第54話 *4* 9月6日金曜日、夜
夕食が終わり、自室に戻った
――お願い。繋がって!
コール音以外の音が耳に入った。紅はほっとする。
「そんなに僕の声が聞きたいのかい?」
おどけた様子で、聞き慣れた声が届く。
「
「紅ちゃんならそうすると思ったから出たくなかったんだけど」
遊輝の声はむすっとしている。
紅は話を先に進めることにした。
「……
「謝る必要はないんじゃない? 君は僕に感謝するか恨みを抱くかどちらかを選べばいいんだよ」
「星章先輩にも私を恨めと言われました」
「わー、閣下と
大袈裟な言い方は、彼の表情までも想起させる。顔が見えないのに、どんな表情を浮かべているのかすぐに想像できてしまうことに気付いて、紅は案外と遊輝と一緒の時間を過ごしてきたのだなと思った。
「――元気そうに振る舞ってくれるんですね」
「それが今、君に対してしてやれることだと思うからね。――紅ちゃんこそ、少しは気が晴れたかい? 学校を休んでいるって聞いたよ、二人から」
蒼衣から連絡は行っているだろうと考えていたが、
「抜折羅は白浪先輩とは連絡を取るんですね。あたしの電話には出ないくせに」
やきもちというのだろうか。寂しさが胸の中に広がっていく。
「彼なりに責任を感じているんだよ。君を守ると言っておきながら、駆けつけることができなかったから」
遊輝は抜折羅の肩を持つようだ。
「白浪先輩は抜折羅から連絡をもらったから、すぐ助けてくれたんですよね? 星章先輩が教えてくれました」
昨日の帰り、二人とまともに話ができるような状況じゃなかったからだろう。蒼衣は
「そう。だから君が犯される前に割り込めたんだよ。彼は君を守るために必要なことを充分にしたんじゃないかな」
「あたしはわかってます。抜折羅がそうした理由も、わからないわけじゃないんです」
「ほう?」
「生徒会室からの方が地学室に近かったから、白浪先輩に託したんだって思っているんです。――あたし、抜折羅に裏切られたとは思ってない。電話に出てくれない今の方がずっとツラい……」
泣き出してしまいそうだ。紅はぐっと堪える。
「んー、二人ともさぁ、僕は神父じゃないんだけど?」
「二人とも……?」
遊輝の言う〝二人とも〟が誰を指しているのかわからない。
彼は続ける。
「抜折羅くんの事務所を訪ねてみたら? 会ってちゃんと話した方が良いよ。今の紅ちゃんには少々酷なことかもしれないけど、僕や星章閣下が助言したくらいじゃ彼から君に連絡を取りそうにないからね。抜折羅くんとの関係を維持したいと思うなら、紅ちゃんが動かないといけないんじゃないかな」
遊輝に電話を掛ける前に抜折羅にも電話をしたが出てくれなかった。そのことから考えると、遊輝の推測はおおよそ正しいのだろう。
「そうですね……考えてみます」
「――ってかさぁ、抜折羅くん単体で家に通われても面白くないんだよね。そろそろ男色疑惑が立ちそうなんだけど。星章閣下とも噂されたことがあるのに、そういうのは勘弁して欲しいよ。だから紅ちゃんも家においで。僕の名誉を守るつもりで!!」
「あたしは自分の貞操を守るために抜折羅を連れて行きますよ」
「つれないなー。でも、約束だからね、紅ちゃん」
「考えておきます」
「んじゃ、またね」
電話が切れてため息。
――いつまでもウジウジしていたら始まらないか……。
スマートフォンのディスプレイに表示されている時刻は二十一時過ぎ。さすがにこんな時間に外出はできない。
――でも、気が変わる前に手は打っておこう。
部屋を出て、隣の部屋のドアを叩く。そこは三つほど歳の離れた兄、
「兄さん、受験勉強中に申し訳ないんだけど、頼み事を聞いてくれない?」
紅が声を掛けると、ドアがゆっくりと開いた。僅かばかり無精ひげが目立つ顔がドアの間から覗く。
「紅の頼みなら喜んで。――もう平気なのか?」
心配そうに見つめてくる。
「それを確かめるために行きたいところがあるの。明日の朝、車を出してくれない?」
電車やバスなどの公共交通機関を利用して万が一のことがあったらと思うと怖い。免許を持っている兄に抜折羅の事務所近くまで送ってもらうなら、心配は減るだろう。
「今じゃなくて良いのか?」
「え?」
夜もいい時間だというのに、外に連れ出してくれるというのだろうか。紅は思わず聞き返す。
「いや、確かめたいなら、早いほうがいいんじゃないかと思ってさ。こんな時間にどこに行くつもりなのかは知らんが」
「兄さん……」
「大事なことなんだろ? お前が頼みごとするなんて、滅多にないからな」
ニカッと条が笑う。頼もしい笑みだ。
「ありがとう、兄さん。今すぐ、あたしを八王子駅前まで連れてって」
「承知した。下で待ってろ。支度する」
紅が頷くと、ドアが閉まる。部屋着から着替えるのだろう。紅は自分の部屋に戻ると、スマートフォンと財布をポシェットに詰め込む。
――抜折羅、あたし、会いに行くよ。顔くらい、見せなさいよね。
会えることだけを祈り、部屋を出たのだった。
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