第71話 *4* 9月13日金曜日、放課後

 星章せいしょう家の屋敷は宝杖ほうじょう学院のすぐ隣にある。敷地は広く、自慢のイングリッシュガーデンは庭というよりも公園みたいに整えられている。建物自体もペンションとして経営できそうな立派な洋風建築で、ほとんど同じ構造の母屋と離れが存在する。母屋には蒼衣あおいの両親と弟が暮らし、離れは蒼衣の祖父母が暮らしていた。

「正面から入るのは初めてだけど、さすがは閣下の家って感じだね」

 門をくぐり、屋敷の玄関に向かいながら遊輝ゆうきが感想を述べる。

「どんな悪いことをしたら、こんなお屋敷に住めるの? 学費が高い宝杖学院だけど、学校経営だけでここまでの経済力はつかないでしょ?」

「元が地主なのよ。昔からの大金持ちってわけ」

 遊輝の疑問にこうが答える。数歩先を進む蒼衣は振り返らなかった。

「そんな家と火群ほむら家はお付き合いがあるんだね」

千晶ちあきお祖母ちゃん繋がりで、ね。ちなみにお祖母ちゃんが生まれた出水いずみ家はなかなかの資産家なのよ。コレクションもそこから資金調達していたみたい」

「ふぅん。また出水千晶ね……」

「また?」

 遊輝の台詞が引っ掛かる。

 確か、タリスマンオーダー社設立にも千晶が絡んでいたという話であったが、遊輝が気にするところには思えない。

「因縁という意味では、白浪しらなみ家も出水千晶とは無関係じゃないんだ」

「え?」

「出水派とウィストン派の派閥争いに嫌気がさして、父は単独で動くことにしたんだって聞いてる」

「……? 白浪しらなみ美輝よしき先生もタリスマントーカーってこと?」

 遊輝の父親、美輝のことを尊敬の念を込めて先生と呼んでいる。実際、芸術家として忙しくなるまでは宝杖学院の美術を担当していた時期もあり、名はよく知れている。

「あれ? とっくに気付いていると思っていたんだけどな。僕、二代目だし」

 遊輝が時々、先代がどうのという言い方をしていたのは覚えがある。十八年前にいた怪盗オパールが活躍していた頃に、遊輝は生まれていないということもすぐにわかる。誰かがかつて、魔性石〝スティールハート〟で怪盗オパールを演じていたのだろう。だが、その正体まで考えたことはなかった。

 ――つまり、白浪美輝先生が初代怪盗オパールだってこと?

 遊輝は自身の唇に人差し指を当てて、紅にウインクしてみせる。

「内緒にしておいてね」

「えぇ、とりあえずは」

 玄関ホールを抜け、食堂に通される。イングリッシュガーデンを一望できる大きな窓、その手前には真っ白なテーブルクロスが掛けられた十数人は一緒に囲める長机。紅にとっては見慣れた光景だ。

「適当に座ってください。飲み物と菓子くらいはご馳走しますよ」

 使用人に言付けを終えた蒼衣が紅たちに促す。

「噂には聞いていたけど、庭もすごいんだねー。あのときは夜だったからよくわからなかったけど、これは確かに絵になる。目に焼き付けておこう」

 ぱたぱたと窓際まで歩いていくと、遊輝は食い入るように庭を眺める。まるで子どもが新しい玩具おもちゃに興味を示したようなはしゃぎ方だ。

「おや、女性以外に興味がないのかと思っていましたが」

「綺麗だと感じるもの全てに興味があるんですよー。そういう意味では宝石に関した知識だって、閣下や紅ちゃんよりあるつもりですけどね。流石に、専門家である抜折羅ばさらくんに勝っているだなんて自惚うぬぼれてはいませんが」

 言って、挑発するような視線を蒼衣に送る。

「宝石の知識については、確かに白浪の方が私よりも詳しいでしょう。認めますよ」

 売り言葉に買い言葉、何か皮肉めいた台詞で返すかと予想していた紅だったが、蒼衣があまりにもあっさりと引いたので拍子抜けした。

「ん? 張り合わないのかい?」

 とぼけた様子で遊輝が問う。彼も紅と同じように考えたのかも知れない。

「今日の話題がまさにそれ関係でしたので」

 答えて、蒼衣は窓際の席に腰を下ろした。

「それ関係って、どういう話?」

 蒼衣の正面になる位置に腰を下ろしながら紅が問う。

「白浪に、宝杖学院の秘密と仕事を担ってもらいたいのです」

「はぁっ!?」

 素っ頓狂な声を上げたのは、未だに窓のそばに立っていた遊輝だった。

 蒼衣は遊輝の反応には気をとめず、淡々と話を続ける。

「学校の代表という立場で、私の役目を引き継いで欲しいのですよ。紅には、いささか不本意ではあるのですが、白浪のサポートとさらに次期の役目の引き継ぎをお願いしたい。そのためにこちらにお招き致しました」

「僕に生徒会長になれっていう命令ですか? 僕はそんなつもりで副会長を引き受けたつもりはなかったんですけど」

「星章先輩、勝手なことを言わないでください。あたし、生徒会に入るつもりなんてないわよ?」

 それぞれが蒼衣の依頼を不満げな問いで返す。

 小さな溜め息。そのあとで蒼衣は告げる。

「在学中は私が仕事を担ってきました。ですが、卒業後までは手が回りません。この仕事は代々、宝杖学院に在籍するタリスマントーカーが生徒会に所属することで引き継がれています。白浪がどうしても断りたいというなら、中等部にいる蒼次そうじに引き継がせましょう。いかがしますか?」

 次男坊である蒼次の名前を出し、蒼衣は遊輝に視線を向ける。

「――それってさ、出水千晶コレクション絡みだったりするのかな?」

 恐る恐るといった様子で窺う遊輝。

 そんな態度を前に、蒼衣はにっこりと微笑んだ。不気味にさえ感じられる笑顔。

「おやおや。お父上から聞いているのですかね。美輝先生も〝石守いしもり〟の役目を担っていたはずですから」

「聞いたわけじゃありませんよ、閣下。〝スティールハート〟が探知に特化した魔性石だから、気になって勝手に調べたんです。学院内の至る所に魔性石が隠されているんですもん、最初はびっくりしましたよ。まぁ、タリスマントーカー候補生の方がより衝撃的でしたけど」

 遊輝にしかわかりえない情報は確かに存在するようだ。

 ――って、そんなに魔性石があるの!?

 さり気なく明かされた事実に紅は驚いたが、蒼衣の動じない様子を見る限り彼は知っていたのだろう。蒼衣は遊輝を見据えて問う。

「で、引き受けて下さるのでしょうか?」

 ひるんだのか、遊輝は表情を少しこわばらせる。思考する時間を僅かにおいて、彼は答えた。

「僕は王子が適任だって推しておくよ。彼はアクアマリンのタリスマントーカーだもん。出力が弱いから、探知系能力者以外にはわからないのだろうけど」

「なるほど、藍染あいぞめですか」

 遊輝は生徒会書記を務める藍染あいぞめかいを〝王子〟と呼ぶ。聞き慣れているらしく、蒼衣にはすぐに通じたらしかった。

「彼の父親は地質学者。本人も鉱物には詳しかったはず。――紅ちゃんは地学部にいるからわかるでしょ? 王子のそういう趣味のこと」

 紅は藍染海とは部活動で繋がっている。地学部の活動は月に数回のフィールドワークが中心だ。紅はそれにはまめに参加しており、海とは互いの連絡先を知る程度には親しく接している。

「そうね。藍染先輩は山香やまが先生と専門的な会話が成立する程度には詳しいけど――ってか、彼もタリスマントーカーなの?」

 聞き流すところだったが、衝撃的な話題だ。紅が問うと、遊輝は微苦笑をした。

「ロイヤルブルーは全員タリスマントーカーだよ。クイーンの魔性石は僕が奪っちゃったから、能力らしいものは発現してないと思うけどね」

 クイーン、つまり生徒会会計を任されている青空あおぞら瑠璃るりもタリスマントーカーだったらしい。紅は狐につままれたような気持ちになった。

「知らなかった……」

「君の周りにも、適応する魔性石がないというだけで、タリスマントーカーになれる可能性がある候補生がいるんだよ」

 小さく笑うと、遊輝は視線を紅から蒼衣に移す。

「宝杖学院はタリスマントーカーを育成する機関も兼ねているってことだよね、閣下」

 遊輝は蒼衣の反応をじっくり観察するように目を細める。

「ふむ。探知系能力者は補助系能力者と違って本当に感度が良いのですね。どういう感覚なのか興味が湧きますよ」

「こちとら魔性喰いなんで、感度が低かったら死活問題になるんですよ。――その発言は肯定と解釈して良いんですか?」

 挑発するような物言いを受けて、蒼衣は小さく息を吐き出す。

「少なくとも、千晶さんはそのつもりだったようですね。力を正しく導けるようにと願っていたのだと思いますよ。うっかり魔性石と契約してしまっても対処できるように、意識が向けられております」

「育成ね……」

 遊輝が〝育成〟という言葉を使った感覚はわからないでもない。紅が漏らした台詞に、蒼衣が続ける。

「あぁ、誤解なきように補足するなら、宝杖学院はタリスマンオーダー社のように意図的にタリスマントーカーを生み出すような真似はしていませんよ。セーフティーネットとして機能するよう、千晶さんが口出ししていたそうですから」

 ――千晶お祖母ちゃんはどこまで口を挟んでいたの?

 亡くなる前までは、千晶がここまで自分の関わる世界に影響しているとは紅は微塵も想像していなかった。魔性石〝フレイムブラッド〟を譲り受けたことから始まった一連の出来事や世界の広がりは、紅の知らない祖母の一面を浮かび上がらせる。その全てが驚きに満ちていた。

「とにかく、僕の結論は藍染海を生徒会長に据えて、宝杖学院の厄介ごとを引き受けてもらうのが最善だと思うってことです。紅ちゃんがいるおかげで生徒会にいる目的も不要になったし、僕は一般生徒に戻りますよ。面倒ごとを起こす生徒を代表にしたくはないでしょう?」

「残念ですよ。日頃の言動には異を唱えても、生徒会の仕事振りについては評価していたのに」

 蒼衣にしては珍しい発言だ。遊輝は鳩が豆鉄砲でも喰ったような顔を一瞬して、照れたように笑んだ。

「嬉しい科白せりふをありがとう、星章先輩。社交辞令でも嬉しいですよ」

「気が変わったら、すぐにお知らせください。生徒会選挙までには時間がありますから」

「変わらないとは思うけど、頭の片隅に入れておきますよ」

 しつこいなと言いたげに肩を竦めて、遊輝は続ける。

「――話はそれだけ?」

「別件でもう一つ。こちらは紅に関係が深い話でして、金剛こんごうにも聞いて欲しかったのですが、今お伝えしてしまいましょう」

 気が乗らない様子だ。蒼衣の浮かない顔を見ていると不安になる。

勿体もったいぶって、何?」

 なかなか話したがらない蒼衣を促すと、彼は真っ直ぐな瞳を向けて口を開いた。

黒曜こくようが帰ってきます」

 久し振りに聞く名前に、紅は身体が反応したのがわかった。湧き上がる感情は恐怖。

「あれから六年は経っていますから、彼がそのままということはないと信じたいのですが……情報を得たので共有しておきます」

 ――まさか宝杖学院に来る転入生は、黒曜こくよう将人まさとなんじゃ……!?

「う、うん。ありがとう」

 異様に喉が乾く。かろうじて声を出せたように思えた。

「紅ちゃん、顔色悪いけど大丈夫?」

 怖いと思う気持ちが顔に出てしまったらしい。遊輝が窓際から移動して、テーブル越しに紅の顔を覗き込む。

「嫌なこと思い出しちゃった。もう平気よ」

 笑顔はうまく作れただろうか。テーブルの下に隠した拳は震え続けている。

 遊輝は蒼衣を見た。紅を動揺させたのを許せないのか、にらんでいるようにも見える。

「白浪も注意してください。黒曜将人が紅に近付くようなら排除をお願いします」

 真剣な眼差しで返されて、遊輝は表情を緩めた。

「ふぅん。黒曜将人、ね。紅ちゃんに何をしたのか知らないけど、想像はついたよ。僕の目が届く範囲では絶対に近付けさせないさ」

「頼もしい台詞ですね」

「一般人相手なら基本的に無敵だからね」

 ふっと笑うと、遊輝は紅に顔を寄せた。右手を紅の顎に添えてそっと持ち上げる。

「――僕が君を守ってあげるから、そんな不安そうな顔をしないで」

「……はい」

 普段の流れなら、ここで唇を奪ってきそうなところなのだが、彼の細い指先は顎を離れて頭を優しく撫でた。くすぐったい。

 ――星章先輩の前とはいえ、白浪先輩がおとなしく引くとは……そんなに不安そうに見えるのかしら?

「で、紅ちゃんが僕に聞きたいことって何?」

 ひとしきり撫でたあとで遊輝が問う。それで紅はここに来る前に話していたことを思い出した。この話題でひとまず黒曜将人のことを忘れようと決める。

「知っていたらで構わないんですが、魔性石〝氷雪の精霊〟が何処にあるのかわかりませんか?」

「宝杖学院の守護石のことかい?」

「たぶん」

 紅が頷くと、遊輝は表情を曇らせる。

「関わらない方が良いんじゃないかなぁ」

「どうしてですか?」

「先代からの忠告でね。〝出水千晶コレクションには関わるな〟ってさ」

 おどけて見せるので、特に重い意味はないと紅は想像した。遊輝には面倒ごとを避ける傾向があるように紅には映る。おそらくそういう判断で近寄りたくないのだろう。

「白浪の言う先代は随分と宝杖学院の秘密に精通しているようですね」

 蒼衣が脇から割り込んでくる。声色はひんやりと冷たい。

「まぁね。色々と漏れてくる情報はあるもんだよ」

「しかし、紅。〝氷雪の精霊〟の存在をどこで聞いたのですか?」

 話の流れ的には〝氷雪の精霊〟は機密事項のようだ。蒼衣がいぶかしがるのも当然である。

「フレイムブラッドが千晶お祖母ちゃんから言伝ことづてを頼まれたらしくって」

 隠す必要がないことだ。紅は協力を得るためにも正直に明かす。

「フレイムブラッドは宝杖学院を守るために調整された魔性石ということなのでしょうかね。私の〝紺青こんじょうの王〟がフレイムブラッドのためにあるように」

 一応の納得を得られたらしい。蒼衣が追及してこないので、紅は遊輝に顔を向ける。

「白浪先輩は〝氷雪の精霊〟の在処は知らないってことで良いのかしら?」

 遊輝は肩を竦めて、首を横に振った。

在処ありかについては残念ながら。情報としては、宝杖学院には七つの水晶があって、結界を作っているらしいってことかな。その一つが〝氷雪の精霊〟だね。宝杖学院の七つの水晶はいずれも出水千晶コレクションで、学校が建てられる際に寄贈されたものらしい。七つとも形や性質が異なるんだったかな。かなり強い魔性石のはずなんだけど、互いの力に干渉しているのか、僕の〝スティールハート〟でも具体的な場所はわからない。――少しは参考になった?」

「なるほど……〝氷雪の精霊〟って、水晶だったんですね」

 何の石の魔性石かさえ今朝の段階では不明だったのだ。遊輝の情報は有り難い。

「そこは名前から推測できるはずだけどね。クリスタルは水の精霊に思われていたっていう背景があるし」

「うーん……」

 ――そういうもの?

 遊輝の補足に、紅は唸るしかできない。

「出水千晶を継ぐつもりなら、もう少しお勉強が必要じゃないかな。抜折羅くんのレベルを目指す必要はないと思うけど、今のままじゃ〝フレイムブラッド〟の力さえ十全に扱えないよ?」

「うっ……」

 抜折羅が心配していたことが紅の脳裏に過ぎる。彼はその心配の芽を摘むために対策を考えてくれていた。

 ――もっともだと思う分だけ反論できない……。

 遊輝の顔が紅に近付いた。

「紅ちゃんさえ良ければ、僕が教えるよ? 特別授業。ふふ、甘美な響きだね」

 楽しげな笑みを浮かべて誘う遊輝に、紅はちらりと蒼衣を見た後に笑顔を作る。

「白浪先輩、嬉しいお誘いではあるんですが、星章先輩を刺激するのはあまり賢明じゃないかと」

 紅の助言に、遊輝は目だけを蒼衣に向ける。彼の眼光には鋭さがあった。

「悔しいなら、他人に教えられるくらいに知識を身に付けておかなかった自分を恨んで、努力をするべきだね。様々な努力を惜しまなかった閣下なら、僕くらいすぐに抜けますよ。なんなら勝負します? 今すぐだと大差がつきすぎて可哀想なことになると思うんで、ハンデとしてひと月後でどうですかね。この前の決闘は中途半端になってますし」

 ――なるほど、そう仕向けたか……。

 遊輝の挑発に、蒼衣は小さく笑った。

「ふ。ならば、このひと月で追い抜いてみせましょう。私が勝ったら、紅を口説くのを諦めていただきましょうか。大事なフィアンセですから」

「んじゃ、僕が勝ったら、紅ちゃんとのあれこれには目を瞑ってもらおうかな」

 二人の間に火花が散る。

「って、二人してあたしを巻き込まないでくれるっ!? それに蒼衣兄様、あたしはまだ婚約者の件、承諾していないんだからねっ!?」

 気付けば景品扱いだ。紅は文句をつけるが、二人は反応しない。紅を無視して会話は続く。

「試験問題は金剛に依頼するということでよろしいですか?」

「オーケイ。抜折羅くんなら信用できる」

「……もうっ! 二人ともあたしの話を聞いてよっ!!」

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