第136話 *3* 12月7日土曜日、朝

 十二月七日土曜日。今日は少し曇っている。

 こう抜折羅ばさらの顔を見るなり、反射的に緊張した。例のごとく、今朝もいやらしい夢を見てしまったのだ。

 ――なんで二日も続けてあんな夢を……。

「おはよう、紅」

 抜折羅が紅の目と合うなり、片手を上げて声を掛けてきた。今日の格好は濃紺のダウンジャケットに黒いジーンズ、スニーカーを合わせた格好だ。彼の普段着はいつもこんな感じである。

「お、おはよう」

 ぎくしゃくした言い方になってしまった。意識し過ぎだ。咄嗟に目を逸らす。

「なぁ、紅? 赤い顔して視線を逸らすその態度が何を意味しているのか、俺は説明を求めたいんだが」

「野暮なことは訊かないで」

 さっさと見慣れたステーションワゴンの元に行く。この話題からは逃げてしまいたい。

「野暮ってなんだよ、野暮って」

 抜折羅はすぐに追ってくる。目的地が同じなのだから、当然ではあるのだが。

「言ったらあなた、きっと笑うもの。だから言えない」

「笑わない。……ってか、言えないことなのか?」

 問われて、夢の内容を思い出し、耳の先まで熱くなっているのを自覚した。今朝は冷え込みが弱かったが、息は白い。でも、外気温の所為でそうなっているのだと、果たして抜折羅は思ってくれるだろうか。

「……ちょっと待て」

 ついに抜折羅に手首を掴まれた。ドアノブに手をかける前で彼に手を引かれた紅は、ステーションワゴンの扉と抜折羅に挟まれる。向かい合う形になって、彼は見下ろしてきた。心配そうな顔で。

「お前、熱がないか?」

 額に手があてがわれる。ひんやりとしたその手が心地良い。そして、やたらとドキドキする。

「や、やぁね。熱なんてないわよ。ルビーの効能を受けているあたしは風邪知らずなんだし」

 スタールビーの魔性石と契約を交わしている〝石憑いしつき〟である紅は、常にルビーの効能で守られている。ルビーには《風邪に効く》という効能があるため、ちょっとやそっとじゃ風邪をひくことはない。

「だが、すごくあったかい」

 ドキドキ。

 抜折羅の視線に熱を感じる。あんな夢を見た所為だ、絶対に。

「……えっと、見つめられるとですね、相手が好きな人であれば、自然と熱くなるものなんですよ」

「ですます調で言われると、勘ぐりたくなる」

 ずいっと顔を寄せられるとますます逃げ場がない。体温が上がる。降参するのが良さそうだ。

「わかった。わかったからっ! 白状するから、あたしに迫るのはなしっ! 離れてっ!」

 面白いものでも見つけたみたいな子どもっぽい顔をして、抜折羅は離れてくれる。

 ――う……あたしをからかうことに楽しみを覚えているんじゃないわよ。

 腹立たしさが多少あるものの、一方で別のことを考えてしまう。彼の表情が、出会った頃と比べると飛躍的に増えているように思えるのだ。心を開いてくれているみたいに感じられて、それは素直に嬉しい。

「で、どうしたんだ?」

 抜折羅が促してくる。白状すると言った手前、正直に言うしかない。

 小さく深呼吸。

「えっとね……ちょっと夢見が悪くて、ですね、抜折羅を直視できないんです……」

 具体的なことなど言えるわけがない。顔から火が噴き出しそうだ。

「それはつまり、俺がお前に何かする夢でも見た、と?」

 抜折羅にはピンと来ないらしかった。困ったような、不安そうな、それらをないまぜにした気持ちが、僅かに寄せられた眉から読み取れる。

『はい。二人っきりの夜などに、男と女がするようなことを』

「ちょっ!? フレイムブラッドっ!?」

 唐突に割り込む声。その台詞に、抜折羅はすぐに赤面した。奥手な彼でも、さすがに伝わったらしい。

 ――フレイムブラッドの馬鹿っ!!

「……おまっ……とにかく、話は車の中で聞こうか」

 狼狽える紅の頭を優しく撫でて宥め、抜折羅はステーションワゴンの扉を開けてくれる。

「は、はい……」

 確かにこんな住宅街の真ん中で朝っぱらからするような話題ではない。紅はしぶしぶ言うとおりにしたのだった。

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