第5話 ★5★ 6月14日金曜日、放課後

 宝杖学院から駅までの間にある小さな喫茶店。お洒落な雰囲気の店内はバニラの甘い香りがする。雨宿りに利用している客もいるんじゃないかと考えていたが、奥に一組の老人夫妻がいるだけでガランとしていた。

 抜折羅は空いていたテーブル席に腰を下ろした。少女もならう。訝しげな表情つきだ。

「で、何の話?」

 注文を終えてすぐに少女は問うてきた。気になるのだろう。

「まずは名乗らせてくれ。――俺は金剛こんごう抜折羅ばさら。これを返すつもりで捜していた」

 濡れないように大事にデイパックに入れていた紙袋を取り出し、彼女の前に置く。紙袋がくしゃくしゃになることも、濡れてぼろぼろになることも奇跡的に免れたようで、抜折羅は内心ほっとしていた。

「もう必要ないかも知れないけど」

 台詞を付け足してやっと察したらしい。彼女は紙袋を丁寧に開封して中身を確かめた。

「拾ってくれたのね」

 嬉しそうな表情を浮かべたかと思ったのも束の間、彼女は冷たい視線を抜折羅に向ける。

「あ、あなた、このスカーフで何かやらかしていないでしょうね?」

「やらかすって何をだっ!?」

「あなたには前科があるのよ? 忘れたとは言わせないんだからっ!」

「先日のことは悪かったと思っている。だがあれは事故だったんだ。俺は君が身に付けていたスタールビーが気になって、うっかり手を伸ばしてしまった。それだけで他意はない。本当だ。信じてくれ」

 飾る言葉なしにありのままを述べて頭を浅く下げる。大袈裟に下げても逆効果だと踏んだのだ。

 少し待ったが反応がない。目だけ上げて、抜折羅は少女の顔色を窺う。

「……あなた、あの一瞬でスタールビーだと見抜いたの?」

 驚きの表情を浮かべた彼女はぽつりとそう問うた。

「鑑定士の直感は外れていなかったみたいだな」

「鑑定士……あなたが? あたしと同じ歳くらいかと思っていたけど、もっと年上?」

 何者なのだろうと疑問に思ったのだろうか。さっきまでの剣幕とは異なって、不思議そうな、好奇に満ちた目が抜折羅に向けられている。

「四月に十六になったばかりだ。同じ学年じゃないかと思うけど」

 学年によってスカーフの色が変わることはリサーチ済みだ。彼女のは黄色だったから一年生のはずである。

「ふぅん……」

「何者なのか少し理解してもらえたところで、名前を教えてくれないか?」

火群ほむらこうよ」

「火群紅――強い火の力を宿した名前だな。君の持つスタールビーのパワーと調和していると思う」

「スピリチュアル系の話は間に合っているんで」

 ぴしゃりと言われて、思わず抜折羅は苦笑する。石が持つ力を気配として感じ取れる抜折羅には普通の感覚なのだが、一般的な感覚ではないらしい。特殊な環境で過ごしすぎたせいで、その辺りの感覚に齟齬そごがあるようだ。

「紅、その石、見せてくれないか?」

「盗んだら承知しないわよ?」

「俺の人間性はそこまで信用ならないのか?」

千晶ちあきお祖母ちゃんの形見なのよ。だから何かあったら困るの」

 ――千晶……? たまたま同じ名前なのか?

 抜折羅は連絡が取れないでいる老婆の名前と同じであることに一瞬戸惑う。だが、偶然だろうと深く考えないことにした。

 言いながらも紐を外している紅を見て、さっきの台詞は彼女なりのユーモアなのだろうと、抜折羅は前向きに受け取ることにする。全く信用されていないわけではないらしいことに少しだけ安堵した。

 注文していたコーヒーが届く。店員が去るのを待って、紅はテーブルに赤い石のついた首飾りを置いた。

「これを初見でスタールビーだと見抜いたのはあなたが初めてよ」

「カットされたものならわかるだろうけど、原石のままではプロじゃないとわからないだろうな。一般的なルビーと比べても透明度は低いし、赤い石としか普通の人には思われないだろうよ」

 ネットに入ったままの状態で、抜折羅はうずらの卵ほどの大きさである赤い石を摘む。光を鈍く返すその石は、しかるべき工程を経ればそこそこの宝石として市場に出ることになるだろう。

 しかし抜折羅が見たかったのは宝石としての価値ではない。魔性石としての力を確認しておきたかったのだ。

 抜折羅の瞳に青白い光が宿る。

 ――手持ちのクラスターじゃ浄化は不可能か。力は強いが禍々まがまがしい気配ではない。放置していても大事にはならないだろうな。

「ありがとう。これほどの大きさの原石を見かけるのも稀だから、直接触ってみたかったんだ。返すよ」

 告げて、抜折羅は紅に差し出す。

「ところで、先日のようなことはいつから?」

 カマを掛けるつもりで抜折羅が問うと、首にかけ直していた紅の手が止まった。

「……今月に入ってから」

 答えるべきか悩んだのだろう。少し間をあけて紅はぼそりと呟く。

「ひょっとして、その石を身に付けてからだったりしないか?」

 その問いに紅は血相を変えた。

「ちょっと、変なこと言わないでくれるっ!? お祖母ちゃんが御守りにってくれたこの石が呪われているとでも言いたいのっ!?」

「違う。その石は信頼と運命をもたらす石だ。試練を与えることはあっても、無茶を要求するようなものではない」

「じゃあなに、あたしが散々な目に遭っているのは試練だってこと? 何の冗談よ。あんなに怖い目に遭っているのに、それを運命だの試練だのって言葉で片付けられたくないわっ!」

「落ち着いてくれ、紅。言い掛かりに聞こえたのなら詫びる」

 宥めると、紅は自分に用意されたコーヒーを一気に飲み干した。

「全くひどい話だわ」

「紅に不運が重なっているのは別のところに原因があるはずだ」

「他の……原因?」

「そこで一つ提案がある。――守ってやるから、俺のそばにいないか?」

「……は? 何言っているのかわからないんだけど、願い下げよ」

 きっぱりと告げて紅は立ち上がる。

「勧誘なのか知らないけど、あたしはあんたを信用していないの。そんな人から守ってもらいたくもないわ。――じゃ、ごちそうさま」

 スポーツバッグと赤い傘を持つと紅は逃げるように去る。そんな彼女の背に、抜折羅は伝え忘れていたことを叫んだ。

「ルビーは右側に付けた方が、石の力を引き出しやすいんだ。力を借りたいならそうしておけっ!」

 紅は一度も振り返ることなく店を出る。

 抜折羅は追わなかった。立ち上がったものの座り直し、残っていたコーヒーを啜る。

「――で、ホープはどう思う?」

 流暢りゅうちょうな英語で呟く。数瞬後に返答があった。

『彼女に惚れたのなら、もう少し口説き文句を考えるべきだったな』

 か細い声は流れるように綺麗な発音の英語だったが、台詞が可愛くなかった。コーヒーを吹き出すすんでで耐えきり、抜折羅は口元を拭う。

「これは仕事の一環だ。変な言い方するな」

 妙な翻訳をされたくなくて、抜折羅はフランス語で呟く。ホープは黙っていたが、彼が愉しげにしているのがわかって抜折羅はしゃくだった。でも何も台詞が浮かばなくて、それ以上は声をかけなかった。

 外は雨。しとしとと降り続く。

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