第6話 *6* 6月18日火曜日、放課後
六月十八日火曜日、放課後。紅は宝杖学院の設備の中で一番高い建物である芸術棟にいた。遅刻して受けられなかった数学の小テストをするため、芸術棟の三階にある視聴覚室に呼ばれたのだ。普段なら高等部の教室が集まる学生西棟の生徒指導室や進路室、社会科室あたりを再試験の会場に選ぶものだが、今日はどこも空いていなかったようだ。
――ってか、再試験会場を覚えられるくらい遅刻しているあたしって一体……。
遅刻と言えば、さっきまでペナルティーとして担任の
――これで再試験のチャンスを逃したら、絶対に華代子っちを訴えてやる……。
数学の担当の
やがて着いた視聴覚室は明かりがついておらず、ガランとしていた。
――まずい、これは絶対にあたしがすっぽかしたと思われた……。
岩ヶ峰先生は厳しいことで有名な先生だ。一年A組の担任である財辺華代子は遅刻者に対して簡単なお使いというペナルティーを課す代わりに内申点への影響を免除してくれるそうだが、一年B組の担任でもある岩ヶ峰先生はペナルティーを与えない一方で、授業態度にマイナスの評価をするとの噂だ。部活の先輩方から、岩ヶ峰先生は敵に回したらいけないと忠告されていたのを思い出し、紅はうなだれる。
――今から頭を下げに行っても遅いだろうなぁ。次回のテストで挽回できるかしら……。
紅ががっかりしているところに、ドアが開く音がした。
「明かりも点けずにどうした?」
岩ヶ峰先生が部屋に入ってきたところだった。ドアをきっちりと締めている。
「岩ヶ峰先生……良かった。てっきり、再試験を取り止めにされたのかと思いましたよ。珍しいですね、時間に遅れるなんて」
カチャリという金属音がドアから聞こえる。オーディオ機器が置かれている都合で視聴覚室のドアには鍵がつけられているが、果たして今、必要なことだろうか。
――気にし過ぎ?
嫌な予感がして、紅は思わず逃げ場を探す。教室後方のドアには岩ヶ峰先生。前方のドアはカーテンで隠れているが、閉まっているのはわかる。ここは三階だ。窓から逃げることは出来ないだろう。ベランダがある学生西棟ならどうにかなっただろうが、芸術棟にはベランダはなかった。
「ん? 怯えているように見えるがどうかしたかな?」
「あ、いえ。なんでもないです」
岩ヶ峰先生は自然な動作で後方のドアに取り付けられたカーテンをしめた。明かりは点けてくれない。でもこの明るさなら窓から差し込む光で充分とも言える。指摘しづらい状況で紅は黙っていることにした。
「では早速、試験を始めようか」
岩ヶ峰先生は部屋の中央の席にプリントを置いて招く。
――やだな、あたし。変な妄想に取り
深呼吸をして席につく。筆記用具を取り出し、取りかかろうとプリントを見て愕然とした。めくってみても、問題文が存在しない。
「先生? このプリント――」
岩ヶ峰先生にプリントを見せようと身体をひねったところを横から突き飛ばされた。一瞬のことだったので何が自分の身に起きたのか、紅は把握できない。
自分の身体が床に転がっていることをようやく理解した頃には、馬乗りになって腰の上に体重をかけてくる岩ヶ峰の姿を認識できた。
「乱暴はやめて下さいっ!」
紅は抵抗を試みるが、下敷きにされている身体は抜け出すことが出来ない。叫んだところで、防音処理がされたこの部屋の外に声は届かないだろう。それでも、相手を怯ませるためには声を出さないといけない。紅は必死に言葉を考える。
「何のつもりですかっ!?」
気付けばスカーフが取り除かれて落ちている。その向こうにはスポーツバッグが置いてあり、スマートフォンの頭が見えた。だが、手が届くような距離ではない。
「やめて下さいっ」
暴れる紅の手をよけ、先生の手はワイシャツの襟を握る。そして左右に力一杯引っ張った。
「いやっ」
ボタンが跳び、胸元が
「……どこに隠した?」
下着と肌の間に指が差し込まれ、まさぐられる。紅は鳥肌が立った。
「女が隠すとしたら、あとは――」
岩ヶ峰の言ったことを理解して、紅はゾッとする。早く脱出しないと。
「触らないでっ」
スカートに手がかかる。
そのときだ。
扉が
「こんなところにしけこみやがって」
「――
聞き覚えのある声に、紅は
「何だ、君は。部外者が校内にいることが知れたら、
突然の邪魔者に対して動じる様子はなく、岩ヶ峰は紅の上から離れない。
「先生のその状況の方が知られたらまずいんじゃないですか?」
抜折羅はそう告げながら、ウエストポーチからスマートフォンを取り出し、レンズを向ける。岩ヶ峰の顔が青くなった。
「やめろっ」
スマートフォンを取り上げるため、岩ヶ峰は抜折羅の方へと移動する。抜折羅は近くにあった机を蹴り飛ばしてバリケードにすると、机の上を身軽に跳んで紅のもとに着地した。
「無事か?」
「助けにくるなら、もっと早く来なさいよっ!」
上体を起こし、はだけた胸元を隠すために紅はスカーフで襟を留める。ベストも着込んでいるから、応急処置としてはこれで大丈夫だろう。
「俺にとっちゃ完全にアウェイなのに、そういう要求をするな。文句あるなら、俺の申し出を断った過去の自分を恨んでもらおうか」
抜折羅の反論に、紅は何も言えない。もっともだと思ってしまったことが、妙に腹立たしく感じられた。
「で、フレイムブラッド――じゃなかった。例のスタールビーはどうした?」
机の障害物に
「右足首に付けてるわよ。ってか、効果ないみたいなんだけど」
この前の別れ際、抜折羅が告げていたことが気になり、物は試しと、身に付けていることがわかりにくそうな右足首に付けてみたのだった。
「おかしいな。貸してみろ」
本当に不思議そうに言うので、紅は右足首のネットから赤い石を取り外して手渡す。
抜折羅は受け取った赤い石を紅の右肩に
するとどうだろう。紅は身体中に熱を感じた。全身をなぶるような炎をイメージして、
――なんなの、これ。
ぱちんぱちんとはぜる音の間から、
――
『ワタシはフレイムブラッド。あなたの持つスタールビーの精霊とでも思いなさい』
――フレイムブラッド……?
『あなたをワタシの
言われるままに、立ち上がった紅は岩ヶ峰に向かって両手を突き出す。
『炎と戦いの神マルスよ、我が前に立ちふさがる
岩ヶ峰は紅の目の前まで迫っている。身体が灼かれているような感覚を得ながらも、紅はフレイムブラッドが告げた言葉をなぞった。
「炎と戦いの神マルスよ、我が前に立ちふさがる邪なる心を燃やし滅せよっ!」
真っ赤に燃え盛る炎が両手のひらから吹き出し、岩ヶ峰を飲み込む。周囲を巻き込んでしまったように紅の目には映ったが、しかし燃えているようには見えない。
――あぁ、これは本当に燃やすわけじゃないのか……良かった……。
紅は遠くなっていく意識を繋ぎ留めることができず、背中側に崩れた。
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