第137話 ★4★ 12月7日土曜日、朝
池袋へと向かうステーションワゴンの車内。後部座席に並んで座り、事情聴取が終了。車を運転する執事トパーズに聞かせるような内容ではないだけに、始終ひそひそ話となったわけだが。
「……大体のことは理解した」
フレイムブラッドの言っていたことはおおよそ事実であり、
結局、台詞を続ける。
「紅? 言わせてもらうがな、少なくともお前の潜在意識にはそういうことを期待する面があるぞ?」
「あ、あたしに欲求が溜まっているとでも言いたいわけっ!?」
受け入れられないらしく、紅は小声ながらも不満げに声を荒げた。
「それは語弊を含む。期待しているってだけで、遂行したいわけじゃない……はずだ」
主観が混じっているが、ストレートに言うのもはばかれるような気がして、抜折羅は台詞を適当に濁す。
「む……」
「それと、あんまり否定するな。抑圧し続けると、本当に欲求不満になるぞ。それに――」
「それに?」
告げるのを
「……俺自身が拒絶されているみたいで、少し傷付く」
彼女の台詞にそんな意図が存在しないことは、頭ではわかっているつもりだ。彼女なりに抜折羅の都合を考慮し、その結果が今の微妙な関係を作っているのだとも理解できている。
――でも、そんな気はないと否定されると、モヤモヤする。
「あ……ゴメン。そんなつもりはなかったんだけど……でも、そう感じられてもおかしくないか。別に、抜折羅が触れてくれることについては嫌じゃないのよ?」
「……紅、お前、もう少し言葉を選べ。誤解するし、俺がお前をどう思い、どうしたいと考えていると思っているんだ?」
これは脅しだ。紅にもっと触れてみたいという衝動があることは否定しない。しかし、今すぐに行動を起こそうとは考えていなかった。彼女を大事にしたい気持ちが理性を呼び、本能を抑えている。今のこの距離と関係を維持したい気持ちが強いのだ。
「わ、悪かったわね。語彙力が足りなくて」
「スキンシップが足りないと言いたいのなら、手ぐらい繋いでも構わないんだが」
つんつんと、彼女の右手を人差し指でつついてやる。数ヶ月前には手を繋ぐことさえ照れくさかったのだが、最近はこのくらいできないでどうするのかという心境に達した。恋人だというのなら、できて当然だと思えるようになったからだろうか。
紅の右手は恥ずかしそうにして逃げていく。
「今どき、小学生でも手を繋ぐ以上のことをするんじゃないかと思うけど」
顔を背けられて、小声で呟かれる。むすっとしているのは照れ隠しだとすぐにわかった。
――変なところで積極性を出すくせに、こっちが攻めるともじもじするんだよな……。
学校で過ごしているときよりも頑張ってアピールしている自覚はある。デートだと意識しているために、どこぞのスイッチが入っているのだろう。自分らしくないが、彼女の好みを研究した結果なのだから、無理のない演出くらいはしてやろうという気になる。
「ふぅん……紅はそういうことを俺に期待しているのか」
紅の顎に触れて、やや強引に顔を合わさせる。逃げる気になれば逃げられるくらいの力しか加えていないが、彼女は素直に従っている。
「違っ!? あ、いや、違わないとも言えるけど、たぶん違うの」
顔を再び赤くして
――可愛い……。
こういうときの彼女を見ていて楽しく思い、彼女を愛しく感じてしまうのだから、自分は案外とイヤな趣味の持ち主なのだなと思う。この点に関しては、紅の周りを
「紅。今ここでできることなら、お前が望むことをしてやるぞ?」
そもそも、今日彼女を外に連れ出したのには目的がある。なんとなくデートがしたくなったわけではないのだ。
――さぁ、どうする?
黙って見つめていると、紅は視線を右に外した。
「妙なことを口走ったことについては反省しているので、その手をどけてくれないでしょうか?」
「わかった」
充分楽しめたので、何もせずにおとなしくひいた。からかいすぎて嫌われたら本末転倒だ。
「紅が欲求不満なのかどうかの話はそれで良いとして、その夢の原因は他にもあるぞ?」
抜折羅が告げると、紅はむすっとする。
「あたしとしてはまだまだ文句はあるけど、他の原因って何よ?」
「結論の前に確認だ。お前、枕元に魔性石を置いていないか?」
魔性石と限らなくても良いのだが、これほど愉快な夢を二度も見せる代物だ。ただのパワーストーンではそうもいくまい。
「えっとね……
「お前にはガーネットを贈れないな」
紅の台詞に呆れて、思わず台詞がついて出た。
――男からンな物騒なものを受け取るな。
彼らなりに意図があって、それぞれの石を彼女に贈っているのだろうが、今回は置き場所が問題だ。それらの石が干渉しあって厄介な状況を作り出しているのはほぼ間違いない。
「ガーネットを贈れないって?」
「一途な想いには力を貸すが、浮気性な人間には力をなくすと言われている石だからだ。石言葉に《貞節》があるくらいで、持ち主が他の石を持つことを嫌う。だから、お前にはガーネットは不向きだ」
わざと穿った言い方をしてやる。
――紅のところに魔性石が集まってしまうのは、《宝石の女王》と呼ばれるルビーの仕業なんだろうが。
「あたしは抜折羅一筋だもん……」
「そうだと信じさせてくれよ?」
意図が伝わったようで何よりだ。自分のことに飽きて気変わりをされるのは仕方がないと諦めがつくが、好きだと言いながら他の男に目移りされては不愉快である。男友達を作るな、男と仲良くするな、などと言って独占しようとまでは思っていないつもりだ。だから、せめて安心させて欲しい。
紅の頭を撫でると、彼女はくすぐったそうに目を細めた。
「――話が逸れたな。で、それらの魔性石が寝ている人間にどんな作用をもたらすかが問題なんだ」
彼女は宝石の効能については疎い。あるときに勉強させたものの、ちょっとした雑学程度の知識止まりで、実用性は伴わない。抜折羅は魔性石を扱う都合でそれなりの知識を有していた。
「夢に作用するってこと?」
興味深そうに身を乗り出して、問い掛けてくる。
「そう。一番厄介なものはオパールだな。良い夢を見させてくれる効果は期待できるものの、いささか刺激的なものになりやすい」
刺激的という表現で良いのかはわからないが、オパールが見せる夢は情動を呼び起こすものだという。夢操作に限定すれば、初心者には不向きな石とされれているのだ。
「他は?」
「サファイアは《浮気封じ》の石だから、贈り主が誰であれ、持ち主が浮気だと思わない相手が夢に現れやすくなる可能性がある。睡眠に関してなら、寝付きが良くなるとして《不眠症の解消》効果はあるのだが」
《不実に遭うと色を変える》と言われる石、サファイア。その性質はルチルの
「じゃあ、オブシディアンは?」
「オブシディアンは《現実と向き合う》石。現状をありのままに突き付けてくる。その結果、最も現実的な形で問題解決の方法を示すこともある。それは、おそらく夢に対してもな」
オブシディアンという名前は聞き慣れない人も多いかも知れないが、ようは黒曜石のことだ。中世ヨーロッパでは呪術の用途で鏡として利用されたという。かなり強い力で持ち主に働きかけるために、しっかりとした目的を描けない人間には扱いにくいものらしい。
「――以上のことから、紅の中にある願望がそれらの石に影響された結果、そういう夢を見せた可能性が高い」
石の効能に基づいた知識を総合すると、そうなる。ただ、何がきっかけでそんな夢を見るに至ったのかが、想像できない。フラストレーションが溜まっていたのだとすれば、予兆があっても良さそうであるのに、紅には思い当たる節がなかったようなのだ。
「う……じゃあ、ベッドから遠い場所にしまっておけば解決する?」
対処としては一番簡単な方法を紅が訊いてくる。表情が曇っているのは、本当に困っているからだろう。
抜折羅は首を横に振る。
「どうかな。同じ部屋の中だと、あまり期待できないかもしれん」
「あぁっ!! どうしたら良いっていうのよ!? 今晩もあんな夢を見たら、試験勉強どころじゃなくなるっ!!」
頭を抱えてうなだれる。可哀想な気がしてきたが、からかいたい衝動は抑えられない。
「徹夜で勉強して、あえて寝ないのはどうだ?」
「抜折羅、冷たい……」
恨めしそうな目で見つめられてしまった。
「だったら――いや、これは黙っておくか」
ウチに来るか――と言いかけてやめる。
《浄化》を得意とする水晶の結晶の集合体、クラスターが大量に置いてある抜折羅の部屋であれば、他の石の効能を抑えることができるだろう。だが、それには抜折羅側に問題があった。
――紅が見た夢を現実にしかねないよな……。いつでも衝動を抑え込めるとは限らんし。
可能性の芽は、できるだけ摘んでおくに限る。わざわざ自分からそんな危険に足を踏み入れる必要はない。
小さく咳払い。気を取り直して続ける。
「冗談はさておき、解決策くらいはある。安心しろ」
「欲求不満の解消と称してあたしに手を出したら殴るわよ? 平手打ちじゃなく、グーで」
今にも殴られそうな口調である。目が本気であり、添えられた拳がリアルだ。
「恋人を殴るな」
すぐさま返す。付き合い出す前に、色々な手違いから彼女に平手打ちを食らっているのだが、正直、あれはかなり効く。自分に非があっても、次は受けたくない。
「それに、俺は白浪先輩じゃないんだから、そういうことを期待されても困る」
「わかっているわよ。念のためなんだからねっ」
――念のためで殴られそうになってなかったか、俺……。
議論したいところだが、ここは円満に話を進めるためにそっとしておこう。
「解決策というのは単純な話だ。石の力に惑わされているのなら、それを正しい方向に導いてやればいい」
「と、言うと?」
「《夢魔を払う》石がある。そういう類の夢なら、効果を期待できるだろうよ」
「夢魔ね……」
何か言いたげだが、触れると面倒そうなので突っ込まないでおく。気付かなかった振りをするために、抜折羅は補足を入れることにする。
「昔の人は悪夢から逃れるために石の力を借りたんだ。《夢魔を払う》《悪夢を退ける》などの効果を持つとされる石は様々なんだが、俺がお前に合いそうなものを見繕ってやるよ。昨日調べた感じだと、結構売っていそうだし」
「ん? 選んでくれるの?」
紅が不思議そうな顔をしている。それを見て、まだ目的地を彼女に伝えていないことを思い出した。
「あぁ、勿論。買って、プレゼントするよ。クリスマスには少し早いけど、すぐに必要だろう?」
彼女の瞳がキラキラ輝いた。喜んでくれているようだ。
「嬉しい! 本当に良いの?」
「お前のヘアピンほど高価な物は買えないけどな。――クリスマスは向こうに帰らなきゃならないから、今日は前倒しのつもりで誘ったんだよ。一緒に過ごしてやれない詫びも含んでいる。遠慮するな」
ワシントンにある本社に顔を出せと、社長から直々に電話があった以上、帰るしかない。クリスマスは家族で過ごすのが、社長であり抜折羅の養母である彼女の方針だ。だから、完全に独り立ちできるようになるまでは付き合うと決めていた。
「へぇっ……なんだか普通のデートみたい」
「行き先が東京ミネラルショーだから、普通のデートとは少し違うだろうけどな」
彼女が楽しめるかどうかは未知数である。一般的なデートとは異なるだろうことはわかっているつもりだが、映画を見たりショッピングをしたり食事をしたりという行為に面白みを見いだせなかった彼なりのデートコースなのは確かだ。
――あとは、いかに彼女の気分を盛り上げるか、だな。
今日のための仕込みは、思い付いた先月から始まっている。紅の悪夢の話題で道が逸れかかったものの、まだまだ気合いは充分だ。
「ふふっ。楽しみにしてる」
答えて、紅は自分の右手を抜折羅の左手に重ねた。気持ちを掴むことはできたのだろうと、抜折羅はほっとする。
もうすぐ池袋。目的地が迫っている。
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