第三話 水蛇の妖しい薬屋さん

 突然の雨に降られた。

 天気予報では、ここ数日はぽかぽか春日和の晴れだって言ってたのに。

 学校の帰りに、今夜の夕食の為にピーマンとひき肉を買って、小雨にれながら急いで自宅のアパートに帰ってきた所だ。しかし……


「あれ……何やってんの、明美あけみちゃん」


 二階の一番手前の部屋の、そのドアの前で、小雨の降る景色を見つめながら一人寂しく缶ビールを飲むOLの明美ちゃんに遭遇した。

 明美ちゃんはこのアパートの住人の一人。ここには私以外に人間は住んでいないので、要するに彼女も、人間に化けて生活しているあやかしだった。


「あー真紀まきちゃんだ。ふふ、ねえ聞いてよ真紀ちゃん。ふふふふ。私……私……彼氏にフラれちゃったうわああああああああああああっ」


 飲み干したビール缶をぐしゃっと片手で握りつぶした明美ちゃん。

 廊下でわめいて、暴れ出す始末。


「ヒステリーはよしてよ明美ちゃん。予報が外れたのは明美ちゃんのせいか……彼氏に振られたって、それ、例の会社の先輩?」


「そうよ……結婚の約束もしてたのに、ううう……っ」


「何があったの? かわいそうにね」


 私よりずっと年上に見える明美ちゃんの頭をでる。

 明美ちゃんは私にひしと抱きついて、号泣し始めた。


「あいつったらひどいのよ! 私とのデートがいっつも雨なのを私のせいにするの! まあ間違ってないけど!」


「…………」


「しかも私の手作り弁当が、なんかババくさくて湿っぽいって文句言うんだから! こちとら何年雨女やっとると思っとんのじゃわれ!」


「明美ちゃん、口調が荒れてるわよ!」


 彼女は“雨女”というあやかしで、ネガティブな性格だ。

 肩で切り揃えた黒髪に、タイトなパンツスーツ姿が特徴的で、ぱっと見はしっかりして見える。人間社会ではすでにアラサーという立場で、会社ではかなり出来るOLらしい。

 お仕事は順調なんだけど、ただ男運がすこぶる悪い。


「もう人間の男はあきらめて、あやかしの男と結婚したら? いっぱい余ってるわよ、浅草あさくさのあやかし男子。深刻な嫁不足が度々問題になってるって」


「嫌よ! 私は人間の男と結婚するって決めてるんだから!」


 しかも、本人は雨女というれっきとしたあやかしのくせに、人間の男と結婚するという野望を抱いているため、これまた難しい。

 人間同士やあやかし同士ですら、最近は「一人の方が気楽」勢が多く、結婚率も大幅に下がっている昨今だと言うのに……

 人間とあやかしのカップルは確かに居るんだけど、途中でダメになる確立も相当高いのよね。色々な価値観の違いのせいで。

 でもあやかしの男は人間の女に恋い焦がれ、あやかしの女は人間の男にあこがれる。

 不思議だけど、これ昔っからの常識なのよね……


「……って、明美ちゃん、何だかすごく体が熱いわよ。熱があるんじゃないの?」


「雨女が雨にふられて熱を出すなんてお笑いぐさだわ……男にもフラれるし」


「そんなこと言ってる場合じゃないから。……ほら、もう家に入ろうか」


 しかばねの様なOLを一匹引きずって、私は明美ちゃんの部屋を開けた。

 開けた瞬間からアルコール臭が凄い。まず部屋が汚いのは置いといて、ゴミの中から敷きっぱなしの布団を探り当て、明美ちゃんを横たえる。

 体温計を探したけど全く見つからなかったので、一度自分の部屋に戻り、食材を冷蔵庫に入れた後、体温計とりんごを一つ持って、再び明美ちゃんの部屋へと向かう。


「あ……38度」


 やっぱり熱があるみたいだ。


「ここ最近、あったかい日も涼しい日もあるからね。婚約者に裏切られたショックが加わって、心身共に弱っちゃったって所かしら」


 ゾンビみたいにうーうーうなって転がっている明美ちゃんの首まで布団をかける。

 私は食器が積み上がっている台所をさっさと片付け、おろし器を発掘。

 それでりんごをりおろし、ハチミツとレモン汁を加えたものをガラスの器に盛って、明美ちゃんの寝ている布団のそばにそっと置いた。


「じゃあ、もし食べられそうだったらこれを食べて。私、今から薬を買ってくるから」


「……うー」


 唸り声で返事をした明美ちゃん。そのままガクッと寝てしまった。

 全く……手の焼けるOLだ。私は今一度傘をさし、お薬を買いに出かける。


「あ、そうだ」


 しかし階段を下りる途中気がついた事があって、急いで自分の部屋の前までやってきた。

 鞄をガサガサあさって、メモ帳とペンを取り出し、でかでかと書いたものを貼り付けておく。

千夜せんや漢方薬局にいます 真紀」




 浅草国際あさくさこくさい通りはとてもにぎやかで、常に人通りが多い栄えた商店街なんだけど、その中でも一際異彩を放つ薬局がある。

 可愛い手ぬぐい屋の隣に店を構えるその薬局。その名も千夜漢方薬局。

 まず入り口からただならぬあやしい雰囲気で、一般人は入りづらい。

 掲げられた看板の文字はおどろおどろしいし、ショーウィンドウには埃被ほこりかぶった瓶詰めの怪しい葉っぱとか、何かの干物とかあるからね。

 でも知る人ぞ知る、人気の漢方薬局なの。

 重々しい扉を開けようとしたら、ちょうど帰るお客たちが居たみたいで、先に内側から開かれた。


「……おや」


「…………」


 黒い着物と羽織を着た、鬼の面をかぶったあやかし……まさしく、鬼だ。

 外にも数人お供のあやかしたちがついている。

 鬼はお面を少し上げて、その紅のひとみで私を見下ろし、小さく微笑んだ。


「こんにちは、茨姫いばらひめ


「……こんにちは、鬼神」


 低く、どこまでも落ち着いた、強い霊力にのって頭に響く声。

 簡単な挨拶あいさつだけを済ませて、彼らはこの店の前を後にした。

 お付きの者が和傘をさし、しとしと雨の、夕方の浅草の街に消える。


「……あーびっくりした」


 しばらくぼやっとしていたけど、ここへ来た用を思い出し、改めて店に入る。

 チリンチリンと鈴の音が響き、つんとした薬草の香りに一度鼻をこすった。


「あれ、真紀ちゃんか。珍しいねえ、君からここへ来てくれるなんて」


 胡散臭い片眼鏡モノクルをつけた、切れ長の目元をした男が、店内のテーブル席からお茶を下げていた。見た目の年齢で言うと三十歳手前という感じ。

 着ている深緑色の着物は、どこか異国情緒ある柄もので、ぱっと見怪しい中国人の薬屋か、インチキ占い師にも思える。

 彼の名は水連すいれん。私はいつも、スイと呼んでいる。


「スイ……なんか凄い大物が来てたみたいね」


「うん。あの方は隠世かくりよのお客様だ。俺の薬は世界の垣根を越えて需要があるのでね」


「隠世……か」


 隠世とは、この現世うつしよとは違う、あやかしが治めるあやかしの為の世界だ。

 この、人間たちに支配された現世で必死に生きているあやかしも居れば、そういうあやかしたちの支配する世界もあったりする。そこへ行くのは、とても大変なんだけど。


「ねえスイ、大仕事の後に悪いんだけど、雨女に良く効く風邪薬が欲しいの。すぐ調剤してくれる?」


「なになに〜? 雨女って事は明美ちゃんかな? まさかまた失恋した?」


「野暮な事は聞かないでやってよ。……まあそうなんだけど」


「どうりで天気予報が外れた訳だ。しばらく雨が続きそうだねえ……」


 謎の干物や、粉末、ひょろっと長い朝鮮人参にんじんが瓶詰めされた陳列棚を横目に、カウンターの側まで行く。

 スイはさっそく、カウンターの内側の陳列棚を一回転させ、あやかし専用の漢方薬が並んだ棚に切り替える。


「俺の薬は五行の思想に基づく、あやかしの特徴を考慮したオーダーメイドの漢方薬だ。雨女の風邪薬なんてちょちょいのちょいだよ」


 そう、ここ千夜漢方薬局は、浅草で唯一と言って良いあやかしの漢方薬局。

 人間たちにも評判のお店だが、大半のお客はあやかしだ。

 というのも、あやかしにとって人間の薬は体に合わない事も多く、ここは種族ごとに研究され尽くしたレシピを元に調剤をしてくれる薬局だから、効果は抜群なのだった。

 まあ、そもそも店主が、千年前に中国から渡って来た力のあるあやかしだからね。


「調合に少し時間がかかるから、真紀ちゃんには薬膳のお茶でも出そう。最近体調の面で気になる事とかある?」


「んー、すぐお腹がく」


「それはただの育ち盛りだねえ」


「すぐ眠くなる」


「良く眠れない人の為のお茶ならあるけどねえ」


「じゃあ、眼精疲労とか。最近目が疲れるのよね……テレビの見過ぎかもだけど。おかげで肩も凝るし」


「わあ。なんかいきなりリアルなの出して来たねえ」


 スイはあごに手を当てて少し考え、棚に並んだ瓶をいくつか取り出して、カウンターの内側でお茶の用意をしてくれた。

 私は窓際の来客用のテーブルに座って、しとしと雨の外を眺めて待つ。

 静かな時間と、この店に充満している、独特の漢方くささはよく似合っている気がする。

「粗茶でつが。ほっこりするでつ〜」


 私にお茶を運んで来たのは、この千夜漢方薬局の助手である、二足歩行のカブの精霊。真っ白の体からちょびっと生えた手で、一生懸命お茶を運んでいる。

 まず背丈が低く、カップをテーブルに置く事が出来ずプルプルしているので、私は体を低くしてそれを受け取った。


「ありがと、カブ太郎」


「でつ〜」


 カブ太郎は額をでて褒めると喜ぶ。変な野菜だ。

 カブ太郎って名前も私が勝手に呼んでるだけなんだけど……

 ここには他にも、朝鮮人参の精霊やなつめの精霊、黒豆の精霊など、野菜や草花、木の実から生まれた小さなあやかしたちが居て、あちこちでスイの手伝いをしているのだった。

 スイいわく、漢方の研究の過程で発生した、意思を持った者たちだとか。

 とても忠実なスイの眷属けんぞくであり、褒めると仕事をすぐ覚えるらしく、彼らが居れば人件費が要らないとか何とか。


「……わあ、可愛い」


 透明のガラスのカップには、白い華と赤い木の実の浮いたお茶が注がれていた。

 なんて良い香り……


「ジャスミン茶がベースで、クコの実と菊花をちょいと足している。ジャスミン茶は心を落ち着かせてくれるし、菊花は見た目も愛らしい。美容に良くお肌の乾燥を防ぐよ。そしてクコの実は、君の眼精疲労を解決してくれる。目に良いんだ」


「へえ〜いただきます」


 一口この薬膳やくぜん茶を飲んで、スッと体を行き交う霊力が落ち着くのを感じた。

 体に良いのは勿論もちろんの事、スイの術が施された漢方や薬膳は、じかに体内の霊力に響き、溶け込む。体の不調が霊力から改善するべきものであれば、スイの薬ほど効果的なものは無いのだ。


「あー……美味おいしい。スイの薬膳茶はいやされるわ」


「良かったら少し持って帰りなよ。君の愛しい旦那だんなにでも飲ませてあげたら? 学生の身の上で、いつもせっせと働いてるみたいだし〜」


「そうねえ……あいつ手先が冷たいから、冷え性だと思うの」


「なら、なつめとシナモンのお茶がいいかもねえ」


 ゴリゴリゴリ……

 カウンターの内側の台の上で、小さなすり鉢でごりごり薬の素材をる音が響く。

 スイは手慣れた様子であれこれ加えて、最後に五芒星ごぼうせいを描き、ぶつぶつお得意の呪術じゅじゅつ呪文じゅもんを唱えて終わり。

 店の名前がしっかり書かれた紙袋に、服用方法の書かれた紙と雨女の風邪薬を詰め込み、またかおるの為の薬膳茶も用意して、スイは私の待つテーブルにやってきた。


「はい、お薬と、馨君の為のお茶」


「ありがとう。明美ちゃん、これできっと良くなるわ」


「……でも、この薬だけではダメだよ」


 スイは向かい側に座って、広いそでから年代物の長い金属煙管キセルを取り出し、ぷかぷか吹かした。


「漢方は、心と体、自分を取り巻く複雑な環境、全てのバランスを整えて成り立つ薬。これは陰陽五行説に基づく思想だ」


 五行の思想は、「水」「火」「金」「木」「土」の五つの要素に基づく。

 これらは「水は木を生かす」「木が火を生む」などのお互いに助け合う“相生”の関係と、「水は火を鎮める」「火は金属を溶かす」など、お互いを滅したりコントロールする“相克”の関係があり、特に相克関係は五芒星を描く。


「これはそのまま五臓の考え方に基づく。まあ五月って、五月病があるくらい皆気分がふわふわうつうつしている時期だし、気が滅入めいっていると体調にも影響を及ぼしてしまう……下手したらバランスって簡単に壊れるからねえ」


 スイは自分にも持ってこられたお茶を、例のカブ太郎から受け取り、スッと一口すすった。

 プーアール茶ベースの、黒豆のお茶っぽい。


「俺の薬に出来るのは、血と水、陰の要素と言われるこの二つを整える事だ。勿論、薬膳ドリンクなんかで気分をリラックスさせることは出来るけれど、心の問題ってのは薬で解決出来るものじゃない。心が病んでいれば、どんなに良い薬があったとしても、体調の改善は難しいからね」


「……分かってる。明美ちゃんは頑張り屋さんだけど、ちょっと自分に自信が無いのか、ネガティブな思考に陥りやすいから。そこは私が、支えるわ」


「うん。流石は俺の茨木童子いばらきどうじ様。千年前からお変わりなく、あやかしへの愛情が強い」


 スイは灰皿にコンコンと吸い殻を捨てて、少し物悲しい顔をした。


「そういう君は……もう古い眷属なんて必要無いかい?」


 コポコポ……コポ……

 心地よい水の流動音を、私は聞いた。彼の背後には、巨大な水蛇が見え隠れする。

 乱れの無いその音は、時に清らかで神聖な存在として祭り上げられる水蛇のあやかし“みずち”の霊力に他ならない。


「…………」


 スイの言葉の意味は、私には良くわかっていた。

 千年前、茨木童子には忠誠を誓った“四眷属”が居たのだが、スイもまた、水蛇みずちと名高いあやかしであり、かつての私に一生の忠誠を誓ったものだった。


「違うでしょう、スイ。あんたにはもう、私は必要無いって話が正しいわ。あんたは立派に商売をしているし、独り立ちしている。むしろ私が、こういう時に助けてもらってばかりだもの」


「あはは。何それ……実家の母親みたいな目線で言わないでよ。真紀ちゃんまだ女子高生なんだからさあ」


 眉を八の字にして、頬を赤くして笑うスイ。

 嬉しがっているのか面白がっているのか……


「母親の様な気持ちにもなるわよ。あんたは手のかからない、しっかりした眷属だった」

「……でもね、ふがいない話だけど……君が居なくなってから、俺の気は随分乱れてしまったんだよ」


「…………」


 漢方の思想にある、“気”という概念。それにたとえ、彼は切なくつぶやいた。

 しかしすぐに、いつもの胡散うさん臭い笑みを浮かべて、長い袖をひらひらさせる。


「まあでも? 確かに俺は立ち直ったし、商売はずーっと上手うまく行っているし、世渡り上手だ。そう言う意味ではしっかりしてる方かもねえ。他の兄弟眷属は、いまだに君を求めて彷徨さまよっているのかもしれないし、君の死を受け入れられず、人間を恨んだ者もいる」


「確かに、ちょっと心配な子たちも居るのよね……」


 四眷属はそれぞれ違うあやかしであり、また全然違う性格をしていた。

 今、人間界で上手くやって行けているのか、すごく気がかりな子もいる。


「どこに居るのか分からないし、ぶっちゃけ会いたく無い奴もいるけど、また皆で揃う事があったら愉快だろうけどねえ」


「……そうね。皆がまたそばに集まってくれたら、って思う事もあるわ。でもそれぞれが生きる道を見つけて、誰か大切な人を見つけて、どこかに根を下ろして生活しているのなら、それはそれで嬉しい。あれ、ほんとお母さんみたい、私」


 ズズズ……とお茶を啜って、苦笑い。

 しかしスイは、その蛇めいた目元を更に細めた。


「でもね、真紀ちゃん……俺らはきっと、真の意味で君以外を大事に思う事は無いよ」


「ん?」


「かつての忠誠心もそうだけど、君は千年前からあやかしに愛されやすかった。そして今、君は人間の女の子になって生まれ変わったんだ。それがどういう意味だか分かる?」


「……いえ」


「あやかしは霊力の強い人間の女の子にひどく恋い焦がれる。それはもう、いにしえから僕らあやかしに刻まれた本能みたいなもので、それがいっそう、人間とあやかしの争いに拍車をかけてきた。茨姫だって、もうずっとあやかしたちに狙われていたのを、酒呑童子しゅてんどうじさらって行ったんだからさあ」


 スイは私に顔を近づけ、まるで秘密の話をするように小声になる。


「君はまた、そういう存在になったということだ。それも……一度あやかしになった茨木童子のころと変わらない力をもってね。君ほど霊力のある人間の女の子は、そうそう生まれない」


「…………」


「誰もが君を欲しがる。今はまだ、浅草以外のあやかしに君の存在は知れ渡っていないけれど、もし何かがきっかけで広がってしまえば、大物なんかは君を無視できない。故に君は……やっぱり今でも“あやかしのあこがれの花嫁”なんだよ」


 ニコリ。いつものスイの、胡散臭い微笑み。

 漂う薬くささと、煙草たばこの香り。不思議な心地で、私は眉を寄せ一言。


「何か怖いわね」


「あはは。でしょうねえ」


 スイはひざたたいて笑う。


「一方的な愛情を多方面から向けられても、恐怖以外の何者でもないからねえ」


「どのみち私に勝てない奴は論外よ。それが出来るのは、唯一あいつだけだし」


「そうだねえ……だから俺も、君の眷属けんぞくになった訳だけど。でも、眷属になれた者たちはまだ、幸せだったと思うよ」


 その立場こそが、誇りだった。彼はぽそっと呟いた。


「でもね真紀ちゃん。もしまた君が俺の力を必要としたら、俺はすぐにでも君の眷属となる契約をしよう。その気持ちに、変わりは無いからね」


「……ふふ、ありがとう、スイ。あんたはやっぱり、しっかりした長男眷属ね。気持ち的には今でも、私にとってあんたは大事な眷属なのよ?」


「そう? 嬉しいねえ嬉しいねえ」


 胡散臭さの中にも、素直な笑みがこぼれる。

 ぱっと見は全然年上の、い年こいたあやかしだけど、今でも私にとっては可愛い水蛇の眷属だ。ある意味、息子と言っても良いのかもしれない。

 茨木童子と酒呑童子の間に、子どもは居なかったからね……

 チリンチリン。

 ちょうどその時、店の扉が開かれ、誰かがやってきた。何だか強い雨に降られた感じで、若干れている馨がそこに立っている。


「おっと〜……良い所だったのに邪魔が入った。真紀ちゃん、旦那だんな様のお越しだよ〜」


 投げやりな感じで言うスイ。馨とスイは、何とも言えない視線をお互いに交わしている。


「馨。今日バイトが終わるの、早かったわね」


「雨が強くなって来たし客も来ねーし、早めに切り上げる事になったんだ。今日は浅草寺せんそうじの参道の屋台でバイトだったからな。おかげで稼ぎも少ないときた……」


「そう。あんたってほんと不運だし、災難に遭いやすいから」


「しかもお前んち行ったら、ここに来てるって張り紙があったからな」


 馨は、雨で文字がデロデロになった、呪いの手紙並みに怖い文面のメモ紙を私に見せつける。そして、余りまくっていたからもらったという人形焼きの袋を一つ、スイの方にずいと手渡した。


「これ。眷属たちにでも分けてやれ」


「あーありがとう馨君。相変わらず律儀だねえ。ほーらみんな〜、このしかめっ面のお兄ちゃんが人形焼きをくれたよ〜。集まってーむさぼってー」


 スイの掛け声によって、野菜や豆の精霊たちがあっちこっちからわさわさ集った。

 一匹一匹に人形焼きを配ると、甘いお菓子が好きな彼らは必死になって貪っている。


「じゃあスイ、私そろそろ帰るわね。明美ちゃんの様子が気になるし」


「うん。また何かあったらおいで」


「ありがとう」

 にこやかな視線を、そのままスッと馨に向けたスイ。

「あと馨くーん? 真紀ちゃんの事は、くれぐれも頼んだよ〜」

「お前に言われなくともな、インチキ水蛇野郎」

「酷い! 俺の薬はインチキじゃないんですけど! 確かに見た目はインチキ祈祷きとう師とか言われる事もあるけどねえ〜」

 そこの所は自覚アリらしい。

 私と馨は、スイと精霊たちの見送りでこの薬局を出る。

 ザーザーと強い雨が降る中、急いで私のアパートへと戻ったのだった。



 漢方薬をせんじるのは少し手間がかかる。

 土瓶に一日分の薬と水を入れ、後は弱火でひたすら煎じる。袋には45分と書かれていたので、きっちり時間を計って。って、これは馨が作業をしてくれたんだけどね。

 煎じている間、私は明美ちゃんの為のおかゆを作っていた。ついでに自分たちの晩ご飯も。

 元々はピーマンの肉詰めを作るつもりだったんだけど、予定を変更して、栄養満点のとりひき肉入り梅ハチミツのおかゆを作る事にした。

 刻んだピーマンとネギ、鶏のひき肉が主な具材で、あとは梅肉と生姜しょうが、ちょっとのハチミツと昆布出汁だしで味付けをした、さっぱり味で食べやすいけれど、コクもあるおかゆだ。

 美味おいしいし、栄養満点で風邪にも良い。

「おい真紀。薬、濾し終わったぞ」

 馨が、煎じ続けていた漢方薬を、茶こしで濾してくれた。

 服用方法の紙には、この漢方薬は食前に飲むとある。普通のお薬とは違うのね。

 漢方の苦い香りと、梅ハチミツのおかゆの香りが左右からやってきて、鼻と空腹を刺激してくる……

 これらをお膳に並べ、さっそく明美ちゃんの家を訪れた。

「明美ちゃん、入るわね」

「わ……真紀の部屋より凄まじいな」

 明美ちゃんは布団でごそごそしていたが、ふわりと漂う梅ハチミツのおかゆの香りに誘われ、「うー」と唸って、のそっと起き上がる。

「お腹すいた」


「でしょうね。……ほら、先に煎じた漢方薬を飲んで。千夜漢方薬局のものだから、めっちゃくちゃ苦いけどよく効くはずよ」


「うえええ〜〜、げ〜〜〜」


「げーじゃない」


 明美ちゃんに湯飲みの薬を無理やり飲ませる。


「ひーにがい〜〜っ。って、ああああっ! 馨君が来てる! ややっ、やだーお姉さんこんなはしたない姿で!!」


 と言いつつ、うれしそうに頬に両手を当てている明美ちゃん。

 失恋と風邪で弱っているはずだったのに、えらくテンションが高い。

 というのも、明美ちゃんは馨の顔が超ドストライクらしく、勝手に写真を撮って、勝手にアイドル事務所のオーディションに履歴書を送った事がある。当然書類選考には通ったのだけど、馨がそれをまるっきり無視したんだったっけ。

 それからたまに、馨を熱心に追いかけ回す、あやしい芸能事務所のおじさんが居たりするのだ。


「明美ちゃん、はしゃいだら熱が上がるわよ。ほら、おかゆ。これ食べて元気出して」


「馨君が食べさせてくれたら、お姉さん元気出るかも〜」


「は? 何いってやがるこのアラサー雨女。さっさと食って寝ろ」


 馨は過去のあれこれも相まって、若干イラッとしているが、私はコクンと大きくうなずく。


「よし。馨、一回くらいやったげなさい」


「はあああ?? お前、もしやその為に俺をここに連れて来たんだな!?」


「知ってる? 漢方薬は、体調だけじゃなくて、気を整える事も重視しているのよ。心が病んでいたら、良い薬も効かないって」


「…………」


「とにかく楽しい空気を作らなくちゃ」


 明美ちゃんはすっかりその気になって口を開けているので、馨がプルプル震えつつも、匙でおかゆを食べさせてあげている。


「ん〜おいひい……梅はちみつの……さっぱり甘いおかゆ……」


 いやー、明美ちゃんは嬉しそうだ。食欲もあるし、霊力や体力はすぐに回復しそう。


「はあ。イケメン男子高校生におかゆを食べさせてもらえるなんて……幸せ」


「と言う訳で明美ちゃん。漢方のお代はちゃんと貰うからね」


「あっ、私の財布っ!」


 どこからとも無く明美ちゃんのお財布を取り出し、さっとお代分いただく。代わりにレシートをぽい。

 お金のトラブルは痛いからね。こういうのしっかりしとかないと。

 薬を飲んでご飯を食べて、というか馨に食べさせてもらって、少し元気になった明美ちゃん。

 今一度寝かせて、布団をしっかり体にかぶせ、お薬を枕元に置く。また、明日の朝ご飯にと作った、お豆腐とわかめの中華風スープを冷蔵庫に入れておく。


「ありがと……二人とも。私の為に」


「明美ちゃん、あんまり引きずっちゃダメよ。きっとまた良い人が現れるわ。もっと明美ちゃんを理解してくれて、もっと大事にしてくれる人」


「うん。真紀ちゃんは良いなあ……今度は馨君みたいな人……探してみようかなあ」


「言っとくが、男子高校生に手を出したら犯罪だからな」


 一応馨が忠告していた。一応。

 帰る間際、明美ちゃんは微熱のある赤い顔をして、スウッと眠りについたのだった。

 一筋だけ流れた涙は、体調の不調からか、それとも……

 まだ、大好きだった人の事を、忘れられないのかな。




「あ……今日は雨が上がってる」


 その後、二日ほどぐずついた天気が続いたのだけど、金曜日の朝にはすっかり雨が上がって、うららかな春を思わせる、温かな晴れ日となった。

 いつものように、馨が朝に迎えに来て、学校へと家を出る。

 すると、明美ちゃんも丁度部屋を出た所で、私たちを見るとグッと親指を立てて、元気一杯の百点満点の笑顔になる。

 そこに、数日前の弱り切った明美ちゃんの姿は無く、仕事のできるOLとしての、きっちりしたスーツ姿の明美ちゃんだけが居る。


「じゃ、お仕事行ってきまーす」


 急いでいるのだろう。カツンカツンとヒールを鳴らし、慌ただしく階段を下り、彼女は腕時計とにらめっこをしながら商店街を抜けて行くのだ。

 それは、辛い事があっても何とか乗り越え、たくましくこの現世うつしよ謳歌おうかする、現代あやかしの女性像だった。


「明美ちゃん、元気になったみたいね。良かった」


「雨が上がったのはそのせいか。やれやれ……」


「って、私たちも急がなきゃ」


「また遅刻する!」


 私たちも他人の事ばかり気にしていないで、早く行かなくては。

 ここ二日ずっと雨が降ってて、階段を降りた所に迷惑極まりない大きな水たまりトラップがあったけど、それをぴょんぴょん飛び越えながら。


「…………」


 でも、雨上がりの匂いは、すごく好きだったりする。

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