第9話 ★9★ 6月18日火曜日、夜

 紅が出て行ったあとの部屋はとても静かになった。抜折羅は彼女に叩かれた頬をさすりながら問い掛ける。相手はもちろん、ホープだ。

「お前、俺をはかっただろう?」

『何のことかな?』

 フランス語の問いに、流暢りゅうちょうなフランス語で返ってきた。即答してきたあたりが何か怪しい。

「口付けは不要だったんじゃないか?」

『乙女を目覚めさせるには口付けだと相場が決まっているであろう?』

 しれっと返ってきた台詞に、抜折羅の拳は小刻みに震えた。

「ふ……ふざけるなっ!! 仲良くしろって言ったのはお前だろっ!? 彼女を怒らせてどうするんだよ。あと、俺のファーストキスを返せっ!!」

『何を怒る理由がある? ――それに、気付かなかったとは言わせないぞ?』

「何を、だ?」

 ホープの指摘がわからず、抜折羅は怒りをしずめながら問う。

『わからなかったのか。全く……暴走を抑えるためだと説明したのに、必要以上に緊張するからだ。今まで仕事だと言えば冷静になんでもこなしてきた貴様だというのに、どうしたのだ?』

「ただの石でしかないお前にはわからんことだよっ! もう黙ってくれ」

『話し掛けてきたのはそっちだったはずだが……まぁよかろう。しっかり身体を休ませて明日に備えるがよいぞ。その頬を冷やすのも忘れるな』

 言いたいことは言い終えたのか、ホープは沈黙する。抜折羅は立ち上がると、給湯室に行ってタオルを冷やす。左頬にあてがって、不意に自分の唇に触れた。

 ――力が流れてきた気がしたが……思い違いか?

 彼女からは嫌われてしまっただろうが、抜折羅は紅への興味が増したことに気付いたのだった。

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