金剛石の意図的なウソ

第175話 ★1★ 4月1日火曜日、10時

 四月一日火曜日。朝十時。

 金剛こんごう抜折羅ばさら火群ほむらこうの家の前にいた。執事のような仕事をしているお目付役のトパーズに頼んで、車で送ってもらったところだ。

 まもなくして、紅が慌てた様子で玄関から出てきた。部屋着らしく、長袖のティーシャツにジャージのズボンを合わせた格好だ。

 無駄のない動きはかつて陸上部で活躍していたことを彷彿させる。それはそれとして、走ると余計に彼女の胸は目立つなと、抜折羅は冷静にそんなことを考えていた。紅の胸は明らかに他の女性よりも大きい。動いて揺れる様は重量感たっぷりだ。

「抜折羅っ!」

 道路に飛び出すなり、抜折羅の胸に飛び込んできた彼女をしっかりと抱き止める。大きな胸が邪魔で密着できないことと、押し付けられるこの柔らかな脂肪の塊の感触を楽しむことについて少しだけ思案し、忘却を選択する。紅は抜折羅のカノジョであるのだし、多少はスケベな目で見ても許されるのではないか――と一瞬は思えど、そこを懸命に自制しようとするのが抜折羅の馬鹿真面目なところだ。

「どうしたのっ!? 重要な話があるから会いたいだなんてっ!」

 普段から「会いたい」と言わず、気持ちを抑えて仕事に打ち込んできたからだろう。紅が抜折羅の珍しい言動に驚いて狼狽うろたえているのが見てわかる。

「それが……さ。実家への呼び出しがあって、しばらく日本に戻れそうにないから」

 言いにくそうに抜折羅はぽつりと呟く。もっと堂々と伝えるはずだったのに、こんな可愛い態度をされると予定が狂ってしまうではないか。

 紅が顔を上げた。不安そうな表情に、抜折羅の良心がチクリと痛む。

「実家……って、ワシントンでしょ!? 帰るって……やっぱり仕事? どれくらいかかるの? また休学するの?」

 寂しいとすぐに口にしないのは、彼女が抜折羅の境遇に理解を示しているからだろう。

 日本にいるのは仕事のためだ。本来ならできるだけ世界を飛び回って青いダイヤモンドの欠片を探したり、呪われた宝石を浄化する仕事をこなさなければならない。そんな事情を、なんとか調整してここに留まっている。その仕事が抜折羅にとって必要なことであるとわかっているからこそ、彼女はわがままを言ったりしない。

 ――紅……。

 もう少しシナリオを用意していたのだが、抜折羅は計画を変更することにした。ネタばらしは午後からというのが多いようだが、これでは紅が可哀想だし、普通に空港まで見送りに来てくれそうだ。

 抜折羅は小さくため息をつく。

「……紅?」

「なに?」

「今日の日付、わかるか?」

「……へ?」

 きょとんとされてしまった。ひょっとして、日本ではエイプリルフールの習慣はメジャーではないのだろうか、と不安になる。

「四月一日なんだが……」

 恐る恐るヒントを出してみると、紅は目を瞬かせて、次には見開いた。

「エイプリルフールっ!!」

「うん、伝わったようで何よりだ」

 表情にはあまり出ていないだろうが、かなりヒヤヒヤした。

 養母である今の母親がエイプリルフールが大好きで、馬鹿正直に引っ掛かる抜折羅を見ては楽しそうにしていたため、今年は誰かに仕掛けてやりたいと思っていたのだった。

 ――仕事で忙しいはずなのに、こういうときだけは母親だから距離がわからないんだよな……。

 エイプリルフールに便乗してやってみれば、養母の気持ちが少しはわかるかとも考えていたが、結局謎のままだった。

「って、抜折羅に合わない! なんでウソついたの? 本当に帰らないのよね?」

 たたみかけるように質問で責められる。抜折羅は頬を掻いて視線をそらした。

「それは……その……少しでもお前と一緒にいたかったから……」

 正直に話すのは照れくさい。ぼそぼそ言うと、紅が首を傾げる。

「どういうこと?」

 本当にわかっていないらしいので、抜折羅は補足説明をする。

「エイプリルフールでついたウソは、一年間実現しないって聞いたから……それで」

 正直に答えると、紅が腰に回した腕に力が入った。

「なぁんだ……びっくりした。嬉しい」

「ウソだとは思わなかったんだな」

「当然でしょ」

 言って、紅はクスクス笑う。幸せそうに思えたのは、自分勝手な解釈だろうか。抜折羅は彼女の頭を撫でる。

「そんなジンクスのために来てくれて嬉しい。一年間実現しないっていうの、出典不明らしいけどね」

「そうなのか」

「でも、そういうのにまですがっちゃうのが抜折羅らしい」

「…………」

 何も返せない。出会ってからまだ一年にも満たないはずなのに、彼女は自分のことをよくわかっているなぁと思う。彼女に嘘はつけそうにない。

「紅、お前さえ良ければ、これから食事に行かないか?」

「うん。良いよ。でも、着替えてきて良い?」

「そうしてくれ。その格好はいささか刺激が強すぎる」

 しれっと今の気持ちを伝えると、彼女はみるみるうちに赤くなった。

「……ば、抜折羅のばかっ!!」

 離れて、紅は家に戻っていく。十分くらいで彼女は再びここに現れるだろう。

「たまにはこういうのもアリだよな」

 少しでも多くの二人の思い出を作れますように――抜折羅は爽やかに晴れた空を見上げながら願った。

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