第127話 *5*
テーブルの上にはカセットコンロとすき焼き鍋が置かれている。取り皿と箸はランチョンマットの上に並んでいた。どれもが色鮮やかな緑や橙といったビタミンカラーで統一されており、食卓を明るく彩る。
「うちのすき焼きは関西風なんだよー」
カセットコンロに火を点けて、適度に熱せられた鍋に牛脂が入れられる。脂が溶けてきたところで、見事な霜降りの薄切り肉が投入された。それだけで美味しそうだ。
「先輩の家って、関西の方なんですか?」
「ううん。教えてくれた人が関西風のすき焼きを作れただけ」
肉にさっと火が通ったところで引き上げられる。鍋に残った脂に砂糖と醤油が入れられて、食欲をそそる香りが立ち上った。
「お母さんやお父さんに習ったわけじゃないってこと……?」
妙な引っ掛かりを感じる言い方に、紅は首を傾げる。
「あぁ、うん。僕の両親は料理なんてできないし。父さんの友人とか母さんの友人とか――まぁ、平たく言えば二人の愛人だよね。彼らから習ったんだよ」
「今、しれっとすごい単語が出てきたな」
「愛人のことかい?」
呆気に取られた表情での
「僕の家は、二人の愛人が結構出入りしていてね。料理とか掃除とか育児とか、そういう雑多なことはすべて彼らがしてくれたんだ。両親の仕事が捗るようにって。せっかくなんで、僕は彼らから色々なことを学ばせてもらったよ」
「……えっと、その話ってあたしたちが聞いてもいい内容だったんでしょうか?」
驚きで瞬きが多くなる。家庭の事情など口外するものでもないと思うし、面白がって聞くことでもないと思う。
「別に隠していることじゃないし。父さんが彫刻方面で名前が聞かれるようになった頃、週刊誌に書かれたことだから、知っている人は知ってるでしょ」
「はぁ……」
砂糖と醤油で味が整えられた鍋に白菜などの野菜が入れられる。火の通りやすさを考え、かつ見栄えも計算されているらしい。手際よく並べられる野菜は料理本などで紹介されている写真のように整列していた。
「でねぇ、父さんと母さんが知り合ったのは学生のとき。母さんが所属している劇団のポスターを友人から頼まれて、打ち合わせに行ったのがきっかけなんだって。お互い一目惚れしたそうで、あれよあれよといううちに僕がお腹にできた」
「……えっと、身の上話ってまだ続きます?」
すき焼きの調理を着々と進めながら語る遊輝に、紅は止めた方が良いのではないかと思って問う。
遊輝は手を止めて、紅に微笑んだ。
「あんまり面白くない話かも知れないけど、最後まで聞いてほしいな。僕は君たちに、ちゃんと僕のことを知ってもらいたいんだ」
「最後まで聞いたからって、距離が縮むとは限らないと思いますが? 俺は昔話をする趣味はないんで」
遊輝の意図を察したらしい。抜折羅がやや不満げに指摘する。
おそらく指摘の通り、遊輝は仲良くなりたいと思うから話しているのだろう。自分のことを知ってもらいたいという欲求は、相手のことを知りたいという欲求の裏返し。
――仲良くなりたいという意図があるとはいえ、
何かが引っ掛かる。遊輝という人間を、現在を目一杯楽しむタイプの人間だと認識しているせいだろうか。
紅に向けていた顔を抜折羅に向けて、遊輝は答える。
「別に構わないよ。僕が一方的に喋っているだけなんだし」
告げて、ネギや木綿豆腐の位置を菜箸でささっと直す。野菜からの水分だけで、鍋全体がぐつぐつと煮えている。
汁を少し掬って啜り、遊輝は味見をした。その仕草がかなり自然であり、普段から料理をしているのがわかる。納得したらしく小さく頷くと、口を開いた。
「話を戻すね。――僕を身ごもった母さんは父さんと結婚するつもりでいた。だけど二人ともまだ学生。彼らの両親、つまり僕の祖父母は結婚も出産も認めなかったんだ」
人参や春菊の煮え具合を確認すると、遊輝は鍋の中に牛肉を戻す。これで見た目は完成だ。
「どうしても僕を産みたかった母さんは父さんと駆け落ちをすることにした。結婚式は劇団員みんなで手作りをして挙げたんだって。そのあとは母さんのファンや父さんの友人などを頼って綱渡り生活。母さんは劇団での活動を今後は大事にしたいからって大学をやめて、父さんは表向きには彫刻の勉強を理由に休学。似顔絵を描く仕事をしばらくはしていたそうだけど、あまりお金にならないから色々なバイトをしたんだって、父さんは言ってた」
そこまで話すと、遊輝は手元においていた生卵の入った器を紅に回す。
「よしっ。すき焼きの完成だよ。火が通り過ぎないうちに食べて」
「はい。いただきます」
卵を受け取り、取り皿に割り入れる。黄身がしっかりとした新鮮な卵だ。その黄身を箸で軽くほぐす。あとは鍋から具材を取り出すだけだ。
「抜折羅くんもどーぞ」
「いただきます」
抜折羅も生卵を受け取ると、紅と同じように取り皿に入れて準備する。
「たくさん食べてね」
遊輝が食べ始めるのをなんとなく抜折羅と一緒に待っていたのだが、彼がニコニコしたまま動かないので、示し合わせたみたいに同時に鍋へと箸を伸ばした。
白菜と豆腐を取ると、溶き卵に潜らせて口に運ぶ。熱々の白菜は本来の野菜の甘味と甘辛い出汁とがよく絡んで美味しい。豆腐も適度に味がしみていて、はふはふしながら頬張る。
「どうかな?」
「おいひいですっ!」
気持ちをすぐに返したいと思って口を開いたら、上手く言えなかった。ちょっぴり恥ずかしい。
「美味いです。家庭で作られたとは思えないくらいには」
抜折羅はいつもの真面目な顔というよりは、意外そうな感情が滲む顔でそう告げた。目の前で調理されたから、より驚いたのかもしれない。
「今日は料理人の腕をごまかすためにも食材にこだわったからねー。君たちが美味しそうに食べてくれるだけでも嬉しいよ」
遊輝の笑顔は本当に幸せそうに見えた。演技じみたり、誇張されたりしていない感じだ。
――思っていた以上に、白浪先輩は今日を楽しみにしていたのかも。
お呼ばれしたときにはよからぬことを企んでいるのではないかとも考えていたが、この様子だと単純に自分の誕生日を楽しみたいだけのように見える。この大きな一軒家で独りきりの誕生日を迎えるのが寂しいだろうくらいは優に想像できた。賑やかな空気を好む遊輝なら、こんなふうにして十七の誕生日を演出しそうだ。
「――あ、自分で作ったにしてはかなりの上出来。素材の良さだけじゃなく、誰かに美味しく食べてもらおうって気持ちを込めた結果なのかも」
自分のためによそった肉や野菜を食べたあと、遊輝がしみじみ告げる。
「ねぇ、二人とも毎晩ここでご飯食べていかない?」
「それはさすがにちょっと……」
「遠慮しておく」
「えー。じゃあ、一週間に一回は?」
さらに誘ってくるのに対し、二人して拒否を示す。
「ひと月に一回でもいいよ? 独りでご飯食べるのって味気ないんだもん。ねぇ、抜折羅くんはわかるでしょ?」
抜折羅に同意を求める。抜折羅も独り暮らしをしているのだから、境遇は同じだろうと考えたに違いない。
「俺がいつも独りで食事をしていると思われているみたいだが、執事が栄養管理もやっている都合で案外と少ないんだ。他をあたれ」
――あー。あの人ってそんな仕事もしているんだ。
紅は直接話したことがないが、抜折羅が手配してくれるステーションワゴンの運転手のことを言っているのだろう。彼が抜折羅の身の回りの世話をしていることは前に聞いたことがある。
「つーめーたーいー! くぅ……こんなことなら、一位のお願い、毎週僕の家に通うことにでもしておくんだったよ」
そう言うものの、彼は本気でそんなことを考えて残念がっているわけではないようだ。口調や態度から透けて見える。拗ねてはいるが、気を引きたいだけらしい。
身の上話が続くのかと思っていたのだがすぐには続かず、鍋から具がなくなるまでは雑談を交えながら食事を進めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます