第四話 狸の蕎麦屋でアルバイト

 ある休日の午前中の事。

 私はベランダで布団を干し、これでもかというくらい布団タタキで布団を叩き付けていた。


「姐さん、茨木いばらきの姐さん」


 隣のベランダからこちらに顔をのぞかせたのは、外ハネの茶髪で今時の風貌ふうぼうをした、たれ目の男だった。


「チャラ男、あんたなに女子高生のベランダのぞき見してんのよ」


「だって姐さん、呼び鈴鳴らしても出てくれないじゃん」


「ああ、あれあんただったの風太ふうた。新聞の勧誘かと思ってたわ」


 チャラ男こと田沼たぬま風太。このアパートのお隣に住む大学生だ。

 風太はへらへらっと笑って「そっち行って良い?」と聞いてくる。

 私の返事を待たずして、どこからともなく取り出した葉っぱを頭にのせポワンと煙を立てて……淡い茶色の毛玉、豆狸の姿になる。


「相変わらず見事な毛玉っぷりね」


「しょっちゅう美容院に行ってるし、トリートメントしてるし、毛並みは綺麗きれいだよ」


「今時の狸って美容院でトリートメントするの? 私だってしてないのに」


「姐さんは男前だけど、もう少し女子力身につけた方が良いよ」


「おだまり狸」


 生意気な狸姿の風太は、たぬたぬ足音を鳴らしベランダの手すりを渡ってきた。

 風太は“豆狸”というあやかしだ。小さな頃から人間に化けて、人間の社会の中で生きてきた今時の妖怪ようかいでもある。

 かつて狸系のあやかしは、間抜けで逃げ腰で、プライドの無い低級妖怪と笑われていたが、時代が進めば進む程、狸の人への順応力が際立ち、今じゃ勝ち組あやかしの一角を担っている。

 浅草あさくさで店を構え、なおかつ繁盛しているあやかしに狸は多いのよね。


「俺、姐さんにちょっと頼みがあるんだ」


「なに? また大学のガールフレンドと喧嘩けんかでもしたの?」


「いや……あの子とはもう別れたよ。ヘタレで無神経な俺に嫌気がさしたって」


「うん、分かる」


「いや、そういうヘコみそうな話をしに来た訳じゃないよ!」


 毛玉は毛を逆立てて息巻いた。

 その度に毛が抜けて私の布団にまとわりつくので、ばんばんばんと布団たたきで払う。


「姐さん、うちの家業知ってるでしょう?」


観音かんのん通り商店街にある、老舗しにせのお蕎麦そば屋さんでしょう? それがどうかしたの?」


「もし暇ならうちでアルバイトしない? 短期でも良いからさあ」


「私は主婦業と女子高生業を兼業していて忙しいのよ。自分で言うのもなんだけどスーパーウーマンなの」


「そこを頼むよ茨木の姐さん。うち今やっかいなお客さんも来るし大変なんだ。これから観光客も多くなるって言うのにさあ」


「……やっかいな客?」


 布団たたきを叩き付けるのをピタリとやめて、顔をしかめた。


「ここ最近、浅草にガラの悪い奴らがいっぱい来てる。あいつら鎌倉かまくらのあやかしだ。困った事に、古くから浅草に店を構えている俺たちみたいなのに目をつけて、いちゃもんつけて暴力を振るうんだ。モンスタークレーマーならぬ、あやかしクレーマーだよ」


「あやかしクレーマー……。でもあやかしも和製モンスターだし、モンスタークレーマーで良くない?」


「ああっ、そういうこと言わないでよ。せっかく上手いこと言ってやったと思ってるのに」


 風太が上手い事言ったかどうかは置いておいて、話は少し気になる。

 鎌倉あやかしと言えば、確かあの合羽橋かっぱばし手鞠河童てまりかっぱをこき使っていた牛鬼もそうだった。

 鎌倉から追われたあやかしたちが、浅草に来てる……?


「そう、分かったわ。そういう話なら、アルバイトをしても良いわよ」


「ほんと!? 良かった〜、姐さんが居てくれたら一安心だ。奴らをこてんぱんにしてくれ。狸は勝ち組とか言われるけど、いざ強いチンピラあやかしがやってくると、すげー弱いからさ。化ける事は得意だけど、戦闘力は低いから」


「この時代、個々の戦闘力なんてそうたいした意味を持たないわよ。私はすごく強いけど、これがこの先、就職に役立つとは思えないし」


 先日、学校から配られた進路調査があるんだけど、ここずっと頭を悩ませている。

 これで普通の高校生のように進路に悩んだりしているのよ、私は。


「警察とかになれば? 悪い奴いっぱいとっちめられるよ。姐さんのモットーは勧善懲悪でしょう?」


「まあ元悪役だけどね……」


 自分が警察官になった姿を想像し、うーん、どうなんだろうと思った。


「私チビだから無理じゃない?」


「その異常なまでの戦闘力を示せれば十分な気もするけどね……。いっそレスラーにでもなったら? 姐さんなら頂点に立てるよ」


「あんたそれ本気で言ってんの? 本気ならそのつやっつやの毛をむしるわよ」


「ああ、やめてー」


 風太は再び手すりを渡って、急ぎ足で自分の部屋のベランダに戻った。

 逃げ足の速い狸め……もう人間の姿に戻ってるし。


「じゃあ、明日から来てね。詳細はメールするから」


「……了解よ」


 風太はヘラッと笑って、「じゃあね〜」とチャラい雰囲気を振りまいて部屋に入ってしまう。

 私も部屋に戻って、美味おいしいおかきをぽりぽり食べながら、取り溜めていた昼ドラの続きを観始めたのだった。

 ドロドロした不倫もののたぐいは、かおるがあんまり好きじゃないから、奴が居ない時にいつも一人で観ている。



 ちょうど夕食を作っていた時、馨がアルバイト先から私のボロアパートへ戻ってきた。

 今日のお土産は、私が昨日頼んでおいた雷おこしだ。これは食後、馨と一緒に海外ドラマを見ながらぽりぽり食べる用。

 あと自分で勝手に買ってきたらしい、0カロリーのコーラの缶数本。


「今日の夕食はブリの照り焼きと豚汁よ。あとほうれん草のおひたし」


「お、いいじゃん……」


 馨はバイト帰りで少しお疲れだ。部屋に入ると、んーと背伸びをして、冷蔵庫を開けて冷えたコーラの缶と、買ってきた缶を入れ替えた。

 冷えた方を開けて、ごくごく飲む。

 まるで、サラリーマンが帰宅後まっさきにビールを飲んでいるかのような風貌……


「ねえ馨、さっき隣の風太とベランダで話してたんだけど」


「豆狸の田沼さんとこの?」


「うん。あの子のうち、観音通りのお蕎麦屋さんじゃない。明日からアルバイトに来ないかって言われたの。良い?」


「そりゃ……あそこはもう長いこと人間として生きてるあやかし一家だし、普通のバイトと変わらないだろうし、良いけど……」


 私がわざわざ了解を得ている所に首を傾げている馨。相変わらずの警戒心ね。


「ねえ聞いてよ馨。風太ったら狸のくせに美容室でトリートメントしてるのよ! 寝てる時も人間に化けてるって言ってたし、狸でいる時間の方が少なそうよね」


「だからこそ、狸は人間社会で一番やっていけるあやかしになったんだろ。他のあやかしは、やっぱりあやかしであるプライドを捨てきれないからな……」


 確かにそうかもしれないわね。基本へこへこしてて腰が低いし、狸って。

 馨と一緒に、台所と居間を行き来し夕飯を運ぶ。

 今日の夕飯も、いかにも家庭のご飯と言う感じだけれど、馨はこういうのを好むし、私も基本的に和食が好き。

 今日はなんとなく魚屋を見ていて食べたくなったブリ。現代って、旬の魚で無くても、養殖とかでいつでも何でも食べられるから、凄いわよね。

 分厚いブリの照り焼きは、脂の良く乗った、甘辛くてほくほくの身がたまらない。


「あ、あとこれ……今月の飯代」


 馨が思い出したように、卓袱台ちゃぶだいの横に封筒を置いた。

 私たちは寝る時以外はほぼ共同生活をしているようなものなので、主に料理を私が作っている。だから馨が、毎月バイト代から食費を半分出してくれるのだ。

 一緒にご飯を食べた方が絶対に無駄が無いし、栄養も偏らないからね。馨も家でご飯を作ってもらえないし、買い弁ばかりになるより、この方がずっと良いみたいだ。

 ただ、私は馨が無茶をしないように、出来るだけ食費を抑えて、二人分の食事を作るようにしている。


「ねえ馨、いつも自宅に帰んなきゃいけないのって正直面倒じゃない? いっそこのボロアパートで一人暮らしすれば良いのに」


「高校生のアルバイト代ごときで、そこまで出来ねえよ」


「……親御さんに頼めないの? あの人たち、いつも馨をほったらかしにしてるじゃない」


 唇を尖らせると、馨はふっと鼻で笑った。


「どうせ大学生になったら家を出る。それまでの辛抱しんぼうだ」


「…………」


 豚汁をすすって「あー染みる」とジジくさい事を言って。

 馨が家を出られない理由は、高校生と言う事だったり、金銭面の問題も確かにあるけれど、私はそれが一番の理由ではないと知っている。

 なんだかんだと言って、馨はまだ家族を捨てきれないのだ。

 どんなにろくでなしの親だって。



 翌日の放課後、私は仲見世なかみせ通りと平行して存在するアーケードの商店街“観音通り商店街”の蕎麦そば屋“丹々屋たんたや”にやってきた。

 浅草と言えば、蕎麦。

 江戸風情の漂う浅草という街は、言わずと知れた蕎麦スポットで、老舗しにせ蕎麦屋がとにかく集中している。

 丹々屋もそんな老舗の一つであり、のど越しの良いお蕎麦が特徴だ。

 特に大きなエビ天が二本のっかった天ぷら蕎麦は絶品で、私も時々食べたくて仕方が無い時がある……

 他にも、山かけ蕎麦やかき揚げ蕎麦、肉蕎麦も人気。あとお蕎麦じゃないけど、甘辛いタレがたっぷり染み込んだ天ぷらが盛りだくさんの、特上天丼も素晴らしい。

 お昼時はいつも人が並んでいるのだけれど、今はちょうど暇な時間帯だったのか、お客もちらほらと言った所だ。

 有名人もよく訪れる店でもあり、壁に沢山のサインや来店時の写真が貼られている。

 また宝物のように飾られている、某野球選手のサイン入りバットもあって、狸でも人間のヒーローにあこがれたりするんだなあ、と思ったりした。


「おお、真紀まきちゃん! よく来てくれたね」


 カウンターの内側から顔をのぞかせた、板前法被はっぴ姿の大将、大柄な男だ。名を田沼泰三たいぞうと言う。大将の狸姿はここ数年見ていない。

 またすぐ側に、同じ格好をしたアルバイト中の風太も居た。

 そもそもなぜ風太が一人暮らしをしているかというと、田沼家は兄弟が多く、蕎麦屋の二階の自宅で、皆して暮らすのが厳しくなったからだ……と言ってたっけ。

 あと泰三さんの教育方針として、大学生になったら自立できるようにと、一人暮らしをさせることが多いらしい。


「うちの兄弟はどいつもこいつも、やれサークル、やれ恋人とのデートで忙しくしてて、誰も家業を手伝ってくれねえ。真紀ちゃんがアルバイトしてくれるってんなら、時給を基本より30円上乗せするぞ」

「安いわね。50円上乗せでどう?」


「……おう、流石は茨木の姐さんだ。横暴な所は相変わらずで」


 風太は父親である泰三の小脇をつついて「言う通りにした方が良いよ」と言った。


「田沼家の祖先である田沼丹太郎たんたろうは、古い時代、酒呑童子しゅてんどうじ様と茨木童子様にお仕えした名誉ある狸だ。我が一族がここで暮らせるのも、全てはお二方のおかげだと俺のひいじいちゃんも言っていた。茨木童子様の生まれ変わりである真紀ちゃんの要望にはこたえなければな……祖先にたたられちまうよ」


 そうは言いつつも、大将は涙目だった。でも時給が50円アップ。

 私はおばちゃんくさい従業員用のエプロンと三角巾さんかくきんを借りて身につけ、いよいよ蕎麦屋のアルバイターとして働く事となった。

 前に一度お手伝いした事があるから、ある程度勝手は分かっているけどね。


「お……美味しそうなエビ天のお蕎麦……」


「お客様の食べちゃダメだからねっ!」


 こいつならやりかねない、と思われているのか、風太は常に目を光らせていた。

 夕飯時になりしばらく忙しかったが、酔っぱらいや慌ただしい観光客、クレーマーにもものともせずせかせか働く。

 一度集中すればロボットのごとく働けるのだが、疲れはずっとたまっているので、これは家に帰った時に馨に肩でもませましょう……なんて、考えていた時だった。


「おい! 待ちってどういう事だこら!」


「俺たちは常連だぞ、三日前も来ただろうが、あぁん?」


「そ、そうは言いましても、ただいま満席でしてー」


 なんか、見るからにガラの悪いチンピラが二人やってきた。相手をしている風太はチラチラ私を見て、「こいつらだよ」と口ぱくで知らせてくれた。

 ははーん、なるほど。これがあやかしクレーマーか。

 片方は人相の悪い、スキンヘッドの太った男で、片耳が無い。

 もう片方はガリガリにせていて、灰色の髪をしていて、つり目で出っ歯。

 やくざみたいな派手なシャツを着て、猫背で、サングラスをかけている。典型的な風貌ふうぼうだが、何かがすごくダサい。

 でも、そこそこ嫌な妖気ようきまとっている……

 低級ではなく中級レベルのあやかしね。

 二人は店先につばを吐き、すぐそこに居たサラリーマンの眼鏡のおっさん二人を無理やり席からどかして、自分たちが居座った。

 このヤバい空気の中、お客は食べるのを途中でやめて、お勘定をその場に置いてそそくさと出て行くのだ。

 でも、奥の席に居たよぼよぼのおじいさんだけが、逃げられずにいるのかこの騒動に気がついていないのか、静かに蕎麦を啜っている。

 このおじいさん、わずかに妖気を感じる。常連のあやかし……?

 それにしても、確かにこれは半端ない営業妨害ね。

 モンスタークレーマーならぬあやかしクレーマー。迷惑甚だしいわ。


「お客さん困るよ。もう来るなって言っただろ」


 まずは大将が怖い面をして、でも自慢のエビ天蕎麦を持って出て行った。


「はっ、浅草なんてダセー下町の蕎麦なんて食えるかよ!」


 チンピラのガリガリの方が、大将の持って行ったエビ天蕎麦をひっくり返し、それが大将にかかる。

 大将は蕎麦まみれになっているが、怒りを抑え、必死に何かを我慢し、それを片付け始めた。

 我慢強さは狸の得意技だ。しかしそれを知っているチンピラ共は、調子に乗り始める。


「こんな店さっさと潰した方がいいぜ。客もいねーしな」

「そうだそうだ。そしたら俺たちが鎌倉流のいかしたオシャレな店に変えてやるよ」


 デカい方が片付けをしている大将を思い切り飛ばした。

 その拍子に、大将は黒茶の毛玉、もとい豆狸の姿に戻ってしまう。

 風太が「お、親父〜っ!」と大将に駆け寄り、涙目ながら、勇気を振り絞って文句を言った。


「お、おおお、お前たちっ、ただこの“場所”が欲しいだけだろっ」


「けけけ」


 悪びれた様子も無く嘲笑ちょうしょうし、「そーいうことー」とドロンと煙を立て、あやかし姿をあらわにする二人組。

 へえ。デカい方は、片耳豚かたきらうわというあやかし。ガリガリの方は、旧鼠きゅうそというあやかしだ。もう豚面と鼠男で良いと思う。

 風太に殴り掛かろうとした豚面。

 風太はけもせず目をぎゅっとつぶっていたが、私はそんな豚面の手首をつかんで、風太の目前で止めた。

 片手に、某有名野球選手のサイン入りバットを持ったまま。


「な、なんだこの女……人間??」


 今の今まで奥にいたものだから、いきなりそばに現れた私に、豚面はかなり驚いている。

 じっと見上げる私の視線を前に、動けずに居るのだ。


「あんた……さっき何か、面白い事を言ってたみたいだけど」


「……は?」


 私は愛らしくニコリと微笑みつつ、ぎゅーっと、腕を掴む手に力を込めた。


「いたたたたたたたたた」


 豚面が悲鳴を上げる。


「てめーこの! やぼったい蕎麦屋のくせに!」


 鼠男の方が、カウンターに並んでいた食べかけの蕎麦の丼を、私に向かって投げつけた。


「危ない姐さん!」


「風太!?」


 風太が私をかばって前に飛び出したおかげで、丼が風太の顔面にぶつかり、そのまま化けの皮ががれ、ポンと豆狸の姿に戻ってしまう。蕎麦の丼をひっかぶったまま。


「じじい、てめーもだ!」


 鼠男は次に、蕎麦をすすっている老人に丼を投げつけようと構えたもんだから、私は豚面から手を離し、老人の前に立ちバットを振り、勢い良く丼を打ち返した。

 丼は一度天井にぶつかり、割れて飛散した。

 あ、お汁が少しおじいさんにかかっちゃった。


「ごめんなさいね、おじいさん」


「……いいよいいよ。強いんだねえお嬢ちゃん」


「まあちょっとね」


 おじいさんはニヤアと笑った。この状況でも、まるで動じる事も無い……


「チッ、何なんだよてめえは!」


「まさか人間の退魔師か!?」


 豚面は腕を押さえて起き上がり、鼠男は私を退魔師と勘違いしている。


「まさか俺たちの鎌倉なわばりをぶっ潰した退魔師の仲間じゃねーだろうな!?」


「ぶっ殺してやる! 仲間たちの敵討ちだ!」


 そして勘違いが行き過ぎて、覚えの無い因縁をつけられる始末。メラメラと妖気という名の闘気を燃やし、こぶしを鳴らしたり爪を光らせたりしている。

 髪が乱れてしまったので、結い上げていたシュシュを外し、緩く長い赤みがかった髪を払う。

 途端に漏れたのは、霊力か……殺気か。


「ん? 今から私のバッティングに付き合いたいって?」


「…………あ……いや……」


 息巻いていたチンピラ二人は、バットを引きずってやってくる可憐な私を前に、徐々にその闘志をしぼませ、青ざめてカタカタ震えだす。

 何がそんなに怖いのか。私って一応……JKなのよ?


「おおお、お前、お前なんて鎌倉あやかしの頭領、摩淵まぶち様にかかったらこんな……っ!」


 ゴッ。

 ガタイの大きな豚面の方がなんか言っていたけれど、私は話も聞かずに脳天からバットを叩き付けた。


「これは大将の分」


 そのまま豚面は目を回して倒れる。大丈夫、殺してないから。


「えぇぇえええっ!?」


「反応が遅いわよガリガリ鼠君。そんなんじゃあどうせ浅草では生き残れないわ」


 ガツン、とバットを地面に打ち付けた後、驚愕きょうがくしている鼠男の方の胸ぐらを掴んだ。


「ねえ。私、浅草大好きなの」


「…………」


「昔ながらの食べ物は美味おいしいし、和スイーツは絶品だし、江戸情緒あふれる町並みも特別素敵よ。東京じゃあ、ダントツで人情味のある街だと思ってるわ。でも……あんたたち、さっきなんか言ってたわよねえ」


「……え、えっと」


「平和な浅草を、ダセー下町って……言ったわよね??」


「…………」


「うん、分かる。浅草がただならぬオシャレ和心感溢れる、鎌倉や京都きょうとにはなれないって分かる。でも……浅草も最高よね?」


「え、京都? 京都いま関係な……いや、すみません……」


 鼠男は、脅し口調でにらみ下ろす私の背後に、阿修羅あしゅらでも見たかの様だ。

 それ以上はもう何も言えず、動けず、真っ白になって端からさらさら風に流されている。

 豆狸の親子は、そんな鼠男や気絶した豚面に、ここぞとばかりに「こなくそ、こなくそ」と豆狸パンチを食らわせていた。全然痛くなさそう……


「弱いものいじめはそこらへんにしておけ、茨木」


「ん?」


 名を呼ばれ、店の出入り口を見た。そこには数人の黒スーツの男たちが。

 ポケットに手をつっこんだ姿で中心に立つ、しかめっ面の青年に、私は「げっ」と嫌な声を上げる。


「組長、なんでここに!?」


「組長って言うな。相変わらず失礼な奴だな」


 いや、で立ちはどう考えても……

 彼の名は灰島大和はいじまやまと

 浅草のあやかしたちの労働環境を整え、監視している“浅草地下街あやかし労働組合”の若きおさだ。


「労働組合に通報があったんだよ。観音通りで暴れてる鎌倉あやかしがいるってな。しかし来てみりゃ、どこかの誰かさんが既に葬ってるときた……」


「葬ってないわ。かろうじて生きてるはずよ……多分」


「馬鹿やろう。人目につかない様、急いで周辺に結界を張ったんだぞ。結界札だって一枚五千円するんだからな」


「流石組長! と言う訳で後始末はよろしく」


「なんか腹立つなー……」


 組長はチッと舌打ちしつつ、店に入ってきて、他の者たちに被害状況を確認させ、気絶した片耳豚や放心状態の旧鼠を担ぎ出させている。

 やくざかマフィアかと言いたくなる黒服の連中を引き連れている組長は、強面こわもてで大人っぽいけど、これでまだ23歳の、大学を卒業したばかりの若者なのよね。

 一応、私の高校のOBに当たる。


「鎌倉妖怪ようかいを連れて撤収だ。……ったく、ほんと最近、鎌倉の連中が大量に浅草に入り込んでやがる。陰陽局おんみょうきょくの連中が一斉に鎌倉に立ち入ったって話は本当だったんだな。逃げ延びた連中が、最もあやかしの住みやすい浅草へと流れ着いたんだ」


「……組長、これって前の牛鬼の件と関係あるの?」


「そうだな。この件はもう少し調査して、おいおいお前にも報告するよ」


 組長は奥の席に座っていたおじいさんに深々と頭を下げ、何かを耳打ちしつつ、そのまま丁寧な様子で店から連れ出した。

 なんだろう、かなりVIPな対応だな。


「そうだそうだ……お嬢ちゃん、今日は助けてくれてありがとう。これをあげよう」


「……?」


 店を出た所で、おじいさんは私に、小さな匂い袋をくれた。

 金襴きんらん生地で作られた可愛い袋からは、さわやかで甘い木香の匂いが漂う。


「ありがとう。……おじいさんも、何か困った事があったらいつでも言ってね。まあ、ただ働きはしない主義だけど、匂い袋分は働くわよ」


「……ふふ、うれしいねえ」


 おじいさんは意味深な様子でニヤリと笑い、静かに外で待っていた人力車に乗り込んだ。

 人力車と言っても、引いているのはスポーツ選手並みにゴツい車夫で、深く笠を被った黒尽くめのあやかしだ。


「ねえ組長。もしかして……あのおじいさん、かなりの大物……?」


「何言ってやがる茨木。もしかしなくともその通りだ。……あの方は大江戸おおえど妖怪の総元締めであるぬらりひょん一派の大御所。最近はご子息が跡を継ぎ、すでにご隠居された身ではあるが、裏でかなりの影響力を持つあやかしだ」


「……え」


 私は真顔で固まる。

 ぬらりひょん一派と言ったら、東京で一番力を持ったあやかしたちだ。

 なぜそんな大物が、浅草の蕎麦そば屋に……?


「ヤバいわ。私、結構失礼な事をしたかも」


「心配するな。その匂い袋をもらったって事は、気に入ってもらえたって事だろう。また会う事もあるさ」


 組長は今一度店内に戻り、まだ狸姿から戻れない、毛玉な大将と風太の前にひざをつき、落ち着いた口調で言った。


「田沼さん、風太。被害額は全面的に労働組合が支払う。取り締まりが行き届いてなくてすまねえな。長い間浅草を支えてくれた蕎麦屋だ。明日からは安心して営業出来るようにする」


「そんな坊ちゃん。頭を上げてください。浅草のあやかしは皆あなたに感謝している!」


「そうだよ大和さん。大和さんまだ若いのにすごいっすほんと!」


 豆狸の田沼親子は、組長にぺこぺこしていた。

 組長は「俺を褒めても何も出ないぞ」と割と冷静。

 でも確かに、浅草のあやかしはみんな大和組長が好きだ。たとえ彼が人間であろうとも。

 浅草地下街あやかし労働組合とは、もうずっと昔から浅草のあやかしたちを支えている、灰島家が仕切る大きな組織だ。要するに、ここで商売するあやかしは、誰もがこの組織にお世話になっているのだ。

 かくいう私も、毎度毎度、お世話になっている……例えば、こういう破壊行動の後始末とか。


「茨木」


「ん?」


 組長は、今度は私に向かって真面目な視線を投げかけた。


「お前もあんまり、目立った行動はするなよな。お前はだが、前世はあやかし……それも、歴史に名をのこしているS級の大妖怪ってだけで……相当イレギュラーなんだからよ」


「……S級じゃない、陰陽局公式SS級大妖怪よ」


「はい、その通りです。申し訳ありません茨木童子様」


 別に脅したつもりも凄んだつもりもないけど、真顔で訂正してみたら組長は即ぺこぺこ謝った。

 やくざの若頭かと思う大人が、たかが女子高生にそんな……

 はたから見たら相当シュールな光景だろうな。

 でも、ここぞという腰の低さも、組長が浅草のあやかしをまとめられている理由だ。


「おいおい、どういう状況だこりゃあ……」


「あ、馨」


 そんな時、バイト帰りの馨がこの蕎麦屋に立ち寄り、状況が状況だけに戸惑いの表情を浮かべていた。


天酒あまさけ……てめえ、俺の張った結界をいとも簡単にすり抜けて来やがって。お前も大概イレギュラーだよな。そりゃそうだよな、日本最強の鬼と名高い、酒呑童子だもんな!」


「組長、何怒ってるんですか?」


「組長って言うな」


 自分の結界を、訳も無くすり抜けてやってきた馨が気に入らない組長。

 チッと舌打ちしつつ、そろそろこの場を退散する様だった。


「俺は忙しい。詳しいことは後日な」


「組長ばいばーい」


「え、何なんだ。俺への説明は無しか」


「察して馨」


 店の出入り口から組長たちを見送る。

 店の中では、すでに黒子童くろこわらしというあやかしたちが、破壊された備品や店の壁、天井なんかの修繕を始めていた。

 彼らはあやかしが破壊したものの修繕を請け負い、結界の効力が切れる前に仕事を終わらせる、労働組合御用達ごようたしのプロだ。

 また、狸親子は毛玉から人間に戻るのにもう少し時間がかかりそうだったので、そこかしこにお蕎麦やお汁が散らかっているカオスな店内は、私と馨で片付けたのだった。

 何も分かっていないのに、ちゃっかり後片付けに巻き込まれた馨。相変わらず損な体質だと、自分で嘆いていた。


 


 後片付けの後、丹々屋の名物である、絶品天ぷら蕎麦と特上天丼をご馳走ちそうになり、馨にアパートまで送ってもらった。


「なるほど……鎌倉あやかしか」


 送ってもらいつつ、私は今日の事を馨に説明した。


「牛鬼の時は、ふーんって程度に考えていたけれど、案外大変なことになっているのかしら、浅草」


「組長、なんかやつれてたもんな」


「過労死しないか心配だわ。とてもあのやくざでマフィアな見た目からは想像できないくらい、真面目な人だからね」


 家業のある人は大変だ。組長とは私たちが中学生の時からの付き合いだけれど、その時すでに労働組合を任される、若頭だった。

 生まれた時から運命が決まっているのって、どういう感じなんだろう……


「お前が暴れまくるから、組長はいつも胃を痛めているんだ。少しはいたわってやれ」


「あら。私はこれで、結構色々と考えて暴れているのよ? 別に、鬱憤うっぷんを晴らす為だけに、悪いあやかしをぼこぼこにしている訳でもないんだから」


「分かってる」


 馨の返事は思いの外早かった。


「あのくらいしなければ懲りないのもあやかしだ。そして、それを知っている退魔師の連中は、悪事を働いたあやかしを見れば問答無用で退治する」


 足を止め、浅草の空にぽっかりと浮かぶ月を見上げる馨。


「牛鬼の事や、今回の事だって、お前も悪事を働いたあやかしに容赦無く見えるが、結局自分の力を見せつけ懲らしめる事で、奴らの次なる悪事を抑止している。あやかしは自分より強いものに命を見逃された場合、絶対にそいつに逆らわないからな。……お前は昔から、そうやってあやかしを守ってきた」


「…………」


「俺は、お前ほどあやかしに優しい人間は居ないと思うぞ」


 馨は淡々と、私への理解を語った。

 私としては、口を半開きにしてぽかーんとしてしまう。


「なんか……今日のあんた、優しいわね。変なものでも食べた?」


「は? 俺はいつもこんなだろ」


「そう? いつもはもっと嫌みくさいわよ。今回の事だってもっと怒るはず」


「…………」


 アパートの私の部屋の前で、馨はじとーっとした目を私に向けて、さっさと背を向けて帰ろうとした。


「ああ、待ってよ馨。もう帰っちゃうの?」


 そんな馨の学ランの背を引っ張る。


「今日はお互いアルバイトだったし、夕飯もご馳走になったし、もう時間も遅い。一緒にいられる暇は無いだろ。お前も疲れているだろうし、宿題してちゃっちゃと寝ろよ」


「あ。私、明日はアルバイト無いからね。週二で働くってことにしているから」


「……へえ」


「なんだかんだと言って、私が忙しくなったら馨も寂しいでしょうしね。あんたって格好つけているけど、寂しがりだし」


「調子に乗ってるな、真紀」


「あんたが私の事を分かってくれているように、私だってあんたのことなら何だって分かるわ、馨」


「…………」


 馨はふっと笑ってこちらに向き直り、「はっけよーい」と両手を広げた。

 私は思わず笑顔になって「のこった!」と馨の胸に飛び込み、馨の腰をぎゅっと抱きしめる。

 馨は私を受け止める際、必ず一歩片足を下げ、


「イノシシに突進されたかと思った……」


 と、いつもの調子で嫌みを言うのだった。

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