高校生。あと一品は欲しい所よね」

 特に私は、これではたない。肉が……足りない!

 馨はそんな私の複雑な乙女心(?)を簡単に見抜いていた。

「じゃあ、そこの肉屋で唐揚げでも買って帰ろう」

「え? でも……そりゃ食べたいけど、余裕無いもの」

「これは純然たる、俺のおごりに過ぎないから気にするな……」

「ほんと!? 馨はほんと最高の夫ね! バイト代が入る前なのに、自分のお小遣いから唐揚げを買ってくれるなんて」

 なんて甲斐甲斐かいがいしい奴……っ。私は指を組んで、ひとみを潤ませ馨を見上げるも、馨はなんとも言えない「何か腹立つな」と言いたげな表情だ。

「いつもお土産を買って行ってるだろうが。これは俺にとって習慣の様なものであり、誰かさんの洗脳による賜物だ」

「またそんなひねくれた事を言って。じゃあ、将来あんたがサラリーマンになって、ひと月のお小遣いが二万以下になっても、我が家に何かお土産を買ってきてね」

「…………え?」

 と言う事で、今夜は高校生らしからぬ地味な貧乏飯に、馨のおごりの唐揚げ。食後には高級バームクーヘンでほっこり、という奇妙な晩餐ばんさんとなった。

 結果そんなに貧乏飯ではない気もするし、何より馨と一緒の夕飯は、それだけで安心感があって幸せだもの。

 でも本当の修羅場は明日かも……

 食費を入れたがま口財布の、たった一枚の五百円玉を見て、私は明日の夕食をどうしようかと眉をひそめたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る