第56話 *6* 9月7日土曜日、昼

 九月七日土曜日。今日、明日は宝杖ほうじょう学院の学園祭――通称、青玉祭が開催される。天気は快晴。空はサファイアブルー一色で、さぞかし来場者は集まることだろう。

 こうは学校に行かなかった。事件から日は浅く、せっかくの学園祭に混乱を招くようなことはしたくない。この日のために準備や調整をしてきた蒼衣あおいに悪いと思ったのもある。色々と残念だが仕方がない。

「――付き合わせてしまったみたいだな」

 成田空港からの帰りの車中、隣に座る抜折羅ばさらが言う。モスクワに向かうという沙織さおりを見送ってきたところだ。

「あたしが行きたかったんだから、気にしないで。むしろ、車を出してくれてありがとう」

「……それはそうと、だな。手を繋いでいる必要性について、俺は議論したいのだが」

 紅が握っている彼の左手が、居心地悪そうに動く。

「フレイムブラッドの力を渡すのに必要な行為でしょうが。星章せいしょう先輩からホープが弱っていることは聞いているんだからね。移動時間を利用してできることなんだから構わないでしょ?」

「それは、確かにそうなんだが……」

 言いよどむ抜折羅に、紅はある可能性に気付いてにらむ。

「それとも、何? あたしとキスしたいわけっ!?」

「何故喧嘩腰でそういうことを言うんだ? そんなに俺のことが嫌いか!?」

「嫌いだったら、触れたいとも思わないわよっ!」

「そりゃどうも。出会ったときより関係が好転しているようで何よりだな」

 ――くう~っ!

 どうしてか、悔しい。抜折羅にとって自分の価値はエネルギータンクでしかないのだろうかと紅は悩む。守られてばかりの状況をどうにかしたくて、ならばと魔性石の力を渡すことを思いついたというのに。

 しばらく黙っていたが、不意に抜折羅が口を開いた。

「このあと白浪しらなみ先輩の様子を見に行こうと思うんだが、紅も来るか?」

「本当にあんた達は仲が良いのね」

「そこはヤキモチを焼くところなのか?」

「知らないわよ。イラッとしただけ」

「ずいぶんとご機嫌斜めだな。無理して供給してくれる必要もないんだぞ?」

「……」

 紅は台詞で返すことはせず、ただぎゅっと抜折羅の手を握った。

「……気が済むまで好きにしろよ。握手程度じゃ、全快まで半日以上かかるだろうしな」

 面倒くさそうに言う。交渉を諦めたようだ。

「――で、さっきの質問だ。白浪先輩のところに行かないなら、火群ほむらの家まで送る。寄っていくかどうか答えろ」

「一緒に行くわ。見舞いの約束もしてるし。抜折羅がいてくれれば、先輩も行き過ぎたスキンシップは自重するでしょ」

「……紅は白浪先輩とどういう関係なんだ?」

 抜折羅の目が点になっている。どちらかというと表情の変化がとぼしい彼であるが、今は退かれているのがありありとわかった。

「へ、変な聞き方しないでくれるっ!? むしろ、あたしも知りたいわよっ!!」

「じゃあ、どうなりたいんだ?」

 真面目な顔だ。この質問は雑談ではなく、ちゃんと意図がある。

「どういう意味?」

「俺には、お前が先輩とじゃれあっているように映っている。正直、反応に困るのだが、どうして欲しい?」

「どうして欲しいかって……」

 彼の問いを繰り返してみるが、よくわからない。

「変な質問であることは承知の上で訊くが、その……紅が白浪先輩のことが好きならば、俺は邪魔はしたくない。嫌いじゃないことはわかるんだが、どうなんだ?」

 あまりにも真剣な顔で抜折羅が真っ直ぐ見つめてくるので、紅は適当な言い訳が浮かばない。逃げずに正直に答えようと思った。顔から火が出そうなくらい恥ずかしいのだが、仕方がない。

「好みという意味なら、顔は好き。あたしの理想は間違いなく白浪先輩でしょう」

「お、おう」

 そう答えると思っていなかったのだろうか。抜折羅はうなる。

「ただし、内面は別よ?」

「……」

 ――その沈黙は、あたし、どう解釈したらいい?

「……総合的にみて、どうなんだ?」

「抜折羅の判断に任せるわよ」

「む……紅のそういう面は理解し難い……他はおおむね意思の疎通ができているように思っていたんだが……」

 本気で頭を抱えているように見える。大真面目に考えて、でも答えが見えないから質問をしてきたのだろうか。彼の勇気の使いどころが紅には理解できない。

 ――ったく、どこに気を遣っているのかしらね?

「わかり合えなくても当然でしょ? あたしたちは別の人間なんだから。――これは良い意味で取ってよ。今まで別の人生を歩んできたからこそ発見できたことなんだもの。楽しいことだわ」

「紅のその前向きさは見習いたいところだ」

 抜折羅は笑う。他の人がするみたいな笑顔ではないのだけど、すごく楽しそうに紅の目には映った。

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