第174話 ★14★ 3月15日土曜日、16時前
絹ヶ丘の住宅街、
遊輝がスマートフォンの電源を落とすのを見ながら、抜折羅は問う。
「――
「どうかな。忠告はしたつもりだけどね」
つまらなそうにして、遊輝は肩を竦める。
「――しかし、よく俺の指示に従う気になりましたね」
頭を冷やしてくると告げて宿泊していた部屋を出た後、抜折羅は遊輝に電話を掛けていた。紅が思うようにならないなら、遊輝に働きかけるしかない――そう考えたからだ。顔を合わせにくいからと出て行った相手がそうすぐに話せる状況になるとは考えていない抜折羅だったが、ものは試しと電話をし、いともあっさりと遊輝をこの場所に呼び出したのである。
「負ける戦はしない主義だよ。まぁ、そもそも君と戦うつもりはないんだけど」
遊輝は苦笑を浮かべる。
「俺は戦う覚悟はありますよ」
紅が望まなくても、結果として彼女を守れるなら致し方がない。物事を割り切ることは、これまでの人生で何度も経験したことだ。恩もいくらかあるためか、遊輝に対してはついつい躊躇してきたが、いつまでもそう言ってはいられないだろう。
きっぱり告げると、遊輝は寂しげに笑った。
「僕らが傷つけ合うことにどんな利益があるのかな。紅ちゃんに『あたしのために争うのはやめて』って月並みな台詞を言わせたいつもりなら、それはやめた方がいい。彼女はそういうとき、《浄化の炎》で僕らの魔性石を祓いにくるだろうからね」
「――あんたのなんでもお見通しみたいなところが前から気に食わないんですが、それ、はったりってわけじゃないんですよね?」
抜折羅の指摘に、遊輝は首を傾げた。
「ふふっ。全部が演技だと思っていたのかい?」
「何度か違和感を覚えていましたよ。今朝だって、俺が電話をするのを――ここに呼び出すことを知っているみたいでしたし。ただ、確証が得られなかったから、訊けなかったんです」
「鑑定士でも知らないことはあるってことかな。僕の方が勝っている分野もあると思うと、ちょっぴり得意になるね」
鑑定士でも――つまり、魔性石の能力で、と言いたいのだろう。魔性石はその石にまつわる伝説や伝承をはじめ、パワーストーンとしての効能、科学面での物性などから使える能力が決まる。
「そういう対応をするってことは、やはり――」
「まぁね。スティールハートの能力の一つ《予言》だよ。オパールには未来を占うのに使われていたって話がある。日常的に使うにはエナジーの消費も大きいし、制御が難しくて使いこなせてはいないけど、僕が強く願っていることの結末を稀に予言してくれるんだ」
「その結末に紅が関わっているんですね」
「彼女から力を貰っているときは顕著に出るよ。想いと力の相互作用かな」
「だからって、あんたが馴れ馴れしく紅に触れたりキスしたりするのは見過ごせませんが?」
遊輝がおどけて返すので、抜折羅は彼を睨みながら言う。
「ふふっ。だいぶ紅ちゃんを独占したい欲が出てきたみたいだね。僕はそれでいいんだと思うよ。そのくらい強い想いがないと、本当の敵から紅ちゃんを護ることができないし」
「本当の敵……?」
何のことを言われているのかわからない。思わず聞き返す。
遊輝は頷いて続ける。
「そう。――最初の頃は
そう告げる彼の顔は青い。演技で出せるようなものには見えない。
「何が起こるって……言うんです?」
恐る恐る訊ねると、遊輝は自身の額に浮かんだ汗を拭って答えた。
「君がすべてのホープを集め終えたとき、本当の敵が彼女を奪う。彼は彼女のすべてを手にするだろう。その敵がどこの誰なのかは残念ながら今の僕ではわからない。ただ、君にとっては身近な人物だとは思う。気をつけて」
「俺がホープを集め終えるときは、魔性石の力を失うときなんだが……」
抜折羅が世界に散らばっているホープを集めているのは、魔性石の呪いを解くためだ。すべてのホープが集まれば、魔性石から解放されてその能力を失い、本人や周囲を破滅に追いやるという呪いも解ける。もし、本当の敵が魔性石を使うタリスマントーカーである場合、抜折羅には対抗手段がない可能性が高いのだ。
「わかってる。それに、抜折羅くんに邪魔されないためにその瞬間を狙っているのだろうし」
目的は紅の奪取であると遊輝は見ているようだ。
――だが……。
「じゃあ、俺にホープ集めをやめろと言うのか?」
感情的に問えば、遊輝は落ち着けとばかりに手を振る。
「君の幸福の追求を邪魔する意図はないよ。覚悟しておけってだけ。――こうして僕が今、君に助言をしたことで、未来は変わるかもしれない。少なくとも、対策を考える時間は取れるはず。紅ちゃんとずっと一緒にいたいなら、方法を考えるんだ。呪いを解いて、彼女を護る方法を」
ホープのすべてが回収される日がいつなのかはわからない。だが、それまでの時間を紅を護るための対策を考える時間にあてれば、何か方法を思い付く可能性は充分にある。遊輝が言う通りだ。
しかし、理解できないことがある。抜折羅は遊輝をしっかりと見つめて口を開いた。
「……どうして先輩は俺にそんな助言を?」
彼は微笑む。
「言ったじゃない。僕は君たちが大好きなんだよ。君たちが不幸になるのを見たくないって心の底から思う。嘘じゃないよ。――ふふっ。今までこんなことを考えたり行動したりしなかった僕のはずなんだけどね。本気の恋をすると、不可解な言動をしてしまうものなのかな」
ごまかすために自身の言動すら彼は茶化す。彼の本性はおそらく照れ屋なのだろう。自分を演出することで、人付き合いを円滑にしようと努めている――抜折羅はここにきて唐突に理解した。
「あんたと話をしていると、時々ペースを乱されて対応に困る」
今、理解できてしまったがために、どう合わせたら適切なのかわからない。
「わざとだよ? 会話の主導権を持っていたいじゃない」
「そういう本心をごまかす癖が抜けない間は、紅は先輩になびきませんよ? ぶつからない相手とは向き合えない質のようですから。熱血系の少年マンガみたいに、拳を交えて初めて打ち解けるって考えるみたいです」
「じゃあ、僕と彼女はいつまでも平行線だね。君の悩み事にならずに済みそうだ」
「いや、俺には別の問題が……」
さらりと言われて、抜折羅は戸惑う。決着をつけたいと願う紅を後押ししてやりたいのに、遊輝にその気がなくて逃げられては意味がない。しかし一方で、彼との関係を断ち切ることに迷いがあるのだ。
――居心地が良いと感じてしまっているのは、紅や
何をどう表現したものか考えあぐねていると、遊輝が続ける。
「――さてと。君から依頼されていた紅ちゃんとの別れ話も済んだし、君に伝えたいことも片付いた。そろそろ解放してくれないかい? ここを出たら、しばらくは君たちの前に現れないと誓うよ。修了式までは出席するからすれ違うことくらいはあるかも知れないけど、お互いに無視しよう。春休みはパリで過ごすことになっているから、当分顔を見なくて済むはずだよ」
「またパリに行くのか?」
冬休みも彼はパリで過ごしていた。それを知っているために抜折羅は問う。
「両親に顔を見せないと。近々生まれてくる妹も気になるし、美術館を回って絵の研究もしたいよね。ついでに先代からスティールハートについて訊いておくつもり。他にも色々と調べ事をしたいんだ。こっちにいても楽しそうだとは思ったんだけど、気持ちの整理をするには誘惑が多くて。抜折羅くんも僕の顔は見たくないでしょ?」
「見たくなかったら、呼び出したりは――っ!?」
人差し指で唇を押さえられた。いきなりのことに対処ができず、抜折羅は慌てる。
遊輝は愉快そうに微笑んだ。その後に浮かべた彼の表情は笑みのままなのに、赤い瞳だけがひんやりと冷めていた。
「甘いね、抜折羅くん。君も僕との現在の関係を断った方が得策なんだよ? 君は僕を許しちゃいけない。そうじゃないと、紅ちゃんが僕を許してしまうんだから。ポーズで充分なんだ。君は僕を許さない振りをしなさい」
しなさい、とは彼らしからぬ台詞だ。提案の形で意志を伝えることがほとんどであるはずなのに、指示の形で言われたことがあっただろうか。
「でも、それだと――」
彼の指をどけて、抜折羅は言う。遊輝の意志であってもあんまりな対応だ。
遊輝は困ったように笑む。
「気遣ってくれてありがとう。当初の予定だったら、こんな野暮なお願いはしないつもりだったんだけどな。君たちが優しくて狡いから、いちいち説明しなくちゃいけなくて大変だよ。僕に敵役は無理みたい」
その台詞の意味が、抜折羅にはこう感じられた。
――別行動を取ろう。僕はマークされている。
「…………」
何と言ったら良いのかわからない。彼の意志を尊重したいのだが、自身の気持ちと折り合いがつかない。だから、唇は動かしたものの言葉は出なかった。
遊輝はふっと小さく笑う。
「いい子だ。わかってくれたみたいで、ほっとしたよ」
告げて、扉を開ける。抜折羅が何も言わなかったのを、承知したと解釈したらしかった。
「君ともしばらくお別れだね。ちゃんと紅ちゃんを護るんだよ」
寂しげな笑顔を向けると、彼は扉を閉めて遮断した。
――また先輩は格好つけて……。
今回の遊輝の行動が何を意図していたのか、やっと理解できた。彼はまだ見ぬ敵を欺くつもりなのだ。脅威がくるのを避けるために。
――あぁ、くそっ!! なんて俺は鈍感なんだっ!!
抜折羅は小さく舌打ちをすると、運転手に指示を出す。遊輝が行けと言っているのだから、ここは去る以外の選択肢を取ってはならない。
車はエキセシオルビルに向かって走り出したのだった。
(White Day's Rhapsody ♪ ~タリスマン*トーカー 番外編~ 終わり)
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