第128話 ★6★

「――で、どこまで話したっけ?」

 〆のうどんまでいただいたあと、皿の片付けを始めた遊輝ゆうきが問う。

 ――まだ続けるつもりがあったのか……。

 使った皿を食洗機に立て掛けるのを手伝いながら、抜折羅ばさらは思う。

 生まれる前の話なんて知らないからそもそも語れない。だが、幼少時代のことやアメリカに渡ってからの生活について話したいとも思ったことがない抜折羅から見れば、遊輝の言動は奇異に映る。仲良くなるためだと昔話を聞かせてきた人間には何人か遭遇したが、そういう感覚が今ひとつ理解できない。

 ――こうはあんまり過去のことを気にしないみたいだよな。無理に聞いてくるようなこともないし。

 紅が過去を聞いてこない理由には何となく察しがついていた。彼女は普通の家庭で普通に育ってきている。だが、どうやら肉体的精神的にダメージを受けるようなトラブルに巻き込まれたことがあるらしい。身体の傷は癒えたものの、トラウマになっているのかそのときの関係者を見かけると怯えることがあるのだ。彼女に思い出したくないことがあるからこそ、聞きたくても聞けないでいるのだろう。

「あ。僕が生まれるちょっと前の辺りだったね」

 ――覚えてない振りをするな。

 わざとらしくそう告げて、にっこりと微笑む。こういう話の運び方をするのがとても遊輝らしいと言えるのだが、抜折羅は少々苦手だ。

「父さんはどうにか出産に必要なお金を稼いでくれた。母さんの劇団の人たちもカンパしてくれてね、おかげで一七年前の今日、僕が産まれたんだ」

 皿を立て掛け終えると、遊輝はコーヒーメーカーを準備する。抜折羅と紅には、適当に休んでてとジェスチャーで示した。指示の通りにテーブルについて耳を傾ける。

「産まれたからおしまいってわけじゃなくて、そこからが大変でね。子育てって結構お金がかかるんだよ。家を二人とも飛び出してきちゃったから頼れる年長者が少なくって。で、彼らはふと考えた。自分の食い扶持ぶちは自分で稼がせよう、と」

「……へ?」

 紅が妙な声を出した。話が産まれたあとにまで及ぶと思っていなかったからだけではあるまい。

 にこにこしながら、遊輝は続ける。

「自分たちの子どもなら、容姿だけでいいところまでいけるんじゃないかって思ったらしい。産まれたときから極端に色素が薄い子どもだったわけだけど、それって両親ともだし、二人ともナルシストだからね。この遺伝子を継いでいるなら――って、首がすわるようになってからはベビー服のモデルの仕事をたくさんこなしたよ。写真も残せて一石二鳥だと思っていたらしい」

「なんというか……苦労してるんだな……」

 思わず感想が漏れた。ひどい親だと非難する人もいるんじゃないかと感じるエピソードなんだが、本人はけろっとしている。

「どうだろ。案外と嫌いじゃなかったみたいだよ、周りから聞いてると」

「好きとか嫌いとかの問題なのか?」

「僕にとってはそんなもんなんだよ」

 答えて、遊輝は肩を竦める。

「あ。僕がひどいなーって思ったのはね、劇団で子役をしていたときかな」

「やっぱり演劇をやっていたんですね」

 紅が話題に食い付いた。遊輝の身振り手振りが芝居がかっているように見えるので、うっすらと想像していたのだろう。

「うん。初舞台は二歳の頃かな。モデルの仕事を卒業して、母さんにくっついて回っていたら舞台に立つことになって。それ以来、僕は子役が必要なときに呼ばれるようになった。スポットライトを浴びるのは気持ちが良かったし、演技が上手くなったって誉められるのも嬉しかった。何より、女優として振る舞う母さんが格好良くて、そばにいられることがとっても幸せだったんだ。――だけどね」

 話していた彼の表情が僅かに曇った。

「小学校に上がるとき、母さんが言ったんだ。――ゆーちゃんが舞台に立たされているのは、あなたが産まれるときにみんなからお金を借りたからなのよ。自分の借金は自分で返すべきだって言われて。もうお母さん一人だけでもお金は返せるから、ゆーちゃんは無理して舞台に出なくていいのよ――って」

 困ったように笑って、遊輝は食器棚に向かう。

「母さんは僕の本心をわかってなかったんだよね。で、そういうこと言われちゃうと、周りの大人が誉めてくれた意味を考えるようになっちゃってさ。なんせ小さな劇団だから、ほとんど役者を兼任するような場所だよ。みんなが本当のことを隠しているんじゃないかなって、思っちゃったわけだ。それでも僕はみんなとの関係が壊れることだけは恐れていたから、今まで通りに振る舞った。相手を信じられなくても、お世話になった人に迷惑は掛けたくなかったから」

 コーヒーカップとソーサーを取り出してテーブルに置く。抽出が終わったコーヒーをカップにたっぷりと注ぐと、遊輝は最初に紅の前へ、次に抜折羅の前に差し出した。

「勝手に裏切られたみたいな気持ちになっていただけだったんだと思うから、変わらずに接してきたのは我ながら正しい判断だったと思うよ。にこやかにして過ごしていれば、可愛がってくれるわけだし。楽しいと思えたからね」

 彼は自分のコーヒーを啜ると、話を続ける。

「僕が劇団を出入りするようになった頃には父さんは復学していて、教員免許を取得したんだ。家計を安定させるために、彫刻家としての道をお休みすることにしたそうだよ。――紅ちゃんは知っていたよね、父さんが宝杖学院で美術の先生をしていたこと」

「えぇ。彫刻家として名前が売れてきたから退職されたんだとも聞いてます。兄が習ったことがあるんですよ」

「なるほどね。だけど、名前が売れてきたからってのは建前だと思うよ。教員以外での収入が上がっていたのは事実だと思うけど。おそらく実際は、僕を宝杖学院に入れたかったからじゃないかな」

「そんなことで教員を辞めるものなのか?」

 収入を安定させるために教員になったのなら、息子を宝杖学院に入学させることを理由に辞めるものだろうか。むしろ話を聞いてきた感じだと、諦めかけていた夢が叶いそうだから転職するという方が似合っている。

 遊輝は質問をした抜折羅を見ながら、補足をする。

「一応、教員とその子どもは同じ学校にいちゃいけないらしいからね。理事長から色々融通してもらってはいたけど、そこは教員としての自分と親としての自分で悩んだって言ってた。ちなみに僕、小学校では美術の展覧会によく出してもらっていたんだよね。割と上位に入っちゃう常連で。父さんとしては、自分が学んだ場所が気に入っていたから、同じ環境で学ばせたかったらしい」

 ――そういうものなんだろうか?

 抜折羅の両親は物心がつく前に相次いで亡くなったために、親という存在がどんなことを考えて子どもに接するのかイメージできない。なんだか不思議な感覚だ。

 素直に納得できないでいると、紅がぼそりと呟いた。

「小さな頃から才能があったんですねぇ……」

 その呟きを拾ったのか、遊輝が紅に顔を向ける。

「才能かどうかはわからないよ。ただの落書きでも添削して突き付けられるような環境で育ってきたから。頼んでもいないのに、やたら熱心でね。だけど、父さんの指摘の通りに直すと、最初よりもよく見えたから素直に従っていたんだけど」

「羨ましい環境です……」

 紅の夢はジュエリーデザイナーになることだ。その努力の一環として美術部に所属し、その腕を磨いている。整った環境に憧れる気持ちは容易に想像できた。

「そう? ――あ。本当にそう思ってくれているなら、僕が直接指導しても良いよ? ここに通ってくれれば、喜んで添削してあげる」

「いえ。羨ましいのは本当ですけど、お断りします」

 紅は苦笑していた。遊輝が何を企んでいるのか察したのだろう。

「えー。遠慮しなくていいのに。夕食もつけるし、なんなら宿泊もオーケイだよ?」

 ――って、自分からあっさり白状するんかいっ!

「あんたはよくそういう台詞がポンポンと出るもんだな」

 呆れて、抜折羅は突っ込みをせずにはいられなかった。遊輝は肩を竦める。

「思っていることを素直に言っているだけだよ。チャンスがあるなら、全力で挑まなきゃ」

「もう少し自重って言葉を覚えた方が良いんじゃないですか?」

「ふふっ。抜折羅くんも言うようになったね。良いことだ良いことだ」

 満足げに言われる意味がよくわからない。返す言葉が浮かばなくて、抜折羅は黙った。

「――話にオチを付けるのを忘れたけど、僕の昔話はこれでおしまい。宝杖学院に入学してからの話は二人とも知っているだろうし。そろそろケーキも食べようか」

 楽しげに告げて、大型の冷蔵庫に遊輝は向かう。

 ――紅は今の話、どう思ったんだろうな。

 遊輝の昔話を知ったところで、とりわけ何かが変わったようには思えない。もともと興味がなかったからという理由に思い至ると、紅がどのように受け取ったのかが気になる。彼女が少なからずとも遊輝に憧れの気持ちを抱いているのを知っている。何かしらの感情の変化があっても不思議ではない。

 抜折羅は紅の横顔を見ながら、温かいブラックコーヒーを啜ったのだった。


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