第55話 *5* 9月6日金曜日、夜

 商店街の一角にある雑居ビル。七階に降りて入口に置かれた電話を鳴らす。しばらく待つが、応答はない。スマートフォンを見やると、表示されている時刻は二十一時半だ。

 ――この時間に留守にしているものかしら? 銭湯に行っている可能性はあるけど……。

 表向きはタリスマンオーダー社の東京支部。フロアの半分は事務所であるが、もう半分は抜折羅ばさらの私室として使用されている。タリスマンオーダー社からは抜折羅が単身で来ているだけのため、彼しか住んでいないはずだ。

 受話器を下ろしたところで、事務所側の扉が開いた。

「抜折羅――!?」

「おや? お客さん、どちら様?」

 出てきた人物は二十歳前後の女性だった。左側にまとめられた黒髪が首を傾げた拍子にサラサラと揺れる。だぼっとしたTシャツにキュロットを合わせた格好はとてもラフに感じられる。両手首にタオル地のバンドを巻き、ハイソックスに運動靴を身に付けているのを見ると、メッセンジャーのような仕事をしていそうな雰囲気だ。

 見知らぬ女性の登場にこうは戸惑った。

「あ」

 彼女の瞳に赤と白の光が宿る。タリスマントーカーが能力を使用していることを示す光。

 サイドテールの女性は紅の右手首に付けられたスタールビーのブレスレットに目を向けて、そのあとにっこりと微笑んだ。

「〝フレイムブラッド〟のお嬢さんってことは、出水いずみさんのお孫さんだね。こんな所で立ち話も何だし、中で話そうよ。――わたしは赤縞あかしま沙織さおり。タリスマンオーダー社の社員でサードニックスのタリスマントーカーだ」

 赤縞沙織と名乗った女性は、キュロットのポケットから社員証を出す。顔写真入りのそれには、ローマ字で確かに彼女の名前が記載されていた。

「こっちが名刺ね」

 個人の連絡先らしい電話番号とメールアドレスが入った名刺を渡される。

「は、初めまして。あたしは火群ほむら紅です。祖母をご存知なんですね」

「わたしらの中で知らない奴がいたら、もぐりだよ。中に入りな」

 事務所側の扉を大きく開けて沙織は招いてくれる。一瞬いっしゅん躊躇ちゅうちょした紅だったが、抜折羅ばさらが出掛けているのなら待つ必要がある。沙織の誘いに乗ることにした。

「お邪魔します。――金剛こんごうくんから他にタリスマンオーダー社の人は来ていないって聞いていたんで、驚きました」

 事務所の様子は以前訪ねたときと変わっていない。ただ、彼女の持ち物と思われる大きな旅行鞄が三人掛けのソファーと棚の間に置かれているのが気になった。

「金剛……あぁ、日本だからそっちの名前を使ってるのか」

「そっちの名前?」

 思わぬ台詞に、紅は一人掛けのソファーに座りながら聞き返す。

「あれ? 聞いてないの? 社員証、バサラ・ウィストンになっているはずなんだけどな」

 三人掛けソファーで正面となる位置に腰を下ろしつつ、不思議そうな様子で沙織が言う。

「ウィストン……? 彼は日本人じゃ……?」

「流れている血は日本人さ。日本人の両親の間に生まれたから。でも彼の両親は相次いで亡くなり、親戚の間を転々としていたものの不幸が続いてね。何かにかれているんじゃないかって話になって、教会がくっついている施設に預けられてしまったんだ」

「不幸が続いたって……?」

「彼は生まれたときからホープダイヤモンドの呪いを受けているんだ。だから、彼と施設で最初に会ったときには、だいぶ暗い奴だと思った。施設ではわたしが一番年長だったから世話を焼いたけど、心を開くまでには随分時間がかかったよ。当時のわたしはホープの呪いもタリスマントーカーのことも知らなかったからね。そのうちにうちの社長が抜折羅を養子に迎えたいと言ってきて、引き取られていったのさ」

 養子に、ということは、抜折羅と沙織が別れたのはそれなりに幼かった頃の話だろう。今も交流があるのが不思議だ。隣の国というには、アメリカは遠すぎる。

「一度別れたのに、再会できたんですね」

「正確にはわたしが追いかけたんだ、アメリカまで」

「え?」

 自慢げに沙織は笑う。

「また彼が独りぼっちになっているんじゃないかって心配になったからさ。だけど、心配は杞憂きゆうだった。彼は慣れない土地でどうにかうまくやっているようだった。さすがはタリスマントーカーに詳しい組織が後ろについているだけあって、ホープの呪いを弱体化することができたってわけだ」

 おどけて肩を竦める。

「安心できたのに、そのまま向こうに残ったんですか?」

 彼女はタリスマンオーダー社の社員だ。アメリカに本社があるのだから、異国の地に残ったのだということ。紅が訊ねると、沙織は笑った。

「彼のそばについていてやりたいと思ったんだ。そのためにアメリカに渡ったんだし。それで魔性石を使う実験に参加した。タリスマンオーダー社が管理していた魔性石で、タリスマントーカーを生み出せるか――そしてわたしはサードニックスの力を受けたんだ」

 言って、沙織はバンドの下に隠していた魔性石を見せる。右手首には、ラウンド型のカボションカットで赤と白の縞目が美しい石が埋まっていた。

「その顔を見ると、本当に何も知らなかったみたいだね」

「……抜折羅があたしを避けようとするのも当然ですよね」

 抜折羅の笑顔がぎこちないのも、どことなく遠慮がちで距離を取ろうとしているのも、彼の過去が影響しているからだ。出会いと別れを繰り返し続けたせいで、人との関わりを避けたいと願ってしまうのだろう。

「抜折羅とは仲良くなったつもりでいたけど、一方的な気持ちしかなかったんですね。沙織さんみたいに動けない。あたしはそこまで彼の人生に踏み込めない……」

「逃げるの? せっかくこんな時間にもかかわらず、ここに来たのにさ」

「だって……あたしには覚悟がないから。抜折羅を苦しめるくらいなら、もう、これ以上そばにいなくてもいいんじゃないかって」

「既に手遅れじゃないかなぁ」

「?」

 視線を外し、サイドテールの毛先をいじりながら沙織は続ける。

「抜折羅は自覚がないみたいだけど、君のことをすごく好いていると思うよ?」

「な……え?」

 身体が熱い。服の外に出た肌が赤く染まっている。

「君が襲われたって報告を電話で受けたんだけど、三カ国語が入り混じる動揺ぶりでさぁ。その電話を現地時間の深夜に受けるわたしの心の広さを察してほしいところだよ。おかげで急遽きゅうきょ日本に立ち寄ることになったんだ」

「はぁ」

 取り乱す抜折羅というものを紅は想像できない。何をやらせてもそつなくこなす印象しかなかったので、意外な一面だと思う。

 ――でも、抜折羅があたしのファーストキスを奪ってしまったときは、相当そうとう狼狽うろたえていたわね。

 遠い昔に感じられるが、たった三カ月ほど前のことだ。

「彼がわたしを呼んだのは、君の護衛を任せるため。自分じゃ力不足だと思ったみたいだね。ホープの呪いの影響を最小限にする狙いもあるんじゃないかな。最初はただの協力者として報告されていた君が、ここまで大切にされるとはね。どんな魔法を使ったんだい?」

「それはあたしも知りたいんですが……」

 にわかに信じがたい。抜折羅が自分をどう思っているのか――。

「まぁ、あとは本人に聞いた方が良いかな。護衛の件も抜折羅が説明するはずだし。――そうだろ、抜折羅。いつまで盗み聞きしているつもりだ?」

 ――なん、で、すと?

 沙織が立ち上がり、抜折羅の私室に繋がる扉を引く。抜折羅がズルッと転がった。

「抜折羅!?」

「何すんだよ、沙織姉ちゃんっ!」

 起き上がると、彼はその場に胡座あぐらをかく。

「何やってんのよ、あんたは。わざわざあんたに会いにやってきてくれたんじゃないか。その勇気を踏みにじっているって自覚がないのっ!?」

「しょうがないだろっ!? 俺だってどうしたらいいのかわからなかったんだよっ! なんて言って慰めたらいいのかわからなかったし、症状を悪化させるかもって考えたら、距離もおきたくなるだろうが!?」

 ――あぁ、そうだったのね……。

 紅は抜折羅のそばに行ってしゃがむと、ぎゅっと抱き締めてやった。

「抜折羅、あたしはもう大丈夫だよ。あなたがあたしのことを思って最善を尽くしてくれたんだってこと、みんなに言われなくても気付いていたよ。いじけないで。胸を張っていて良いんだよ。心配かけてごめんね」

「紅……俺こそ悪かった。君が寂しい思いをしているのだと理解していたのに動けなかった。許してくれるか……?」

 紅はゆっくりと頷く。

「こほん」

 沙織の咳払いにさっと離れる紅と抜折羅。自分だけでなく、抜折羅も赤くなっているのが目に入って、紅はさらに照れた。

「仲直りってことでよろしいかな、ご両人」

「は、はい」

「じゃあ、わたしは仕事に戻るよ。モスクワでの仕事、待たせているんだ」

 言って、沙織は置いてあった旅行鞄に手を伸ばす。

「えっ? 日本に残れないのか?」

「そんなに人員を割けるほどタリスマンオーダー社に人はいないだろうが。ホープの呪いの処理があんたのお仕事。わたしにはわたしのお仕事ってね。マリー社長もそれで了承してる。幸いにここには優秀なタリスマントーカーが揃っているんだ。自分でどうにかしなさい」

「むぅ……」

 抜折羅にバシッと告げると、沙織は紅に目を向ける。

「――そういうことだから、火群ほむらちゃん、抜折羅をよろしくね。抜折羅はダイヤモンドみたいな人間だから、扱いに注意だよ」

「ダイヤモンド、ですか?」

 似ていると思ったことはあるが、扱いに注意という言葉に繋がる理由がわからない。小首を傾げると、沙織はウインクして答えた。

「石頭で堅物、ちょっとのことでは揺らがない。だけど意外と衝撃に弱い」

「なるほど……」

「じゃ、わたしは支度があるんで失礼。何かあったら、気軽に連絡ちょうだいね」

 ひらひらと手を振って出て行く沙織を紅は抜折羅と一緒に見送ったのだった。

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